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・【謎】


 いつもの清掃員のおじさん、いつもの曲って駐車された車、掃除が行き届いてヒビが目立つガラス戸が目立つ、尋樹たちの通う大学。

 朝になり、爽快そうな尋樹と違って、彼のふたりの友人は、大なり小なり眠たそうだった。


「眠いー、暑いー、なんでこんなに最悪なのに大学なんて行かないと行けないんだよー」

「俺たちが大学生だからだな」

「違うじゃん、尋樹。大学生はキャンパスライフするために生きてるんだろー」

「だからキャンパスでライフするために大学に向かってるな」

「ああああああ! 遊里ゆうりぃぃいい! 尋樹ったら俺のこと、いぢめるんだああああ!」

「私からも虐められたくなければ黙れ」

「俺、遊里にならいぢめられたいかもー!」

「死ね」


 男の方が利晃で女の方が遊里、と八十は心のメモに記入していた。

 ネモの語調からのイメージだが、利晃は絶対髪は染めて財布を尻ポケットに入れる種族。遊里は副会長とかやってそう。あと多分、ポニーテールな気がする。

 八十が勝手にイメージした映像は、多分、そんな感じ。


 口頭で聞いたので名前の漢字は分からなかったが、もちろん彼らも仮名である。

 テンションを高めて眠気を飛ばそうとするような利晃に、自身の眠気と重なっているのか、苛立ちを隠しもせず遊里。

 はしゃぐのは、宇垣うがき利晃と佐賀さが遊里。三人は友人だった。

 あの事件が起きるまで、いや、あの事件が起きてからでも、今でも友人だと俺はそう思っている、とネモは念を押した。

 その表情を、何度か八十は旅の中で見ていた。

 そろそろ日本一周が終わるんだと云うときの寂しさを含んだ笑顔。終わりを見詰めている旅人のそれだった。

 思い出しながら、彼は言葉を続けた。


「そういえば、尋樹さ。昨日のあの、誰?」

「なんの話だよ?」

「だから、昨日、マックで話してた女の子だって」


 ――利晃、どういうギャグだよ、分かりにくいな――

 昨日は確かに三人でマックに行ったが、知り合いになんて会ってなかったはずだ、と。

 尋樹は、ほがらかすぎる友人をたしなめるようにツッコミを入れようとしたが、もうひとりの友人の言葉に、ギャグなのは自分の方かと考えざるを得なくなった。


「尋樹。彼女を利晃に紹介しにくいのは分かるが、私には教えて欲しかったな」

「……え?」

「だからあの子。昨日、トイレに行ったあとに喋っていた……なんだ? 何か……私たちに云えない事情でも有るのか?」


 百に一つくらい、遊里が利晃の冗談にノっているのかと思ったが、違う。

 遊里も、そして利晃も、むしろ心配しているような様子ですらある。

 飲み込めないまま、尋樹はYシャツの肌触りだけが気になった。状況を察そうとして皮膚が敏感になっているようだった。

 その様子から、友人たちもいぶかしんだ。


「……あの娘、なんか目が赤かったけど、あれ、病気か何かなのか?」

「バカ! 利晃! ……云い難いなら云わなくて良い。すまなかったな。話したくなったら話してくれ」


 遊里は利晃を引きずるように階段を登って行った。

 取り残された尋樹は階段を昇った。三界の廊下の先、ガムテープで補強されたドアは、見た目よりスムーズに開いた。

 ドアの中、研究室内にはカオスな密林が広がっている。

 OBの残したイヤーパッドが片側無いヘッドフォン、OGの残した仮眠のときの枕代わりの大型ぬいぐるみ。

 その中、寝癖で刎ねた長髪から辛うじて女とわかる人物に尋樹は声を掛けた。


「溝口さん、今日の睡眠時間は四時間を割った。」

「……」


 聞こえていない。

 別にヘッドフォンや耳栓をしているわけでもないが、尋樹は肩をちょっと強めに叩いた。

 肩凝り気味の溝口には、触ったくらいでは利かない。


「溝口さん、山井です」

「どうしたんですか、急に! 誰ですか!」

「薬の確認をお願いします」

「ああ、山井くん、来てたんだ。来たなら来たって云ってよ……」

「薬の、確認を、お願いします」

「今日は何時間眠れたのかな? 今日は何の用?」


 彼女は溝口みぞぐち彩音あやね

 薄暗い部屋の中、彼女の分厚いメガネがうっすらと光ったことだけが分かった。

 脳内でいくつも研究をしていて会話が成立しないこととマッドサイエンティストであることを除けば普通の大学教諭だったとネモは説明した。

 八十はむしろ、大学教諭で会話が成立するマトモなサイエンティストの方が少ないさ、と切り返し、続きを促した。


「四時間を割りました。相談が有ります」

「良いね! 薬は? まだある?」

「ええ、大丈夫です」


 治験というか、不許可で行われる新しい薬の人体実験だった。

 違法では有るが特段珍しい話ではない、という認識でネモと八十で共通していた。

 尋樹は父親を亡くし、飢えるレベルではないが、その可能性も考慮しなければ衣服の購入もできない程度には困窮していた。

 大学に行くための便宜を図ってもらうため、と始めたのがこの取引めいた“協力”だった。

 危険ではないとは云えないが、奨学金のローンを背負ったまま社会に出るより快然だと尋樹は思っていたし、それに研究成果に興味も有った。


 眠りを軽減する研究。

 といっても、外科的な手術を必要とするわけでもなく、ビタミン剤と鉄剤に気が生えた程度の薬だと云われ、気を引かれた。

 人間は睡眠中にセロトニンを分泌するが、それは脳内だけでなく、腸内などでも生成され、脳以外で出すぎると消化に異常が出たりするが、脳で過不足が出ると過眠や睡眠不足に繋がる。

 そのバランスを整え、最小の睡眠時間で最大の効率を発揮するための調整薬……八十は説明をネモから詳しく聞いていたが、正直、覚えきれなかった。

 セロトニン以外にもトリカブト? とかなんとかと云う言葉が出た気がするが、覚えていない。

 この研究は、国や県からは推奨されなかったが、市から推奨されたらしく、大学から予算が降りているらしい。

 その予算とコネクションから、尋樹は大学に低額で通えていた。


「良いね。順調に睡眠が減ってる。何か報告、ある?」

「……俺自身は感じてないんですが、友達と会話に違和感が有りました」

「へえ? 興味深いね?」


 心配そうな様子はなく、文字通りの表情。

 研究には、【目的のための手段】としての研究と、【手段のための手段】の研究がある。

 前者は明確に役立つこと、例えば優れた携帯電話を作るために電波を研究したりするパターン。

 後者は役に立つか分からないが、とにかく手段を研究するパターン……眠りの短縮は、このパターンに属していた。

 販売したりできるかは別問題として、ただ、研究をしているだけなのだ。


「俺は昨日、友達ふたりとマックに行きました。友達が云うにはマックで俺が誰かと会っていたというのですが、そのことを俺は覚えていませんでした」

「なるほど。報告ありがと。引き続きよろしく」


 ある程度、予測していた反応だった。

 このマッドサイエンティストがそれ以上の何かを云うと思っていたわけではない。

 尋樹がこの研究を辞められないのは事実で、友達の冗談や勘違いの可能性もある。いや、そう思いたかった。

 人生、ままならないと思いながら出ていく。


「……大丈夫、だよな、俺」


 実験体としてではなく、大学生として次の講義を受けるために向かう尋樹の背中を、少女の赤い瞳が見詰めていたことを、尋樹は知らなかった。

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