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009.形なき迷走

 マルガレーテの町まで真っすぐ進んでいたはずが、帰りの道中は右へ左へ。

 岩や木を避けるためではなく、度々曲がりくねる道順にアデランテは顔をしかめる。


 青い煙を愚直に追う以外に戻る方法が無いとはいえ、時折青年を始末するために別の場所へ誘導しているのではないかと。

 チラチラよぎる疑念に抗い、当初は大人しく従っていた。

 

 だが坂道で明らかに不自然な曲がり方を強いられては、流石に黙ってはいられない。


「…ウーフニール。本当にこの道で合ってるのか?何か私が思ってた帰り道と全然違う気がするんだけど」

【それ以前に何を根拠に南東へ直進していると考えていた】

「目印があって進んでたわけでもないけど…ただやんわり曲がったりしたのはともかく、今みたいな直角は明らかにおかしいだろ?本当に連れて帰る気があるんだろうなッ」

【先程の坂は貴様が滑り落ちた場所だ】

「……あぁ、そういえば…」


 思い当たる節に口を閉ざし、青年を背負い直すと黙って行進を再開する。


 記憶を辿れば登る途中で掴んだ草が抜け、受け身も取れずに転がり落ちた場所。

 咄嗟にウーフニールが木を掴んでくれたおかげで助かったとはいえ、自ら掘り返した赤っ恥に小さな溜息を吐く。


 気分転換に茜色の空を見上げれば、1日の終わりが刻一刻と近付いてくる。

 開けた場所なら地平線に夕日が覗き、活動するにはまだ支障もなかったろう。

 


 しかし深い森の影が、外界よりも一足先に周囲を暗闇で包みこむ。

 方々で鳴いていた鳥も息を潜め、町へ着く頃には夜空が覆うに違いない。

 出発を明日にずらし、何処かで1泊するほかないだろう。


 無念の撤退に木陰が嘲笑うように囀り、一瞬強行軍に出るべきかムキになるも、全てはウーフニールがいるからこそ思いつく贅沢な悩み。


 行きも帰りも道が分からず、深い茂みがアデランテの獣道を覆い隠している。

 周囲の景色も似たり寄ったりで、とても目印と呼べる物は見当たらない。



 もしも1人で青年に会ったならば、到底町に戻る事は叶わなかったろう。

 むしろ気絶した彼を揺り起こし、迷子になった事を告発していたかもしれない。

 情けない騎士像につい笑ってしまうが、ふと頭の片隅で散った火花に首を傾げる。


 その正体が何なのか。

 歩みを止めずに青い煙を追い、ジワジワ浮かぶ疑問がやがて文字を形成した時。


 気付けば言葉となって声に出していた。


「――“2人分に丁度良い”って何のことだ?」


 無意識に口走ったにも関わらず足を止め、自分でも何を尋ねているのかよく分からずに困惑する。

 

 思い起こせば発端は“店主の記憶が消えかけている”と告げたウーフニールの一言。

 それが一体何を意味するのかは、事態の収拾で当初は考える余裕も無かった。


 だが埋没していた記憶も、1つ掘り起こせば連鎖して次々記憶を鮮明にしていく。


「なぁ、“空きの補充”がどうのって言ってたよな。腹が減るのと何か違うのか?…ウーフニーール。お~い」


 青年を担ぎ直し、再び歩き出すと虚空を眺めながら同居人の名を呼ぶ。

 返事はいつも通り戻ってこないが、慎重な彼の事だ。

 言葉を選んでいるのだろうと考えれば、腹立たしいとも思わない。


【どこまで聞く】

「ぜんぶ!町まで時間はたっぷりあるんだ。そうでなくとも、お前の声が聞こえるのは私だけなんだし、遠慮せずドンと来い!……でも難しい話は無しな」


 踏みしめる草の音を聞きつつ、絵本の読み聞かせを待つ子供の心境で胸がときめく。

 今か今かと足取りも軽くなれば、やがて夜の訪れを囁く風と共に彼の声が木霊した。





 

