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126.狩られる者

 体格差とリーチ。加えて細身の魔物から繰り出された重く、鋭い斬撃を咄嗟に躱す。

 初撃こそ防げるが、2度3度と連撃を叩き込まれては後退せざるを得ない。速度でも上回る敵を相手に、壁へ追い詰められるのも時間の問題だったのだろう。



 魔物の片腕を足で押さえ、2本目は剣で阻み。そして最後の腕は手首を掴んだ。

 3本の凶悪な指先は刃物が如き鋭さを有し、開閉する度に殺意がひしひし伝わってくる。

 押し返そうにも魔物元来の怪力に加え、片足で立っていてはバランスも取れない。背後の壁に身体を預け、ウーフニールの補助で辛うじて均衡を保っていた。


「…ッッ、くッ、この…」 

【分身を消し、加勢に参戦させる事を推奨する】

「ダメだ!何があっても子供たちから離れないでくれッ。コイツは私が…私らで何とかする!」

【案を否定した上でウーフニールを巻き込むか】

「冷たいこと言うなよ。私らは一蓮ッ托、生…だろうが!!」

 

 力強い掛け声に反し、途端に身体の力を抜いた。バランスを崩した魔物は前のめりに倒れ、凶腕を掻い潜って振るった一閃を引き戻した腕で防がれてしまう。


 それどころか刃先まで握られ、切れ味があれば手の1つや2つは切り裂けたかもしれない。悔しさに想いを馳せるものの、無い物ねだりは心の贅肉。

 現状に至っては命取りになる我儘だが、切れ味は無くとも“普通の剣”でもない。

 


 途端に剣を煙の如く消し、解放された瞬間に魔物が振り下ろした2本の腕を回避。背後へ回り込むと同時に、道中で調達したナイフを敵の頭めがけて投げつける。

 それもあっさり叩き落とされるが、直後に4つ目の中央に剣先を一突き繰り出す。消えたはずの剣が再び出現し、魔物もさぞ驚いたのだろう。

 反応が明らかに遅れていたが、一方でアデランテも身体が疼いて力が入らない。

 奇襲を相殺するように一撃は躱され、すぐさま反撃した魔物に同じく態勢を整えるや、火花が散る肉迫した斬り合いが一帯に轟く。


 傍目には一進一退の攻防に見えたろうが、魔物は常に長い腕の間合いで戦っている。アデランテが懐に飛び込む事を許さず、場合によっては彫像の投擲。

 あるいは砕いた破片を投げつけ、終いには絵画ごと叩きつけてくる事もあった。

 回り込もうにも背中は見せず、実力差に反して警戒を怠る様子が無い。


 蝶のように舞い、蜂のような一撃を織り成す相手に攻めきれず。何よりも背中に刺した砂時計をいまだ回収出来ずにいた。

 

「……全然近付けさせてくれないな」

【貴様の実力を脅威とみなした証拠でもある。喜ぶが良い】

「倒せなきゃ話にもならないって言うのに、喜べるわけがないだろ?追ったところで全然捕まえられないし」

【自らの実力を示す行為が貴様の生き甲斐と認識していたが】

「気乗りしない事でも全力で挑むのが私の信念なんだよ。それに今はゆっくりしてる場合じゃないんだ!いつ砂時計が“直る”かも分からないし、お前だってアイツを仕留めて情報を集めたいだろッ?」

【ならば変われ】


 有無を言わせぬ無機質な声に、もはや反論する余地も時間も無かった。渋々我が身を明け渡せば、突如全身が疼いて甘い声を洩らす。

 口元まで覆いそうになるが、魔物相手に我慢する理由もないだろう。

 

 ウーフニールに蹂躙されるがまま。敵前に構わず膝から崩れ落ちれば、表面が鮮やかに彩られて、体積も徐々に増えていく。

 色合いも形も落ち着く頃には、得体の知れない怪物が魔物の眼前に佇んでいた。


 

 8本脚の優雅な牡鹿の身体には、横から鉤爪状の足が突き出し、欠損した頭の代わりに大角が首から左右へ伸びている。

 巨大な顎のようにも見えるのは、首の断面にびっしり牙が生えていたからだろう。


 形容し難い存在に魔物が1歩下がり、形無き殺意を向けられてまた1歩下がる。角が揺れる度に歪な軋み音が響き、歯ぎしりのような異音にもう2歩。

 そして怪物がおぞましい咆哮を上げるや、ビクついた足が後退を許さない。

 

