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・【夢での対話】

「八十くんは、タバコとか、吸うかい?」


 ビックリした。

 ネモのワイルドな見た目や声から“くん”付けという優しい云い回しを予想していなかった。

 だが、予想はしていなくても、反射的に八十は応えていた。


「いや、俺は吸いません。喘息ぜんそくを昔にやってまして、気管支が弱いので怖くて」

「そうか。なら、俺は少し……失礼する」


 ネモはテントのジッパーを開き、出て行った。

 テントは足を伸ばせるどころか立ち上がれるくらい天井が高い。大型の高級品。

 八十の使っているテントも比較的大型だが、それと比べてもかなり居住性が高い。

 余談だが、他の自転車旅行者が二キロくらいのものを使っているが、八十のは五キロくらいある。

 購入前に下調べすらせず、近所の店に在庫のある奴を適当に買ったという、八十らしいというか、なんというか、そんな話だが。

 八十もここまでの話を頭の中で反芻し忘れないようにしたが、その反芻で気付きも有った。


「……でも、ヤニ臭くねえんだよなぁ……、このテント。」


 テントはほとんどが化繊で、引火したり溶けたりするリスクがあるので中で火種はランタンくらいしか使わない。当たり前だ。

 だが、ネモ本人からもこの部屋からも、その残り香すらなく、煙草の空き容器すらない。

 このテントの中には灰皿らしいものはないし外でも見た覚えが無い。灰皿もなくポイ捨てする可能性もあるが、逆にそれなら吸殻が目立つはずだ。

 そこまで考えてから、更に八十は飲み込んでいた自分の記憶と思考を吐き出して飲み込み直す。

 先ほど、自分がカップ麺を捨てたゴミ袋にはタバコは無かった。包み紙も本体も灰も、何も無かった。


 あの男(ネモ)は、何か嘘を吐いている、それは間違いない。

 そこまで認識したところで、テントの壁代わりの布が、障子しょうじのようにうっすらと外の闇が透けている。


 なにか、赤い光が見えた。

 人影と炎が、闇の中で何かをしている。

 間違いなく、ネモは闇の中、炎に縋るように求めている。

 その赤の正体が何か、その答えもネモの語る物語の中にあるのではないかという期待を込め、八十はネモを待った。



☆★☆★


 戻って来たネモが語ったのは、炎のような赤い瞳の少女との邂逅だった。

 夢の中か、現実か、その違いと意味も分からなかったが、それでも尋樹は少女と再会を果たした。

 白い肌に赤い瞳、細い四肢から伸びる指は、さらりと尋樹の左耳を撫でたという。


「大分ハッキリしてきたね?」

「何が?」

「あなたが」

「俺が?」

「ここが現実なのか、夢なのか、分かる?」

「……分からない、だが、夢だ」

「なぜ?」

「現実を夢と思うほど俺は幸運じゃないが、現実と勘違いするのが夢だろ?」


 尋樹の回答に、少女は明瞭なまでに怪しく笑った。

 完全な尋樹の回答に感服しつつ歓喜。赤い瞳の少女は何かを貫徹しきった笑顔を見せた。


「ああ! ああ! そう! あなたこそ! 選ばれたひと!

 この想いをなんと伝えれば良いの? あなたは! 私はあなたを待っていたの!