――曰く。


 人が人、生物が生物足り得るのは記憶によって存在が補完されているがゆえ。


 自身で積み重ねてきた記憶。

 他者にある記憶の中の自身。

 そうして生物は自らの存在を認識し、世界と交わっていく。


 しかし記憶とは頼りなく、不安定で朧な存在。

 時と共に薄れていき、砂浜に書かれた文字の如く時間の波がさらってしまう。


 ゆえに人は新たな記憶を生成し続け、周囲に散りばめた他者の中にある自身の情報をも更新する事で、年を経ども己で居続ける事が出来る。



 だがウーフニールは無形の怪物。

 姿はおろか、自らの記憶すら形を保つ事が出来ない。


 なぜこの世界にいるのか。

 なぜ生まれたのか。

 何処から来たのか。


 変幻自在ゆえに存在を保てない彼は、喰らった記憶で“他者”に成り代わり、自らを確立する他ない。


 ゆえにウーフニールにとって“記憶”とは、生物が摂取する食料と同義であった。





「…つまり頭の中も自分の体も、全部綺麗さっぱり忘れてるってことか?面倒臭い魔物に生まれてきたもんだな」

【要望に従い、全てを明かした結果の感想はそれだけか】


 話した事を後悔しているのは、起伏のない彼の声からも分かる。

 人間臭い反応に笑ってしまいそうになるも、肩を震わせた反動でズリ落ちそうになった青年を担ぎ直す。


 それでも消えない笑みを浮かべたまま、頭の中の彼に語りかける。


「悪かったって。怒らせるつもりなんてなかったんだからさ」

【憤慨などしていない】

「分かった。分かったって。それに私だってカミサマの命令に従わないと生きてけない体にされたんだし、お互い様だろ」

【貴様の巻き添えを喰らっている事を忘れるな】

「忘れるわけないだろ。体はいつか必ず返すからさ…それで、空きやら補充やらの話は?」

【貴様が割り込まねば今頃話し終えている。道が逸れた】


 脈絡もなく告げられた最後の言葉に一瞬疑問符を浮かべ、すぐに煙から離れていた事に気付くと慌てて順路に戻る。

 青年を背負い直し、声を潜めて話しかけてくれるのを待てば、また無機質で。

 腹底を這う声の語り手が囁いてくれた。





――曰く。


 保管、または“喰い溜め”できる記憶には限りがある。


 人間で2人分。

 魔物が3体分。

 そして獣で4匹分。


 それぞれには保管期限があり、人間は1ヶ月。

 魔物で2ヶ月。

 獣が3ヶ月。


 迫りくる期限はウーフニール自身に“空腹”の形で知らされ、期限前に喰らえば既存の知識は新たな記憶によって、古い順から上書きされていく。


「……私は対人戦しか経験がないから、魔物に関する知識は人並み以下なんだけどさ。そんな怪物の話はいままで聞いたことがないぞ?」

【知られていれば遥か昔にこの世から抹消されていた。記憶を喰らい、姿を偽り、他者に成り代わる事で生き永らえてきたと思われる。オーベロンと貴様に囚われるまでは】

「誰にも知られず1人で、ねぇ…それはそれで寂しい話だなッってオイ!私はお前を捕まえた覚えはないぞ!?」

【貴様が奴と契約を交わさねば、巻き込まれる事もなかった】

「無茶言うな!あの時は私もヤバくてだなぁ…」 


 カッと反論しようとしたが、少し前に押し通した我儘を思い出すと口をつぐんだ。

 ずり落ちる青年を背負い直し、納得はいかずともウーフニールの道筋を目で追い、逸れない事だけに集中しようとする。


 だが押さえ込んだ反動で思い浮かぶのは、体に巣食う怪物の事ばかり。

 おかげで思考に火花が度々散ってしまう。


「…ふと思ったんだけどさ。見た目を真似するだけじゃダメなのか?見るだけで服に変身できるなら、体だってその気になればパッと変えられるだろ」

【同じ存在が2ついれば怪しまれる。成り代わりには程遠い】

「でも姿形が保てなくて、自分が誰か分からなくなるのが不安でやってる事なんだろ?考えてみろよ。後ろのコイツは意識こそなくても、確かに私が背負ってる。自分が背負われてるなんて分かってなくとも、それでも私の背中にいるって事実が変わるわけじゃない。コイツは確かにココにいる……じゃあウーフニールは?って話になれば現に私と会話して、今も私の中にいる……それじゃあダメなのか?記憶の補充も人間に固執しなくても動物で3ヶ月持つならそっちの方が燃費いいし、化物退治される心配もない…どうだ!?」


