099.陽だまりの飽和心
騒ぎに巻き込まれる事なく。騎士道を通すでもなく。
かと言ってオーベロンからの布教活動もない。1日の仕事も無事に終え、新鮮な空気を吸いながら雑踏を離れていく。
暇を持て余した身体を壁に寄りかけ、ふと顔を上げれば眼前から世界が消失する。それまで広がっていた景色を白い霧が包み、宿“ホワイト・バラック”の俯瞰風景が映し出された。
しかし光量が増したかと思えば、急速に暗くなっていく。雑踏の歩行速度も常軌を逸しており、やがて街灯が点滅したところで正常な時間が流れ出す。
見張っていた宿からはローブを羽織った人物が現れ、周囲を警戒すれば闇へ紛れるように歩き出した。
監視していた視点も追って夜空に飛び立つが、標的の足取りは非常に重い。
当人も思うように進めないのか。時折ローブの上から腹部をまさぐっては、小休憩を挟む度に屋根で移動を待つほかない。
監視対象が屈めば胸の膨らみが強調され、腰のくびれもはっきり浮かぶ。路地裏に身を潜める姿は無防備そのものだが、幸い外を出歩く者はいなかった。
あるいは最初から人通りの無い道を熟知しているのか。再び標的が歩き出せば、誰とも遭遇する事なく辿り着いた教会の扉を叩いた。
程なく修道女が顔を出し、直後にローブの人物はサッと中へ滑り込む。
すると視界から霧が消え、眼前の景色が雑踏に挿し代わる。街を照らす午後の日差しが瞳に差し込み、夢から引きずり出された感覚に目を瞬かせた。
それから思考が現実に追いつけば、壁を離れて再び道なりに歩き出した。
「…ひとまず宿から出られるようになったのは良かったけど、力加減を完全に間違えたな……でも他に気絶させる方法なんて思いつかなかったし、首を絞めるわけにも…」
【泣きついた女の首に一撃叩き込めば良かったものを】
「あの状況で気絶させるにはまだ早かったろ?それに首を叩くのも、ジャイアントスパイダーの二の舞に遭わせるようで気が引けたし……そもそもあの場面は、優しくギュッと腕を回すのが正解だったと私は思うんだ」
至って真剣に恋愛論を話し、声量を上げないよう小声で語り掛けた刹那。ふいに検知した背後の気配にすぐさま口を閉ざした。
「お兄さんやっほー!こんな所でなにやってんの?良かったら一緒に遊ばな~い?きっと楽しーよぅ!」
背後から飛びついた声を素早く躱し、勢いよく空ぶった女は数歩前にヨタヨタ歩く。ムッとしながら振り返ってきたが、直後に彼女の表情も一変。
最初に浮かべていた笑みを再び称え、腕を絡みつけてこようとする。
だが何度迫ろうとも、火の粉を払うようにアデランテは避けていく。壁へ追い詰めようとする女の企みも物ともせず、一向に触れられる事は無い。
「……釣れないな~。こーんな可愛い子が迫って喜ばない人はいないのに、もしかして男色~?趣味わっる~」
「君に興味がないだけだ」
「うっわ、初対面なのに辛辣っ。ってかプレート2つも付けちゃダメだって知らないの~?ギルドのルールって年々ガバガバになってる気がするわ~」
「許可は得ている」
「…恋人とか、死んだ仲間の~、ってやつ?」
「話すつもりもない」
関わりを一切拒絶するアデランテの反応は、女の反感を買ったらしい。
顔に張り付けた薄ら笑いは変わらず、それでも目は笑っておらず。前触れもなく踏み込んだ女は、一気に距離を詰めてきた。
咄嗟に躱せばすれ違い様に反転し、再び彼女は急接近。執拗にアデランテの懐へ入ろうとしており、刺客同然の動きに視界から外さないよう。
かつ触れられない距離を紙一重で保っていたものの、瞬発力で僅かに上回ったのか。活路を見出した女に一瞬背後を取られてしまう。
勝利を確信した彼女は一瞬笑みを浮かべ。しかし次の瞬間には表情も硬直し、咄嗟に後ろへ飛びずさった。
思わず武器まで抜きそうになったが、ゆっくり振り向いたアデランテに呆れたように溜息を零す。
「……もう遊びで本気になったらダメじゃな~い。ちょっとジャレてほしかっただけなのにぃ~」
「…私も忙しい身なんでな」
「ま~たまた~。上限3つを毎日こなして、初日から銅等級スタートしてる噂の冒険者さんが、時間貧乏なわけないっしょ~」
強張りが解け、ますます機嫌を良くした彼女の話しぶりは耳につく。だが腹底から込み上げる不機嫌な唸り声の対処で、女の相手どころではなかった。
顔を隠しても異質な風貌を知られ、潜伏しても活躍だけが独り歩き。おかげで周囲には有望を通り越して不気味に思われ、勧誘が減ったのは不幸中の幸いだろう。
それでも一部からは望まぬ注目を浴び、彼女のような“変わり種”にも遭遇する。
【人間】
(…すまない。私だって本意じゃないんだ)
【元を正せば貴様が審査時に実力を晒した事が原因だ。接触を試みる人間は全て始末せよ】
「ねぇねぇ、今夜暇?もし良かったら朝までわ・た・しと、楽しい事しよ?ねっ?っていうか~決定事項だから、ねっ?」
「嫌に決まってるだろ」
「ええぇえっっ~!?ひっど~~い!!」
「…あっ、いや、今のは君に話したわけじゃ……やっぱりなんでもない」
【貴様に関心を寄せている内に路地へ連れ込め。いずれ何も分からなくなる】
(話しかけられてる時に話しかけないでくれよ。ごっちゃになるだろ?…まぁ、どっちにしても間違った答えじゃなかったけど、これ以上関わりたくないし……そもそもどうやって連れ込むんだよ)
【篭絡の術を身に着けた貴様ならば難しい話でもあるまい】
(だから違うって言ってるだろ!!)
