102.村の長に畑の惨事
目的地は小高い丘や平原を抜け、深い森を潜り越えた先。ギネスバイエルンから馬車で3日揺られた場所に位置していた。
依頼内容は“村の安全確保”。
魔物に畑を荒らされ、とうとう死人まで出た事から急遽ギルドに依頼が舞い込み。素材集めや魔物退治とも勝手の違う内容に、“凍てつく覇道”の面々も息を呑んだ。
第三者と直接対話し、何よりも解決に当たる上で失敗は許されない。だからこそ一行は功に焦り、協力者探しに奔走したのだろう。
気張るあまりに空回りしないか。そんな事ばかり心配するアデランテを尻目に、馬車の揺れが収まった。
車輪の音も途絶え、御者の声を合図に各々が荷台から降りていく。
馬車を回り込めば別荘が如き丸太小屋が並び、森に囲まれた空間に遠くの川のせせらぎが。そして山風が撫でる穏やかな空気は長旅を徐々に癒してくれる。
老後を過ごすにも、子供を育てるにも申し分ない環境ではあったが、すぐに冒険者たちは村の異変に気付く。
太陽はまだ真上に昇っているはずが、誰1人出歩いている者はいない。家畜すら納屋の中で鳴き声を上げ、柵はあっても放牧する気はないのだろう。
途端に息が詰まる光景に二の足を踏み、喉を鳴らす音まで聞こえてくる。
「2階建ての家に村長はいますんで、あっしはこれにて」
緊迫した空気の中、御者の声にリプシーたちが振り返れば馬車は去った後。地面には一行と関係のない荷が置かれ、まさか配達を任されたのかと。
雑務も冒険者の仕事範囲とは言え、信じられない面持ちで馬車の面影を睨む。
しかしアデランテが近付けば、すかさず積み荷を軽々と担ぎ上げた。
「村にあまり近付きたくないらしくてな。届け物の話があったから、代わりに運ぼうと私が申し出たんだ。気にしないでくれ」
「…とにかく目的地には無事着いた。全員心して掛かるように」
一瞬呆けたものの、我に返ったリプシーの声も遅ればせながら引き締まる。同時に全員が冒険者の顔を浮かべ、いざ突き進む彼らにアデランテも無言で付き従った。
晴天も相まって当初は足運びも順調だったが、次第に足取りは重くなっていく。不気味なまでに静まり返った陰鬱な様相に加え、時節窓から覗く住人の気配がする。
疑心で満ちた視線が全方位から突き刺さり、とても歓迎されている雰囲気ではない。
それでも歩みを止めず、やがて村唯一の2階建てに辿り着いた。薪が積まれた前庭を通り過ぎ、段差を越えた一行は玄関前に佇む。
それから流れるようにリプシーが拳を上げるが、ノックもせずにその場で静止。一向に叩く気配もなく、背後から訝しみながらインウェンが身を乗り出した。
「…何やってんだよ」
「こ、こういう事は第一印象が大事なんだ。相手に不安を与えず、かつ必ず依頼をやり遂げる意思を示さなければ」
「……えっと、最初のご挨拶の話ですか?それともパーティ全体の印象のこと話してます?」
「どっちもだっ」
目的地に着き、まだ第一村人と接触すらしていない最中。人様の玄関先で、好印象を与える方法が話し合われている。
事態が収拾するまで静観していたが、気付けば話題は魔物の出現予測にまで拡大していた。
諦めてアデランテが荷を落とせば全員が飛び上がり、視線を一斉に集める。だが同時に屋内で人の気配が感じられ、徐々に軒先へ接近しつつあった。
「一生懸命やるって意思が伝われば、どんな結果であれ評価してもらえるもんだ。命が懸かっているのに、無理な背伸びも良くないぞ」
淡々と語るアデランテに幾分か緊張が解けたのか。冒険者の顔つきが、歳相応の少年少女の物に取って代わった。
魔物相手ならば“命懸け”である事を伝えたのが良かったのだろう。生きていれば再挑戦できるが、死ねば評価も何もあったものではない。
