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・【べへもと】

 始めてのことだった。

 今朝は母親が忙しくて弁当を作れず、尋樹は学食で食事をしようとした。それ自体は珍しくない。

 だが、そこには溝口彩音の姿が有った。

 いつも研究室でスナックをかじる姿しか見たことが無かったが、生姜焼きとマカロニサラダのB定食を食べている。

 習うように尋樹もB定食の食券を買ってから、尋樹は溝口の座る机に向かった。


「……珍しいですね、溝口さんが学食に居るなんて」

「前に一週間、食事をしなかったら倒れたことが有ってね。四日入院して時間を無駄にしたから、一日一回は食事を摂ることにしてるの。今日は気分が良いしね」

「俺も話有るんです、えっと……」

「ああ、実験やめたい話?」


 夢の中の少女にそうされたように、尋樹は溝口にまで思考の先を読まれて驚いた。

 現実でまで、しかも鈍感そうな溝口に読まれたことは尋樹にとってはショックではあったが、言葉に出して辞意を説明せずに済んだ安堵が勝った。

 違法な実験では有ったが、自分の大学生活を支えていたのは事実であり、溝口自身を憎む道理も尋樹にはなかった。


「うん、それは、良いよ。こっちも無理強いできる立場じゃないし、これまでのデータだけで助かるから」

「……そう、ですか。すいません」

「謝ることじゃないよ。ここまでありがとう」


 肩の力が抜けた気がした。

 得体の知れない人だと思っていたが、話の分かる人だった。

 そして、溝口が食べ終わるのとほぼ同時に尋樹のB定食が出来上がったアナウンスで、ふたりは同時に立ち上がった。

 ――そのとき、ちょうど分厚いメガネの隙間を通し、“それ”は見えた。

 赤い目。黒目だから分かりにくいが、確かに赤くなっている。カラーコンタクトなどではない。

 白目が充血して赤くなるという現象ではなく、黒目の色素が薄れるように赤くなっている。

 そして、暗い研究室ではなく、明るい学食で見る溝口は整った目鼻立ちをしており、その中に――夢の中の少女と、同じ面影を見た。



「じゃあね、尋樹くん――また、明日」

「……!?」


 呆然としたままB定食を取りに行く以外、尋樹には何もできなかった。

 考えても見付からない答えと向き合いながら、いつの間にか利晃と遊里が隣に座ったことにすら、気付かなかった。


「よお、尋樹。今の女、誰だっけ?」

「研究員の溝口さん。研究で……夢の研究とか、してるらしい」


 半分アドリブ、半分用意していたウソ。

 尋樹が眠りを消失させる実験をしているということを伝えないために、以前から考えていたウソと混ぜることにした。

 尋樹には、利晃が夢と云う言葉を聞いて脳が鈍ったように感じた。言葉と表情が一呼吸詰まってから……ニヤリといつも通り、わざとらしいくらい、いつも通りに笑っていた。


「悪夢を追い払う研究とからしいんだが、俺はあまり悪夢とか見ないからな……ふたりは? 悪夢とか見ない?」

「悪夢なんて見ないよ、見るわけが無い! 快眠だよ! いつも、さ!」

「……利晃。俺は死んだ父親の夢とか見るが……お前は? 両親の夢とか、見たり、しないか?」

「ああ? 見ないよ、見ないって云っただろ?」


 遊里に“俺の夢を見ているか”と確認する手間だけは省けたと尋樹は思った。

 自分が見ていた夢は、本当に利晃の夢だ。こいつは本当に夢の中で苦しんでいる、そういう確信を得るほどに、口調を荒げていた。


「夢の研究って、具体的に何をするの?」

「悪夢の中で悪魔を探したりすることだな。

 中国の伝承にばくってのが居る。マレーバクとかの語源だが全然別物。

 象に似て鼻が長い動物とされているが、こういった貪食な象に似た魔人は、他にも辺々本(べへもと)様が居る」




☆★☆★




 ランタンが揺れた気がした。

 実際はちょっと風が吹いてもこのテントはビクともしないのだが、八十には揺れたように感じるほど、首を傾げた。


「……ん? ちょっと待って下さい、ネモさん。今、喋っているのは……尋樹くん、ですか?」

「そう。尋樹は、自分も知らない内に辺々本の説明をしていた。

 誰に聞いたのか、いつ知ったのか、自分でもわからない、辺々本さまの説明は自然と尋樹の口から出た」


 会話が断ち切れたような違和感を八十は持ったが、尋樹にとっては自身が断ち切れたような衝撃だっただろう。

 聞いたことも無い怪物の情報を整然と語る自分に、心の中は散らかったことだろう。

 八十は衝撃を抑えつつ、ネモに話の続きを促した。


「その……辺々本さま、ってなんですか?」

「獏という幻獣は中国の幻獣は知っているか?

 そいつは象のような頭をしている大食いのモンスターだが、中国の一部地域では“辺辺元べへもと”と云うんだが、それの日本語の表記が辺々本。

 そして、同じような読みで、同じように象の頭をして、同じように暴食の限りを尽くす悪魔、ベヘモットというのが存在している」


 ベヘモット、という音に八十も覚えが有る。ゲームや漫画で見た覚えのある、名前だった。

 詳しく知っているわけではないが、ねつ造された悪魔や何かではない。


「そっちも知っていますが、確か……キリスト教系の悪魔、ですよね。それがなんで中国の伝承の獏とダブるんです?」


「それは()()()()()()()()が有るんだろう。

 大昔、それこそ神話が出来る頃、世界中の人間たちが夢に見た。象のような鼻を持った大食いのバケモノの夢を、な」


「……それで、どうなったんですか? 尋樹くんは……?」


「もちろん、研究室へ走った。

 驚いた拍子にB定食も台無しになったしな、自分がどうなっているか、確かめるために」


 八十がまだ擦り傷だらけの腕時計を確認すると九時前ではあるが、外はすっかり暗くなっている。

 闇夜に抱かれ、子守歌のような辺々本の物語は、終わりへと向かっていた。

 

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