絵の声
戯曲を書き始めたばかりの頃、成田さんからこう言われたのを覚えている。
「いいか。戯曲ってのは、紙の上で完成させるもんじゃない。舞台で呼吸させて、はじめて命になる」
そのひと言に、演劇のすべてが詰まっている気がした。
深さ、柔軟さ、そして舞台にしかないあの得体の知れない生の気配。
舞台に立ち上がらなければ、見えないし、伝わらないし、評価もされない。
たとえそれがシェイクスピアの未発表作だったとしても。
それ以来、僕もずっとその言葉を信じて書いてきた。
では、この“絵の戯曲”は、どうだろう。
呼吸することができるのか。
誰かに届くことができるのか。
思えば、この“作品”に目を通したとき、僕は無意識にセリフを探していた。
誰が何を言っているのか、どう動くのか、感情の流れはどこにあるのか——
でも、何度も眺めるうちに気づいた。台詞は“描かれていない”んじゃない、“削ぎ落とされている”んだ。
ひとつ目の絵。
終演の礼。
舞台に立つ役者たちは、確かに言葉を交わしていない。でも、その姿勢、目線、背中の丸み、頬を濡らす涙が、語っている。
——ありがとう、楽しかった。忘れないで。
ふたつ目の絵。
少女がピアノを弾いている。女性が顔を手で覆いながら、それを聴いている。
——弾けたよ。聞こえてる?
——…ごめんね。ほんとは、ずっと聴いていたかった。
言葉なんてなかった。でも、声はした。
台詞はない。けれど、声がした。
そしてその声が、僕の中の小さな火に息を吹きかけてくる。
「……これ、舞台にできるな」
独り言のようにこぼした声を、誰かが聞いていたのかもしれない。
目の前の空気が、ほんの少しだけ変わった気がした。
「さっきの、“演じられなければ見えない”って話、僕もわかる気がします」
ぽつりと、そんな声を出したのは大鹿さんだった。
さっきまで小畑さんに押されっぱなしだった彼が、絵をじっと見ながら言葉を選ぶように続けた。
「この絵、僕なら多分、真ん中の子ども役をやりたいです。……セリフがないからこそ、動きだけで、想いをどう伝えるかって、挑戦になるなって」
その横で、馬場さんもゆっくりと口を開いた。
「“この段階では評価できない”とは言ったけれど……この作品、たぶん、台詞が書かれていたら、きっとここまで印象には残らなかった。……そういう作品って、あるのよね。私の劇団でも、演出次第で大化けする戯曲、あったし」
その場に、少しずつ別の色の煙が流れ始めていた。
懐疑と拒絶の煙だけじゃない、火の手前の——可能性の匂い。
そして、小畑が再び口を開いた。
「だからって、大賞にふさわしいって言えるのか? ただのアイデアにしか見えない。想像しすぎだろ」
僕は、小畑の視線をまっすぐに受け止めた。
「想像することが、僕たちの仕事じゃないですか?
この2枚の絵は、完成じゃない。……演劇にとっての“脚本”じゃなく、“種”なんだと思います」
「まさに火種」
そう言ったのは、大久保さんだった。
その声には、笑いでも怒りでもない、静かな熱があった。
「面白い。少なくとも、今ここでいちばん戯曲について語っているのは、横山さんですね」
僕は思わず、背筋を伸ばした。