そのまま言葉を続けようとすれば、ふいに玄関がゆっくり開かれた。視線は自ずと応対した老人に向けられ、相手もまた硬直した若人と邂逅を果たす。
「…冒険者の方々ですかな?」
装備から確信を持ちつつ、念の為に尋ねられた質問にリプシーが頷く。笑みを浮かべた老人は一行を招き入れ、通り過ぎ際にふと軒先の荷が一瞥される。
すかさずアデランテが配達品の経緯を伝え、改めて感謝を述べられたところで案内されたのは手前の部屋。
好きに寛ぐよう言い残した老人は奥へ引っ込み、その間も部屋を観察すると木彫りの長椅子や机。暖炉に丸太の紋様を意識した壁造りが、一行の注意を次々惹いていく。
吹き抜けの天井から2階の廊下まで見え、別荘へ来た心地に安らぎすら覚える。
道中の冷たい“歓迎”も相まって気を良くし。程なくお茶請けと飲み物を持った老人が戻ってくれば、向かいの椅子に腰を落ち着けた。
「ご紹介が遅くなってすみませんでした。村長のランドカルテと申します。本日は遠路はるばるお越しくださり、住人を代表して深く感謝申し上げます。それで冒険者一行の…」
「凍てつく覇道のリプシ―。それからインウェンとペルカにエント。あとは…」
「アデライトだ。宜しく頼む」
「宜しくお願いします。早速依頼の話に入りたいのですが……実は少々事情が複雑になって参りまして…」
「間違いがなければ畑を荒らす魔物の退治と聞いていた」
「…その依頼人が先日亡くなったのです」
不穏な出だしに始まり、想定外の返答に冒険者たちの空気も重くなる。村長も眉間に深い皴を刻み、溜息を漏らしながら現状を説明した。
村が被害に遭ったのは1ヶ月前。
当時は畑の一角が荒らされただけで、住人も多少警戒した程度だった。残った無数の足跡を除けば誰も姿は見ておらず、人的被害があったわけでもない。
ひとまず柵を設置して様子を見ようと協議した矢先。
村の住人が変わり果てた姿で1週間前に見つかった。
「――…そのため村でも話し合い、冒険者を雇う事になりましたが、街まで依頼をしに行った住人も2日前の夜に亡くなっていまして…」
「依頼人がいない場合、問題は依頼が消滅するのか、それと支払いがどうなるかだ。依頼主とギルドの間で交わされた既存の契約を尻目に、僕たちが勝手な行動をするわけにもいかない」
「……村の代表として、依頼人の代理として改めてこの場で依頼をお願いします。再依頼に費用が発生するのであれば、もちろん追加で支払わせて頂きます」
「え~っと、村長さんからも言質は取れましたし、費用の話は全て無事解決してギルドに戻ってからにしませんか?」
「ありがとうございます。ところで再依頼をするに至って、もう1つ。折り入ってお願いしたい事があります」
眉間を揉んでいた村長が顔を上げ、疲労でさらに皴を寄せた表情を近付けてくる。
室内には冒険者と彼以外には誰もいないと言うのに。まるで人に聞かれたくないような声音に、リプシ―たちも自ずと身体を傾けた。
「…実は住人の死と魔物の関連性についても調べて頂きたいのです」
「……どういった主旨の依頼だ?魔物が依頼主と村人を殺したんだろう?」
「それとも死んだ2人がそもそも魔物を村に招き入れた、とかそういう話なのか?」
「そういった情報でも構いません。出来れば証拠や調査結果の根拠に基づく話でも知らせてもらえると助かるのですが…」
歯切れの悪い村長に全員が首を傾げ、思わず互いに顔を見合わせる。顔色から察するに、村長の意図を理解していないのだろう。
進まない会話に業を煮やし、壁に寄り掛かっていたアデランテが渋々口を開く。
「…村長。亡くなった住人の状況と遺体の保管場所を教えてもらいたい」
