123.逢引
(……それで、どうなったんだ)
【現在就寝中】
(そうだけどそうじゃなくて…ズルいじゃないか!私には正体隠せだなんだ言って、自分はあっさり明かすなんて!)
【身分を明かしてはいない】
(喋るカラスってだけで十分屋敷レベルの怪奇現象だろ!?)
白い霧が晴れ、憤慨するあまりに棚からズリ落ちそうになる。座り直せばゆっくり顔を上げ、薄ら暗い部屋を一瞥するが誰も起きてはこない。
間違っても起こさないよう。声を出さないよう。
胸に手を置いて一呼吸置けば、壁にゆっくり背中を預けた。
【幼体の言葉など誰も信じはしない】
(でも大人になっても案外覚えてるもんだぞ?動物が言葉を話せるって思い込んだまま育ったらどうするつもりなんだ…私はそういうの嫌いじゃないけど)
【ならば何の問題がある】
(さっきの状況を生で見たかったんだよ!お前はただ名乗っただけのつもりだとしても、“魔術師ザーボン”の外伝みたいな展開だろ!?きっと檻に閉じ込められていたある日、愛する女の子供と会話する内に自分を取り戻して、複雑な心境にありながらも家族を優しく見守って…)
【前言を撤回する。名乗ったのは失敗だった】
妄想に耽るアデランテを尻目に、唸り声と聞き違う溜息が吐かれる。声に出さないだけマシなのだろうが、内に響き続ける声が止む気配はない。
今や消えた両親を探すべく、子供たちと魔術師が冒険の旅に出る話に物語は発展し。咄嗟に気道を絞めて勢いを殺せば、咳き込むアデランテを現実に引き戻す。
(…けほ……今いい所だったのに)
【現実逃避の暇があれば、脱出経路の発見に専念すべきだ】
(少しは夢を見させてくれよ。一応就寝時間なんだしさ…ところで1つ聞いてもいいか?)
【内容次第】
(大抵何かあればすぐ教えてくれるって言うのに、だんまりだったのはどうしてだ?見る時間はいくらでもあったろ)
腕を組み、眉をひそめて相方の返事を待つ。徹底抗戦の構えを見せたものの、答えは驚く程すんなり返された。
曰く、アデランテが新たな重荷を背負わないため。
曰く、第二第三のオルドレッドを出さないため。
そして脱出にのみアデランテの意識を集中させるため。
一瞬オルドレッドの名が出た事に疑問を覚えたが、ウーフニールの話はまだ続いた。
すでにパクサーナたちの救出で躍起な最中、子供の存在を知ればどう動くか。火を見るよりも明らかな結果に、アデランテもぐうの音が出ない。
挙句に護衛の任に就いている今、伝える必要性が無かった事も付け加えられる。
彼の発言に口を開きかけたが、声に出しかけた言葉をゆっくり呑み込む。
正直なところ、子供たちに関しては心配していなかった。需要がある内はウーフニールも見捨てず、脱出まで少年が必要になるだろう。
身動き1つしない少女は気掛かりだが、機動力と行動力を鑑みる限り。今のアデランテよりも遥かに少年たちの方が分もある。
そうなれば案外“サーボン組”が先に脱出を果たすかもしれないと。1羽と2人が織り成す冒険劇が脳裏に浮かび、人知れずクスクス笑う。
だが妄想を切り離せば。現実に意識を戻せば、パクサーナや拠点の男たちを見渡す。
“冒険”を嫌う大人たちの夢も希望も無い様相に小さな溜息を吐き。砂時計の知識は大変有用だったが、現状ではせいぜい調達隊の距離を伸ばすだけだろう。
捜索。そして何よりも脱出を促す説得材料には程遠い。
(どうしたもんかな……ウーフニール?)
【何も言っていない】
(そうじゃなくて、こういう時に皮肉を言ったり、胸を抉るような言葉を投げてくるだろ。今日は随分と静かだな)
【抉ってもらいたいのか】
(勘弁してくれ…それにしても“愚かな従者”か。もっとマシな紹介の仕方はなかったのか?)
