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111.知識の貯槽路

 眼前には掌サイズの型紙が陳列棚に並び。枠組みを指先でなぞっていけば、サッと1枚引っ張り出す。

 穴だらけの紙は一見用途が不明だが、視線を落とせば装飾された小箱が佇み、天辺部分に薄い切り口が開いていた。

 型紙が丁度入る長さにすかさず差し込めば、泥へ沈むように紙は箱の中へ入っていく。

 

[――……何でコイツを助けたいかって?私がそうしたいからだよ!私の目の届く範囲で、手の届く範囲で、剣の届く範囲で出来ることは何だってしてやる!助けたい奴は助ける!間違ってると思えば容赦なく殴り飛ばす!だから!嫌なものは!嫌なんだ――ッッ!!]


 型紙が呑まれる度にアデランテの声が流れ、過去の声を再生し終えると、穴の開いた紙は元の陳列棚に収納されていた。


「……本当に言ってたんだな。全然覚えてなかったけど…あの時は指輪の青年を摂り込むか摂り込まないかで、ウーフニールと揉めに揉めたっけな……給仕の子にプロポーズ出来たんだろうか」


 完全に忘れていたはずが、断片的な言葉1つで鮮明に記憶が甦り。自ら発した威勢の良い啖呵にほくそ笑めば、救出した青年との出会いに想いを巡らせた。



 山賊の砦に単身向かった、恐ろしいまでの無謀さを始め。魔物を摂り込んだのも、思えばあの時が初めてだったろう。

 トロールの現身は地下水脈でも役に立ち、魔術師相手に大活躍してくれた。

 

 一方で山賊長戦では毒の刃を穿たれ、当時の苦痛と悔しさを思い出すと腹をソッと擦った。傷痕は受けた直後に消えたが、本当に大変だったのはそれから――。


「――町までとんぼ帰りして、内通者も仕留めたろ?それで指輪も持ち主に返したけど…1番焦ったのはそもそも家から出られなかった事だったかな。どこも鍵がしっかり掛かってて、結局窓をかち割って出入りして……山賊退治と指輪を返した事で弁償代は働いたよな。うん」


