二話 必要
『必要なのは、、、、、君だ』
こともあろうに、奴は仲間を殺した直後なのにも関わらず、自分が必要などとほざいている。一連の黒幕がだ。こんな得体の知れない化け物を信用しろというのは、いくらなんでも無理だ。皇輔の一般的な感覚は失われていたが、この程度の判断を間違うくらいにはおかしくなっていなかった。いろいろなことが即座に理解できず、彼はひとまず落ち着きたかった。
「、、、、どっか安心して話せる場所はないか?」
『そうだな、、、、、ここに席を設けよう』
そう言うと奴は、指を弾いた。すると、いつの間にか西洋風の椅子や茶道具が出てきた。既に、相手が悪魔だということを皇輔は信じていた。そうでもなければ、今迄の現象の説明がつかないからだ。例えば奴の正体が質の悪い手品師や、頭のおかしな殺人鬼だったら話は別だ。しかし、だとしたら今頃種明かしが行われているだろうし、もしくはこの世に別れを告げている筈だ。そんな事態になっていないということは、一先ずは信じる他はない。
『座りたまえ』
「、、、どうも。それで、早速で悪いが、、、、、おまえは何者なんだ?」
『最初に説明しただろう?悪魔だ』
「その程度の説明で納得できるほど、俺はバカじゃない」
『やれやれ。君は普通のニンゲンよりも何倍も疑い深いらしい』
芝居がかった口調でそう言うと、相手は背凭れに重心を預けて器の中身で喉を潤した。毒でも入っているのではないかと思ってしまう。訝しげな目で訴えると、肩を竦めて皇輔に容器を差し出してきた。取り敢えず落ち着け、とでも言いたいのだろうか。言われなくともと、警戒しつつ出された物を口に含む。途端、果実のような新鮮さを感じた。爽やかで、渋さを感じない。船から降りた時の様な、そんな安心感が皇輔を包んだ。
『美味しいかい?』
「あぁ、今迄で一番の紅茶かもしれない」
『其れは上々。、、、そうだ、安心していい。君の期待する様な毒物は混入させていない』
疑惑の念を持っていたが、すっかり忘れてしまった。それ程この紅茶は、値が張る物なのだろう。そんな高級な茶葉を茶の価値など埃程も分からない自分に飲ませるとは、相手はそれ相応の立場にいることが窺える。安心したと同時に、様々な疑問が浮かんできた。
「奴と結託して何をしようとしていた?」
『金だよ』
「金?」
『あぁ、貨幣や通貨などと呼ばれる物だな。君もよく使っているだろう』
「いや、おかしい。家計の財布を握っているのは母だったが、うちは経済的には困ってないし、借金もしていない」
『別に他にも理由なら幾らでもあるだろう?』
確かに、金に困る方法なんて探せば山ほど出てくるのだが、どんな事があろうとも長男である自分の元には情報が入る。だが、最近は悪い情報は無かった。隠しておきたい程、切羽詰まった状況だったのだろうか?そんな訳はない。何処かで自分が耳にするだろうし、父や妹もいた。確実に何処かで誰かに気付かれる。他にもあるが、完璧とは言えない。
『男さ』
「男?」
『彼女は、君の父親とは別の男性と関係を持っていたのだよ』
そんな馬鹿な。そんな素振りは無かった筈だ。どうやって、自分達の目を盗んで行動を起こしたのか。摺り抜ける隙間のない環境を顧みず、そこまでする価値はあったのだろうか。一体彼女は、幾つ隠し事をしていたのか。未だ自分が知らない事はあるのだろうか。何も分かっていなかった。いや、今も分かっていない。分からない事だらけだ。
『方法など些細な事だ』
「、、、、そうだな。今となってはどうだろうと気にする必要は無いな。死ねば皆同じだ」
