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010.恩人の夕餉

「ううぅぅ……首が…あれ、ここは……へぇあっ!?」


 埋めていた顔を起こし、頻りに首を擦りながら目を覚ます。


 恐らく夢見が良くなかったのだろう。

 寝起きとは思えないほど顔をしかめ、まだ寝惚けているのか。

 あるいは現実が追いついていないのか。

 周囲の景色を見回していた青年に、間近から声が掛けられる。


「おはよう。ようやく起きたか」

「…えっ……えぇ?え、えっと、あの…お、おはようございます…あのどちら様で、えっ!?」


 眼前に揺れる布切れをボーっと見つめるや、ようやく背負われていた事に気付く。

 驚きこそしたものの、最初に覚えた好奇心に任せて肩越しに覗き込むが、目深く被ったフードでは横顔すら見えない。

 代わりに視界の端で主張する存在感が意識を掠り、予期せぬ光景に思わず喉を鳴らした。


 ぎこちなく視線を下げていけば、胸には大きな膨らみが見える。



 大の男が、女に抱えられている。

 再び困惑する思考を落ち着けるべく記憶を遡るも、最後に憶えているのは山賊の執拗な追跡。

 凶悪な顔を浮かべ、ウサギでも狩るような怒声が今も耳にこびりつく。


 首筋にナイフをあてがわれるような体験に、つい身震いしてしまう。


「おい、大丈夫か?怪我は手足の擦り傷くらいだったはずだけど…まさか漏らして…」

「い、いえいえ違います!誤解ですって!記憶違いでなければ僕は…あっ、僕はソニルって言います。はじめまして…それで、あの、確か山賊に追われていたはずですが」

「それなら倒しておいたぞ?」

「…えっ?」

「私が倒した」


 事もなく発された言葉に戸惑い、思考が停止する。

 2度も言われては、聞き違いと一蹴するわけにもいかない。

 せめて何が起きたのか尋ねようとするも、再び先手を取られてしまった。


「ところでバルジの町に向かってるんだけど、それで問題ないか?今から他の場所へ向かうってなると野営するしかないからな」

「えっ?い、いえ。問題ないです。そこが地元ですので……すみません。変な質問になるかもですけど、山賊って3人位いませんでした?」

「いたぞ」

「それを倒したんですか?お1人で?」

「そうだけど…ところで怪我はないか?問題が無いなら、何かあった時のために両手を自由にしておきたいんだけどさ」

「……あっ、あっ!す、すみません!すみません!」 


 いつまでおぶさっているつもりなのか。

 それも山道を女に歩かせてまで。


 込み上げてきた羞恥心に慌てたがために、危うく落下しかけた体を支えてもらう。

 無事2本足で降り立ち、流れるように謝罪と感謝を込めて頭を下げるが、彼女は照れくさそうに手を仰ぐだけ。

 そんな事よりもと、早々に町へ戻るよう促してくる。



 男とも勝らない口調に態度。

 女だから、など関係ない。

 自分より強い女など、世の中にはいくらでもいるということだろう。


 町の外の事情に詳しくはないが、女でも傭兵や冒険者をやる時代だとも聞いている。

 そんな彼女が、山賊の2人や3人を倒せても不思議ではない。


 一瞬でも彼女が山賊の仲間ではないかと疑った己を戒め、口元しか見えない彼女の微笑みに励まされて笑みで返す。


 直後に体の具合を尋ねられるが、聞かれても困る問いにパッと体を見下ろした。

