・【そして解明へ】
八十は、すっかり温くなったコーラをぐい、っと飲んだ。
昼前に個人商店で買っていた1,5リットルコーラ。炭酸も抜け切っているが、飲み切って水筒代わりにしたいのでコップに移して飲んでいる。口を付けると痛みやすいのだ。
飲んでみて、自分がいかに喉が渇いていたが分かった。
話に熱中しすぎて、口の中の渇き
「……で、どうなったんですか? ネモさん」
「そのままさ。尋樹が電話をしたら笹塚は出たし、その日の内に島根から来てくれた。
母親も不思議がっていたが、息子が怪しい実験をして大学に行っているのも気分良くは無かった。
ギターを本当に買い取ってくれるらしくて、その金額は確かに大学卒業くらいはなんとかなる金額だった」
☆★☆★
「――千尋にそっくりだよ。お前は」
笹塚という男は圧力のある男だった。
尋樹も小さい方ではないがそれでも笹塚は頭ひとつ分は大きい。
サイズの合っているはずのスーツも窮屈そうで、目の奥に何かを持っているような、どっしりとした存在感があった。
だが、尋樹はその存在を畏怖せず、受け入れていた。
夢の中の父親の言葉もそうだが、笹塚が父を千尋と呼ぶ姿は、利晃や遊里が自分を呼ぶときと同じような、親しみと敬意がこもっていたからだ。
口には出さないが、笹塚は尋樹や母親を気遣っているようだった。友人の家族に自分が何か出来ないか、そういう思いが視線から漂っていた。
母親が仕事に出掛けてからも、それは変わらなかった。
笹塚が“ギターの査定や状態の確認で自分が盗んだり細工しないように見ていろ”と云い、ギターの確認作業を付き合わされた。
終わってからも近所の楽器店に持ち込み、金額の査定をさせると断言し、今後の人生でも気を付けろと教え込んでいるように尋樹には感じられた。
「……尋樹、ヒマなとき、お袋さんの腰周りでも揉んでやれ」
「肩とかじゃなくてですか?」
「消化器系に持病あるだろ。お袋さん。その歪みが背中周りに出やすいから、そこを解してやると飯が美味く食える」
――云い忘れていた、とネモはそこで付け足した。
笹塚は医者だった。大学の学費を補えるくらいのカネをポンと工面できる程度に稼いでいる。
稼いでいる医者や学者というと、正直、尋樹は良いイメージよりも、金儲けを優先するような奴か変人を想定していた。
だが、少なくとも目の前の笹塚という男は、技量に沿った報酬を受け取るプロの医師だった。
実際に尋樹の母は大腸を一度手術しており、消化に悪いいくつかの食品を制限している。
それを笹塚は歩き方か喋り方呼吸か、尋樹には分からない、そういった外的なサインだけから読み取っていた。
「すごいですね、笹塚さん。俺も何か、有ります?」
「特に無いが……昨日、何時間寝た?」
……ん?
奇妙に感じた。真逆の言葉。
「二時間くらいですね」
「いつもか? 不眠症?」
「いえ、その……実は、大学の研究で……」
ギターを確認する手を、いつの間にか笹塚は止めていた。
大学でしている実験、そしてその実験で実際に眠りが短くなったこと。
部外秘であるのはそうだが、夢に導かれ、金銭面での不安から開放されたという安心感が、尋樹の口を軽くしていた。
「……その薬、ひとつ貰っても良いか? もちろん成分は他に流用しないし、今聞いた話も誰にも口外しない」
「でも、成分的にはビタミン剤や鉄剤と大差ないらしいですよ」
「一パーセント違えば致死量になる薬品なんていくらでもある。頼む」
☆★☆★
コーラを飲み終わり、八十はゲップで話を区切った。
炭酸が抜け切っているコーラであっても礼儀なし。この男は空気を読まない上、ホラーに本気で向いてない。
スンマセンと頭を下げてから、八十はちょうどいいと質問を挟んだ。
「……それで、尋樹は薬を笹塚に渡したんですか?」
「ああ、違法な人体実験だったし、笹塚も悪用する男には見えなかった。
父親がウソを吐かないと云っていた友人だったわけだしな。渡しても誰にも迷惑を掛けるとは思わなかった」
「なるほど。
それでお話、終わりそうなんですけど。
謎の赤い目の美少女とか、夢の世界とか、どうなったんですか?」
「それは尋樹自身も疑問に思っていた。
なぜ眠りを短縮したら夢が変わったのか。幻覚と云うには本当に笹塚の電話番号が実在したし、父親との再開がただの幻とは思いたくなかった。
そして、尋樹が薬を笹塚に渡した理由にも関わってくるが、そのメカニズムを解明したいとも思っていた。
それが可能なら、父親が自分たちを想っていることを母に伝えたかったし、他にも夢の中で苦しんでいる利晃のこともなんとかしたいと考えてもいた。
夢の中のメカニズムの解明に、尋樹は興味を持っていた……そして、尋樹は大学に向かい、学食に溝口彩音は居た」