「む~ん…でもそんなアナタもす・て・き!ひょいひょい釣れる男より、やっぱりお兄さんみたいな堅物こそ攻略し甲斐があるってものよね~。顔を隠したってイケメンセンサーにびんびん来るし、ベッドでひんひん言わせる日が楽しみだわ~」
素っ気ないアデランテに構わず、女は魅了するように身体をくねらせる。素肌を強調する装備は男の視線を集め、性能より見た目を重視しているのだろう。
実用性の伴わない装飾も散りばめ、夜には星明かりで目立ちかねない。
しかし外見も、服装も。オルドレッドには遠く及ばず、時に見せる弱った姿はアデランテでさえ動悸を覚えた程。
一方で目の前の女は言葉を交わすだけで離れたくなる。名乗る気にもなれない乱入者を無言で見つめるや、何かを察したのか。
少し考えた素振りを見せれば、彼女は切り口を変えてきた。
服に隠されたプレートを突き出し、拳の下で“金”のプレートがクルクル回る。
「ふっふ~んっ、アタシがただの尻軽女だとでも思った?ざ~んねん!この町でも10パーティしかいない、偉大な冒険者パーティの内の1人、弓士リンプラント・カリシフラーとはアタシのことぉ~…どう?惚れた?惚れ直した?アタシの事はリンって呼んでくれてもいいんだよ~」
「随分少ないんだな。発祥の地と言うからには、もっといるものだと思っていた」
「……その反応も予想外だけどさ。えっ、自堕落に振る舞うこの女が実は金等級の冒険者だったの!?…って驚いてくれないと、逆に反応し辛いんですけど~」
「自覚はあったのか」
期待した反応が見れないどころか、至って冷静な言葉に顔をしかめられた。
プレートもいそいそ片付ければ、明るい雰囲気も霧散し。冷めた態度と視線をアデランテに向けてきた。
「お兄さんみたいな人初めて。見た目には自信があったのに、ちょっとショック~」
「慣れ合いは好きじゃないんだ」
「あぁ、そういうこと。アプローチ間違えちゃったってわけね…しくじったな~」
「…随分様変わりしたな」
「金等級になると色々面倒でね~。バカっぽく演じてる方が楽なのよ。それに冒険者なんて死ぬ時は1人で惨たらしく散るものだし、どうしても人肌恋しくなっちゃうのよね~」
溜息を吐き、壁に肩を預ける彼女は心底うんざりしているのか。表情は一瞬で陰り、戦場とは異なる空間で命を賭す冒険者の闇を感じる。
最上位たる金等級ならば尚更だろうと静観していたのも束の間。依然距離を開けたまま立つアデランテを一瞥した女は、苦肉の笑みを浮かべた。
「…な~んて言えば、お兄さんも少しはなびいてくれる?」
「いずれにしても私には興味のない話だ。人肌を求めるなら他を当たってくれ」
「身体のまぐわいだけが温もりとは限らないんだよ~?なんならお友達から始めな~い?お話だけでもいいから、ねっ?」
首を傾げながら片目を瞑る彼女に話だけなら。と思う一方で、内側から掻き毟るような唸り声が轟く。
下手に声もかけられず、黙って去れる空気でもない。
嫌悪感を抱く間に逃げなかった事を後悔したが、ふいにリンプラントの背後で不穏な気配が漂った。
すかさず彼女は振り返るや、相手と目が合った途端に身体を縮ませ。堂々と佇む大男の双眸から逃げるように歩き出した。
「30分後に仕事だ!!とっとと支度しろ!」
突如一帯に響き渡った声は雑踏すら萎縮させ。リンプラントに至っては猫の如く跳び上がれば、ネズミのように走りだした。
そんな彼女の後ろ姿を男が追えば、溜息を吐きながらアデランテに視線を移す。
「アレは実力があってもオツムは弱いんだ。迷惑をかけて悪かった」
「…迷惑、は掛けられたが金級に恥じない実力者である事は確かだな」
「なまじ仕事が出来るだけに余計質が悪いんだがな。そうでなければパーティなんざ組まないだろうが…しかし銅等級の割には見る目があるな。何なら今から仕事に加わって見学でもするか?使えるならパーティ申請を検討してやってもいい」
「惹かれない提案だな」
関わりを避けるアデランテの態度に険しい表情が浮かぶも、所詮は銅等級の戯言。鼻で笑い、元来た道を戻っていくとようやく1人の時間を取り戻した。
恐らく数分と掛からなかった交流も、まるで丸1日尋問されていたようで。疲れた心と身体を揉みながら歩き出せば、宿への行路は中止する。
代わりに視界に入った飲食店を一直線に目指し。連日の依頼達成で懐に余裕があれば、宿も2週間分は前払いしてある。
久方ぶりの贅沢に腹が鳴り、口の中で唾液が溢れ出す。
食べるだけ食べ、また臓書の中で食べられて2度美味しい。
まだ見ぬ料理の数々に胸を膨らませ、残金を使い果たすつもりでいた矢先。
「――…少し宜しいですか?」
すれ違った冒険者の一行を避けるや、横から声を掛けられた。一瞬疑問符が浮かぶも、同居人の追認で自身に話しかけられた確証を得てしまう。
仕方なく振り返れば銅のプレートを持つ冒険者たちを捉え、サッと上から下を一瞥する。
若さに反して装備も表情もくたびれ、もはや悲壮感すら漂う様子に面倒事しか感じない。それでも彼らを無視する決断力が鈍ったのは、恐らくリンプラントの戯れが原因だろう。