127.飛び込み隊
扉は開かれる度にドアノブが壊れ、過ぎ行く豪華な内装には目も暮れない。やがて1つしか見えない戸に体当たりし、取っ手を握った矢先。
「……あれッ!?」
ガタガタと歪な音が立つだけで、一向に開かれる気配はない。砂時計を近付ければ目的地が扉向こうである事は明白。
ついにはドアノブも壊れるが、“模様替え”のカウントダウンはすでに秒読み。もはやウーフニールに話しかけている暇もなかった。
全力で蹴りつければ穴は開いたが、反対側からは明かりすら差し込まない。
恐らく扉を塞いでいるのだろう。困惑と焦りを抱え、手当たり次第に扉を壊せば枠組みだけが残った。
あとは家具を退かすだけでも、落ち着いている時間はない。意を決して作戦を変えれば、調度品の裏地を5回ノックした。
「…パクサーナ?」
返事はない。しかし微かに物音が反対側から聞こえる。
さらに強く叩けば、もう1度彼女の名を呼んだ。
「パクサーナッ!私だ!アデラン、アデッ…えっと、何だっけか?」
【残り30秒】
「とにかく開けるんだッ!お前と……お前たちと合流出来なくなる!!パクサーナ、聞こえてるならせめて返事くらいッッ」
【20秒】
「開けてくれぇぇえーーー!!」
バリケードを殴るだけでは、ただ相手の危機感を煽るだけ。両手を突いて押し出せば、向こう側で賛否両論の言い合いがせめぎ合う。
中には“魔物の罠”を主張する声も挙がり、咄嗟に反論しかけたが、口を動かしている暇があれば手を。
手を動かしている暇がなければ、もはや諦めるほかない。
パクサーナの名を呼びながら押し続けるが、ふいに家具が微かに動いた感触を覚えた。直後に全てをどかせ、と。
「アデライトを入れろ」と叫ぶ、パクサーナの勇ましい声が聞こえてくる。
指示を出す彼女の姿が脳裏に浮かび、思わず微笑んだのも束の間。黒い数字が視界の中央に移り、“10”と赤く点滅し出す。
否応なく表情は崩れ、ありったけの力を込めて幾分か軽くなった家具を押すや、部屋の間に出来た隙間に足を突っ込んだ。
【…5、4、3】
無情に知らされる現実に反し、身体はまだ半分も外に出ている。全身を強引に捻じ込み、【1】と合図された瞬間に全霊を以て飛び込んだ。
「――…アデ、ライト?」
ふと聞こえた声に、固く閉じていた瞳を開ける。顔を上げればパクサーナと目が合い、背後の男たちも恐る恐る覗き込んでいた。
「…間に合った」
ホッとしながら起き上がれば、周囲の景色をザッと見回す。
半壊したはずの扉は完全修復され、バリケードに使われた家具も無ければ、荒れたはずの部屋も整然としていた。
血痕も綺麗に消え、襲撃の面影を残すのは中央に並べられた遺体の山。そしてパクサーナを含む8人の生存者だけだった。
ハッとなって胸元を漁れば、“道標”も所持品から消えている。部屋の隅の砂時計もまた修復され、ギリギリ間に合った事実にホッと胸を撫で下ろした。
「全員怪我はないか?私がいない間、他に何かあったか?」
ゆっくり起き上がってパクサーナに向き直れば、驚いた彼女は再び目を瞬かせる。
仲間へ振り返り、恐る恐る口を開けば生存者は無事である事。怪我人がいたとしても、全員死亡している事を零す。
全滅を回避したアデランテの功績を称える一方、いまだ顔色の悪い一行を代表してパクサーナが言葉を紡いだ。
「……魔物は…魔物はどうなった?」
右頬を裂かれたアデランテを心配するや、ソッと伸ばされた手を咄嗟に掴む。
ビクついた彼女を宥めるように解放し、素早くパクサーナの身体を。それから男たちに視線を走らせるが、申告通り目立った外傷は見当たらない。
しかし気付けば注目の的はアデランテの方だったらしい。まるで珍獣を見るような眼差しは、怪物を1人で追った神経を疑われたのか。
あるいは部屋まで戻れた所業に驚いているのか。
それとも顔を晒した事で、アデライト当人と認識されていないのかもしれない。
思えばパクサーナ以外の住人に素顔を見せるのは今回が初めて。
視線を移せば当人は惚けた表情を浮かべ、ようやく我に返ったのだろう。慌てて顔を逸らすや、盗み見るように一瞥してきた。