 途端に蹄の音が部屋を駆け抜け、瞬く間に魔物との距離が詰まる。触れる瞬間に相も変わらぬ反射速度で横へ飛び退かれるが、大角は背後の壁を。

 横腹の鉤爪は容赦なく避けた魔物を襲い、長い腕が思わぬ一撃を咄嗟に弾き落とす。

 そのまま後退して距離が置かれるが、怪物が獲物を逃がすはずがない。突き刺さっていた壁ごと砕いて角を向けるや、魔物に向かって再び突進した。


 道すがらの絵画や彫刻。果ては台座まで破壊し、仮に投げつけられても雄々しい肉体が全てを弾く。

 勢いは一向に衰えず。魔物の速度を上回る8本脚が一気に距離を詰めれば、魔物も白兵戦を覚悟したのだろう。

 意を決して凶悪な大角を両手で押さえた刹那――つるんっ、と。表面が油の如く滑り、為す術もなく魔物は頭突きを喰らう。


 背後へ巨躯を引きずられ、踏ん張ろうとも焼け石に水。3本の腕で怪物を掴んでも表面が滑り、爪を浴びせても傷は浅い。


 やがて魔物を挟んだ角に持ち上げられ、当然の如く暴れると無数の針が突き刺さる感触に抵抗も止んだ。

 4つ目が見下ろせば、角の隙間からは頭の無い首が伸ばされ。魔物の身体に密着した断面が、内側から体液を吸い出していたようだった。


 嫌悪感に一層暴れるが、地に足がつかないために振り回せるのは3つの腕だけ。


 だがそれから徐々に。少しずつ意識が薄れ、凶悪な長い腕も力なく横に垂れ下がる。自身が怪物であった事すら忘れ、指先の自由も利かなくなった時。

 妖しく灯っていた瞳は、ロウソクの火が如く静かに消え去っていった。



――カランっっ



 魔物の姿が消えた直後、壊れた砂時計が床に落ちた。勢いのままコロコロ転がっていけば、すかさず怪物の横腹に生えた脚が器用に掴んだ。

 歪な肉体を反転させれば何事もなく闊歩し、やがてピタリと移動をやめる。


 開かれた角が再び閉じられ、そのまま猛然と走り出せばドアノブを失った扉に激突。落雷のような轟音を響かせながら隣室を走り抜けたが、ふいに全身が七色に染まって徐々に体積も縮んでいく。

 歪んだ輪郭はやがて人の姿を模し、伸ばされた腕が転がる砂時計を乱暴に掴む。

 

