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・【通りすがりの狂言回し】

 ポツポツと雨粒が当たったことで、八十やそ四朗しろうは自転車から降り、背中のリュックサックを下ろした。

 中身は携帯電話の充電器、着替え、百円均一で買った小説のアイデアノート、ヒマつぶしのタロットカード……。

 擦りキズが目立つそれらを掻き分け、ドン・キホーテで買ったテカテカした青のレインウェアを取り出した。

 レインウェアを取り出して少し萎んだリュックサックには迷彩柄のレインカバーを掛け、手慣れた様子で相棒ママチャリの荷台に結わえたテントやサイドバックにも順番にカバーを掛けていく。

 だが、ほんの数分の作業だというのに、雨足はどんどん強くなってきていた。


「……楽しすぎるねぇ、これは」


 誰にともなく、しいて云うなら自転車に向かって八十は呟いた。

 なんのことはない、雨天の山中で道に迷い、自分が孤独であるという事実から僅かでも目を逸らす為、自転車に声を掛けた。

 だが、自転車も心があるように応えたりする。

 雨対策が終わり、八十が進もうとしたとき、その疲れに呼応するように自転車の足取りも重かった

 後輪がガコン、と異音と共に引っ掛かった。

 再び八十が自転車を止めて後輪を確認すると、そこには枝と同じ色をした錆びだらけの釘が刺さっていた。

 釘を引き抜くと、ぷしゅ、っとタイヤは冷たい空気を吐き出す。パンクだ。


「……まあ、雨に感謝、かな……雨が降らなければ、坂道下ってる途中で空気が抜けて、転んでたかもしれんし……」


 それよりもパンクしないのが一番だったけどな、と八十は心の中で付け足した。

 パンクを直す時間は無い、というより、穴の位置が悪く大きい。ゴムパッチを貼っても直せない可能性もある。

 その場合、チューブごと交換しなくてはならないが、そのためには後輪を外さなければらない。

 後輪を外すにはチェーンを外し、ナットを外し、カバーを外し……屋外でヘッドライトだけで作業すれば絶対に何か部品を失くし、どちらにしろ走行不能になる可能性が高い。

 八十は静かすぎる車道の左右を確認し、後輪を引きずるように来た道を引き返した。


 十数分前に通り過ぎた、野宿の出来そうなキャンプ場へ向かう。

 閉鎖されたキャンプ場に無断使用するのは気が引けるが、いくら車の通らない山道でも狭い路側帯や車道にテントを張るわけにもいかない。

 駐車場か何かの一角を借りて休んで、明日、早くタイヤを修理して出発しよう。


 そう決めて、八十は道を引き返したのだが、実はこの道の先、地図にも記されていないような小さな、ドライバーたちのための駐車スペースが有ったのだが、それを知らない八十は道を引き返し、あのキャンプ場を選んだ。

 このことは、彼の運命を変えることはなかった。

 彼は死んだり怪我をすることはなかった。SNSやブログにも記されなかった。



 八十は英雄でもなければ、悪人でもない。ただ“彼”の個人的な話を聞いただけだ。

 “彼”の行動は過ちだったのか? それともこれで良かったのか?

 それは、読者諸兄に判断して頂くしか、ない。







 立ち入り禁止の看板を見なかったことにして、八十は垂れたロープをまたいでキャンプ場に入って行った。

 残念なことに、こういう場にも慣れている。

 八十は図々しい男なのだ。


「……ラッキー。水道、使えるわ」


 八十がキャンプ場で最初にした確認はそれだった。

 通電こそしていないようで照明類は使えなかったし、管理棟はカギが掛かっていたが、外のトイレはそもそも鍵が無く、水も流れていた。

 勝手に野宿をしてその辺で立小便というのはいくらなんでも許されないだろうし、明日、自転車を修理しながらずっと便意や尿意と戦う必要が無くなった。

 掃除が行き届いているわけではなく、蜘蛛の巣には干乾びた大きな蛾が留まり、小便器の中にはトカゲ……イモリだろうか? とにかく、そういう生き物が這っているが、贅沢を云える立場でもない。

