122.魔術師ザーボン
風呂場を出て、廊下に出て。広間を探索する集団を発見すれば、慌てて扉を閉ざした。
後退して物陰に潜むが、ドアノブが回される気配はない。ホッと一息吐けば再び扉に近付き、壊れた砂時計を押し当てる。
《何をしている》
「しーっ!今集中してるんだ。少し静かにっ痛て!?」
《何を、して、いる》
「痛てぇ!痛っ…だからってつつくなよ!あとでちゃんと教えるって言ったじゃんか!」
《詳細不明の目的地へ到達する前に貴様が死ぬ可能性は高い。その前に情報を把握しておく必要がある》
「……すっげぇ不吉なこと言うのな」
怪訝そうにウーフニールを見つめるが、言い返す材料もないのだろう。諦めて扉に手招きすれば、共に砂時計へ耳を傾けさせる。
フーガに従って聴覚を研ぎ澄ますも、何が聞こえるわけでもない。変化のない状況に無言で説明を求めるが、彼自身想定した結果が出なかったのか。
向けられた嘴に注意も払わず、立ち上がると他の扉へ移動した。
いくつもの戸に試しても要望に合わなかったらしく、頭を掻けば小さな嘆息を吐く。
「…ダメだこりゃ」
それから部屋をキョロキョロ見回し、再び最初の扉に戻れば手前で屈み込んだ。壊れた砂時計を当てれば、それまでも見てきた行動を繰り返す。
《その扉はすでに確認済みだ》
「開ける度に部屋が変わるんだから、同じも何も関係ないだろ?いいから耳を澄ませとけって。その時ちゃんと説明するからさ」
《…了承した》
疑問は尽きないが、少年にへそを曲げられても面倒。大人しく彼を観察し、廊下を半周は回ったろうか。
ふと聞こえた音に嘴を上げ、フーガの手元を注視する。
サラサラ――と。
微かな音が壊れた砂時計から聞こえるや、ようやく少年の顔にも笑みが零れる。躊躇なく扉を開けば隣室へ進むが、結局ウーフニールの問いに答えてはいない。
あるいは“秘密基地”に着くまで、彼も話す余裕が無いのだろう。仕方なく嘴をつぐみ、少年の奇行を見守ること5部屋分。
扉を潜るや否や、暑苦しい緑の香りが押し寄せてきた。
直後に轟きと聞き違う水の音も聞こえ、部屋の中央には噴水が迸っている。
外周には緑が生え、突然現れた屋内庭園に普通ならば目を輝かせるか。あるいは屋根に覆われた天井を見なければ、外へ出たと錯覚したかもしれない。
しかしフーガは感情の起伏も見せず、室内を番犬の如く巡回した。食料を探すわけでもなく、一通り緑林をかき分けた所でホッと胸を撫で下ろす。
「…よし。大丈夫だな」
《砂時計》
「その前に確認。今から見せるものがあるんだけど…オレと2人だけの秘密にしてくれるか?」
《魔術師ザーボンの名に懸けて》
事もなくウーフニールは告げるが、ジッと見つめる少年の瞳には疑惑が渦巻く。
恐らくよほどの“お宝”なのだろう。しかし秘密基地まで連れてきた手前、諦め半分。
そして好奇心半分に肩で羽根を休める魔術師に手を伸ばす。
だが撫でる事は叶わず、直前で指を引っ込めて嘴を回避。渋い顔を浮かべて部屋の隅を目指せば、生い茂った草をかき分けていった。
鬱蒼とした道のりは徐々に深くなり、子供の体格では進行するのも厳しい。
一際濃い茂みが立ち塞がれば、フーガは四つん這いになって地面を進み。肩を降りたウーフニールも、その後ろに出来た獣道をトテトテ追従する。
いつまで移動が続くのか分からなかったが、やがて座り込んだフーガによって終わりを迎え。荷を漁る彼を見つめれば肩越しに少年と目が合った。
首を傾げる合図に従って回り込み、程なく濃緑の空間に浮かんだ金色の輝きは“お宝”と揶揄するに相応しい色合いで。
しかし凝視すれば何と言う事はない。金糸の髪を地面に垂らした少女が、膝を抱えてうずくまっているだけだった。
それも微動だにしないあまり、呼吸していなければ人形だと勘違いしていたろう。
虚ろな緑の瞳はフーガどころか、カラスが眼前に迫っても反応を示さない。ボロボロの服から白い四肢を覗かせ、左足首には鉄枷が嵌められている。
2個の小さな鎖の輪は繋がったままで、その様相はまるで脱獄囚さながら。
ならば何処から逃げて来たのか。
