1.異世界来ちゃいました
※作中の知識が事実とは限りません
ヨーロッパ風の街並み、賑わう人々⋯⋯それらは何一つ変わったようには見えなかった。
どうやらさっきの不気味な機会音声も質の悪いバグだったみたいだ───街に移動したユウは思う。
緊張でこわばっていた肩の力が抜ける。ほっ、と息をついた。
「なーんだ、何にも変わった所なんて⋯⋯」
そうだ、あれは全て気のせいだったのだ。そうに違いない───ユウが暗示をかけるようにそう呟いた時、
「その角⋯⋯その翼⋯⋯」
誰かが呟いている。ユウが聞き返そうとする間もなく、ヒステリックな女性の声が響いた。
「な、なんで魔族が街の中にいるのよっ!?」
「⋯⋯⋯え?」
女性切羽詰まった声により、出かかっていた言葉が止まる。見ると、街の住人であろう女性が青ざめた顔で座り込んでいた。
よく見れば、この女性だけじゃない。
ここら一帯にいる人々が一様にユウを見ては、我先にと建物の中に篭ったり、震える足にムチを打って逃げようとしていた。
───何が起きている⋯?
ユウの頭上で疑問符が飛び交う。CWOは長年やっているが、NPCのこんな反応は見た事がない。
「だ、誰か!!ギルドに連絡を!!」
「くそっ街の中は安全じゃなかったのかよ!!なんでよりによって魔族が⋯」
「早く、高ランクの冒険者かギルド長を!!」
まるで化物に会ったかのような対応に、ユウはただ1人状況もわからず首を傾げる。どんどん自分の元から人々が離れていくのを、ただ呆然と見ているしかできなかった。
(魔族?魔族なんて私以外にも使ってるプレイヤーはいる⋯っていうか、なんでそんな当たり前の事で⋯)
「⋯⋯あれ?」
何かがおかしい、ユウは咄嗟にそう感じた。街の人は皆NPCのはずだ。それなのに、こんな表情が豊か⋯。それに1人もプレイヤーらしき人物が見当たらない。
「⋯⋯あ」
ユウの視線がある一点で留まる。はっ、と目を見開いた。
(⋯⋯電子表示が⋯ない⋯?)
本来ならばNPCの頭上には〝NPC〟と表示されている。しかし、この人間達の頭上には何も表示されていない。
⋯⋯まるで、本物のように。
まさか、と思い自身の頬をつねってみる。
⋯ちょっと痛い。そう、痛いのだ───痛覚設定は0%にしているはずなのに。
どくん、と鼓動が高まる。 冷や汗が一筋垂れた。
まさか、ここは───⋯。
「現実世界⋯」
そう考えてしまうと、何もかも現実のように思えてしまう。頬を撫でるそよ風も、人々の悲鳴も、足に確かに感じる重力も、やや湿っぽい空気も、あたりを照らす太陽の光も、突き刺すような視線も⋯何もかも、全部───。
そう、ここは現実世界だ。
それを認識した途端、何とも言えない感情が溢れ出てくる。足が震え、思わず座り込んでしまった。
悶々と頭の中で状況を整理する。
(ここが現実だとすると⋯⋯あれか?異世界転移というものか?だとしたら、魔物とか何か危ないヤツがいるんじゃ⋯いやいや、平和ボケした日本人にはなんて酷なことを。それに、ゲームの中から転移って聞いたことな⋯⋯いや、あったなそんな作品。⋯⋯ま、まあそれはさて置き⋯状況を整理しよう。私はゲーム内から謎の転移をした。その先は異世界だった。ゲームからの転移だから、恐らく私自身全てがゲームのプレイヤーの状態⋯⋯ん?全てプレイヤーのまま?)
