041 春爛漫
ここ瑞穂の国は、今は桜が満開である。
国を構成する藩の1つ、久留里藩でも同じくして、
水面に映る桜並木の景色と、散った花びらが流れる様は美しい。
桜が続く堤防の上を女性が3人。
2人はまだ若く、1人は中年である。
「姫様、優里亜様、もう少しゆっくりお歩きなさいませ。」
息を乱して中年の女性が言う。
姫様と呼ばれた女性は光姫。
当年16歳。
久留里藩主の娘である。
本来は勝ち気なのだが、世間ではウケが悪いのを知っているため、
穏やかな性格に見えるよう、ふわっとした雰囲気のオブラートをかけている。
その姫が凛々しい顔をして、
シャッシャッと着物の音が聞こえるくらいにキビキビと歩く。
原因は、隣の娘にあった。
優里亜と呼ばれたその娘も、
裾が乱れるのも構わずに、大股で歩いている。
突然立ち止まって、
「で、なんでオレは女性になったんだ?」
相当困った顔をして言った。
姫は半分怒った顔をして
「そんなこと知りません。仙道術で貴方を呼んだらこうなったのよ。」
予想外の事態が起きて動揺しているせいか、光姫は地が出ている。
唇を尖らせて
「まったく。いきなり貴女が出て来て『ここ、どこだ?』なんて、
思ってもみない展開だよ。」
それはこっちが言いたいとヨシュアは思う。
シュペッサートの森で採取していたのが、突然の祖国である。
それも女性の姿になって。
「急に呼び寄せたって言うのは、何か事情があるんだとは思うけど。」
前日の深夜。
光姫は仙道術でヨシュアを呼び寄せた。
通常ならば時空の道をたどって、本人がそのまま転移するはずである。
それが今回の場合は女性化して来てしまった。
慌てて姫が古文書を調べると、
血統により仙道術を使用する場合、時々ハプニングがあるらしい。
召喚のあと、すぐにヨシュアは気を失って倒れた。
驚いた光姫と乳母は、ヨシュアを担いで大慌てで拝殿の間から逃げ、
自分の寝室に入れて着替えさせた。
「まったく。予想外の展開に、こっちもビックリだよ。」
着替えさせる際、裸にしたのだが、姫から見てヨシュアは完全に女性になっていた。
細身なのにしっかりした肉付きに、ドキドキしながら着替えさせたのを覚えている。
今も光は、ヨシュアの姿にドキドキしている。
雰囲気は、確かにヨシュアである。
ただ、成りが全然違う。
細身だがカチッとした体格の、飄々とした雰囲気をしていたヨシュアが、
たおやかで撫で肩の、優しい女性の姿で立っている。
ヨシュアは17歳だから自分より1つ上というだけなのに、
女性になっただけで、こんなにも雰囲気がかわるものか。
ふわっとそよ風がヨシュアをかすめた。
「春だな。」
ヨシュアは姫の着物を着て、傍らに立っている。
長い黒い髪はポニーテール風に後ろで束ねてあり、春の風に流されている。
全体に細身なのだが、出るところは出ている。
組んだ腕の上で、その上の双丘が存在を主張する。
帯でキュッと締められた腰は細く、続く臀部のカーブが艶っぽい。
いわゆる柳腰の美人というやつである。
全体の印象を決めるのは、キラキラした目を持つ細面の顔である。
面立ちは武家の娘というより、勝ち気な町人の娘。
つんっと立った鼻に、薄地であるがプクッとした可愛い唇があり、
細地で整った眉に、クッキリとしたアイラインをしている。
総じて整った顔立ちをしている美人なのだが、眼力が全然違う。
力強く、胆力にあふれている。
女性の眼ではない。
武士と呼ばれる男性の眼であった。
突然、目つきが優しくなる。
フッと笑って
「来ちゃったものは仕方がない。光も困った末に呼んだんだろ。
いいよ。助けてやる。」
光はその姿を見て、トロンとする。
凛々しい女性というものが、
こんなにも乙女心をくすぐるものだとは、思ってもみなかった。
数刻後。
藩都久留里の郊外にある月照庵。
庵と言われているが、藩主の離れ屋敷である。
「目立たないでここまで移動できました。まずは一安心。」
実際は、結構目立っていた。
光と乳母だけだったらそうでもないが、ヨシュアが目立っている。
ヨシュアが通ると、出会った女性がハッとするのである。
過ぎるとキヤキヤと歓声が上がる。
男性も、ヨシュアの立ち振舞いにギョッとする。
その後、面立ちを見てホゥとしたあと、名残惜しそうに後ろ姿を見ていた。