答えを問う間もなく、食料を取り出したフーガは少女の口に宛がった。しばらく動かなかったものの、根気よく待てばパンがもぞもぞ上下に動き出す。
「この子はオレの同居人。見ての通りうんともすんとも言わないから名前も知らないけど」
少女の食事を補助し、緩慢に頬を動かして咀嚼する姿を眺めていたのも数秒だけ。興味対象は彼女の傍に転がる、壊れた砂時計へと移された。
割れた断面はフーガの所有する物と一致。しかし横に倒れた砂時計の器を、内側から溢れるように砂が徐々に満たしていく。
対照的にそこらで飛散していた中身は、煙のように消えていった。
奇怪な現象に跳び寄り。羽根や嘴で砂を撒き散らしても、割れた砂時計を転がしても事象を妨げる事はない。
《小僧》
「フーガだ!」
《砂時計についてまだ話を聞いていない》
「…魔術師って皆せっかちなのか?今ご飯中だしさ」
煩わしいとばかりに顔をしかめ、今は少女の相手で精一杯なのだろう。それ以外は雑音とばかりに振る舞う彼に、嘴をパカッと開く。
[砂時計のことか?う~ん……秘密基地に着いたら教えてやるよ]
「うぇぁっ!?…え、今の……オレの声?」
突如囀られた自身の声に目を瞬かせるが、驚いた拍子にパンを押し込んでしまい、少女が力なく背後に倒れる。
慌てて彼女を抱き起こすが、人形の如く力が抜けて一筋縄ではいかない。幾度も身体を動かし、ようやく初期のうずくまった姿勢を再現する事に成功。
自信作とばかりに鼻息を荒げれば、訝しむようにウーフニールを睨み返した。
「…もぅ、少しは待ってくれてもいいじゃんか。この子食べさせるのに時間がかかるんだよ。最後に食べたのだって2日前だし、ってほら。近付けても食べないだろ?こうなるとしばらくは口を開けてくれないんだ」
《貴様の説明不足が招いた事態に他ならない》
「優先順位って知ってるか?一応ザーボンはお客さんだけど、オレが守らなきゃいけないのは女の子の方で、話なら後でちゃんとするからさ」
《名を知る客人よりも、名も知らぬ小娘を優先する基準とは》
「えっ……ザーボンより付き合いが長いから、かな?男が女を守るのは当たり前だし」
《手が空いたならば砂時計の説明を求める》
「…ブレないなぁ」
少女に興味を示さず、初志貫徹する姿勢に根負けしたのだろう。渋々りんごを取り出せば自分で齧り、食べかけのパンはウーフニールの前に。
それから落ちていた砂時計と、持ち歩いていた物を手前に置いた。
片や砂が満たされ続け、片や空虚なガラクタ。
物理的に発生し得ない現象を眺めれば、りんごを齧りながら少年は語った。
砂時計の片側が満たされた時、全ての物は元ある形へ戻されてしまう。例え破壊されてもその役目は損なわれず、空間を超えて砂は元の器へ注がれ続ける。
ゆえに耳を澄ませば、微かに時を告げる音がまばらに聴覚へ届く。
満たすべき器へ。あるいは満たされるべき器が、帰る道筋を示してくれる。
「――まぁオレも屋敷に住んで長いからな!」
2つ目に取ったバナナを食べ終え、胸を叩いた衝撃でむせ返る。水を惜しみなく飲めば、落ち着いた彼の揺るがない自信は秘密基地へ向けられた。
水源は豊富で、隠れられる茂みも多い。定住するには適した立地ではあるが、噴水は侵入者の気配をもかき消す。
部屋を満たす轟音や湿り気も、慣れるまでは眠る事も出来ず。何よりも豪勢な部屋が無数にある中、わざわざ庭園に根付く輩はいないだろう。
開拓者としての知恵を披露するフーガは、なおも嬉々としてウーフニールに話し続ける。
会話相手がいる事を喜んでいるのか。しかし相槌を打たれるわけでも、表情に変化があるわけでも無い。
見上げるカラスに語る姿は、微笑ましさを通り越して不気味にすら映ったろう。
相手が人形然とした少女であれば、まだマシに見える状況にチラッと彼女を一瞥。いまだ変化を起こさず、喋る鳥が目前にいても反応する素振りを見せない。
まるで彼女自身が屋敷の一部のようで。部屋に置かれた家具と相違ない存在を、訝し気に首を傾げて眺める。
だが自らの功績を称えるフーガに視線を戻せば、早々に新たな議題を囀った。