本題を大きくズラせば、怪物との会話が憂鬱な気分を晴らしてくれる。
棚に座り直すと耳を傾け、彼の無機質で。腹底を揺さぶる深い音色が、鳥の囀りよりも心地よく感じてならない。
【屋敷へ突入前に忠告はした。分身だけを飛ばせと】
(この手の難題には誰かさんのおかげで慣れてるんだ。私らが解決すれば問題は何もないって思ったんだよ)
【本音は】
(……中がどうなってるのか興味があった…け、けど!私らが街に戻っても案内人として屋敷に戻されるのは目に見えてたわけで、その時オルドレッドも絶対ついてくるだろ?それならいっそ乗り込んだのも、あながち間違いじゃなかったッ…と、思う)
結局は勢い任せのその場しのぎ。当時も現在も言動に計画性がなく、自己嫌悪に深々と肩を落とす。
【結果論…だが正論でもある】
そしてポツリと。突如告げられた声に思わず顔を上げた。
「…ウーフニール?」
【面倒な重荷を承諾してしまったものだ】
「……ありがとな」
【だが目を掛けるのは、あの女で最後にしておけ】
「リーダーのことか?」
【オ ル ド レ ッ ド】
「わ、分かってるよ…」
有無を言わさない声音に息を呑み、それでも心の閊えが完全に取れた今。翌日は死に物狂いでパクサーナを説得し、脱出に焦点を当てるべきだろう。
あわよくばザーボン組と合流出来るなら万々歳だが、何よりも大切なのはウーフニールとの会話で鬱憤が霧散した事。
思わぬ希望の兆しに胸も温かくなり、おかげで瞼も重くなってくる。ようやく訪れた眠気に身体を沈め、意識がゆっくり薄れていく中――。
「――…大丈夫か?アデライト」
ふいに。水面に落ちた滴が如く掛けられた小声に、ビクリと飛び上がった。
ウーフニールの制止がなければ、武器すら抜いていたかもしれない。だが眼前に迫っていたのはパクサーナただ1人。
彼女もアデランテの反応に驚いたらしいが、寝床へ戻る気配はなかった。
「ご、ごめん。驚かせるつもりはなくて…眠れないのか?身じろぎしたり、うなされてるみたいだったから」
「…何を言ったか聞こえていたか?」
「いや?……その、さっきは強く言って悪かった。俺も余裕がなくて…」
油断していたとはいえ、声に出ていた密談は聞かれていないらしい。心底ホッとするも、唐突に触れられた話題に疑問符が浮かぶ。
直後に就寝前の会話が脳内で再生され。忘却していた内容に手を振って諭すが、それでも彼女は引き下がらない。
かと言って近付いて来る事もなく、前回抱き寄せた事で警戒させてしまったのか。一定の距離は常に保つが、瞳や表情から敵意は感じられなかった。
「…止めない、って言ったのは本当だ。捜索が目的で来たなら、俺が邪魔する道理はないし、他の奴らの事を気に留める必要も…」
「……冒険者の捜索で屋敷に来たのは事実だが、君たちを連れ出さない理由にならないだろう?脱出の仕方も分からなければ、行方不明者と合流した所でついてくるとも限らないしな」
「…こんな訳の分からない所にいても楽観的というか、頼もしいと言うべきか……俺なんかより、よっぽどリーダーに向いてるよ」
【考えなしの間違い】
「そんな事はないさ」
【どちらに対しての発言だ】
「リーダーに言ったんだよ。団長に就いてからの初任務も、私は満足にこなせなかったんだぞ?」
「……アデライト?」
声にハッと我に返り、困惑の表情を浮かべるパクサーナに再び意識を向ける。取り繕おうと話題を探し、やがて最新のネタが脳裏を掠めた。
ずばり“屋敷に子供がいる事は珍しいのか”。
もっとも突拍子もない切り口に増々困惑を示していたが、特別警戒される様子もない。しばし考え込めば、やがて屋敷に迷い込んだ時点で子持ちだった隊商の話。
さらに他の集落では、恋仲になった者同士で育んだ逞しい輩の事を告げられる。
淡々と説明したところで何故そんな質問をするのか。
行方不明者の話と関係があるのか。
訝しみながら問うパクサーナに、空笑いで咄嗟に誤魔化した。幸い追及される事はなく、不思議そうに首を傾げた所で話題も尽きてしまう。
おかげで互いの間に沈黙が流れ、パクサーナも赤毛をくるくる指先で弄び始める。寝床へ戻るつもりは無いのだろうが、アデランテにとっては好都合。
手を伸ばせばギュッと。髪を弄っていたパクサーナの腕を掴み、肩を震わせたが抵抗はされない。
そのままゆっくり手前に引けば、振り払われる事もなく。吸い寄せるように隣へ座らせた。
「…チャンスをくれないか?」
口説き文句が浮かばず、真っすぐ伝えた想いに答えは中々返ってこない。それでも瞳は大きく見開かれ、長い睫毛を何度も瞬かせていた。
赤毛に負けない程紅潮した頬も仄かな明かりが照らし、再び沈黙が流れてしまう。
