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125.狩る者

 駆けつけた男たちが扉で止まり、最初の1文字が声に出される間もなく。カッと目を見開いた魔物を、しかしアデランテは視界に入れてなかった。


 かといって視線を向けた先は男たちでも、ましてやパクサーナでもない。

 凝視していたのは敵の足元。そして動き出したのは、左足が先だった。



 即座に倒れた椅子を進行方向に蹴り飛ばしたが、軽々と飛び越えた魔物には足止めにもならない。

 だが僅かな滞空時間が距離を稼ぎ、魔物が調達部隊へ襲い掛かるや、直前に背後から体当たりして腕を1つ。

 さらに両足で魔物の片脚を絡み取り、身体半分のバランスを崩した。


 それでも残る2本の腕の内、片方がその身を辛うじて支え。最後の1本は扉に立つ男たちへ容赦なく振り下ろされた。


 

 運任せの出たとこ勝負だったとはいえ、やはり無理があったか。悔しさに歯を噛み締めるが、響いた音は肉を裂く音ではない。

 持っていた武器が先頭の男を守り、期せずして盾の役目を果たしたのだろう。背後に集まった調達隊も凶刃を受ける事なく、弾き飛ばされるだけで済んだ。

 

 魔物も腕を振り下ろした勢いで宙を一回転。調達隊を足場に自らを部屋の外へ飛ばしてしまい、その隙に残る脚も絡め取った。


 下半身の自由も奪い、アデランテの引き剥がしに注意が向くかと思ったのも束の間。魔物は鬱陶しそうに身体を振るだけで、いまだ視線を男たちに固定していた。


「…扉をぉぉ、閉めろぉぉぉおおおーーーーッッ!!」


 しがみついたまま、張り上げた咆哮が男たちを飛び上がらせる。一斉に動き出した彼らは部屋へ飛び込むが、アデランテを心配したのは一瞬だけ。

 直後に暴れ狂う魔物が奇声を上げたおかげで、恐れをなして扉を閉めてくれた。


 ようやく戦闘に集中できるはずが、直後に部屋からパクサーナが顔を出す。


「アデライト!!1人じゃ無理だ!俺も一緒にっ…」

「コイツを引き受けるのが私の…“護衛”の仕事だ!お前の役目は他の連中を守ることだろッ!」

「だからってむざむざ犠牲にしてたまるか!相手は怪物なんだぞ!?1人でどうにか出来る相手か!」


【ウーフニールと出会った当初より心身ともに人間離れはしていた】


「ぐッッ…何とかなる!だから部屋で待っていてくれ!必ず戻るから!」

「そもそもどうやって戻ってくる気なんだ!部屋が変われば、2度と会えないんだぞ!?」

「戻ると言ったら戻る!私は生まれてこの方、1度も約束を破った事がないんだ!」

「そんな人間がいるはずないっ!」


【“約束”を都合良く改竄する悪癖は否めん】


「ッッ…少し黙っててくれないか!?」

「なんだとぉ!」

「いや、今のはお前に言ったんじゃなく…だぁぁぁぁああーー!!」


 平行線を辿る会話を交わしつつ、ありったけの力を込めて魔物を押さえつける。だが宙を自由に暴れる2本腕に、拘束が解かれるのも時間の問題。

 だというのにパクサーナは去る気配がなく、体力ばかりが悪戯に削られていく。


 しかし幸か不幸か。事態の進展を図ったのは魔物だった。振り回された爪先がアデランテの頬を裂き、熱が籠もる痛みに一瞬怯んだ。


「ぐあ…ッッ!」

「アデライト!?」

「…く、来るなぁぁッ!」


 幸いウーフニールが補助に回り、魔物を抑えたままパクサーナを牽制。必死に彼女を部屋に戻す案を考えるが、切り裂かれたフードがハラリと落ちた。

 血は頬を伝い、痛ましい姿に踏み出そうとするパクサーナを睨んで足止めする。


 だが彼女の存在に魔物も興奮し、2本の腕を這わせながら徐々に迫っていた。パクサーナも果敢に武器を向けるが、敵の素早さを前にしては無力も同然。

