103.行動指針
「ただいまー」
呆けた声と共に、今は亡き鍛冶屋の玄関が開かれる。室内の光源が夜闇へ漏れ出すが、それも僅かな間だけ。
後ろ手にカチャリと閉めれば、居間に集まっていた一行の会話が途切れる。
「……その、ご苦労」
「少し歩き回っただけさ。身体は休めたのか?」
「おかげさまで大分良くなりましたよ。やっぱり野営に比べて眠れた感じが段違いと言うか…変な時間に皆目が覚めてしまいましたけど」
「日が昇ったらすぐ行動できるよう話し合ってたところなんだ。アデライトさんも休んだら、加わってもらえないか?」
「気遣いは感謝するが、私の事はあまり気にしないでくれ。それに巡回した以上、報告が先だしな……リーダー?」
壁に寄り掛かり、チラッと一瞥されたリプシーは一瞬キョトンとする。しかし慌てて追認の頷きを見せれば、再び注意はアデランテに向く。
もっとも取り立てて耳を惹くような報告はない。
村の周囲を徘徊する魔物の気配は無く。殺人現場も確認したが、村長の言う通り遺体はとっくに運ばれた後。
魔物の被害に遭った畑は他に比べて草も生えず、荒れたままになっている。
夜間に外出する住人もおらず、魔物が徘徊している危険性を除けば、ひとまず村の平穏は維持されていた。
報告を受け、再度頭を突き合わせた一行は依頼通り“魔物退治”の優先。それから“死者の調査”について話し合うが、後者に関しては乗り気ではないのだろう。
前者の議題に比べて声音は緩く、鼓舞にもならない指示をリプシーが出している。
それでも魔物の事前情報を得る上での死因調査を。そして住人への聞き込みの重要性を唱え、情報がなければ自ら収集する他ない事。
また村に留まれば、魔物もいずれ現れる事も伝えていく。
調査をしながら村を防衛し、出現したところで退治する。それだけの依頼だと告げるリプシーに全員が頷くが、日が昇るまで時間があった。
それまでは出現するであろう魔物の傾向。そして対峙した際の戦術を話し合い始めたところで“護衛”に助言を求めた。
「アデライトから何か良い案はないか?模擬戦で僕たちの手の内を知っているわけだし、弱点や対策を教えて貰えれば助かる」
「……助言よりは質問になるんだが、君たちの話す魔物を討伐する戦術…と言うのは、具体的にどういったものなんだ?」
「具体的って……フォーメーションとか、魔物を村で見かけた場合と森で見かけた場合に俺たちが取る行動とか、緊急時の連絡方法とか…」
「森は彼らの縄張りにして棲み処だ。この村も君たちにとっては見知らぬ場所だというのに、なぜ戦術が練れる?」
「え~っと、そこは調査をしていく上で徐々に見えてくると思ってまして…」
依頼への勢いが徐々に衰え、やがて言葉に詰まった一行へ助け舟を出したのは、ドンっと床を弓で突いたペルカだった。
依然一言も発さず、しかし力強い瞳はアデランテに向けられている。自然と彼の視線は追われ、助言の続きを聞くよう促しているのだろう。
もっとも本音を言えば深入りせず。あくまで補助として参加するつもりだったが、“護衛依頼”には彼らを導く事も含まれていた。
教師の言葉を待つ生徒が如き姿勢を一瞥し、やがて淡々と。壁に身体を預ければ、アデランテは静かに助言を零す。
まずは魔物の件。
果たして移動中にたまたま通りかかった畑を貪ったのか。
あるいは味を占め、近くに住み着いてしまったのか。
それとも本来の縄張りを広げ、村が範囲に入ったのかを探る必要がある。
最悪の場合は棲み処を他の魔物に追われ、流れ着いた可能性も捨て切れない。その時は新たな脅威も調べ、銅等級の主任務における“地形調査”の経験が活かされる。
魔物の生息域を確認し、さらには住人の聞き込みがてら、防衛や襲撃を想定して村の地図を頭に叩き込むべきだろう。
ただインウェンの言う通り、確かに魔物を倒すためのフォーメーション――謂わばチームワークも重要である事は否めない。
だが話し合いで終わる作戦は、失敗すれば文字通り絵に描いた餅。地形を味方につけ、群れの襲撃をも一網打尽に出来る術を模索する必要がある。
