011.VR山賊体験
家事を済ませたソニルに連れられ、奥の部屋へ進んだ途端に冷気が足に纏わりつく。
床に傷が殆どない様子からも、長年使われていないのだろう。
それでも埃1つ見当たらず、掃除を怠っていないらしい。
そそくさと部屋に入ったソニルはタンスを漁り、やがて寝間着を素早く取り出した。
「…母親の部屋か?」
「はい。もう長いこと空き部屋でしたので、ご自由にお使いください」
淡々と説明して部屋を後にすると、入り口にお湯を溜めた桶とタオルが置かれる。
用が済んだら明日片付けるからとも言い残して。
「それではおやすみなさいませ。今日は本当にありがとうございました」
深々と頭を下げる姿はまるで召使い。
扉を閉めると足音が徐々に遠ざかるが、まだ鳴り続けている様子からやり残した事があるらしい。
しばらく動き回ると、やがて戸締りを確認する音。
それから一直線に進む足音のあと、扉の開閉音を最後に何も聞こえなくなる。
扉の隙間から差し込んでいた灯りは消え、彼も自室に戻ったのだろう。
家主の就寝を合図にフードを脱ぎ、提供された寝間着を棚に戻して桶の前に佇んだ。
窓から差し込む月明かりは湯気を照らし、タオルを浸たすと僅かな戸惑いを覚えつつ、そのまま装備の上から体を拭き始める。
衣服もまたアデランテの一部。
しかしいくら拭こうとも、装備を悪戯に濡らす感触しか伝わってこない。
「…ウーフニール。これって本当にちゃんと洗えてるのか?一応私の体から生えてるなら大丈夫だとは思うんだけど……考えてみたら不気味だな。言うんじゃなかった」
【貴様の認識の問題だ。肉体であることに変わりはない】
「う~ん、実感ないなぁ」
【問題があるならば衣服を取り除く】
「いい!このままでいいからッ!また体を揉みしだかれてたまるかァ!」
咄嗟に体を抱きすくめた自身にハッと我に返るや、慌てて居住まいを正した。
頬を赤らめながらサッサと腕や足。
胸に胴を洗い、背中を拭くと首元を伝って顔をタオルにぐりぐり押し当てる。
お湯に浸かってもいないのにスッキリした生き返る感覚。
これを全身で感じたかったが、装備を解除する気にはとてもなれない。
ついでに剣と鞘も隅まで磨くと、少しだけ満足感に浸った。
仕上げに乾いた布を体へ押し当てるも、手を止めると恐る恐る離していく。
「…もう乾いてる?」
水気はすでになく、代わりに全身が不自然な潤いで満たされている感触がする。
一瞬ウーフニールの存在が頭にチラつくが、わざわざ声をかける事はしない。
手間が省けたとばかりにタオルを桶に戻し、そのまま背中からベッドに飛び込んだ。
体を沈めながら久方ぶりの人間らしい生活に嘆息を吐き、枕を頭に寄せてしばらくは天井を眺めていた。
やがて横に。
反対側に。
うつ伏せに。
終いには髪を解いて再び仰向けに寝ようと試みたが、なかなか寝付けない。
仕方なく枕をどかし、腕を頭の後ろに回すとようやくしっくり来た事に、野宿生活への耐性を如実に感じてならなかった。
――非日常も続けば習慣になる。
かつて同僚に教わった言葉を思い出し、慣れの恐ろしさ。
そして心地よさに、クスリと笑って後頭部を腕に押し付ける。
失ったはずの自分の腕。
そしてウーフニールの体でもある。
「…なぁ、起きてるか」
【何の用だ】
「さっきの男さ。もしお前がアイツを摂り込んだら、この家って私らの物になるのか?」
眠りにつくまでの雑談のつもりが、突如投げられた不穏な言動に、体の内側がざわめく。
【喰らっていいのか】
「ダメに決まってるだろ。そんなこと絶対しないし、させないし、私が許さない」
【ならば愚問だ】