 あちこち軽く叩いてみても、特に異常は感じない。

 つま先で何度か土を蹴り、痛みの有無や体の動きも一応確認しておく。


 言われた通り、確かに目立った外傷もなく、怪我と言えば山賊から逃げた時に茂みで擦った肌くらいだろう。


「それは良かった」


 報告するや、我が身の如く心配してくれる彼女には頭が上がらない。

 再度頭を下げて感謝を述べようとした途端、首筋に走った鈍痛で顔が僅かに歪む。


「どうした?」

「だ、大丈夫です。ちょっと首の所が痛くて…って結構腫れてますね、痛っ。山賊に殴られて昏倒したのかな。むしろ1番痛いかも……どうかしましたか?」


 首を擦りつつ、ふと顔を上げると彼女は不自然に視線を切った。

 それから歯切れの悪い口調で、「とにかく無事で良かった」と繰り返し呟く。


 山賊を倒せたとはいえ、助けるのが遅れた事に責任を感じているのかもしれない。

 気にしないよう声をかける間もなく、颯爽と歩き出した彼女の背中を急いで追うが、開けた道が殆ど山を降りきっていた事を教えてくれる。


 このまま木立ちを抜ければ、すぐにでも町へ辿り着けるだろう。


「…あのぅ、今夜はどこかに泊まられる予定はあるんですか?」

「あ゛ん゛ッ?」

「ひぃぃっ!?」

「あ、悪い悪い。ちょっと頭の中で言い合い…じゃなくて色々考え事をしてて……どうかしたのか?」

「はぁ…そのですね、町に戻られてから泊まる所を考えていらっしゃるのかと。バルジは夜からの宿泊だと料金が割り増しされてしまうので」

「そうなのか?」

「田舎ですから…そこで、もしよければ何ですけど、僕の家に泊まっていかれませんか?お食事も出せますし、両親は家にいませんので部屋もあるし…もしご迷惑でなければ」


 助けた見返りに食事と宿泊先の提供。

 大した持て成しは出来ないかもと小声で付け加えるも、2つ返事で了承を得ると表情がパッと明るくなった。



 森も抜け、月明かりに照らされた町の入り口がすでに見えている。

 小走りに彼女の前に出て先導し、民家の窓から漏れる灯りを頼りに街道を進む。

 まるで知らない町を歩く気分に陥るも、断片的な景色が道標となってくれる。

 見慣れた家屋もいくつか過ぎ、やがて暗がりに佇む1軒の家を指差した。


 山賊に遭って生きた心地がしなかったせいだろう。

 無事に拝めた我が家に涙が零れそうだったが、今は客人のもてなしが優先。

 軒先の鉢植えから鍵を取り出し、中へ入るとすぐに明かりを灯して客人を居間へ案内した。



 首の痛みはまだ残るものの、背負ってもらったおかげで十分休息は得られた。

 体をせかせか動かして手早く台所で支度し、次々と料理を机に並べていく。


「すいません。本当はもっと用意すべきなんですが、今日は山を下りてから買出しに行こうと思っていたもので、これ位しか…」

「気にしないでくれ。ここ最近はずっと馬車の幌やそこら辺に生えてる木が屋根代わりだったからな。こうして屋根のある場所に泊まれるだけでも満足さ。礼を言う」

「何を仰ってるんですか!あなたがいなければ今頃僕は……ところでその装備、別の町の衛兵、とかじゃないですよね…失礼ですがご職業は?」

「騎っ……傭兵だ」

「へぇー…そうなんですか」


 聞いた手前、しっかり返事をすべきだったのだろうが、話が頭に入ってこない。

 作り置きとはいえ、自分が食べる分も含めて、それなりの量を机に置いたつもりだった。


 

