012.特注品
山奥で流れる滝を訪れる者がやる事は2つ。
喉を潤すか。
あるいは水浴びをしていくか。
ゆえに獣だろうと旅人だろうと、その一瞬だけは隙を見せてしまう。
食料確保に小遣い稼ぎ。
加えて滝が周囲の匂いや騒音をかき消すとなれば、絶好の襲撃地点の1つ。
無法者が身を隠すには、最適な隠れ家となる。
正面からは一見して行き止まり。
しかし滝の裏へ回り込めば、馬も通れる岩道が姿を現す。
滑らないよう慎重に進み、やがてぽっかり開いた空洞へ到達。
さらに奥へ行くと、弱々しい明かりが怪しく侵入者を待ち受ける。
1度中まで踏み込めば、聞こえるのは滝と薪が爆ぜる音だけ。
だが壁を弾いた小石が転がるや、否応なく見張りが異音に気付いた。
「…ぁんだ?」
直後にガラの悪い声が上がり、鞘から剣が抜かれる。
地面を踏みしめる音が続き、慎重な足取りで唯1つの入り口に向かう。
何かが紛れ込んだならば鉢合わせ。
何もなければ滝に運ばれた小石が、洞窟に転がり込んだのだろう。
念の為に警戒しておくも、一見して滝が昼間に比べ、勢いが弱まった程度の違いしか分からない。
前方に映し出される人影も、背後の焚火に照らされた自身の影が、水のカーテンに投影されているだけ。
過去には影に驚いた見張りが剣を抜き、そのまま滝つぼに落ちた笑い話まである。
自分がその二の舞になるつもりはなかった。
「…なんもあるわけないわな」
安堵しながら武器を納め、映し出された影も同じ動作をするはずだった。
だが男は左の腰に、影は男から見て右の腰に。
左右非対称に動く現象に疑問が浮かび、カッと見開いて武器を抜こうとしたが手遅れ。
人影が滝を割って飛び出し、男の喉仏を一突き。
そのまま声も出せずに後方へ吹き飛ばすや、相手は絶命した。
死体を確認しながら武器を収め、進路に金と青の瞳を向けた襲撃者は奥へ進もうとしたが、ピタリと足を止めた。
しばし考え込むと振り返って男の武器を拾い上げ、刃先を指で弾いていく。
切れ味の悪さに口をへの字に曲げるも、贅沢は言ってられない。
入手した武器を手に奥へ進めば、荒々しく削られた壁は滝が吹き付ける水気で滑らかになり、手をつけばヌルリとした触感が掌に伝わってくる。
粘つく水分を指先で擦り落とし、大人3人が並んで歩ける通路を黙々と進んでいった。
途中で横穴を見つければ、素早く周囲を確認してから体を滑り込ませるも、時間を隔てずにすぐ中から出てくる。
再び通路へ戻り、また横穴を見つけては中へ入り込む。
同じ行動を繰り返し、やがて二手に分かれた道で佇むと、ブツブツ聞きとれない声量で呟き始めた。
「……左…右?でも見取り図だと…悪かったな。ろくに地図が読めなくてッ」
1人憤慨しながら右の道を選び、さらに移動すること数分。
堂々と佇む鉄柵が進路を阻み、幾重にも付けられた錠前は簡単に開きそうもない。
「う~ん、開かない…。カギはたぶんボスが持ってるんだろうな」
【諦めて帰還する選択肢もまだ残されている】
「死んでも選ぶ気はないからなッ。こうなったら山賊どもが起きようと、腕ずくで破壊して…」
【待て野蛮人。そのまま進め】
無機質な声に呼び止められ、振りかぶった拳が宙で止まる。
一体何の策があるかは分からないが、変幻自在の彼なら叡智を授けてくれるはず。
疑いもなく言われるがまま、まずは足を柵の隙間を通し、続けて片腕を通す。
それ以上先は助骨や胸。
加えて尻がつかえて進めず、仮に装備を脱いで裸になっても、通り道として運用するには厳しい。
やはり無理があるのではないか。
体を押し込み続け、脱出にも苦労しそうな所でウーフニールに問おうとした刹那。