放った一言に全員の視線を集めるが、その手には空いたグラス。そして何も入っていないお茶請けが収められ、いつの間に食べたのかと。
それ以前にいつ机から抜き取ったのかと困惑すら覚える。
しかしリプシーたちとは対照的に、村長が気にかける様子はない。むしろホッとしたような顔つきで椅子に身体を沈め、求めた情報を静かに語った。
2人が亡くなった場所は被害に遭った畑。
どちらも朝方に発見され、1人目の鍛冶屋は頭部を滅多打ち。2人目の依頼人にして村の運送を担う御者の青年は、胸部をめった刺し。
挙句に彼の身体は一部が咀嚼され、畑一面は雨が降るまで真っ赤に染まっていた。
彼らの死はその最期を直接見ずとも、平穏な村を恐怖へ陥れるには十分なもので。今や滅多な事では誰も家から出なくなってしまった。
だが亡くなった2人は何故夜更けに。それも魔物被害の最中にも関わらず、武器を携帯せずに畑へ赴いたのか。
謎は深まるばかりだが、とにかく死体は村はずれに埋葬した事を村長は告げる。
「――目撃者は?」
「報告があったのは農夫のヨハネですが、事件が遭ったことは住人全員が大まかに把握しているでしょう」
「亡くなった2人はどんな人物だと言える?」
「1人目は不愛想ですが、とても慎重な男で、良い仕事をすると村でも評判でした。2人目は真面目で、村の生活をより良くするために、街へ行っては便宜を色々図ってくれました」
「遺体は誰が運んだ?」
「どちらも息子のカルロワと釣り師のビルに頼みました…先程も申し上げた通り、亡くなった2人に関する情報をご報告頂ければ、追加で報酬は支払います。ただし魔物退治だけであれば金額は当初のまま。代わりに街へ戻ったら衛兵を派遣してほしいのです」
懺悔を済ませたように溜息を吐く村長は深々と頭を下げた。だがその先にいるのは“凍てつく覇道”ではなくアデランテ。
最早どちらが依頼を受けているのか曖昧になるが、視線を投げればリプシーもハッとなる。
それからわざとらしく咳払いすれば、村長の注意を再びパーティに戻した。
「…では改めて依頼内容を精査する。僕たちの仕事は畑に害をなす魔物の討伐。オプションで住人たちの死に関する調査を行ない、それを報告する。以上でいいか?」
「問題ありません」
「対象の魔物は“スケープゴート”と伺っていますが、間違いありませんでしたか?」
「……申し訳ないのですが、直接見たわけではないので…それも随分昔に住人が見た情報をギルド依頼時に伝えただけらしく…」
自信がなさそうに話す村長から視線を逸らし、凍てつく覇道も互いに見合わせる。
本来の依頼は魔物退治でありながら、肝心の目撃情報はあやふや。挙句に追加の依頼は衛兵に任せるような案件を、わざわざ冒険者に振っている。
心情を隠す事なく席を立った一行は、ゾロゾロ応接室を離れていく。その隙にアデランテは縮こまった村長に近付き、小声でソッと耳打ちした。
途端に表情を明るくした彼は頻りに頭を下げ、二言三言交わしたところで冒険者たちに急いで合流した。
一行はすでに敷地外で待っていたものの、アデランテに向けてくる視線は険しい。
「余計な話はしていないだろうな」
「……例えばどんな話だ?」
「たとえって…僕たちが銅等級として依頼を…満足にこなした実績がない、とか」
「そもそも死んだ住人について聞く必要があったのか?それこそ村長も言ったように衛兵を呼んで対処させる話で、俺たちの仕事は魔物退治なんだし」
「その話はまた別の場所でと言いたいところだが……君たち、寝床はどうするつもりなんだ」
追及に応じる事なく質問を投げれば、一同の関心はアデランテから互いへ。それから周囲へ移り、途端に不安な表情を浮かべる。