 窓を割った当時も、恐らく同じ事を考えていたかもしれない。1人でうんうん頷いていたが、下手をすれば数分後にはバルジの出来事も忘れているだろう。

 覚えている内に記憶を噛みしめつつ、過去の声が再現される区画から離れていった。


 ウーフニールの閉架は縦長の臓書と違い、横広の空間に無数の書架が壁の如く乱立し。身の丈を優に超す高さは、地上からでは周囲が全く把握できない。

 1度踏み込めば2度と出られない大迷宮の様相を呈すが、そんな環境下でアデランテを導くのは1本の太い縄だった。


 棚から棚へ伸びた道標を指先でなぞり、そのまま辿っていく道中でチラッと周囲を見回す。


 まずは小さな引き出しがびっしり詰まった棚を横目に捉え、中には会話内容や行動。そして感知したあらゆる事象を文字に起こした紙がきっちり収まっている。

 一画だけで小さな図書館を形成する空間に、しかしアデランテは近付かない。

 足音を立てながら通路を進み。別の区画に踏み入れると、今度は長方形の箱を2段ずつ敷き詰めた横長の棚が現れた。


 思わず縄を離れて近付けば、その内1つを取り出して躊躇なく開ける。中には絵画が丁寧に納められ、小さな物はアルバムから大きな物は壁に掛けられるサイズまで。

 それぞれを素早く目を通していくと、やがて風景画がいくつも見つかった。


 森や山に川の絵。街で賑わう冒険者たち。

 魔物が牙を剥く迫真の戦闘風景。


 そしてもう1枚めくれば、現れたのは枯れた樹木の前でお茶会をする3人の魔術師たちだった。

 呆れた少年が視線を向ける先には、ティーカップを掲げる少女が。そんな2人を微笑みながら眺める女は、紫のショートヘアをなびかせていた。


 壮絶な時を越えて手に入れた平穏な日常に自然と笑みが綻び。次の絵画へと注意を移せば、それまでの光景が一転。

 地下水脈で炎や氷が飛び交う世界が広がり、劇的な景色につい目を凝らすが、同時に身体を貫いた氷柱の痛みが腹を疼かせた。


「…毒の刃よりも断然こっちの方がキツかったよな。この時も魔物に変身しないと倒せる相手じゃなかったし……はぁ」


 顔をしかめれば蓋をしめて箱を戻し、他の絵もまだ見てみたいが縄はまだ先へ続いている。絵画の区画も気に入っているが、最終目的地はココではない。 


 再び縄を手繰っていけば、視界の端には宙に固定された魚や座っている獣に魔物。毛皮がただ掛かっている展示物もあれば、偵察に用いた鳥が棚いっぱいに佇んでいた。


 バツ印の仕切り棚には巻物が詰められ、以前目を通した時は土地の地図や街の詳細。施設や建物の絵が刻銘に描かれ、水路や川の道筋まで引かれていた。



 それらを横目に捉えながら通路を進むや、ふいに足が止まる。

 いまだ目的地には着かないが、棚一杯の小瓶がアデランテを誘い。その内の1つを取ればポンっとコルクを抜いて鼻に近付けた。


 途端に森の香りが鼻腔に漂い、瞳を閉じれば鳥の鳴き声まで聞こえそうだが、再び瞼を開ければ映るのは瓶と棚だけ。

 瓶の側面には“フェイタルの森”とラベルが貼られ、いくら振り返っても地名に覚えが無い。

 それでも全ての小瓶はラベル付けされ、置かれた規則性を見抜ければ、あるいは土地について何か思い出せるかもしれない。


 しかし早々に諦めて次の瓶の蓋を開ければ、胃にずっしり来る“焼きたてステーキ”の香りが口一杯に広がっていく。

 嗅ぐ度に脂が鉄板で弾ける音まで聞こえそうで。唾液が溢れる前に蓋を閉じるが、視界には誘惑ばかりが映り込む。


 “カボチャ煮グランドスープ”。

 “クレイドル魚のムニエル”。


 ラベルにはどの町で。何処の店で食べたかまで記載されていたが、眺めている余裕などない。

 強引に目を逸らせば縄に沿って走りだし、やがて辿り着いた“終点”は本棚からも隔絶された立方体の部屋。一見して飾り気のない一軒家にも見えるが、近付けば両開きの扉が勝手に開いていく。

 迷わず駆け込めば背後でやはり勝手に閉じられ。辺り一面は暗闇に包まれるが、パンっと手を叩けば優しい明かりが灯った。

  

 すると外観からは想像もできない広大な空間が映し出され、四方壁一面に厨房が立ち並ぶ。

 調理台の上からは湯気が。湯気の下には数々の料理が待ち受け、大皿に乗った物から、寸胴でぐつぐつ煮込まれた物。

 フライパンの上で炒められ、鍋の中で茹でられ――全ては今しがた仕上がった出来立ての料理ばかり。


 気付けば身体が勝手に動き、上棚を開けて皿を取り出していた。次々よそっては中央の机に運び、一面にびっしり料理を並べていく。

 皿の隙間からは幾何学模様のテーブルクロスが見え、空のワインボトルの口にもロウソクが収まり、優雅な雰囲気を幾らか演出していた。


 しかし模様は飲み物が入った陶器が塞ぎ、空腹が景観への関心を削ぐ。


「……いッッただッきまーーす!!」


 1人だけの空間に威勢の良い声が木霊するや、皿が次々空いていく。一掃したところで別の料理をよそい、これまでにない満足感が胃袋を満たした。

 ようやく飲み物に手を付ける余裕が生まれると、喉を鳴らしながら一帯を眺め。まだ厨房の壁半分にも達していない量に不思議と敗北感を覚えた。

 