乳母が用意してくれた夕餉の膳を前に
「まずは一献。」
姫が手ずから徳利を差し出す。
「あ、いや。酒は、」
苦笑する優里亜の顔を見て、光は思い出した。
良彌はお酒、苦手だっけ。
ヨシュアは、本国では良彌と書く。
他国では読めないため、『ヨシュア』の音をあてている。
今は良彌だとおかしいので、『優里亜』という女性名を使うことにした。
「じゃ、私だけ頂いちゃおうかな。」
コウはそう言って、手づから自分のおちょこに酒を注ごうとした。
ユリアはコウの手を押さえて、自分が持ってコウのおちょこに注ぐ。
「では、話を聞こうか。」
コウが「ありがとう」を言う前に、本題に入るよう催促されてしまった。
コウの話をまとめれば、要は『下剋上』である。
藩主がそろそろ藩主を交代しようと考えた。
通常ならば長子優先で家督は継承される。
ところが、長男は『タワケ』であった。
長男の名は、総一朗という。
元は真面目で聞き分けの良い若様であった。
元服の儀を過ぎる頃から身持ちが悪くなり、悪所へ通うようになる。
長じて城へは帰らなくなった。
そのうち、藩の隅の方の山岳地に悪友達と山城を建て、集落を築く。
「新久留里藩だ。」と言って、勝手に独立を宣言した。
今では二十歳を過ぎているのだが、相変わらずの『タワケ』をしている。
この兄貴、弟がいる。
名を弁次郎という。
真面目な性格で、日々鍛錬を怠らず、立派な若武者になっている。
聞き分けもよく、父の仕事を手伝い、藩民からの評判も良い。
二人の下に、それぞれの派閥がある。
『爺』と呼ばれる、教育方を筆頭にした長男グループ。
『乳母方』と呼ばれる、乳母を筆頭にした次男グループ。
『爺』は長年、
「若様の行いは、深い考えあってのこと。」
と、総一朗を養護している。
一方、『乳母方』の市の方は、
「立派な若武者に成られた弁次郎様は、
殿の志を継いで、久留里藩を盛り立ててくださるに違いない。」
と、はばかること無く持ち上げている。
肝心の藩主であるが、いまひとつ態度をはっきりさせていない。
これには少し訳があった。
総一朗と弁次郎は母親が違う。
総一朗を生んだ先妻は、病で早くに夭逝した。
次に嫁いだ現在の妻が、弁次郎と光を生んでいる。
格式としては、先妻の家系が明らかに上である。
筋目の正しさを問うなら、総一朗なのである。
しかしながら、現在仕えている妻に対して家の格式を出して
「頭が高い」とは、あまりに無粋であろう。
藩主の煮え切らない態度を見かねた、長男を『ボンクラ』と見なした一派が、
弟を担ぎ上げて政権交代を起こそうとしている。
「コウとしては、どうなの?」
ヨシュア・・いや、ユリアが尋ねる。
コウは、クイッと酒を飲んで、
「どっちでもいい。」
正直な気持ちである。
「総一朗兄様も弁次郎兄様も、私にすればどっちもどっち。
総兄様が粋がってるとすれば、弁兄様はゴマすり小僧。
お父様がはっきり決めないのも、そこがあると思う。」
なかなか痛いところを指摘する。
ユリアは白湯を飲みながら、つまみをチマチマと頂いている。
オレがいた頃は藩主交代なんて話題にも登らなかったのにと隔世の感がある。
「とにかく。明日からは少し、市井の意見も聞いてみたいと思う。
オレ・・いや、ワタシ、久留里の最近のこと、全然知らないし。」
ユリアの慣れないオネエ言葉に、コウはプッと吹く。
「まあ、ユリアはしばらく久留里にいなかったものね。じゃ、私も一緒に歩いたげる。」
女装、いや、女性化して間もないヨシュアでは、どこでボロを出すのかも判らない。
しばらくは監視が必要というのが、コウと乳母の意見である。
夕餉の膳も進み、そろそろお開きの時間である。
「さあ、姫様。そろそろお休みの時間です。」
乳母に催促された。
「えぇ~っ。もう少しぃ。」
唇を尖らしてコウが言う。
ヨシュアは幼馴染で気心がしれている上に、相談して肩の荷が降りたらしい、
コウは、つい、勧められるままにクイクイと酒を飲んだ。
今は真っ赤な顔をして、天真爛漫にケラケラと笑っている。
こうなったら長っ尻になることを、ヨシュアは知っている。
「よいしょ。」
コウをお姫様抱っこして、寝室へと運ぶ。
「わぁい♪」
素直に喜び、ユリアに抱きつくコウであった。