全身が歪に波打つや、スルンっと檻の隙間を抜けて、再びアデランテの体型に戻った。
【これで問題はあるまい…どうした】
「…せめて、声をかけてくれって……もういい」
喘ぎ、膝に手をついて何度も息継ぎを繰り返すと体をゆっくり起こす。
頬を叩いて気合を入れ直し、暗がりに改めてキッと目を凝らした。
木箱や麻袋でごった返した倉庫は大小様々な荷が置かれ、どこから手を付けていいか見当もつかない。
早々にやる気を削がれるも、とりあえず手前の荷から開けようとした矢先。
ふいに視界の端に映ったオレンジの輝きが、必然的に注意を惹いた。
摩訶不思議な光景に恐る恐る木箱を開ければ、同時に光が消える。
中は布でくるまれた品々が詰め込まれ、首を傾げながらも上の層をかき分け、掘り進み。
やがて布の1つが木箱に同じく、オレンジ色に輝き出すと、思い切って上半身を傾けた。
無造作に光を掴み取れば、すかさず布をパッと開けてみる。
そこにあったのは掌に収まる程度の小箱。
壊さぬよう蓋を開ければ、中には特徴的な装飾品が収められていた。
「……コイツか?婚約指輪っていうのは」
【目標の回収は完了した】
「ちょっと待て。何でコレが例の指輪だって分かるんだ?そもそもドコに入っていたのかも」
【貴様に襲わせた人間共の記憶を辿り、荷馬車の襲撃から保管までの経緯を遡った】
「部屋に入る度に食わせろ、って言うから何かと思えば…てっきり食い意地でも張ってるのかと思ったよ」
【貴様と一緒にするな】
遺憾の意を表するウーフニールに笑みを浮かべた直後、突如腕を掴まれて後方に引き寄せられる。
檻に肩をぶつけ、なおも引き込もうとする力に抗って元凶を睨みつけようとしたが、逆に4つの赤目とかち合ってしまう。
その瞳には理性の欠片も宿されず、顔の端まで避けた口からは涎が垂れている。
通路の朧げな明かりで牙は鈍く光り、顔以外は黒い剛毛に覆われたソレは、どう見ても人間ではない。
いまだ骨をへし折る勢いで掴まれるも、倉庫に入った時と同じ要領であっさり握力からすり抜けた。
それから指を何度も開閉するが、怪我は擦り傷1つない。
多少の疼きは残るも、一瞥すれば相手は驚いた様子でアデランテを見つめていた。
「…魔物か?こんな物まで売り物にしているのか」
【トロール、と呼ばれている】
「ふ~ん…それにしてもコイツいま、絶対私らのこと食おうとしたろ」
4つ目から視線を逸らし、見下ろせば人や獣の骨が魔物の足元に散らばっている。
太い指は手首が柵で引っかかって未練がましく宙を掻き、その腕や足には鉄枷。
首にも太い鎖が巻かれ、狭い檻の中でさらに身動きを制限されていた。
その様子をジッと眺め、掴まれた拍子に落としかけた指輪を懐にしまい込むと、転がった骨を蹴飛ばす。
「…脅かしやがって。食うのはウーフニールの専売特許なんだよッ!そのままずっとソコに閉じ込められてろ、バーカバーカっ」
【……何をしている。回収が済んだならば速やかに撤収しろ】
「お前こそ何を言ってるんだ?このままアジトを潰すに決まってるだろ?」
【ナニ?】
「はぁっ?」
突如訪れた不和に沈黙が流れ、トロールが揺らす鎖と鉄柵の音だけが響く。
【目的は指輪奪還のはず】
「山賊を野放しにするとは言わなかったぞ……言ってないよな?」
【だが駆逐するとも聞いていない】
「おいおい、コイツらを放っておけばどうなるかお前も分かるだろ?また第二第三の……アイツの名前なんて言ったっけ…とにかく困る奴が増えるだろうがッ」
【貴様が名すら忘れた男に手を貸すことで十分譲歩はした。これ以上の行動は危険が伴う】