「…ま、次に来た時のお楽しみが増えたって事かな」


 空になったグラスを置き、艶やかな唇から嘆息を洩らす。興奮も冷めれば静寂が際立ち、煮込む音や炒め物の香りが部屋に漂う。

 食後の休憩も挟まずにスッと立てば、厨房の一角へ気の赴くままに歩み寄り。手付かずの料理に手をかざすが、いまだ出来立てと謂わんばかりに湯気が立ち昇っていた。

 淹れたての飲み物や光沢を放つデザートは、冷気がふんわり纏わりつく。


 ふいに顔を上げれば左右を。そして背後に素早く振り返り、こっそりつまみ食いをすれば味や食感も伝わってくる。

 記憶の再現とは到底思えず、現に今感じている充実感も味覚も全て本物。閉じ籠もれば飢えの心配はなく、延々と料理が出される至高の空間とも言えよう。


「……ご馳走様でした」


 だが手を合わせて食に感謝を捧げるや、サッと部屋を離れた。落ち着きとは無縁のアデランテに、一か所で留まる事自体がそもそも無理な話。

 食後の今はただ身体を動かしたい欲求に従い、縄を辿って臓書を目指した。


 見覚えのある小瓶や、絵画の収納庫。音声の記録簿も通り過ぎるが、何処まで行っても佇むのは本棚ばかり。

 部屋の奥行きは計り知れず、仮に棚を登っても入口は見つからないだろう。


 もっともそんな事をすればウーフニールの顰蹙を買い、下手をすれば閉架を出禁。許してくれるまで、相当の時間を要する事は目に見えている。

 それでも好奇心は拭えず、気晴らしに頭上を見上げれば視界の半分を本棚が。残りは青みがかった黒曜石が如き天井が、閉架の全てを覆っていた。

 

 まるで星のない夜空を眺めているようで。立ち尽くしていると、そのまま吸い込まれそうで。

 僅かに覚えた浮遊感に慌てて縄を握るが、足はずっと床についていた。

 

「……そういえば見張り番をしてた時、ずっと夜空を眺めてると星に吸い上げられるって言われてたっけ」


 縄から手を放し、ホッと胸を撫で下ろした所でふと思い出してしまう。野営地の見回りで集中力を切らし、気の抜けたアデランテに掛けられた小さな嘘を。


 もっとも当時は本気で怯え、木の影を伝うように移動していたのは恥辱の限りで。今となっては良い思い出でもあり、懐かしさに自然と笑みが綻ぶ。

 そして前触れもなく、ピタリと足が止まった。

 

「…誰が私に言ったんだ?」


 表情は瞬く間に曇り、記憶を手繰れば言葉は覚えていた。その後とった行動も身体が忘れず、だと言うのに声も顔も思い出せない。

 頭をもたげて臓書に戻るが、行き先は地下室ではなく自室。真っすぐ隙間だらけの小棚へ向かえば、絵本を片端から読み漁っていく。


 淡い期待を抱いていたものの、予想通り答えは見当たらない。肩を落とせば絵本を戻すが、臓書に出ればすかさず天井を見上げた。


「……ウーフニール!!」


 管理人の名を呼べば階層から液状の黒塊が飛び出し。無数の腕が柱を掴みながら、瞬く間にアデランテの眼前まで降り立った。


 迫力は依然天井知らずだが、もはや慣れ切ったのだろう。いつもの不機嫌そうな、腹底を這う声音にもアデランテが動じる事はない。

 世間話をするように近付き、瞳を1つ見据えて口火を切った。


「お前に分かるか聞くのも変な話だろうけどさ。夜空ばかり見てると星に吸い込まれるって、誰が私に言ったか知らないか?」

【……それを知って貴様はどうする】

「どう、って…ちょっと思い出したから聞いただけだよ。知らないなら別に…」


 深く追求する気はなかったが、途端にウーフニールは閉架へ消えてしまう。困惑しながら呆然と佇み、追うべきか悩む間に再び彼が姿を現した。


 手には1冊の本が握られていたが、古ぼけて今にも崩れてしまいそうで。触れる事すら危ぶまれる中、突如ページが勝手にめくられていく。

 ぺージが抜け落ちないか心配になるが、やがて止まると同時に一列の文字が浮かぶ。


「…ジョイス・マクラーレン……誰だそれ?」


 ウーフニールが提示したからには、答えが出されているのだろう。

 しかし自身の記憶力の悪さが祟ってか。疑問符を浮かべる間に本が閉じられ、思わず見上げればウーフニールは眼を細め、物言わず閉架に去っていく。


「…口が1つでもあれば、ウーフニールの言いたい事も分かるんだろうけどな」


 視線だけでは表情を読めるはずもなく、やがて戻ってきた彼はギョロリと。いまだ佇むアデランテを一瞥し、再び上階へ戻っていった。

 

 疑問は解決しているようで解決していない。だがそれ以上の解答が得られないのも分かっている。

 人の名や顔を忘れやすい自分に辟易し、早々に夜空の記憶も思考の片隅へ投棄。颯爽と地下戸を持ち上げれば、慣れた様子で身体を滑り込ませた。

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