 愛? 愛? 愛以外にない! ああ! なんてステキな夢なのかしら!」


 ――この、人の話聞かないなァ……あれ?――


「っていうか、どっかで会ったことあるよな?」

「ええ、毎晩会ってるわ。あなたと私、そして、“あれ”は運命なの。繋がりが有るの。

 “あれ”と出会うために生まれてきた私たちは、今、やっと、ここに出会えた! 運命なの! そう! そうなの! あなたは選ばれた人!だわ!」


 少女は歌劇のように大仰に上を向いて、一点を体全体で指し示すが、尋樹の無意識は釣られて動きそうになる身体を抑え込んだ。

 なぜ見上げてはいけないのかはわからない。だが、それでも、とにかく、上を見てはならないのだ。

 夢の中で実在を感じる存在感、圧力との対決を避けるために、夢の中の尋樹は抗った。

 そして、()を見ないために人間がする最もシンプルな行動をとった。そう、()を見た。

 この話を聞いていたときに八十はずっこけたが、真面目な話。


 尋樹は、夢の中で考えた通りに動けていた。

 夢は覚醒している人間の記憶……脳内に存在している情報を整理するために起こる脳内信号パルスに起こるノイズであり、見たことのないものを見ることはできない。

 そう、思っていた。

 だが、向いた()には、尋樹の脳内にあるはずがない映像が広がっていた。

 居たのは、友人たちだった。利晃と遊里。見慣れたふたりの、見たことの無い姿。


「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」

「尋樹ぃー、だぁい好きぃ……」


 ……なんだこれ。

 利晃は【母】と顔に書いてあるカカシを前にして体育座りになり、むせびながら泣いている。

 遊里の方も同じように【尋樹】という文字の書かれたマネキン人形を膝枕に乗せ、耳かきで撫でている。

 夢でなければ有り得ないが、夢にも思ったことのない姿だった。


「……なにしてんだ、あいつら」

「夢の中だからね」

「……俺、心の中であいつらがカカシに恨みを買ったり、マネキンの彼氏を作るヤツだと思ってるのか?」

「あの人たちはあなたの深層意識が作ったものじゃ無いわよ? 本人よ」

「なんで俺の夢にあいつら本人が出て来るんだよ?」

「夢の中だから」

「いや、夢の中って云ったって……」

「夢では外国にでも、深海にも、宇宙にも、異世界にだって行ける。だったら他の人の夢の中にだって行けるでしょ」

「そりゃそうか」


 起きてから考えるとおかしいことでも、寝ている間は不思議と納得する。

 それもまた、夢ならでは。尋樹は覚醒と睡眠、どちらの感覚も持ち合わせていた。


「多分、あの子にはカカシがお母さんに見えてるのね。毎晩、ああしているわ」


「……どうして?」


「さあ? 私は彼じゃないし、彼に興味が無い……でも、それでも考えるなら……彼は、お母さんに虐待でもされていたか、何か、トラウマが有るんでしょうね。

 毎晩、毎晩、毎晩、謝らないと彼は自分が許せない。だから、彼は夢を見るの。お母さんに謝るために」


 利晃の顔は、うずくまっていて見えない。

 だが、肩は震え、搾り出したような声は、尽きることは無い。

 現実で元気すぎるほどの友人を見ているには、尋樹の頭はハッキリとしていた。夢の中だというのに。


「あっちも、解説しましょうか?」

「やめろ、それは、良い」


 遊里に関しては、見ることはできなかった。したくなかった。

 現実ではサバサバと自分に接する遊里が、自分の名前を書いたマネキン人形を愛おしそうに撫でている。

 遊里が自分のことをどう想っているのか、尋樹にはそれを覗き見ることが酷く悪辣で下卑たものに思えた。


「……ここから出たい。どうすれば良い?」

「他の人の夢が見たい?」

「誰の夢も見たくない、いや、見て良いわけが無いんだ。誰にも、誰かの夢を見る資格なんて無い」

「そう? でも、どっちを向いても、誰かは居るよ。ほら」


 続いて、()を向くと、そこにはやはり、尋樹の見慣れた人々が居た。

 セーラー服のコスプレをした母親と……父親。

 父親は、尋樹の見慣れた姿そのものだった。仕事に行くときの背広ではなく、休日や家で過ごすジーパンにVネックのTシャツ。

 母より十歳程度若い父なら学生服くらい似合ったかもしれない。十年前に死んだとき、そのままの姿の父なら。


「……母さん、父さんの夢を見てるのか」