相手が言うように、死んでしまっては既に関係の無い事だ。無残に変化した母親の死体を軽く視界に入れて、直ぐに目を背けた。よくよく考えてみたら、此処には死体があるのだ。風に乗って漂う鉄の臭いに、顔が自然と険しくなる。ふと気になり、悪魔に質問した。
「これをどうするんだ?」
『おやおや、母親をこれ扱いとは。親不孝者じゃあないか』
嘆息した悪魔が柏手を一つ叩くと、背後の空間が破れ、又一体の怪物が出てきた。今度のは此奴とは打って変わって、かなり派手さを抑えた風貌をしている。まぁ当然、自分からしたら派手だと思うのだが。その執事服や佇まいは、執事然としたものだ。似合い過ぎている。
『お呼びでしょうか?』
『あぁ、彼女を使いたいのだが、、、、12人分で足りるかね?』
『他の方々がお認めになられれば問題ないかと』
「待て待て。新しい情報を増やすな」
これ以上自分の頭を使わせてたまるかと思い、彼等の会話を遮る。新しい悪魔は、何と表現したらいいか、、、骨々しかった。というか、骨だった。何かの動物の骨で構築されている首から上は、悪魔の仲間であることを自然と語っていた。かなりの高身長で、中々日本では見ることがないだろう背丈で自分を見下ろしている。胸板も厚く、柔道家や大統領の護衛も顔負けな位には重みがある。しかし、その服装の下には空虚な骨が詰まっているのがちらりと見え、直ちに人外であるということが認識できた。
「おい、そいつは誰だ」
『彼は私の従者長をしているラーンドだ』
『ハズウェリア・ラーンドと申します』
『私はサーハルタ・ガタリだ。彼の主人であり、七罪を司る悪魔だ』
「しちざい」とは何だろうか?脳内から辞書を引っ張ってくるが、そのような言葉は載っていない。彼等はさも日常的に使っているような口調だが、皇輔には聞き覚えのない言葉だった。
「七罪?」
『七大罪、七つの人が起こしてはいけない罪のことだよ』
『我々悪魔にとって、糧となるニンゲンの欲望を指します』
説明からして、欲を食して活動しているということらしい。
『まあまあ。そこら辺は、話が長くなります』
『君にはこれから、追い追い学んでもらうからね。今は違う話をしよう』
「学ぶ?どうしてそんなことを?」
『だから、これから話すから静かにしたまえ』
彼は焦る皇輔を宥め、思わず立ち上がった彼を席に着かせる。ずれた長帽子を元の位置に戻して、ガタリとやらが、意地悪げな雰囲気を顔にぶら下げて話し始めた。
『君は、私の試験に見事合格した。』
嫌な笑みを浮かべる彼の横で、執事のラーンドが紅茶のお代わりを注いでくれている。彼の実力がどの様なモノか分からないので、役に立つかどうかは定かではない。だがこの先の人生で、彼女と似た気違いが現れたときなどに活躍するかもしれない。実の母親を気違いというのもどうかと思うが、まぁ、本当に気違いだったのでこの際気にしない。
『試験を合格したのは、今のところ君だけだ。と、いうことで、、、』
『はい。皇輔様にはこちら、魔界でお勉強していただきます』
「はあ」
ラーンドが視線を誘導させたのは、先程彼自身が出てきた不思議な裂け目だった。とても形容しがたい外見をしている。瘡蓋の様な気もするし、先が見えない洞窟の様に暗くも見える。案外、自分の行く末が予測できていない皇輔にはお似合いなのかもしれない。彼は自らそう思った。
「何を企んでいる?」
『君は私に選ばれた。ならば他の皆にも認めて貰わねばならない。それだけだよ』
『いずれ、分かります』
「何も言わずに協力しろと?」
『今話せるのは、せいぜい此処までだ。後は、、、、君にしか出来ないということ位か?まあ、やらなければ君を殺すだけだ』