辺鄙な農村に宿は見当たらず、彼らの装備も人里に赴く前提の物ばかり。野営道具は不要と判断したのだろうが、宿泊場を手配する立場にあるのは村長のみ。
今から戻って頼むのも格好がつかず、疑心暗鬼の住人に求めるのは不可能だろう。
ではどうするべきか。
ポツポツと交わされた議題は、次第に村長の手際の悪さへ責任転嫁され。宿の手配や依頼に対する中傷へ話題が発展しながらも、中座した自分たちの行ないは忘却したらしい。
「…とにかく私についてきてくれ」
彼らの醜い争いを聞かれる前に退散すべく、颯爽と冒険者たちを先導した。背後から響く人数分の足音に振り返らず、不気味な村を無言で通り過ぎていく。
(…さて、どうしたもんかな)
【奴らが無様に失態を晒す様を背後で見ていればいい】
(そうならないよう私らと護衛契約を結んだんだろ?正直冒険者の振る舞い以前の問題だし、“手伝う”ことは色々ありそうだ)
【後悔するならば2度と同様の案件を引き受けぬことだ】
(なに言ってるんだ。1つでもまともなパーティを育成出来れば、世のため人のためになるんだぞ?人間の繁栄はウーフニールにも悪い話じゃないだろうよ)
【戯言……目的地到着】
一蹴された返答に笑いかけたが、合図と同時に足を止める。後続者もアデランテの動きに合わせ、続々と彼女の視線を辿った。
「…家?……もしかして村長と話してたのは宿泊先の事だったのか?…その、ありがとうございます」
「感謝するなら私じゃなく、村長にしてくれ。最悪村の外か、見張りながら被害の遭った畑で眠れと言われてもおかしくはない立場なんだ」
「…でも家1軒を貸してくださるなんて、随分気前がいいんですね」
「鋳造器具も置いてあるらしいから、武器や防具を修理したければ、自由に使っても構わないそうだ」
「修理……って、もしかして死んだ1人目の奴の家!?」
「屋内で亡くなったわけではないんだ。しかし何日と村に留まるかも分からない中、雨風に晒されても支障がないのなら、好きにするといい。それに家主の事を調べるにも都合がいいだろう」
ニコッと笑みを浮かべたが、覆面では彼らに伝わらない。そんな彼らも死人の持ち家を不気味がっていたが、風雨の脅威は当然ながら知っている。
仮に野営道具があっても、1軒家を拠点にした方が活動の勝手が良い事も。
1点の不満を除く好物件に提案を受け入れ、一行は次々扉を潜っていく。室内は村長宅に同じく別荘のようで、違いはせいぜい2階が無い程度だろう。
落ち着いた雰囲気に彼らも満足し、アデランテがいなければ、誰がどの部屋を使うか話し合っていたかもしれない。
しかし荷物を降ろし、彼らが最初に求めた物は休息だった。
馬車の旅は眠れたものではなく、硬い荷台も座り心地は酷いもの。
まずは気力を取り戻すために食事し。それから短い睡眠をとって行動する事を決め、アデランテにも彼らの方針を伝える。
「その間ヒマになる上に、暗くなれば現場も見辛くなる。待っている間に村の警戒と軽い調査をしても構わないか?」
「……調査?」
「誰かと話すわけではないさ。見回りがてら、畑を見に行くだけだ」
淡々と告げればリプシーも頷き、了承の下で颯爽と家を離れていく。その後ろ姿を一同は見送るが、誰1人言葉を発する事はない。
まだ始まってすらいない依頼に誰もが長旅で疲れ、思い描いていた依頼主との交渉も実現出来なかった。
もしも馬車の移動で疲れていなければ。
体力がもっとあれば。
言い訳こそ次々浮かぶが、結局は適正審査で見せたアデランテの化け物染みた“実力”が。そして森の模擬戦闘で蹂躙された自身の“実力不足”が、一行の脳裏に覆い被さった。