もちろん住人や村そのものに可能な限り被害を出す事なく。
淡々と続けるアデランテに、質疑が挟まれる事はない。単純な素材集めや討伐とは勝手の違う思考回路に唖然とし、そのまま議題は故人の調査へと移った。
「――魔物の仕業かどうかを判断するのも仕事の内だ。襲ってきたならともかく、無関係な敵を仕留めても後味が悪いだろう?」
「無関係って、魔物相手にそんな…」
「いずれにしても託されたもう1つの依頼は、故人と魔物の関係についての調査だ。納得しうる証拠を提示するためにも襲撃者の腹を裂いて、胃に肉体の一部がないかどうか。爪や噛み痕が遺体の傷と一致するかを調べる必要がある」
「……そこまでやらないとダメなんですか?」
「そもそもおかしいと思わなかったのか?1人目が亡くなってから冒険者を呼んだと言うのに、2人目の被害者が出ても“仇を取ってくれ”とは一言も聞いていない。それに衛兵まで派遣してくれ、とくれば…」
勢いを止める事なく語れば、ふいに身体の内側が震えて言葉を切った。訝し気にウーフニールへ意識を向けるも、誘導された先には青ざめた冒険者たちが映る。
「…その言い方だと、まるで」
言い淀むリプシーに、一行は同調するように顔を上げる。伝えた意図は十分理解したらしいが、よほどショックを受けたらしい。
ウーフニールが止めなければ、話を続けても情報は右から左へ抜けていたろう。
「魔物の仕業でないのなら、それもまた相応の証拠を提示しなければならない。誰が殺人を犯したのか明確にするのも、私たち冒険者の仕事さ」
「……僕たちは人殺しがいる村に留まっているのか?」
「そう身構える必要もないだろう。冒険者の仕事には山賊退治も含まれているんだ。私たちは普段通り依頼をこなせばいい」
さも当然と言わんばかりの反応にまた言葉を飲み、やはり視線を逸らされる。
勿論彼らも山賊退治の話は知っているが、冒険者を続ける限りはいつかは依頼によって。はたまた遭遇する機会があると覚悟していても、日常に潜む悪鬼とあっては話も別。
冒険者の領分を越える話に加え、魔物とは異なる生々しい実情に、これ以上村で滞在する気にはなれない。
ようやく住人が外出を控えていた理由を把握し、インウェンが素早く窓際へ移動する。ペルカやエントも窓や扉に近付き、外の様子を窺った。
「…仮にアデライトが言うように魔物の仕業で無いのなら…殺人事件であるなら僕たちの活動範囲外だ。街へ戻って速やかに衛兵を呼ぶべきだろう」
「それ以前に俺たちが頼んだところで、結局は魔物の仕業って言われて取り合ってくれないんじゃないか?」
「だから依頼主も言っていたろう?証拠を提示してくれ、と。それだけ調査を綿密にやれば、衛兵を呼ぶにあたっても十分な説得材料になる。魔物の仕業なら私たちが対応して住人の不安を取り払うだけだ」
すでに村を離れたい一心であったが、顔を上げても護衛は覆面で表情が見えない。
それでも落ち着き払った声は。常に冷静さを失わない様は、ソロ冒険者ゆえの威厳なのか。
一方で想像できない経験則が漠然と感じ取れ、顔を隠すのもその一環なのかと。様々な勘繰りを覚える一行を差し置き、再び“強者”は話し出す。
冒険者の仕事は依頼人の要望に最大限応える事。
それは依頼主が亡くなり、当初の取り決めが如何なるものであったとしても。今のリプシーたちはギルドを代表して村に赴いている。
だからこそ自分の判断で動く事も求められ、それゆえに生じる責任も思慮して行動しなければならない。
「――…首に掛かっているプレートは、そのためにあるんだろう?」
チャラっと。
鎖を鳴らしながら、アデランテが摘まむプレートは銅色。凍てつく覇道が持つ等級と同じはずが、プラプラと回る軽さに反して、重みの違いを覚えてしまう。
しかしアデランテの言う通り、冒険者プレートはただの飾りでも、実績を示すためのトロフィーでもない。
依頼主が冒険者を。ギルドを信頼する証であり、依頼を果たす責を忘れない楔でもある。
プレートを降ろす音にハッと我に返り、見張りについた仲間を呼び寄せたリプシーは、再び話し合いの場を設けた。