「…とりあえず無事でよかった」
「お互いにな……彼らの事は、その…すまなかった」
「アデライトのせいじゃない。俺の力不足が原因だ…それで魔物はどうなった?その傷も…」
「えっと、血は止まって、見た目ほど酷くはないんだ。それにもう2度と襲撃される事はないから安心してくれ」
「……倒したのか?」
「あぁ」
ひとまず一段落ついた、と思った矢先。彼らは歓喜を浮かべる事なく、一層表情を曇らせた。
互いに見合わせ、やがてパクサーナが「どうやって魔物を倒した」のかを尋ねた。
反射的に答えようにも開いた口は塞がり、怪物を1人で。厳密には“2人”で仕留めた英雄譚を思い浮かべるが、霧に包まれて何も出て来ない。
【逃がしたと言えば良かったものを】
(少しでも安心させてやりたいだろ?魔物を仕留めたのは本当で、仲間の仇も取ってほしかったろうし。あんなのが屋敷内をまだ徘徊してるなんて思われたら、出口探しどころの話じゃなくなる)
【ならば魔物を如何に始末できたか、貴様が説明すべきだろう】
(…たすけてくれ)
【奴らの追従有無に関わらず、従来の目的へ移行するならば】
(……善処する)
曖昧な返事に唸り声が響くも、直後に気道をこそばゆいヒリつきが生じる。思わず喉を掻きたくなるが、代わりにアデランテの声が独りでに零された。
『追跡した先で冒険者の一団と遭遇したんだ。共闘して何とか倒せたが“よそ者”を信用してくれなくてな。その後は円満に別れて今に至っている』
身振り手振り。声に合わせて身体を動かせば、とにかく魔物の脅威が去った事を強調。
冒険者たちのおかげで怪我も負わずに済み、必死の弁論に緊張感も解けていく。
しかしアデランテはどうやって部屋まで戻ってきたのかと。ふいに男が上げた疑問に再び視線が集まり、困惑した当人を差し置いて口は勝手に囀った。
『元の部屋に戻る手掛かりがないかずっと考えていたんだ。そう思って調達に出かけた時、試してみたものがあってな』
会話を合図に、疼く右腕に合わせて砂時計を指差す。
砂の音。
扉の共鳴。
見えない道標。
魔物退治よりも信憑性のない話に、誰もが訝し気に眉をひそめる。
もっともアデランテが戻ってきた事を鑑みれば、疑う余地もないのだろう。ひとまず納得してもらい、安堵と共にウーフニールへ感謝を捧げた時。
キュッと袖を引かれ、注意を惹かれた先にはパクサーナがいた。上目遣いで見つめてくるや、手を放した彼女はおずおずと話しかけてくる。
「……前に話してたこと。全員賛同してくれたよ」
「前?」
【脱出口探索】
「あ、あぁ!それは良かっ…流石にこの状況で言うのは憚られるな」
「だから行くって決まったんだ。俺1人じゃ守りきれないって証明されたし、このまま屋敷で生活し続けるなんて無理だ…仲間の装備は全部回収も済んでる。お前が行けるなら、いますぐにでも支度をさせるぞ」
固い決意の言葉に反し、彼女の瞳には悲哀が漂う。生存者たちも恐怖の色を浮かべ、出来る事なら籠城したいのだろう。
だが扉を抜けなければ食料は手に入らない。例え立て籠もっても、怪物に蹂躙される未来を肌で実感してしまった。
脱出口探しも半ば自暴自棄とはいえ、不安の入り乱れた覚悟にアデランテも頷けば、早速出立すべく各々が荷を背負い始める。
生き延びた山羊も両足を縛られて担がれ、瞬く間に組まれた隊列は先頭がアデランテ。
最後尾にパクサーナが付き、山羊を囲うように一行は進む。
調達時と変わらない光景を繰り広げ、敵影の無い平穏な旅路の最中。ふと浮かんだ疑問に、すかさずウーフニールへ語り掛けた。
(そういえばさ。結局脱出に使えそうな情報はあったのか?魔物を摂り込んでから随分経ってると思うんだけど)
【収穫なし】
(…あれだけの被害と労力を出して何もないのか。戦闘力もだけど、扉の開け閉めが出来る知能は持ってたし、少しは期待してたんだけどな…まぁ脅威は去って、私らも変身できる魔物の種類が増えたんだ。不本意でも3パーティ分のプレートが手に入って、本格的に脱出へ向けて動き出してる。全部が全部、悪い方向に進んでるわけじゃない…よな?)