 一瞬、自分でもウーフニールでもない何かに憑りつかれたような気さえしたが、僅かな会話の間に浮かんだ知識人らしい答えに少なからず酔いしれた。

 かつて“ウィルミントンの野牛”と故郷で呼ばれていた頃が遠い日の事に思え、世界が急速に開けていく感覚がする。


 あるいは鬱蒼とした木々が単純に減り、見通しが良くなっただけなのかもしれない。


 不自然に空いた区画は人の手が入った証拠。

 バルジの町もそう遠くはない。



【同じだ】


 人里の気配に意気揚々と進むも、途端に聞こえた無機質な声が気持ちを削いでいく。


「同じ、って何がだ?」

【人間も、獣も、どちらも喰らうための供物だが、前者は縄張りを広げて後者の棲み処を奪う。必然的に人間を喰らう機会が増え、何よりも人間の記憶貯蔵量は獣を遥かに凌ぐ】

「…食う食わないっていうのは死活問題として、そんなに記憶が大事なのか?さっきも言ったけど、どこまで行ってもお前はお前だろ。私が私のように」

【………貴様とは如何なる人物だ】

「どうしたんだよ、いきなり」

【答えろ】


 酷く突き放した言葉に一瞬驚き、そしてムッとなる。


 しかし諦めると顔を上げ、思い起こせる限りの記憶を辿ってみる。

 自己紹介の延長のつもりなのか。

 彼の思惑は読めないが、アデランテに興味を持ったと思えば悪い気はしない。


「アデランテ・シャルゼノート。前に話した通りウィルミントン王国騎士団第3番隊団長、だったよ。落石に遭うまではな…」

【それがなければ何になる】

「…何に?そうだな……自分で言うのも何だけど行き当たりばったりな所が多いな。先のことを考えると頭が痛くなるから、つい目先の目標にばかり集中して、よく先輩方にたしなめられたもんだよ」

【それがなければ何になる】

「せめて質問の主旨くらい説明してくれ…食べることが好きだ。兵舎の食事が不味くて団長が…戦死した団長が遠征した時こっそり買ってくれた土産に目を輝かせたよ…あの燻製肉は美味しかったなぁ」

【それがなければ何になる】

「何なんださっきから、もぅ。え~っと、生まれも育ちも王国騎士団。両親が早くに死んで、団長が父親代わりだった。あと引退した前の前の団長が祖父代わりによく本を読んでくれた」


 ウーフニールの単調な質問を受ける度に、記憶が次々思い出されていく。

 屋根裏にしまったおもちゃ箱を漁って昔を懐かしむ感覚に、つい笑みが綻んでしまう。



【それがなければ何になる】



 だがウーフニールの尋問は続く。

 ソッとおもちゃ箱の蓋を閉め、意識を現実に向けなければならない。


「…戦には何度か出てるけど、最後のは特に酷かった…生き残った団員と帰還する途中で落石にまで遭って。本当、不幸の星の下で生まれるってこう言うことなのかって思ったり…」

【それがなければ何になる】

「……ひどい有様の体と死に損ないの命をカミサマに拾われて、それがお前に会うきっかけになった」

【それがなければ何になる】

「………け、剣捌きには結構自信があるけど」

【それがなければ何になる】

「…………私には、まだやるべきことが…っ」



【それがなければ何になる】



 一辺倒の単調な質問。

 目的の見えない問いに、いい加減にするよう怒鳴り返したくなるも、答えが徐々に浮かばなくなる。

 口を開いても言葉が出て来ず、思考が底へと追いつめられていく。

 

 まるで記憶を1つ1つ殴り消されていくような。

 拾ったおもちゃを端から奪われ、おもちゃ箱がただの空き箱に成り下がったような。

 何も入っていない箱の中をさらう冷たい風が、酷く心を蝕む。


 たったこれだけの会話が自分の全てなのか。

 そんなはずはない。


 否定すべくさらに深く、より深く頭の引き出しを開けていくが、いくら漁ろうと成果は一向に振るわなかった。


【木だ】

「…えっ?どんな質問ぐぉっふぁっ!!?」


 青い煙を辿ることも忘れ、顔面を大木に強打する。

 擦ろうにも両手は青年を支え、仕方なしに屈んで俯くと痛みが引くのを待った。


 その様子に憐れみも同情もなく、ウーフニールが冷淡に続ける。



【…未来も、現在も、過去も、思想も。全ては記憶に内包され、それらが崩れていく先で辿り着くのは己が何者か問う僅かな時間のみ。自身は男か、女か。人か、獣か、怪物か。やがて己を認識できなくなった時、己は誰でもなくなる。何も分からなくなる。何も感じなくなる……ゆえに奪い続ける。貴様がウーフニールと呼ぶ怪物が失った全てを取り戻すために奪い、得て、失い、また奪う。それのみがこの世界にいるウーフニールただ1つの証。記憶を喰らって初めて存在に意義が持てる】



 それが変幻自在のウーフニール。

 アデランテに巣食う怪物の本質。


 興味本位で尋ねたつもりが、否定する事も肯定する言葉も出てこなかったが、それでも少しは彼の事が。

 ウーフニールの心情を理解できた気がした。



 自分が自分であるために、世界が彼を忘れ去ろうとも抗い続け、いつ殺されるとも分からない世に怯えながら影に潜み続けた、怪物とは程遠い存在。

 落石に飲まれ、運命に見捨てられたアデランテが生にしがみつく姿と何が違うのか。



 重い沈黙が流れ、どう返せばいいかも分からない。

 しかしふと思い浮かんだ突破口に、ようやく言葉を紡ごうとした時。



――う、うぅぅ~~ん…。



 背後で上がった唸り声に口を閉ざし、折角浮かんだ言葉も深い霧に包まれてしまう。

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