 気分が良い状態ではないが、ただまあ、八十は慣れている。

 八十は勝手に止まる罪滅ぼし半分、自分が少しでも快適に使うため半分で、掃除用具を求めて視線を振った。


「あれ?」

「うおっ……!?」


 目が、合った。

 八十が光取りに開けっ放しにしていたドアから、マントのようなヤッケを羽織った男が入って来ていた。

 顔もよく分からない暗がりでも、その男の目はギラギラと光って良く見えた。

 怪人のようなルックスの管理人だと思ったが、八十も旅をしていれば色々な旅人に出会い、その旅人から奇妙な人々の話を聞いた。

 自分の伝説めいた大冒険に、また武勇伝がひとつ加わる。そんな楽観の中で、八十は頭を下げた。



「すいません、自分は旅行者です。自転車で旅をしてます。

 そこに停めた自転車なんですが、パンクしてしまって身動きが出来ません。

 駐車場とか、一晩、テントを張らせて貰えませんか?」



「ガスは持ってるか?」

「え?」

「ガスだ。カセットガス。持っているか?」


 ――ああ、泊まるなら料理はどうするのかとか訊いてるのかな?――

 八十は一見すると不可解な質問も、なんとなしに解を見つけていた。図々しい上に都合の良い解釈をする男なのだ。八十は。


「ええ。カセットガスです。

 キャンパーは炭火とか持ってる人もいますが、嵩張りますからね。俺はガスだけです。

 泊まらせて頂けるなら、火を使うのはもちろん我慢します……マズいんですか? 火を使うの?」

「一本、くれないか……? 分けてくれる……だけで良いんだ……」


 八十の都合の良い頭は、そこで初めて自分に都合の悪い勘違いをしていることに気が付いた。

 目の前の怪人のような男は、このキャンプ場の管理人ではない。自分と同じ、無断滞在者だったのだ。


「もちろん。旅人は助け合わなきゃ。食料は有ります? カップ麺ならひとつ分けられますよ? ヤキソバかキツネウドン」

「――ガスだけで良いんだ……」

「そうですか? なら……トイレ掃除を先にしちゃっても良いですか? 暗くなってからだと、億劫なんで」




 八十は自分のことを棚にあげなくとも、その怪人のような男をふてぶてしいヤツだと内心で思った。

 自分も勝手に野宿はするが、この怪人男は堂々と閉鎖したキャンプ場に住んでいるようだった。

 テントは土の上ではなく、炊事場――屋根や水道が有る調理用のスペース――に堂々と設営し、その周りには何本ものカセットガスの空き缶が入ったゴミ袋が山になっている。

 どうやらこの怪人男は旅人というより、ホームレスやスクオッターに近いらしく、このキャンプ場で長い間、不法滞在をしているようだ。


 ――まあ、人のことを云える立場じゃねえわな――


 別に不法滞在者に会うのは初めてというわけでもないし、八十は自転車のサイドバックから自分の調理器具とカップ麺、そして二本のカセットガスを取り出していた。

 一本は使いかけのもの、もう一本は包装のビニールの付いたままの新品。八十は新品の方を男に手渡し、自分も取っ手が折りたためる鍋に水を張り、カップ麺を食べるためのお湯を沸かした。


「……あ、すいません、ゴミってどうしてます?」

「……そこにある緑のが燃えるゴミだ」

「プラスチックと燃えるゴミって分けます? ここの自治体のルールが分からなくて」

「分けなくて大丈夫だ」

「ゴミ、入れちゃっても大丈夫です?」

「良いぞ」

「助かります!」


 見た目より良い人だなぁ、そんな軽い気持ちで八十はカップ焼きそばを食べきり、勢いでカップうどんも作りそうになったが、明日の朝飯、となんとか耐えた。

 そして、カップ焼きそばの容器とパッケージを捨てるとき、おや、とあることに気が付いた。

 ゴミ袋の中身はほとんど臭わなかった。

 理由を考えると、石鹸や乾電池の包装は入っているが、食料の空き容器が全く入っていなかった。

 それでゴミの腐臭がしないのだろうと分かったが、八十は自分がゴミ袋を間違えたと思った。これは食料ゴミを入れる袋ではないのだろう、と。


「すいません、食料ゴミの袋って」

「それで良いんだ。それに入れろ」

「? そうですか、じゃあ甘えさせていただいて……」


 一瞬、男は実はカネだけはあるとかで、町まで車を飛ばして外食でもしているのかと八十は考えたが、それならカセットガスのボトルがあることが説明が付かない。

 この男は、食料を持っていないのに火だけは使っているのだ。

 彼は()()()()()()()()()()()



 ――不審な状態だった。

 怪人風の男、ゆっくりと探りを入れ、警戒すべき状況……が。残念なことに、ここに居るのは、八十という男だった。


「すいません、質問良いですか?」

「なんだ?」

「食べ物のパッケージとか入ってないんですけど、普段って何を食べてるんですか?」


 ストレートに訊いた。

 この男、ホラー小説に向いてないにもほどが有る。

 バカじゃないのか。ここで“人間を食べているのでは?”とか、そういうみ予想をするんじゃないのか。

 八十という男、ホラー作品の主人公としては放送事故レベルである。ママチャリで旅をするようなアホに主人公をやらせてはいけない。


「……聞いてくれるか?」

「聞かせてくれるんですか?」

「……暫く、()()()()と会話していなかったからな……聞いて欲しいのさ」


 そう云いながら、俺……いや、八十に向けて、彼は言葉を選び出した。

 日が暮れ、使い込まれた彼のオイルランタンに虫が群がるのと、星が空に満ちるのと比例するように、徐々にだが、確かに、しっかりと、彼の言葉は積みあがって行った。






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