蒲公英色のハツコイ。 episode2
桜が咲き乱れる季節、晴れて高等部へ進学した空藍は早速、入部届に統制の取れた美しい字で陸上部と書いた。小学生の時から憧れていた陸上部に1位で入れると思うと喜びで胸がいっぱいになった。(空藍は先日の入部テストで、短距離部門1位で合格した)幸せを噛み締めていた空藍は、ここまで育ててくれた両親に改めて感謝した。
部活初日、1年生は練習メニューの内容や用具の使い方など、コーチからガイダンスを受けた。その後、部活見学をさせてくれた。先輩たちはみんなsランクからcランクまでランクの壁を越えて互いに切磋琢磨していた。空藍には部員ひとりひとりの姿が、光り輝く宝石のように見えた。その輪の中に入れると思うと、自分の中の士気が高揚した。「早くみんなと練習したい!」部員たちの輝きとともに空藍の心も熱く輝いた。
体験練習、コーチが部長を呼び出して指示を出し、挨拶を交わしてペアになった。その相手は跳躍選手、鷺丸 蒼生(アオサギ)だった。(鷺丸って確か、高校2年生にして全日本優勝経験が何回もあるって、凄い実力者じゃ…)自分の専門外で予備知識程度のことしかわからなかったけれど、すごい選手なのは知っていた。果たして俺でいいのかと不安に思って、軽く放心状態になりかけていると、蒼生は突然、空藍を見て、
「ふ〜ん、お前、ハトなんか。」と言った。そして、面白そうに、よかったなと言われた。傍から見ると馬鹿にされているふうだったが、目の前の凄い人に釘付けになって、空藍はそのことに、気づかなかった。(よかったって、ほんとうによかったですよ。夢みたい。)高鳴る鼓動とともに、嬉しさがこみ上げてくるのを感じていると、部長の梟谷 福(フクロウ)が来て1年をからかうなとキツい目を向けると、蒼生は、冗談だ、冗談。と笑った。困惑していた空藍に福が、変なことされるかもしれないから気をつけてと言った。(変なことって、なに?)意味のわからない空藍は、不安の色を隠すことが出来なかった。「んな顔すんなって、俺がなんかいじめてるみてーじゃねぇか。」蒼生の声はまだ面白そうに笑い混じりだった。(この人とペアになったのは、いろいろまずいんじゃ…)空藍の心臓はいっそう、速い音を鳴らした。
「終わったら、ちょっと部室来てくれ。」蒼生は福の目を盗むようにして、空藍に耳打ちした。空藍は、得体の知れない動物に脅されているような心地だった。「何をされるんだろう?1人で行って大丈夫なのかな?」初日から最悪だと思ったが、逃げたら逃げたでどうなるのか分からなかった空藍は逃避したい気持ち押し殺して部室へ行くことにした。
日がだんだん長くなり、17時前でもまだ夕日が校舎を煌々と照らしていた。(いやだなぁ、なんか俺、先輩の気に入らないことでもしたかなぁ?)重い足取りで部室に向かうと、蒼生は上半身裸で、古びた錆色のイスに座っていた。夕日に赤く染められた蒼生の裸体を不覚にも空藍はきれいだと思ってしまった。その姿を静かに見ていると、こちらの気配に気がついたのか、「よっ!来てくれたのか。なんだ?普通の格好だな。」相変わらずの笑顔で言いながらものすごい勢いで空藍の方へ近づいて行った。びっくりして半歩ほど後ずさりすると、「なんだよ。そんな警戒すんなって。」とどこか拗ねたように空藍の顔を覗き込んだ。空藍は何をされるか分からないという福の言葉が頭から離れず、目を合わすことができなかった。
震えている空藍を見て、「で、なんでお前はそんな格好なんだ?誘うならもっとあっただろ?あっ、それともカマトトぶってんのか?そんなことしても意味ないぜ、俺を誰だと思ってる?」と言った。
ますます意味のわからない空藍は頭の中をかき混ぜられているような心地だった。
(誘うって、何を?カマトトって、どういうこと?俺何もしてないじゃん!)何も知らない空藍を、遊んでいるように扱う蒼生に腹が立ち、嫌悪感を抱いた。さすがに、きょとんとしてずっと緊張したままの様子の空藍を気の毒に思ったのか、
「お前、本当に何にも知んねーんだな、さすがにここまできょとんとされるとこっちが恥ずかしいわ。」「それに、俺は後輩に手を出す気は全くない。」少し困った表情で吐き捨てるように言った。
手を出す空藍はその言葉に驚き、いつか聞いた噂のことを思い出した。
"陸上部に性欲バカがいる"
(うそ⁉︎もしかしてその人って、鷺丸先輩のことだったの⁉︎じゃあ、俺今めっちゃ危なくね?)空藍は今すぐここから出たい気持ちを抑えて、「すいません。」と無理に笑ってみせた。
(別にそういうことの予備知識がなかったわけじゃない。お、俺だって男だし。確かに気づがなかったけど、で、でも…)空藍は今まで取っていた態度が気恥ずかしく感じられた。俯いてその気持ちを必死に隠そうとしていると、
「しっかしまぁ、びっくりしたわ。ハトってこう言っちゃあなんだけどビッチがほとんどだからさぁ、お前みたいなの初めて見たわ。」蒼生は水を喉に流し入れながら言った。
(そりゃ、ハトだって色々いますよ。バカにしやがって!)空藍は俯いたまま唇を噛み締めた。
「まだ怖いか?」突然聞かれて無意識のうちに、顔をあげていた。いちいちうるさい蒼生に、「別に大丈夫ですけど、何か用事でもあったんですか?」とたんたんと答えた。
さっきまでと様子の違う空藍に驚いたのか、蒼生は返答に困っている様子だった。言葉に詰まった蒼生から今まで無駄に過ごした時間を少し取り戻せたような気がした。
(何でもかんでも言いたい放題。後輩だからってバカにするからこうなんだよ!)空藍は小さなゲームに勝ったような気持ちだった。
優越感に浸っていると歯止めをかけるようにチャイムが規則正しく鳴った。「じゃ、また部活で。」握手を求めれた。あまり手を握る気分ではなかったが、社交辞令だと思って手を前に出した。
もう18時を過ぎ、星が1つ2つと夜空に浮き上がっていた。