そうか、ユウは何かに気づいて声を漏らす。口元がニンマリと弧を描いた。
「そうか、そのままか」
幸いなことに、CWOはかなりやり込んでいて、当然プレイヤー自体も相当強くなっている。この世界の基準はわからないが、ある程度の強さならば対処出来るはず。
「〝悠〟じゃないなら焦る必要はない」
そうだ、何も焦る必要はないじゃないか。ここは仮想世界と同じだ⋯⋯いや、死んだらあの世ゆきだということだけを除いて。
ならば、暫くはこの世界について調べた方が何かと都合が良いだろう。
「⋯まずは強さの基準を調べようかな」
脳内を整理し目標を定めたことにより、幾分かスッキリした表情で立ち上がるユウ。その可愛らしい顔は、水を得た魚のように生き生きとしていた。
ふと、ユウの視線が背後に向けられる。そこには7名の異形の者───いや、NPCだった者がいた。一様に跪き、深々と頭を下げている。
「ノワール」
「はい、ここに」
1人の青年が顔を上げた。お世話係として新規に作った淫魔である。
闇で染めたような黒髪は見る者を魅了し、藍色の瞳は全てを吸い込む様。その上、しっかりと黒スーツを着込なしていても、クラリと眩暈のするような色気が駄々漏れている。
作った本人であるユウですら、ドキッと心臓が跳ねてしまうくらいだ。
頬が桜色に色付きそうになるのを抑え、ユウは小声で指示を出す。
「あ、えーと。皆を連れてこの街⋯いや、国外に先に出てて。恐らく壁とかがあるはずだから、その外に」
だが、ノワールは眉をひそめ首を横に振る。
「それは⋯⋯いえ、主様をお1人にするわけにはいきません」
主を1人にしてしまったら、何かあった時にお守りすることができない。何を置いても主の生命が優先なのは、ここにいる7名の共通認識だった。その証拠に他の6名からの無言の圧力が、ひしひしとノワールの背に乗る。
「えっ!?⋯⋯えあ、そ、そう⋯」
まさか、拒否されるとは思わなかった。
冷静を努めていながらも、拒否された事によりユウの内心は動悸が止まらない。
ここにいる7名は、かなりのレベルを持った精鋭である。その強さは作った本人がよく知っていた。反旗を翻されたら、無傷で勝つことは不可能に近いだろう。
言葉を選びつつ、恐る恐るノワールの顔色を伺う。声を絞り出すように言う。
「わ、私は大丈夫だから⋯1人でやりたい事がある。ノワール達は先に行ってて、後で私も行くから」
「⋯⋯承知いたしました」
〝1人で〟と強調して言えば、渋々とノワールが頷く───次の瞬間には、音もなくその場から消えていた。
「⋯⋯はあ」
7名の気配も遠ざかったのを確認して、ため息をつくユウ。
⋯どうやら本当にここは現実世界らしい。NPCと会話は不可能のはず⋯⋯それに表情だって豊かだ。
改めて理解した事実に、何だか肩が重くなったように感じる。
(魔族は肉体的な疲れは感じないから、これは精神的な疲れかな⋯⋯嗚呼)
いつの間にか辺りの賑わいは影を潜め、建物の窓や扉は完全に締め切られている。初めての拒絶されるという感覚は、何処か辛いものがある。
思わず目を逸らしてしまう。仕方ない、と割り切れたならどんなにいいことか。
いい意味でも、悪い意味でも現実を理解した、その時。
───閑散とした街の中、近づく気配が1つ。
聞くと安心するような低さ、そんなテノールボイスが、目の前の人物から発せられた。
「⋯待たせたね、魔族のお嬢さん」
「随分遅かったね、強い人間さん」
そう返してユウは心の中で乾いた笑いを浮かべる。
(一応私も(中身は)人間ですけどね⋯⋯はは。嗚呼、笑えない)
目の前に現れたのは、無精髭を生やした中年の男性。しかし、鍛えられた肉体は筋肉隆々で、背中には等身程の大剣を背負っている。