「そりゃ、私1人じゃ厳しいのは知ってるけどさ……どうしたら協力してくれる?」
【……見返り…】
唐突に投げられた問いに珍しくウーフニールが押し黙り、アデランテも腰丈に合った木箱に座ると、大人しく彼の返答を待った。
相手の要求を満たす事で、自身の要求を飲んでもらう。
閃光のように脳裏を走った“交渉上手の正しい進め方”に感謝しつつ、暇を持て余して頬杖をつく。
横目には檻を壊さんばかりに魔物が暴れ、売り手も売り手だが、買い手も買い手。
こんな物を手に入れてどうするつもりなのか。
想像もつかない絵面に表情を曇らせ、荒んだ世の中に小さな溜息を零す。
視線を移し、ザっと盗品の数々を流し見ながら、いっそ金目の物を1つや2つ。
マルガレーテまでの路銀として物色しようかと考えていた矢先。
【確定した】
体内を揺さぶる声に驚いて木箱から落ちそうになり、慌ててしがみついた柵から素早く手を離すと、辛うじてトロールの魔の手を躱す。
「…で、条件は?」
【貴様の横にいる魔物を貰い受ける】
「……私の、横の…」
首をぎこちなく動かし、脂ぎった毛の塊の魔物をジッと見つめる。
素肌が露わな部位は荒れ、風呂の概念がないだろう見た目と体臭に思わず息を呑む。
確かに専売特許とは言ったが、ソレを体内に押し込める勇気が一向に湧かない。
「な、なぁ。道すがら倒す山賊とかじゃあ、ダメなのか?」
【戦力を鑑みれば人間よりも遥かに使い勝手が良い。それとも山賊は喰らえて、魔物は喰らえないのか】
「うっ……分かったよ。その代わり協力は絶対だからなッ」
【了承した】
ひと際大きなため息を吐くと、忌々しそうに顔を魔物へ向ける。
トロールはいまだアデランテを諦める様子はなかったものの、突如その口から立ち込めた黒いモヤを見るや、弾けるように檻の反対側へと身を引いた。
鎖を引き千切らんばかりに暴れようとモヤは下半身を覆い、徐々に首元まで上り詰める。
やがて恐怖に染まったトロールの顔まで埋め尽くし、鉄枷が乾いた音を立てながら転がる頃には、その場には空っぽの檻しか残されていなかった。
【終わったぞ……貴様は何をしている】
「…うぅ、なんか胸焼けがするような気が…」
【気のせいだ。進むならばサッサと進め。さもなくば撤退しろ】
「わ、分かってるっての!今行くから!…ふぅ……よっし」
押さえていた胸から手を放し、箱から飛び降りて体を伸ばすも異変は感じない。
いつも通りに動く四肢に満足し、早々に倉庫を去ると地図が脳内に浮かんだ。
倉庫へ辿り着くまでに、1階相当の敵は始末済み。
残るは2階の敵のみだが、流石に山賊と言えど深夜は眠りについているらしい。
おかげで問題なく上階へ続く坂道まで差し掛かることができた。
曲がり角を進み、最初に見えた横穴を次の目的地に定めた時。
ふいに足を引っかけ、前のめりに転びそうになる。
薄暗い足元を睨みつけるが、暗闇と松明の間を交互に進んだせいで、今1つ視界がはっきりしない。
だが次の瞬間。
「……ふぁ~ああぁぁぁ……あ゛っ?」
欠伸が聞こえ、のそりと足元の物体が動き出すとゆっくり立ち上がった。
片手に持つ瓶や鼻先を赤くしている様子から、酔い潰れて廊下で寝ていたのだろう。
酒を呷った男はふと視線をアデランテに移し、訝し気に目を凝らす。
酒臭い息を漂わせながら気怠そうに首を掻くと、ゆっくり口を開いた。
「…てんめぇ……仕事は~終わったのかよぅ?」
フラつきながら焦点が定まらない男の視先同様、おぼつかない声が掛けられる。
その先にいたのは金と青の瞳の女でも、銀糸の騎士でもない。
太い腕に毛皮の服を着込んだ、山賊の風貌をした男だった。