例えパーティが。例え我が身が1番であっても、冒険者を名乗る限りは依頼を果たす。
そしてゆくゆくは名指しで。あるいは他の依頼者を紹介される実力と人脈を得て、金のプレートを首に下げる。
リプシーの確固たる語り掛けに、全員が同調したところで魔物対策から話は一転。議題の中心は一連の“殺人事件”に焦点が当てられた。
「……最初の犠牲者は鍛冶屋。魔物ではなく、村人に殺害されたなら何故畑で死んでいたのか」
「でも魔物の被害を食い止めようとして、無茶をした結果とも考えられますよね」
「あるいは俺たち冒険者が来る前に、魔物の情報を少しでも集めようとして…ってソイツが死んだから、俺たちが呼ばれたんだったな。そういえば」
「…アデライトが村長に質問した中で、鍛冶屋は慎重な男だと言う話があった。それが本当なら被害に遭った畑で1人ウロつくのもおかしい」
「トイレの可能性だってあるだろうよ」
「村外れの畑まで行く程の催しですか?この家にもトイレは完備されてるのに」
それまでの倦怠感は色褪せ、少しずつ調査に。村長の意思に沿った方針へ舵を取り始めたが、如何せん情報量が足りない。
予定通り住人に聞き込みを行ない、効率を考えて二手に分かれる提案がなされるや、アデランテがすかさず会話に割って入る。
「分かれるなら“魔物の偵察”と“聞き込み組”での分断を薦めるぞ。魔物の情報も集めなければ、検証のしようがないからな」
「魔物退治は当然するが、村の事を考えれば殺人事件の解決を優先した方が良いと僕は思う。冒険者が来た事で、殺人犯が危険な行動に出る可能性も十分あり得る」
「…そもそもアデライトさんが仰ったように、知らない土地でパーティがバラバラに動くのは危険なのでは?それも一方は殺人鬼、もう一方は魔物が巣食う場所で」
「“護衛”を雇ったのは君たちだろう?村の防衛も兼ねて私は村に残る。偵察組は決して深追いせず、ヤバいと思う前に戻ってくる気概で仕事に就いてもらいたい。例え情報が少なくとも、まるで無い現状とでは話が全く変わってくるからな」
「……今思ったけど、俺たちが聞き込みして回って、住人の不安を煽ったりはしないよな?魔物と殺人鬼のどっちも怖がってるって時に」
「不用意に動くならその場で押さえればいい。それに魔物の仕業だという線も潰れたわけではないんだ。村の警戒に当たっている事をアピールする傍ら、どちらの可能性も洗って事態の収束を図る…やる事は沢山あるんだ。キリキリ動かなければ、状況が悪化するかもしれないぞ」
うまく立ち回らなければ犠牲が増える。
アデランテの告げる事実が改めて冒険者に重く圧し掛かり。仮に魔物が存在していても、倒した所で被害の元凶だと証明出来なければ意味がない。
加えて衛兵が捜査に介入すれば、取引のあるギネスバイエルンに知れ渡る事も必須。村としての信用も堕ち、事情聴取のために住人を片端から引っ立てるだろう。
ただでさえ住人同士も疑心暗鬼に陥っている中。彼らの生活を引っ掻き回そうものなら、下手をすれば村そのものが潰れて無くなるかもしれない。
そして魔物が原因であったとしても、村の安全性すら住人は疑うはず。
山奥の長閑な暮らしを守るため。全てを穏便に済ませるためにも、慎重かつ大胆な解決を村長は求めている。
途端に村の命運を背負った気がして互いに見合うも、護衛の言葉はまだ続く。
そのために“冒険者”は派遣され、依頼主の本懐を理解しなければならない。さらに己が被害に巻き込まれないよう、安全に立ち回る事も要求される。
単純にギルドの指示で動くのではなく、自己判断と危機意識の重要性も説かれた。
冒険者としての新たな一面に惚けていたものの、熟練者の声音が一転。
「…さて、村の背景と明日の方針も決まったところで1つ聞かせてくれ。村長に話していた“スケープゴート”とは一体どんな魔物なんだ?」
話の主旨は大まかに変わったわけではないのだろう。
しかし子供の好奇心ばりに変化した声音に、村の依頼よりも護衛が時折放つ不可解な雰囲気が異質に思えてならなかった。