見てくれだけでも只者ではなさそうな雰囲気が漂う男性。
ユウはもちろんだが、ノワール達もこの気配が近づいていることに気づいてはいた。だが、この程度は危惧する必要はないと判断したのだ───主との力の差は歴然だ、と。コレは自分達の敵ではない。
面白そうに自分を見つめるユウに、男性は余裕な笑みを浮かべて話し出す。
魔族を前にしているというのに、焦りも何も感じない。
目の前の魔族の少女を見ながら、男性は思う。
───たかが、魔族の子供1人だ。この程度はどうってことない⋯⋯以前は大人の魔族を何人も倒したんだ、それに比べりゃあな。
男性の培ってきた自信は揺るがない。それが余裕として顔に出る。
「⋯⋯さて、自己紹介から始めようか。俺はジン=ヴェルディ、この街のギルド長だ」
「ユウです。呼び捨てでも何でもお好きなように」
ユウもユウで口元に微笑を浮かべている。
両者とも笑顔⋯しかし、可視出来る程のトゲトゲしい殺気が出ている⋯⋯ほとんどがジンからなのだが。ユウは、ただそれを無意識に受け流しているだけである。
笑顔を浮かべるものの、本当は平和ボケしたジャパニーズであるユウに戦闘は冷や汗モノである。死か否かという事態に案の定、ユウは心の中で自問自答を繰り返していた。
(よ、よーしよーし、落ち着け私。大丈夫大丈夫大丈夫⋯やれば出来るんだ。ここは現実じゃない現実じゃない⋯そう、ゲーム!いざとなったら逃げればいいし、魔法だって⋯あ、魔法って使えたっけ?ちょ、待っていやいや、ここまできて実は魔法だけ使えませんでしたとかだったら、本当に死ぬよ!?いやでも、強さを見るだけなら受け───)
「どうした?来ないのか?」
「ちょっと待って」
「あ、はい」
不思議そうに尋ねるジンに、右手の手の平で待つように言うユウ。その表情は真剣そのもの。ジンも何故か従ってしまう。
黙ったのを確認し、ユウは再び考えるポーズをとる。
(よし、邪魔者は黙った。続きを考えよう。えーと、強さを見るだけなら受け身でオーケーだ。そうだ、少しずつ攻撃を加えて⋯ある程度ダメージを与えた───)
暫くはジンも黙っていたものの、自身の起こしている行動の可笑しさに漸く気づいたようで⋯。
キッ、と鋭く前を見据えた後、背中の鞘から剣を取り出した。
「来ないなら、俺から行くぞ!!」
ダッ、と大剣を構えたジンが踏み出す。その速度は、一瞬でユウとの距離を詰めるものだったが───⋯
「考え事をしている時に来んな、KYィィイイイイ!!!!」
《炎球》
ユウが無詠唱で繰り出したのは、1番低いランクである第1級魔法《炎球》。
本来ならば大人の拳大程の大きさであるソレは、第1級魔法ということでダメージ量も大したものではない筈なのだが⋯。
ユウとの距離を詰めたジンの鼻と目の先、つまり顔面スレスレに現れたのは⋯⋯ジンの頭以上の大きさをした炎の塊だった。
「⋯⋯えっ」
「あ⋯」
全力で踏み込んだジンに止まる術はなく、まさかこの速度に反応して、至近距離で魔法を打つなどと考えもしなかった───結果、
「あ゛があ゛ぁああああ!!!」
自分から炎の塊に突っ込む事となる。
顔面の皮膚は焼け爛れ、壊死した部分が黒く焦げ付く。爛れた皮膚が層を作り、そこに真っ赤な鮮血が流れる。小さく白い骨が覗いた所もあった。
だが、叫ぶのは痛みからではない⋯⋯未体験故の恐怖からだ。火傷が深すぎると、細胞が壊死する為痛みはわからないという。
炎が役目を終え消え去ると、ダンディーな顔はそこにはなく、見るもおぞましい顔に成り果てたが、不思議とユウの心には響かない。吐き気も、罪悪感も⋯⋯何も感じない。ただ唯一感じたのは───心残り。