乱暴に告げられるウーフニールの意識が水面に浸かり、そのまま底へ沈んでいく感覚がする。
「そう怒るなって。昔っから兵舎か宿屋か…あとテントもか。そのまま草むらの上で横になった事はあるんだけどさ。こうやって普通の家で過ごした経験ってあんまりなかったから、もしお前があいつに成り代わったら、この家も丸々ウーフニールの物になるのかなって思っただけだよ。マルガレーテの場所も一応知ってるみたいだし、その記憶も手に入って一石二鳥、ってな」
質の悪い冗談に1人で笑い、ウーフニールからの呆れ果てた、冷たい声が浴びせられるのをジッと待っていた。
だが期待していた反応はなく、つまらなそうに横を向いて寝ようとした時、彼の声が返ってくる。
【人間の姿と記憶は1月で消滅する】
「…そんなこと言ってたな。それがどうかしたのか?」
【家主が消えれば空き家となる】
「まぁ、そうなるわな」
【空腹になれば手近な獲物を狙い、その者が消えればその家もまた無人となる】
淡々と語る彼は事実だけを説明しているのだろうが、つまりはソニルの家を中心に、近隣の住人が次々ウーフニールの餌食になる事にほかならない。
それも誰に気付かれる事なく、町の人間が1人。
また1人と消えていき、反対に空き家が増えていく。
記憶を求めて彷徨い、やがて町1つが忽然とこの世から消える。
それがアデランテの中に巣食う“変幻自在のウーフニール”。
目には見えても気付けない、忍び寄る天災。
もしも彼がアデランテに憑りつかず、自由に闊歩していたならば。
バルジに足を踏み入れた時点で、町は廃墟となる未来が待っていたのだろう。
無人の町に怪物が1人佇む光景。
ふいに浮かべた景色に身震いし、何度も枕を顔に押し当てて思考を追い払う。
【何をしている】
「…とんでもない怪物が私の中にいたことを再確認してな…本当に手を出したりするなよ?言っておくけどフリじゃないからな?」
【補充は山で喰らった人間により完了している。マルガレーテの情報も本人の記憶ではなく、貴様に止められては喰らう利点もない】
「……そっか」
いつもの無機質な声だというのに、つい笑みが綻ぶ。
怪物は怪物でもウーフニールは人の心を理解し、話し、聞いてくれる。
そう考えれば、問答無用で襲う山賊の方が畏怖すべき怪物なのではないか。
複雑な心境を胸に抱えながらも、再び寝返りを打つ。
眠気は遠くないが、近くもない。
漠然とした思考が支離滅裂に浮かんでは沈みゆく。
「思い出した。店主の記憶が消えてるからって山賊を食べ…たわけだけどさ。いつ私にそのことを教えるつもりだったんだ?」
【寝ろ】
「どうなんだ?」
【…記憶を失った場合、貴様がどうなるか確認する予定だった】
「……次から腹が減りそうになったら事前に教えてくれ」
【了承した】
「絶対だぞ!まったくもぅ………ウーフニール!!」
【了承したと伝えたはずだ】
「そっちじゃない!お前は食べ…摂り込んだ奴の記憶を見れるんだよな?宿の店主の時みたいにさ!」
カッと見開いて起き上がるアデランテとは裏腹に、ウーフニールの怪訝そうな唸り声が脳裏に響く。
付き合いは短くとも、嫌な予感を覚える程度にはアデランテを警戒したのだろう。
【可能だが……何を望む】
「私らを襲ってきた山賊のアジトがどこにあるか分からないか?」
【理由は】
「分かるのか?分からないのか?どっちだッ」
虚空を睨みつけ、有無を言わさずウーフニールの返答を待つが、忍耐力はもともと低い方だ。
我慢できずに再び名を呼ぼうとした時、突然視界が白い濃霧に包まれる。
手で振り払いたい衝動に駆られるが、手足の自由は利かない。