 それが少し目を離した隙に半分以上が空き皿となり、彼女の食事速度は一向に衰えない。


 悠長に座っている暇もなく、すぐに台所へ向かうと再び調理を開始する。

 保存食含め、あらゆる食材を引っ張り出しては次々机の上に並べていった。


 忙しなく手を動かしつつ、たまに様子を窺ってはまた調理に集中するも、なるほど。

 彼女の強さに自然と納得がいった。


 人間とは思えない食べっぷり。

 そして辛うじて聞けた職業。

 山賊3人相手など、彼女の手に掛かれば一捻りなのだろう。




 それに比べて自分は――。


「――…ほんと、情けないな」

「むぐむぐむぐっ…んっ?おーい。いつまでも作ってないで、アンタもこっち来いよ。全部なくなっちまうぞ」

「え゛っ?いえいえ、恩人なんですから遠慮せず食べて頂ければ…」

「何を言ってるんだ。森の中を歩いて山賊に襲われて、ぐびっぐびっ…ぷはぁ~……1日動き回って疲れたろ。ほらッ」


 バシバシ向かいの机を叩き、勢いよく水を飲む豪快さに呆気を取られつつ、誘いを断れずに腰を下ろす。


「そもそもなんで山を1人で歩いてたんだ?町でも山賊が出るって噂は流れてたんだろ?ごくんっ」


 しかし落ち着く暇もなく、また皿を貪り始めた彼女が核心に触れると一瞬身じろいだ。


 座り直して膝に手を乗せ、少しためらいはあったものの。

 俯いてゆっくり紡ぎ出すと、思いのほかスラスラ語りだせた。





 町から離れた山には、ならず者が住み着いている。

 キャラバンや旅人を襲い、住人の貨物が届かない事もあった。

 その度に衛兵隊がアジトを捜索するが見つけられず、以降山賊退治は正式に凍結。

 元々被害に遭う場所も、バルジの住人が滅多に立ち入る機会のない山向こう。

 直接町を脅かしていないからと、衛兵たちは無視を決め込んでしまう。


 幾度も調査続行を懇願しに行ったが、アジトが判明せねば向かうだけ時間の無駄。

 ならば町の防衛をしている方が有意義と一蹴されてきた。


 だからこそ1人でアジトを見つけてやろうと、意を決して山へ踏み込むに至った。





「――…とまぁ、結果はあなたの知る所となったわけですが」

「ごちそうさま…よく分からないけど、そこまでして山賊に執着するって事は、相当深い事情があるんだろうな…復讐か?」

「いえいえいえ!そんな大層な動機ではありませんよ!?…ただ、大事な物を届けてもらうはずだったんですが運悪く荷馬車が襲われてしまって……婚約指輪、をですね。職人に頼んで作ってもらった物が発送されて、先週には着くはずだったんです。渡す相手には今度大事な話があるってもう伝えてあって、それがもう明日に差し迫っていて…本当に、情けないですよね。衛兵に頼るほかなくて、山賊に追われて、終いには女性に担がれて山を降りるなんて…あっ、気を悪くなさらないでくださいね!?単純に……単純に、男としての度量が僕にないだけの話ですから」


 身を乗り出していたソニルも徐々に力が抜け、やがて深い溜息を漏らす。

 座る前に淹れたスープはすでに冷め、口をつける気力も沸かない。



 こんな男に婚約する資格など無いだろうと。

 客人なら。

 女である彼女ならば、より鋭い視点で心を抉ってくれるだろうと半ば覚悟し、罵られる時を今か今かと待っていた。


 だが一向に責められる気配はなく、勇気を振り絞って顔を上げると、彼女はグラスに残った水を呷っている所だった。

 景気良く喉を鳴らし、ゆっくり机に戻すとフード越しに真っ直ぐ見据えてくる。

 

 思えば面と向かって彼女と会話をするのは、初めてだったかもしれない。


「…ふーっ……色々思い悩むのは勝手だけどさ。アンタは大きな勘違いをしてる。私が知る限り、アンタは男の中の漢だよ」

「気休めはよしてください。惨めになるだけです」

「バッッカだな、考えてみろ?町の衛兵ですら匙を投げた案件に単身乗り込んで、それも惚れた女に渡す指輪を取り返すためだなんて、おいそれと出来ることじゃない。それにアンタ、自分が気絶する寸前になんて言ったか覚えてるか?“助けて”じゃなくて“逃げて”だ。人のために行動して、絶望的な状況でも他人を思いやれるその心意気。漢じゃなかったら何て呼ぶんだ?アンタはこの町でもっとも勇敢な男だってことはとっくに証明してるし、指輪がなくても女を幸せにするだけの度量は充分備えてる。そう自分を卑下するな」