「そうみたいね。学生の頃かな、だからセーラー服」

「そうか、やっぱり……」


 起きているとき、母は言葉にすることはある。父の話をすることはある。

 避けたりする特別なことではないと、息子の前では平然と話す母は、父の夢を見ている。


 それが、ただ、切なかった。自分を気遣わせ、気遣いあう傷者同士のような関係が。

 見ているべきではないと視線を切ろうとする寸前、目が有った。

 母と、ではない。父と、である。


「悪い、いつき、ちょっと待っててくれ。俺、用事が出来ちまった」

「ん、行ってきなよ。千尋ちひろ

「ああ、そうする」


 母は生きていた頃のように父を送り出し、父も同じように尋樹の元へと走ってきた。

 尋樹は動揺したが、抑え付けた。目の前の父は母が作ったマネキンやカカシと同類なのだから。

 だが、赤い瞳の少女は、まだ分かっていないの? と語る。


「――違うよ? あれ、本物」

「何っ?」


 声にも出していない思想を読みきり、少女は言葉をつむいだ。

 夢の中だから心ぐらい読めるのかという思考より早く、大きな質問が尋樹に満ちた。


「本物、ってどういうことだよ!?」

「そのままよ。あれはあなたのお父さん」

「……っ!? 父さんは……死んだんだぞ!?」

「だから? 死んだら夢が見れないと思ってる? あなた、死んだこともないクセに?」


 否定できる言葉はなかった。

 原理的に否定できる要素を、言語化できなかった。

 尋樹は夢の研究をしているわけでもないし、そもそも、否定したくなかった。


 父が、目の前に居る。そして優しかった父は死んでなお、母に会いに来ていた。

 一度ではないだろう、何度だろう、それがどれほど難しいことであるかは分からないし、死者にとっては当たり前のことかもしれない。

 それでも、それでも、父は母に会いに来て、そして、今、自分の目の前に居る。

 その事実が、尋樹の肉体を金縛かなしばるのだ。


「ヒロ、久しぶり……でもないが、お前は久しぶりって気分だよな?

 お前の夢にもちょくちょく行ってるが、覚えてないだろ?

 最近は母さんがしんどそうだから、そっちに多く出てるが……おい、聞いてるか?」


 死んだ父が、死んでなお、自分と母のことを、想ってくれている。

 当たり前だとばかりに話す生前と変わらない様子が、尋樹の目頭を熱くし、言葉を奪っていた。

 ただの夢。だが、それは、確かな実感が伴っていた。


「そろそろお前の睡眠時間が切れる。お前、今日の睡眠時間は二時間ちょいだからな。

 ……手短に云うが、俺のギターコレクション、残ってるだろ?

 イナズマのマークが付いてるギターに入れっぱなしのメモを探せ。

 そこに笹塚ささづかという男の電話番号が有るから、そこに掛けろ」


「……え?」


「俺が死んだらギターを全部買い取るって約束をしてた。

 半分以上冗談で話したが、俺と違ってウソは吐かない男だからな」


「父さん、カブトムシ飼ってくれるって云ったとき以外、ウソ吐いたこと、あったか?」


「ああ。

 母さんにプロポーズするときの言葉と、あのギターが安かったってヤツ。

 実はめっちゃ高かったんだわ、あれ……あのときよりプレミア付いてるからお前の卒業までの学費にはなるよ」


 言葉も、出せなかった。

 どう、反応すればいいか、尋樹には、分からなかった。

 ただ亡くなってからも、自分のことを想ってくれている、そう実感させる言葉が、尋樹の中で質量を増していた。


「あの研究は辞めろよ。あんまり夢の中に長居するもんじゃねえんだ。生きている人間はな。

 また夢に邪魔するが……そんときは夢だが、夢じゃない」


 言葉もない。

 だが言葉にしなければならない。

 これが、最後になるなら、あのとき、死んだとき、伝えられなかった言葉を。


「ヒロ、じゃあな。また夢で会おう。愛してるぜ」






「……はっ!?」


 尋樹の夢は、そこで終わった。

 眠気の欠片も残ってない真夜中。また睡眠時間が減り、十一時に寝たのに、まだ真夜中の一時。


「二時間しか眠ってないのに、眠れねえ……」


 さっきまでの夢が、ただの夢だったのか確かめるために、ギターケースを開けると、中には【ササヅカ TEL】と書かれた番号が確かに入っていた。

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