パクサーナが硬直する間も説得材料を探すが、やはり思い当たるものは無い。彼女らを切り捨てないためにどう押し切るべきか。
散々悩んではいたものの、頼みの綱であるウーフニールは狸寝入りを決め込んでいた。アデランテの我儘を補完する相棒の不在に、思考はますます泥沼に堕ちていく。
とにかく1度でいいから。そう告げようとした途端、ソッとアデランテの手首が掴まれた。
パクサーナの腕を放し忘れていたらしく、両手が花を包むように添えられる。
「…何も屋敷にずっといたい何て誰も望んでない。離れ離れになるのも覚悟で探してみたし、壁を砕いてみても傷1つ入らなかった。その間にも食料は減って、移動中にもはぐれて…」
「入口があるなら出口も必ずあるさ。分かり辛いか、出るのが難しいだけで」
「……他の集落……よそ者は信用できない、って話はしたよな。何度も物資を奪われたり、死人だって出た……でもそれは俺たちもやってきた事なんだ…」
だから移動を続ければ、遭遇時に何をされるか分かってしまう。集落が消えれば屋敷内を彷徨い、襲撃する立場に逆戻り。
また多くの犠牲者を出し、平穏を破る魔物と化す。
そんな人間を護衛するアデランテの心境を。蔑まれる前科を持つ相手をどう思うかなど、考えるまでも無い。
恐る恐る顔を見るが、フードの下では一体どんな表情を浮かべているのか。
不安に苛まされながら答えを待てば、ふとアデランテが顔を逸らした。視線を追ってもその先にいるのは、寝ている集落の仲間だけ。
再びアデランテを見つめれば、顔はパクサーナにまた向けられていて。ドキリとしたのも束の間。
おもむろにマスクとフードが外され、銀糸に色違いの瞳。整った顔立ちの左頬に走る古傷も露わになり、ニッコリと笑みが浮かべられる。
「顔を隠す奴は信用できないんだろう?」
柔らかく、かつ芯の通った声は聞くだけで背筋を震わす。身体の力まで抜けそうになるが、リーダーとしての意地が彼女を奮い立たせた。
「……軽蔑しないのか」
「私も人を責められる経歴は持ち合わせていないよ。それに罪だと思うんだったら、償うにもこんな場所で閉じ籠もっているわけにもいかない。そのためにも屋敷を出るべきじゃないかな」
「…探しても見つからなかったら」
「その時は見つけるまで歩くだけさ。食料を調達しながら移動。寝床を見つけたら早めに休息を取る。簡単だろう?」
「それが出来ないから俺たちみたいな生活をしてるっていうのに…」
一向に決心がつかないパクサーナに、困った顔をするアデライト。
しかし責めているわけではなく、どうやって交渉のテーブルに着かせるか悩む姿に、ついつい意地悪をしたくなってしまう。
すでに気持ちは固まっていたが、彼女1人の判断で決めるわけにもいかない。仲間たちが賛同するなら、明日にでも部屋を発てるだろう。
それでも次はどんな言葉を掛けてくれるのか。
好奇心と。
高鳴る鼓動に身を任せ、返答を今かと待っていた矢先。居住まいを正したアデライトの視線にハッと息を呑んだ。
「――…君を決して1人にはしない。だから私についてきてくれ」
もちろんこの部屋にいる住人も。と最後に付け足されるが、言葉を紡ごうにも舌がもつれてしまう。
「……なん、なんで…そこまでするんだ。目的は行方ふ、行方不明の冒険者たちじゃなかっ…たのか?」
「そうだな…人助けは冒険者のモットーだからだ」
「…確か人民の生活向上と、開拓が冒険者の生業だった…はず」
「そうなのか?」
目を瞬かせ、驚いた表情もまた新鮮。笑みを綻ばせた口元や、優しい瞳も向けられるだけで安堵を覚えてしまう。
恐らく覆面の下でも今と同じく、色んな表情を普段から浮かべているに違いない。
「……明日、アデライトが調達に行ってる間…皆に聞いてみる」
心地よい沈黙を一頻り満喫したのち、絞り出すように答えを返した。精一杯のパクサーナに反し、アデランテはニコやかな笑みで応じてくれる。
期待する、とも。
頼むぞ、とも言われない。
結果の良し悪しに関わらず、全てを委ねてくれたアデランテに別れを告げた。
就寝を邪魔した事も詫び、早々に寝床へ戻ろうとした刹那。
「…ッッ…パクサーナッ」
一瞬詰まったような小声に立ち止まり、疑問符を浮かべながら振り返る。まだ何かあるのか戸惑うも、口元には依然微笑みが湛えられていた。
「――…おやすみ」
それだけ呟くとマスクやフードが着け直され、顔が再び見えなくなる。腕を組んで壁に寄り掛かった事から、早々に寝る準備に入ったらしい。
返事をする事なく踵を返せば、熱を払うように忙しなく寝床へ入った。拠点の防衛に自身を配属していなければ、明日の調達は寝不足でフラついた事だろう。