目的は不明だが、皇輔にそれ以外の選択肢は無い。たった米粒程も状況は理解出来ていない。しかし、母であった死体の後始末も、部屋に残っている妹や血痕の処理も、現状の自分ではどうすることも出来ない。悪魔である彼等に任せた方が、得策なんだろう。
『ところで、精神は大丈夫かな?ニンゲンにしては危ない状態だった筈だが』
「あぁ、問題無い。色々と有り過ぎて、もう何が起こっても驚かない自身がある」
『其れは好都合。いちいち驚いていてはこれから身が持たないからね』
俺にそこまでのことをさせて、成し遂げたい事はなんなのだろうか。皇輔は当然の様に疑問に思った。唯の一般市民である自分を教育して、一体何をさせるつもりなのか。しかも、悪魔がだ。
『さあ行こうか』
「ここを通って?」
『もちろん。其れ以外の方法では、魔界へは着けない』
皇輔は示された道に目を落とす。これでもかという程に黝ずんだそれは、魔界へと続く門。正直、入りたくないという考えが過ぎる。が、後ろから突かれるような視線に押され、穴の中へと足を沈める。案外、暖かみがある空間というか生暖かいというか、微妙な空気が溜まっていた。あまり長居はしたくない。
『急いで出よう。ニンゲンには合わない場所だ』
『此方へ』
手を引かれ、深い方へ導かれる。やっとの思いで出口を抜ければ、そこは不思議な景色が広がっていた。大狼が荷車を転がし、辺りは角や極彩色の肌が揺れている。多くが人間とは離れた者ばかり。流石にここを掻き分けながら進む勇気は、皇輔には無い。後ろから出たガタリ達は例の空間を消し去り、すぐさま馬車ならぬ狼車を拾った。
『騒ぎになる前に急いでハーヴェリア王家へ』
『代金は?』
『既に支払ってある』
『成る程、姐さんとの旧縁かい』
『無駄口は要らない。とっとと飛ばせ』
ラーンドが自分との対話からは考えられないぶっきらぼうな話し方で御者を急かすと、彼は『へいへい』とかなりの速度で大きな狼を走らせた。硝子張りの格子に囲まれた窓から見える外は、目を急がせる。勢いよく変わっていく様子は、ガタリの身分を黙々と語っているように思えた。王家と聞き取れた時点で察しがついたが、彼は魔界ではけっこうな大物の部類に入るらしい。
『着きやしたぜ』
『御苦労。彼女に宜しく』
『承知したぜ』
中々に友好的だが、その姐さんらしき人物は悪魔の王家と繋がりがあるということが伺える。じゃなければ、とっくにこの従者は不敬罪で衛兵に痣まみれにされているだろう。悪魔に不敬罪があるかどうか知らないが。まぁ、王家ともなれば有り得ない話ではないのではないか。そんなくだらないことを考える余裕が出てきたところで、皇輔は館に到着した。
「王家ならば城じゃないのか?」
『ニンゲンと違って争い事は少ないのです。城の防御力よりも、暮し易さが重視されます』
血の気が多いという先入観があったが、どうやら人間が想像している悪魔像とは少々異なるみたいだ。同族での武力衝突は稀らしい。修羅の国を想像していたが、全く違う。なんというか、少し人間味がある。悪魔らしさが今のところ、あの事件くらいしか目に出来ていない。目にしたいとは思わないが。
取り敢えず、屋敷の中へと導かれていく。城でないと言っても、かなりの大きさはある。元の世界でいうと何十億は下らない豪邸だろう。平均的な住宅で生活していた皇輔には、縁遠い建造物だ。白磁の壁に映える燻んだ茶色の玄関が開くと、内側には大量の給仕が待ち構えていた。全員、黒と白の対比が嬉しい給仕服を慣れた様子で着こなしている。やはり、人間は含まれてはいない。人知れず皇輔が感動していると、ガタリは口を開いた。
『今日から此処で面倒を見るコウノスケだ』
「どーも」
無言で頭を下げられたが、どんな反応をすればいいのか。口角を引攣らせる皇輔だった。