「……あ、ありがとう…ございます」


 つらつらと、臆面もなく浴びせられる言葉の数々に感謝の言葉を述べるのが精一杯で、頭から湯気が出そうだった。


 話題を変えなければ、顔も上げられたものではない。

 思考をかき乱し、新たな会話を模索し始めると1つの疑問を思い出す。


「…そういえばどちらへ向かわれてたんですか?山賊退治で来られたわけではないようですし、傭兵が山の中をうろつく理由も思いつかないんですが」

「ん?んー…実は町を目指していてな。えーっと…あぁ、そうだそうだ。【マルガレーテ】だ。ずっと探してるんだけど見つからなくてな…」

「それなら知ってますよ?ここから遥か南東にある町で、僕の母がそこの出身だったんっ…うわぁ?!」


 憶えのある名前にふと懐かしくなり、何の気なしに話したつもりだった。


 ところが掴みかかる勢いで立ち上がる客人に慄き、危うく椅子から落ちそうになった。

 凄まれでもすれば、迷わず家財を全て差し出していたかもしれない。



 しかし座り込んだ彼女は口をキュッとつぐみ、バツが悪そうにフードを掴み下ろす。


「…悪い。続けてくれ」


 呆然とする最中、やっと彼女の言葉が頭に届くと動揺を隠すべく、慌てて皿を片付けつつ洗い物を始めた。


「で、でもお勧めはあまりできませんよ?」

「行ったことがあるのか?」

「いえ、僕は1度も。詳しくは聞きませんでしたけど、母はそこが嫌で出てきたって聞いたものなので…お役に立てずに申し訳ありません。母がいれば詳しい場所も分かったと思うんですが、元々旅好きな性分だったようで、僕が育ったのを見てすぐに町を出て行ってしまいました。父は病死したと聞きましたが、顔も名前も教えてくれないし、自分の母ながら不思議な人でしたよ」

「いや、いままで聞いた中で1番有意義な情報だったよ。こちちこそ美味い食事と話を教えてくれてありがとな……そういえば路地の店の給仕が言ってた知人ってアンタのことか?」



――ガチャンっ!



 途端、流し台に食器を落としてしまい、謝罪しながら洗い物に戻ったソニルは先程よりもさらに忙しない手つきで皿を片付けていく。

 だが徐々に動きが遅くなると肩越しに視線を投げ、小さな声でポツリと呟いた。


「…彼女、何か言ってましたか?」

「う~ん、あぁそうだ。【最近なかなか会えない】って言ってたぞ……もしかしてさっきの婚約者は…」

「……はい。彼女です」


 手元が小刻みに震える。


 決して恥ずかしい事ではない。

 隠す事でもなければ、町の人間も大半は何故か知っている。


 しかし改まって問われると全身が火照り、握っている鍋が沸騰しそうな気がして、つい手を離してしまった。

 

 心身ともに一杯一杯。

 それでも客人は容赦なく追撃してくる。


「女の私が言うのもなんだけど、あの子結構可愛かったな。変に着飾ったりしてないし、自然体というか、鼻にかけない接し方っていうのか?おかげで食事がさらに進んだよ。漢のアンタが一緒になればあの子も幸せになれるだろうし、あの子ならアンタをきっと幸せにしてくれる。少し早いけど、結婚おめでとさん」


 もはや返事も出来ず、告げられた言葉についつい事が予定通りに進んでいた時の未来を思い描いてしまった。



 純白のドレスに身を包んだ給仕の彼女と、黒スーツの自分が隣に立つ情景。

 恐らく当日はカチコチに緊張して、動けなくなっているだろう。



 そして誓いのキス。



 呼吸もままならず、それでも客人に“漢”を見せるべく辛うじてその場にとどまるも、倒れないよう流し台のへりを掴むのがやっとだった。

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