蒲公英色のハツコイ。 episode5
「ん…朝。」
空藍が寝ている間に夜が明け、大きな天窓からは優しい光が部屋に降り注いでいた。空藍はしばらくぼぉーっと窓の外の流れる雲を眺めていたが、昨日のことを思い出して飛び起きた。
(あー最悪。かっこ悪リぃ…。)空藍は盛大にため息をついた。枕には乾きかけの涙の跡が残っていた。
「うわっ!やっば!今何時だ!?」
時間は6時ちょうどになるところだった。
「朝練、今日何時からだったっけ?やばい!あーもうっ、髪洗ってねぇし…っ!」
昨日のことでむしゃくしゃしている自分と後1時間しかないと急かす時計に舌打ちをした。
急いで階段を駆け下りると、すでに家族は起きていた。母である茶佳(コジュケイ)が朝食を作りながら空藍に問いかけた。
「あら、おはよう。今日は練習ないの?」
「あるよ…っ!」
「うわっ!?空藍ってば昨日お風呂はいってないのぉ!?早く入んな!」
「…はいはい。」
(あーもうっ、分かってるよ…っ!)
口うるさい茶々に適当に返事をして、刻一刻と迫る外出時間にたどり着こうと必死に着替えと鞄を用意した。
シャワーから上がると、玄関に置いた鞄の上には弁当と水筒が置いてあった。
時間はちょうど6時半を過ぎていた。
「母さん、弁当ありがとう。ちょっと今日急いでるからこれ貰ってくねっ!」
そう言いながら空藍は、大きく切ったラップの上にパンとスクランブルエッグとベーコンを乗せて包んだ。
「…っちょっと、母さん聞いてないけど!?」
「ごめんっ!昨日すぐに寝ちゃってて…。とにかく今は急いでるから!じゃあ行ってきます!」
「えっ!あっ、行ってらっしゃい。忘れ物ない?」
あまりにも急いでいる様子に驚く母に「大丈夫。」と返事をしながら空藍は玄関を飛び出した。
(母さん、今日はごめん。もう遅れたりして昨日みたいなんぜってぇやだから!)
「...はぁ、はぁ...っっ。」
さすがの空藍も朝食を摂らずに走るのは、かなりきつかったようだ。息を切らして最後の横断歩道を目指して走った。
(...ッ間に合うかな?あの信号長ぇんだよなぁ…。)
空藍の少し先には既に青に変わった信号が据わっていた。
(よし、一か八か...っ!)
地面を強く踏み切って更に足を加速させた。幸い朝早くということもあり、道行く人はまばらで空藍の障壁となるものはない。無我夢中で走る空藍は既に点滅している信号に目をやることはなく、ついに横断歩道に着いてしまった。着いた時、赤信号にちょうど変わったところだった。しかし、空藍は気づかずに一歩踏み出しそうになっていた。
その瞬間、誰かの声がその一歩にブレーキをかけた。
「雉藤…っ!危ないっ!」
(…っ…えっ!?)
ようやく我に返った空藍の目の前では忙しなく車が行き交っていた。そして今自分の体をどこかで見たことのある大きな腕が抱きかかえていることに気がついた。振り返ると、息を切らしながら険しい顔をした蒼生が居た。
「…っせんぱ…い?」
「ばっか…っ!危ねぇだろが!」
「どう…して…。」
(先輩もう行ってるんじゃ…なんでここに…。)
「ぁぁ?…ったく、どうしたじゃねぇ!歩いてたらお前が見えて…それで…っ、昨日のこと謝ろうと思って…追いかけたら…お前、信号無視してるし…っ!」
(…はぁ?先輩が謝る?…何を?昨日のことって、俺が最後嫌な態度とったからか?)空藍は内心少し反省していた。別れ際の態度はさすがに感じが悪かったと思っていた。そんなことを言われると急に恥ずかしくなった。
「…っあの、先輩っ…そろそろ離してもらえませんか…?」
「あっ、悪りィ…。」
蒼生は慌てて腕を下ろして、照れ隠しなのか目を逸らして首を掻いていた。
「先輩!昨日はすみませんでした…っ!」
変な間が空いて、いてもたってもいられずに空藍は先に謝った。
「はぁ?なんでお前が謝ってんだよ…っ!昨日俺が気に触ること言ったんだろうが!…ほんと、昨日はすまんかった…俺、別に雉藤のこと馬鹿にしたつもりなくて…。」
先に謝られてびっくりしたのか慌てて蒼生が頭を下げて謝った。
(…あれ?先輩ってこんな感じの人だったっけ?)
空藍はあまりに素直で真面目な蒼生に驚いた。
「…あのっ、今日、朝練…早く行こうと思って…。」
「えっ?あれ?今日、朝練ないけど…?」
「…っ!えっ!?そうでしたっけ?先輩の手伝いしようと思って早く家出たのに…。」
「お前も結構ドジだよなぁ。あっ、でも俺毎日練習してるから良かったら雉藤も来るか?」
(ドジっていうか昨日はいろいろ嫌なことあって忘れてただけだけど、でも先輩が誘ってくれるなんて…っ!)
空藍はいつの間にか、蒼生に対しての苛立ちは無くなって目を輝かせて返事をした。
「はいっ!よろしくお願いします…っ!」
「…っしゃ!じゃあ一緒に練習しようぜ…っ!」
「はいっ!ありがとうございます!あっ、あの、助けてくれてありがとうございました。」
「…ん、分かればいいよ。」
心なしか優しく頭を撫でられ、空藍は恥ずかしくなって顔を赤らめた。
(…っなに触ってんだよ!ってか俺が恥ずかしがってどうする…!)
「…えっと、先輩って朝練いっつもどんなことしてるんですか?」
「んぁ?そりゃ今からやんだから、特別レッスン。」
「…何ですかそれ?先輩がレッスンとか言うのなんか面白い…。」
空藍は笑い混じりで少し蒼生をからかった。
「…ッ、面白いってなんだよ…っ!別にいいだろ、なんだって…。」
子どものようにふてくされた蒼生を空藍は可愛らしく思った。
(なんだ、先輩もちょっとは可愛いとこあんじゃん。)
「いや、ちょっと意外だなぁって…。特別レッスン、よろしくお願いします!」
「あっ!てめぇ馬鹿にしただろ…っ!」
「えー、してませんよ〜。」
「いや、ぜってぇ嘘っ!」
「いや、してませんってぇ〜。」
いかにも高校生らしいたわいもない会話が、学校までの道に彩りを添え、いつしかその青い声は新緑に囲まれた校内へと吸い込まれていった。