 2人掛かりどころか、アデランテ1人でも勝ち目があるか分からない。怪物の背中から懸命に顔を上げれば、ふいにパクサーナと視線が合った。


「…わた、私は何があっても必ず戻る!お前がいるその部屋に、必ずッ!!」

「……でも」


【いっそ魔物を解放し、貴様の煩いを断つのも一計だろう】


「――ッッいますぐ!とにかくッ!!その扉を閉めてくれええぇえーーー!!」


 決死の訴えがようやく届き、驚いたパクサーナが慌てて扉を閉めた。しかし叫んだ拍子に拘束が緩んでしまい、飛び出した魔物が勢いよく戸へ衝突。

 ドアノブをガチャガチャ弾くが、反対側から抑えられているらしい。指先の忙しない動きからは、魔物の苛立ちが伝わってくる気さえした。


 しかし扉に集中するあまり、しがみついていたアデランテの事を忘れていたのだろう。隙ありとばかりに折れた砂時計を叩き込めば、直後に反り返った魔物が悲鳴を上げた。

 暴れた拍子にアデランテも放り飛ばされ、叩きつけられた棚の下敷きになってしまう。


 苦悶を零す間もなく足音が耳に届けば、ガバっと起き上がった拍子に鈍痛で身体が軋み。右頬の傷も遅れて痛みを訴えてくる。

 いずれウーフニールに治されるだろうが、ふと顔を上げれば屍の山が視界に映った。痛みもすぐに怒りへ還元され、勢いよく走り出せば魔物の後を追った。


「――…逃がしてたまるかッ」


 隣室に飛び込めば微かに開いた扉を潜るが、魔物の姿は影も形も捉えられない。しかし野放しにすれば再び脅威に晒されるか。

 あるいはまだ見ぬ他の集落にも、被害が及ぶ可能性が十分にある。


 速度で遥かに上回る相手を探すのは困難だが、幸い突き刺した傷が血煙の道標となり、ウーフニールがいれば何処までも追える。 


 だが振るった凶器は砂時計の片割れ。それも魔物に刺さったままであり、パクサーナと合流する唯一の“鍵”でもあった。


「ウーフニール!」

【次の部屋を抜けた先、左の扉】

「…くそッ、足音も何も聞こえない。刺した事は後悔してないけど、何が何でも仕留めなきゃならなくなった!」

【逃がせば女との約束も果たさずに済む】

「絶ッッ対に逃がしてたまるか!!次、どこだッ!?」


 視界に浮かぶ赤い道筋を追うが、一向に距離が縮まる気配はない。焦燥感に唇を噛み締め、扉を蹴破りながら走り続けた矢先。


【血煙反応、多数。魔物のものではない】


 感慨もなく告げられた情報に、速度をさらに上げる。程なく臭いが鼻腔を掠め、蹴り開けた扉の先には血生臭い光景が広がっていた。

 死に様はパクサーナの一団と酷似し、追っている魔物の仕業なのは一目瞭然。


 だが足を止めたのも一瞬だけで。再び走り出せば暖炉に置かれた砂時計を掴み、破壊した片割れが床を転がった。


 今は魔物の追跡に集中しなければならない。砂時計を手に入れた今、後で確認すれば良いだけの話。

 何度も自身に言い聞かせるが、思考の片隅を埋めるのは新たな惨状の光景ばかり。

 一瞥した事でウーフニールに詳細を聞けるだろうが、生存報告がなかったからこそ、走り続ける事に専念できた。


「――必ず、戻るからな…」 


 また1つ、別の約束を結ぶと全神経を獲物に集中した。無数の部屋を潜り抜け、ウーフニールの合図に伴い武器を引き抜く。

 やがて最後の扉を蹴破り、滑り込むように隙間へ入り込んだのも束の間。視界に映し出された光景に、思わず息を呑んでしまった。

 

「……なんだココは?」


 後ろ手に扉を閉め、訝し気に見回せば部屋一帯は絵画と彫刻だらけ。展示場のようでもあるが、壊れ物の数々に気後れする事は無い。

 破壊しても咎める者はおらず、仮にいても1日が終われば全て修復される。


 そこでふと死んだ人間もまた“直る”のか。アデランテのように、右頬の爪痕を消せるのか。

 屋敷にいれば“生き返る”事が出来るのか。


 だが果たしてそんな“物”が人として呼べるのか。

 

