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・【主人公、登場】


 この物語の主人公は、山井やまい尋樹ひろき、としておこう。

 このとき八十は、キャンプ場で出会った男に、山井尋樹の本名を聞いたが、ここに記すべきではない。


 男の話はこの山井尋樹が眠っているところから始まる。目覚めたときに始まる物語ではない。

 眠っているときから、夢の中での会話から、既に“男”の話は始まっていた。

 尋樹と赤い瞳の少女が、無限に広い夢幻の中、地平線に覆われた世界に居た。


「まだね。あなたは目覚めてない」

「? そうなのか?」


 明晰めいせきが晴らす霧は、夢と現実の境に等しい。

 夢は夢だと努々(ゆめゆめ)忘れてはいけない。ゆらゆら夢夢、ふらふら、夢想は無想で無双で唯一無二。無二夢二むにむにむにゃむにゃ夢夢夢。


 尋樹は、これが夢だと半分気付いていたと“男”は八十にそう説明した。

 ただ、それだけだった。完全に夢だと気付いていなかったから、夢が夢だった。

 夢の中で夢の意味を考えられるようになってはいけない。夢を明らかにしてはならない。

 ――夢の骨組みが崩れるとき、それは夢が夢以上のものになってしまう、と。


「あなたがもっと……夢の中で動けるようになったら、私のお願い……聞いてね?」

「キミは誰なんだ? 俺に何をさせたい?」

「あなたにお願いを聞いて欲しいだけ。あなたは……運命の人……だもの……!」


 夢の中でなければ有り得ないほどの美少女。

 そして彼女の赤い瞳に映ってこそいるが尋樹を見ていない。その先を見据えている。

 彼女が何を見ているのか、夢の中の尋樹には、湧き上がる恐怖だけはわかっており、振り返りたくなかった。

 夢の中の尋樹は、それを見てはいけないことを知っていたが、残る半分の尋樹、現実の尋樹は半身の恐怖を好奇心と捉えていた。

 そこに聳えるそれを見ようと尋樹が振り返ると――新聞受けが鳴った。



 朝の四時一五分。腕に汗で馴染んだGショックの感触が、妙に現実だった。

 清水が流れしたたるように眠りは身体から抜け、尋樹は覚醒していた。

 寝たのは深夜一時半。大学のレポートをまとめてから適当な漫画を適当に読んでそのまま着替えもせずに寝た。

 ふたりの友人は、やはりまだ寝ている。当然だ。睡眠時間は三時間を下回っていて、眠くないわけが無い。

 尋樹自身も驚いていた。少しだけ。

 一昨日は四時間二十分、昨日は三時間三十分、今日は三時間。

 日に日に睡眠時間が短くなっているが、それでいて負担が全くない。


 どう考えてもまだ寝ていて良い時間だというのに、尋樹の身体の中に眠気のようなものが残っていない。

 薄っすらと残る暑気で眠気が全身から汗と一緒に全身から絞り切ったように軽い。 

 友人宅でやることはないし、早く起きればそれだけ迷惑を掛けるだろうと、尋樹は鳥たちの声を聞きながら、ただ時間が過ぎるのを待っていた。



☆★☆★



 既に日は落ちて、キャンプ場は暗くなっていた。

 まだ七時前だが、山の上では闇が満ちれば、真夜中と変わりない景色が広がる。

 そんな中、八十は疑問を口にした。例によって無遠慮に。


「……尋樹さんは不眠症か何かだったんですか?」

「いいや。尋樹はそのとき、睡眠時間を短縮する研究をしていた」

「科学者だったんですか」

「それも違う……尋樹は父親を亡くしていて……いや、説明には順序が有る。

 尋樹とふたりの友達は……朝になったら大学に向かった。何でもない朝だと思っていた、少なくとも尋樹は……だが、そうでもなかった、って話だな。

 友達にも研究のことは秘密にしていたし、本当に、なんでもないと、思っていたんだろう」


 八十は興味深げに前のめりに腰を浮かせたが、そのとき、腰の辺りから冷気が背筋を抜けた。

 この日は朝から自転車を押したり乗ったりの運動で流れた掻いた汗。その汗が山の上では身体の芯から殴りつけるように急激に身体を冷やすのだ。


「話の前にパーカー出してきて良いですか? 寒くて」

「……続きは俺のテントで話そうか。まだ長いし……羽虫が鬱陶しくなりそうだ。防寒具を持って来い」

「助かりますわ。……あ、そういえば……俺、名前、八十って云います。数字の八に十で、ヤソです」

「そうか」

「……」

「……ん?」


 八十としては自分の名前を名乗るというのは“あんたの名前を聞かせてくれ”という意味の日本語だと思っていたのだが、目の前の男は黙ってしまった。

 よほどこの男は会話をしていなかったのだろう。

 八十の態度を見て、数秒の沈黙をくわえて、名を聞きたいという意図を察した。


「俺は……俺の名前は……なんだろうな……自分でも分からん」


 八十は、その態度を不振には思わなかった。

 生きていれば脛に傷くらい誰でもあるし、名乗りたくない事情なんていくらでもある。

 それよりも、八十はこの男に興味が有ったし、むしろ名乗った自分の不用意さを悔やむほどだった。


「名無しの男っすか! カッコいいっすね! ネモ船長みたいですな!」

「ネモ船長?」

「知りません? 海底二万里っていう作品のヒーローで、名前はラテン語で誰でもない、って意味の、ネモ、なんすよ」

「……誰でもない、か。なるほどな」

「今晩だけ、ネモさん、とか呼んで良いですか? 呼び方が無いと不便で困っちゃうんで」


 名案、と確信して云った八十の顔は、本当にバカ面だっただろう。

 この話の続きを知って居れば、こんな提案はしなかったし、この男を“誰でもない”と呼ぶことがどれだけ酷であるか、そのときの八十は全く気付いていなかった。

 それなのに、男は……好きに呼べと快諾した。したように、八十には見えた。


 俺と男……じゃなかった、八十とネモの会話は、俺がネモのテントに入ってから再開される。

 そして、俺はそのとき、そのテントの中に“無ければならないもの”が無いことに気が付かないほど、ネモの話に熱中していた。

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