 四肢はなおも床に張り付いていたが、ようやく荒い息遣いも落ち着いた時。グッと身体を起こせば、フラフラ扉へと向かっていった。


「…なんだか、身体が…ものすごく熱い…ッ」

【消化不良による発熱が原因】

「……いっ、いつになれば…治る、ッんだ?すぐにでも部屋に戻らなきゃッ…はぁぁんん゛ぅ゛ぅッ゛ッ!!」

【完了……不可解】

「…なにが……だ。ハァハァ…」 


 崩れるように扉へ寄り掛かれば、砂時計を力なく押し付ける。荒い呼吸で碌に耳も澄ませられないが、ウーフニールからの返事は無い。

 重い身体を無理やり引き剥がし。別の扉で同じ行動を繰り返すが、執拗に絡みつく火照りは、いつにも増して身体の芯を疼かせる。


 心臓の音までアデランテの邪魔をし始めたものの、微かな砂音が掠めれば肩で扉を押し開いた。

 隣室の風呂場に表情も明るくなり、洗面台に頭を突っ込むと同時に蛇口を全開。冷水が勢いよく降り掛かれば、首筋を伝って上半身を惜しみなく濡らしていく。


 時折顔を傾けて喉も潤し。程なく身体を起こせば髪を鞭の如く振るったが、全身に圧し掛かる気怠さがいまだ離れない。

 台に手を突いて顎を伝う滴に耳を傾ければ、ふと対面した鏡像がアデランテを捉えた。


 無意識に左頬の傷を眺め。視線を辿るように指先でソッとなぞっていくが、所詮は古傷。ウーフニールと出会った以後の傷は一切なく、肩口も。

 そして展示場が原型を留めない程の激戦を繰り広げた負傷も、今や影も形もない。便利な肉体に感謝する反面、過去まで拭われた錯覚に陥った刹那。


 クイっと顎を上げれば、右頬をぺちぺち叩いた。


「……引っ搔き傷が…」

【修復済みだ】

「せめて治療って言ってくれよな…治してくれたところ悪いんだけどさ。右の頬を元に戻せないか?」

【原状は回復したはずだが】

「そうじゃなくて、魔物の爪を喰らった姿は連中に見られてるわけだろ?フードまで引き裂かれてたし、次に会ったら怪しまれるどころじゃ済まないと思うんだ」

【傷の回復をするのか。しないのか】

「…腹を括って顔を晒すしかないだろうな。頬の傷は戻してくれなぁああはァァッん~……ッ」

 

 油断しきったところに、首筋から頬に掛けて皮膚の下が疼きだす。

 咄嗟に洗面台へしがみつき。うんざりするように鏡を睨めば、右頬には3本傷がくっきり刻まれていた。

 新たな傷痕を撫で、ひとまず完璧な偽装に胸を撫で下ろす。肩にしな垂れた三つ編みも弾き、目的地へ移動すべく砂時計を扉に付けた。


「…で、何が不可解だったんだ?」


 片手間に雑談を交え、思い出したようにウーフニールの言葉を反芻する。魔物の情報に興味を覚えた事も一因するが、呼びかけても返答は無い。

 

 恐らく情報を整理中なのだろう。答えを急かす事なく、豪華な部屋を幾つも越えた先。

 扉を押し開けば血の臭いが隙間から滲み、最初の目標へ辿り着いた事を知った。


 一息吐いてから踏み入れると、部屋の中は死屍累々。赤で染まった光景に顔をしかめるが、突如視界の隅に文字が浮かんだ。

 6行の文字列の内1つが線を引かれ。捜索対象と合流した事を自ずと理解すれば、さらに2つの遺体が輝きを放った。


 首を傾げて傍に屈み込めば、血だまりに伏せた冒険者の顔は見えず。首のプレートも乾いた血が張り付いている。

 彫りのおかげで文字は読めたが、途端にギネスバイエルンの街並みが蘇った。


 騒がしい街道を歩けば、隣には犬のように纏わりつく青年の姿が映り。“南の山に向かう”と告げた彼も、最期は屋敷の一室で息を引き取っていたらしい。


 もう1つの輝きに腕を伸ばすと、固く閉じた手をこじ開ければ骨が折れる音が響く。否が応でも顔をしかめるが、アデランテが回収したのは2つの冒険者プレート。

 それらを視界に捉えるや、6行の文字列に線がもう2本引かれていった。



 捜索対象は残り3パーティ。

 だが捜索隊のメンバーも探すなら、再び6パーティへ逆戻り。


 プレートを回収し、改めて青年を見下ろせば死因は腹部の裂傷。乾いた血飛沫や傷口から、3本腕の魔物の凶行である事は間違いない。

 死体の傍には腰巾着の中身がぶち撒けられ、彼と共に一撃を受けたのだろう。そこから引きずった血痕が伸び、散ったプレートを死ぬ間際に回収したようだった。


「…依頼。ちゃんと果たしてたんだな……大した奴だよ。お前は…」

 

 物言わぬ肉体に声をかけ、プレートを懐にしまう。それからスッと立ち上がれば彼らを弔うべく。

 最期を記憶に留めるべく、部屋全体を見渡した矢先。突如4桁の数字が視界に表示され、アデランテを戸惑わせる。

 しかし下二桁の数字がテンポ良く減れば、徐々に予想は確信へ変わっていった。


 

 顔も青ざめていき、もはや文字通り一刻の猶予もない。部屋の道標を捨てれば、もう1つの壊れた砂時計を勢いよく扉へ押し付けた。


 直後に耳を澄ませるが、奏でる音は“ハズレ”。 

 疾風の如くもう一方の出口へも走り、砂が一瞬でも耳元を掠めれば、半壊する程乱暴に押し開いていった。

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