 余計な疑念が沸々と脳裏をよぎり、顎を伝って左頬の傷に触れる。しかし雑念に囚われる暇もなく、警鐘が意識を無理やり現実へ引き戻した。

 

【血煙の密集具合に伴い、居場所の特定は困難。だが室内に留まっている可能性は極めて高い】

「ココが奴の自室だって言うなら良い趣味してるよ、まったく……だとすれば罠の危険性もあるか」

【一見して背後の扉以外に出口は見受けられん】

「…あるいは行き止まりに追い詰められたか、だな」


 振り返らずにドアノブを破壊し、金属が床を転がる音が響く。突発的な行動や音に反応する気配はなく、石像が虚空を眺めているだけ。

 嘆息を吐けば部屋の奥へ進み、鋭い眼差しを配りながら警戒を続けた。


 遭遇した時の行動を思い返せば、ただの魔物ではない事は十分把握している。厄介の一言では片付けられない敵を探すが、視界に入るのは美術品ばかりだった。

 

 壁に掛けられた巨大な風景画や、池のほとりに佇む古い家屋を写したもの。乱雑に置かれた彫像は複雑に捻じれ、不可解な形を模っていた。

 貴族や芸術家がそれらに見出す価値を理解できぬまま、素早く部屋を一周し。再び入口へ戻ってくれば、隣室へ繋がる道は1つであると結論付けた。


 破壊されたドアノブもそのままで、扉が開かれた形跡もない。逃げ場のない空間に、一騎打ちへ持ち込めたのはむしろ好都合だろう。


 あとは隠れ場所が殆ど無いにも関わらず、いまだ魔物を発見できない状況を解決すれば良いだけ。


「…ウーフニールにも見つけられないのか?」

【血煙反応に変化なし。室内における活動を一切感知できない】

「でも隠れるところはないよなぁ…ふんッ!」


 予備動作もなく。通り過ぎ際に彫刻を一撃で砕けば、ガラクタと化した芸術は床にあられもなく散乱していった。


「…違ったか」

【何を考えていた】

「あの魔物が目を閉じて変な立ち方をすれば、彫刻っぽく見えるのかなって……でもコレはただの欠片だもんな」


 ハズレを引いた感覚に顔を曇らせ、足で破片を蹴っていく。乾いた音がカラカラ響き、いっそ手当たり次第に破壊していくべきか。

 脳裏に走った案を自ら肯定したが、首筋に走った悪寒と脳内の警鐘に思わず跳んだ。



 直後に裂かれた肩口に鋭い痛みが迸り、前方へ転がって立ち上がると同時。睨みつけた台座から、見覚えのある凶悪な腕がニョッキリ伸びていた。

 背後に隠れていたのかと思えば、徐々に輪郭が歪み。それから色も、形も。

 やがて台座の面影を残さない長身痩躯の姿が現れた時、4つの赤い目が怪しく光った。


「…お前も擬態、ってやつが出来るのか。同業者に会うのは初めてだな」

【擬態や成り代わりの域ではない。完全な変異と見受けられる】

「土台に変身された位で私らが遅れを取るかよ。そんなものより猫や鳥に化けられる方が、よっぽど凄いと思わないか?」

【何を競っている。油断は禁物だ】

「分かってるって…まったく、本当に厄介な相手だな」

 

 一撃の大部分を武器で防いだものの、塞がれる傷口をギュッと握り込む。奇襲の悔しさが疼きを軽減するが、一方で相手にも感心してしまう。

 敵は隠れ蓑を最大限に活かすべく、美術品を頭の上にまで載せていた。ところが不意打ちで像が破壊されても、微動だにしない冷静な思考も兼ね合わせている。

 


 相手はただの魔物ではない。だがアデランテもまたソレが仕留めてきたろう、人間の規範にはいなかった。


 柄を握りしめ、互いに1歩も動かない膠着状態が続く。強敵を前に本来ならば人は絶望するか。

 あるいは獣の如く瞳を宿し、生存本能を剥き出しにする事だろう。



 それでもアデランテの口元には、自然と笑みが浮かべられていた。

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