【貴様の認識に誤りがある】
(……どれのことだ?)
務めて明るく振る舞えば、影を差す無機質な声にギョっとする。殆ど思い出せない自身の発言を反芻するが、認識の齟齬はあまりにも大きかった。
まず魔物自身の“情報”がなかった事。
記憶もなく、思考も検出されず。質量として補完すら出来なかったと、半ば苛立ったような唸り声が響く。
【無い物は無い】
疑問を見越した声音に言葉を飲み、思考を巡らせればすかさずパクサーナに声を掛けた。
内容は例の魔物の呼称。あるいは屋敷に来る前から見知っていたかどうか。
唐突な話題に最初は困惑していたが、見た事も聞いた事もない生物だったと告げられる。
ただし屋敷内で似た惨殺体には何度も遭遇し、時期は決まって収穫量が減った時。傾いた部屋や天地がひっくり返った空間も、同時期に発生する事が付け足される。
思い出すように述べた彼女に礼を言い、すぐさまウーフニールを呼び起こした。
(ウーフニール!少し確認してほしい事があるんだッ)
【内容は】
(子供たちとまだいるはずだろ?私らを襲った魔物に会った事はないか、それとひっくり返った部屋の事を聞いてくれ)
【……魔物の遭遇経験は無いが、引き裂かれた死体や異質な空間の目撃条件は女の供述と同じだ】
「パクサーナ。もう1つだけ聞かせてくれ。食料は減る事があれば、逆に増える事もあるのか?」
「…増える、というより普段ある時と同じ量に戻る感じだ」
「そうか……分かった。ありがとう」
何が“分かった”のか。思考の読めない先導者に首を傾げるが、考え込む姿に問い返すのも憚れるのだろう。
深く追求される事なく部屋から部屋へ。扉から扉へ。
警戒しながらどんどん奥へ進む傍ら、ふいに腹底を唸り声がひしめいた。
(…どうしたんだ?)
【魔物に関する数々の問い。答えは出たのか】
(ん~、大雑把には一応な……例えば食料が減るのは、あの魔物が実は食べてるからで。扉を開ける知能があるのは、多分引き出しや棚を調べるうちに会得したんだろうなって。どの道倒したから、もう脅威はないと考えてるけど)
【喰らったのちに記憶及び質量の保有が出来なかった謎は】
(ん~、死ぬと塵になって消えるとか?ほら、雪は溶けると水になって消えるだろ?)
【天地変動の仕組みは】
(屋敷から出てしまえば私らには関係ない事だ。そういう部屋にまた辿り着いたら、その時また考えるさ)
肩を竦めて歩く“愚かな従者”は、静かに反論される時を待つ。根拠のない憶測に小言の1つは覚悟していたが、部屋を3つ跨いでも返答はない。
恐らく彼自身が否定する材料が無い事。
またアデランテが言葉を重ねたところで、謎は謎のまま残されているからだろう。
だが確かに合理的かつ楽観的に考えた結論ではあったが、同時にアデランテ自身の儚い願望でもあった。