《屋敷の脱出方法に心当たりは》
「やっぱ先見の明ってやつ?オレも最初はこの部屋に残るのは危険かもって考えっ……ん?いま脱出って言った?う~ん…考えた事もないな。物心ついた時からココにいるし」
《肉親は》
「オレを置いて遠くへ行っちまった。ところでザーボンはどうなんだ?誰かと一緒だったりしたのか?」
《愚かな従者を帯同していたが、迂闊な行動を晒した挙句にはぐれてしまった》
「へ~、やっぱり魔術師って付き人とか引き連れてるんだな!で、そいつを探してるのか?」
《脱出が最優先事項だ》
当然とばかりの答えに「薄情な奴」と零すフーガは頬杖を突く。うつ伏せに寝転がって口を尖らすも、すぐに笑顔を浮かべると足をバタつかせた。
脱出も屋敷も興味はなく、求めているのは純粋な触れ合いらしい。さらなる会話を要求されるが、ウーフニールは注意を少年から少女へと再び移す。
動かぬ生き人形の傍へトテトテ歩き、しばし見つめれば軽く脛をついばみ。やはり反応を示さないが、代わりに動いたのはフーガ少年だった。
身体を起こすと慌ててウーフニールを掴み上げ、少女から一気に引き離す。
「何してんだよ、お前はっっ!!」
《小娘の反射機能を確認。予想は外れたが、結果は想定内のものだ》
「だからってつつく奴がいるかってんだ!自分から話しかけてくるまで放っておいてやれよ!」
《次は小娘の開かれた眼球に…》
「やめろぉぉぉおおっ!!」
翼を広げるが、身体を掴まれては飛ぶ事も出来ない。眼前で羽ばたく程度のつもりだったが、何人たりとも近付けない意思がフーガの瞳に宿っていた。
早々に調査を諦めれば、全身の力を抜いた事が功を奏したのだろう。距離を置くように床へ放されるも、彼女を守るように間へ割って入られる。
当分は近付けそうにないが、少女に関する質問は続く。
最初から彼女が庭園にいたのか尋ねれば、フーガは首を横に振った。
食料探しの最中、檻の中に獣の如く閉じ込められていた所を発見したらしい。魔物に襲われて外枠は歪み、あと少し粘れば少女に牙や爪が届いていたろうと。
しかし最後はフーガの根気と努力によって彼女を助け出すに至った。
「――…檻はグニャグニャにひしゃげてたし、相当怖い思いをしたんじゃないかな。だからソッとしておいてやれよ。変に刺激して暴れられたらオレだって困っちゃうんだ」
《小娘に興味はない。目標はあくまで屋敷の脱出だ》
「…なぁなぁ。ザーボンは屋敷の外から来たんだろ?それなら外の事を教えてくれよ。俺の親、そういうこと全然話してくれなくてさ」
《脱出に協力するならば検討する》
「……ほんっとにブレないよなぁ。でも協力って何をすればいいんだ?手伝えることは出来るだけするけど、オレは女の子のことが“最優先事項”だからな」
そう告げながら少女に水を与えるフーガの声音も。時にウーフニールへ投げてくる、決して主張を曲げない力強い瞳も。
何処かの誰かを否が応でも彷彿させられ、溜息を吐くように嘴を背ける。
そんなウーフニールの反応に首を傾げるが、少年の優先事項はあくまで少女。喉を上下に動かした彼女から水筒を離し、口元を拭いてからパンを近付けた。
前回と同様に唇に何度も押し当てるが、食べる気配は皆無。また時間を置く必要があるらしく、困ったように肩を竦めたのも束の間。
ぐるんと視線を向けた先でカラスを捉え、好奇心で満たした光が瞳をギラつかせた。
「…それでさっきの話だけどさ」
《協力の話か》
「そっちじゃなくて外の話っ!この部屋にある物だけじゃなくて、緑がもっと一杯生えてるんだろ?水だって噴水とかお風呂みたいなのじゃなくて、こう…バァーン!っとデッカい塊が床いっぱいに広がって――…」
警戒心は霧散し、今やウーフニールは話し相手にして外への憧れの象徴。彼の心情をうまく利用すれば脱出に関心を向ける事は出来そうだが、想定外の重荷まで背負う羽目になった。
いまだ妄想を語るフーガを尻目に少女を一瞥すれば、彼女の瞳には水鏡の如く。ただただ反射する目前の光景が、無機質に映されるだけだった。