視界が開けるのを待つほかないと思う間もなく、ゆっくり霧は薄れていく。
最初に聞こえてきたのは、風と木々のせせらぎ。
草地を踏みしめる力強い足音。
そして遠くで勢いよく流れる川の音。
自分の足で歩いていないはずが、視点はどんどん轟音へ近付いていく。
やがて深い茂みをどけた先で、規模はないが横幅のある滝の前で佇んだ。
傍目にも行き止まりである事は明白だが、視点の主は迷わず奥へと足を運ぶ。
滝を回り込み、崖に沿って進んでいくとぽっかり空いた洞窟の中へ入っていった。
見張りの男と他愛もない雑談を交わし、さらに奥へ進むと右へ左へ。
壁に立て掛けられた松明を頼りに、慣れた足取りで進んでいく。
「……何がどうなってるんだ」
目の前で広がる見た事もない光景。
自らの意思で動く事も出来なければ、通り過ぎた横穴に興味があろうと覗き込む事も出来ない。
再び霧が立ち込める。
どこまでも続いた洞窟の壁と床は消え、代わりに夜空が一帯に広がった。
一筋の茶色い点線が星を辿って曲がりくねり、四方へ伸びていけば完成された枠線の全体像に息を呑む。
「………もしかして山賊のアジト、の見取り図か?」
【貴様が尋ねたのだろう】
「ふぅぉぉおおおッッウーフニィィイールッ!!?」
突然耳元で囁かれた声に心臓が跳ねあがり、慌てて意識を背後へ向けるが、どこを見ても枠線がずっと眼前に浮かんでいる。
だが確かに彼の存在を暗闇の中でも感じ取れた。
「…脅かすなよな……ココがどこなのか、って聞きたいけど、まずはコイツからか。山賊のアジトの見取り図、ってことでいいのか?」
【貴様の視覚の中で組み立てた】
1つの返事で2つの答えをサッと出す。
面倒臭そうに答える彼が容易に想像できるも、改めて茶色い輪郭に集中すると、ゴツゴツした枠線が小高い岩山を表している事が見て取れる。
表面は透け、アリの巣が如く通路は広がっているが、構造上そこまで複雑には見えない。
「…で、荷馬車とか襲ってるんだよな。戦利品がどこに置かれてるか分かるか?」
【先に聞いておくが指輪の件か】
「当たり前だろ?悪党に好き勝手やらせておくなんて、衛兵が見逃しても私は許さない。これでも元は騎士だしな。一般市民を守るのも義務の内さ」
【奴らの棲み処に行けば、無用な注目を惹きつける】
「そうならないようアジトにこっそり行って、こっそり離れれば誰も私らの仕業だって気付かないって」
快活に答えた言葉にそれ以上ウーフニールは何も言わず、返事の代わりに見取り図の部屋が3つオレンジ色に光り出す。
1番奥。
中央。
そして比較的入り口に近い小部屋。
「何でわざわざ分けてあるんだ?面倒くさい…戦利品を丸々盗まれないようにか?」
【奥が奴らを束ねる男の部屋。中央は倉庫。入り口付近は近々売り出すための出荷場】
「なるほどね」
その会話を最後に視界が光に包まれ、再び泊まっていた部屋が眼前に映し出される。
目を瞬かせ、両手を広げて何度も指を開閉すれば意のままに動く。
まるで魂だけが抜け出していた感覚に戸惑いつつ、ベッドから降りて体を目一杯伸ばせば、上半身を左右に傾けた。
「ンーーーーーーーーッッ…んはぁ!!さぁてと。行きますか」
【マルガレーテはどうする】
「もちろん行くさ。その途中でちょいと寄り道するけどな。一宿一飯の恩ってやつだ」
【男を救出した時点で、恩はすでに返している】
「お釣りの分だよ。それにちょいとしたサービスってところだ」
【…さーびす?】
軽い準備体操を終え、颯爽と扉へ向かうと取っ手に指先が触れる。
「――私らが贈る、少し早めの結婚祝いってやつさ」