(少しずつ攻撃しようと思ったんだけどなぁ⋯失敗失敗。これじゃ、街のギルド長は第1級魔法でも対処出来る程度⋯⋯しかわからないな)
何も感じなかったことに微塵も疑問を覚えず、冷静に今の攻撃を分析するユウ。
落ち着いたら何処かで改めて調べよう、と決めたユウは目の前の男に視線を移す。
顔に負った火傷をものともせず、尚も立ち上がり剣を構えるジン。瞳には強い光が宿っている。
「⋯⋯《魔剣化:炎》」
ジンの微かな呟きと同時に、大剣が炎で包まれる。その勢いは凄まじく、熱風が辺りに吹き荒れる。段々と刀身が赤に染まるにつれ、熱風の温度も比例的に高くなった。
第3級魔法《魔剣化》───習得は簡単だが、使いこなすのは至難の技。完全に使いこなせる者は、世界広しと言えど僅か数十人ほどだ。
そしてその内の1人であるジン=ヴェルディ。
魔物などの〝魔〟を持つものにかなりの効果を発揮する魔剣化は、何度も街⋯いや国の危機を救った。
剣術もさることながら、鍛え抜かれた身体から成る速さは驚異のモノ。ジンは苦戦こそあれど、魔族相手に敗北はない。それはこの街の住人全てが知っている。
だからこそ、今回もお供しようとする冒険者を「危険だから」と留めたのだ。
───しかし、結果はどうだ。たかが、第1級魔法に無様にやられてしまっているではないか。
「⋯⋯くそっ」
ぺっ、と口内に溜まった血を出す。きっとやられた時に口の中を切ったのだろう。しかしそんな些細な事、目の前の化物と比べたらどうでも良かった。
───あれは少女の皮をかぶった化物だ。
再び化物に斬りかかろうと足に力を込めた時だった。
化物が慌てた様子で口を開く。
「待って待って、もう外に出るから。そんな睨みつけないでよ、怖いって⋯あ、あと火傷ごめんね。本当はそんなつもりは無かったんだよ、本当に」
「⋯⋯へっ?」
ユウは早口でまくし立てると、ジンの方に手の平を向けて何かを呟いた。間も開けずジンの身体が光に包まれたのを確認すると、空に飛び上がるユウ。
そして小さく手を振ると、一瞬で掻き消えた。
「は⋯?」
後に残る静寂の中、あっという間に起きた出来事に呆然と剣を構えるジン。何もかもが早すぎて頭が追いつかない。
(何だったんだ⋯あれは⋯)
街が無事ならいいか⋯と、無理矢理自身を納得させる。ジンは首を傾げながらも大剣を鞘に収めた。
安堵の息を吐き、顔に手をやる。
「⋯ん?」
ジョリ、と懐かしの感触が手に伝わる。形を確認するように、両手でペタペタと顔面や頭までも触る。
充分に確認し終えたジンは、唖然と呟いた。
「治っているのか⋯」
そこに皮膚の爛れた様子はなく、ゴツゴツと骨ばった自分の顔があるだけだった。
最後の光はきっと治癒魔法だったのだろう。それも重度の火傷も瞬時に治すような高度な魔法。
治癒魔法は適応者は少なく希少なものの、適正さえあれば高ランクの治癒魔法でさえ習得は早く、使いこなすことが出来る。だが、それは人間に限っての事。
当然種族で得意不得意はあるだろうが、これだけはハッキリしている。
〝魔〟のつく者に聖属性に属する治癒魔法は使えない。
先程の少女は見た目からして魔族、治癒魔法は当然使えないはずなのだ。
(⋯あの光は確かに治癒魔法だった⋯⋯どういう事だ?)
魔族だというのに人間を殺し破壊するのではなく、剰え怪我を負った者を使えないはずの治癒魔法で完治させたあの少女。
魔族が聖属性の魔法を使えないことは昔からの事実だ。確かな裏付けもある。
1つの可能性に気づき、顔を上げるジン。
「まさか⋯新しい魔族か?」
新たな進化を遂げた魔族、それならば可能性はあるかもしれない。
もしそうだとしたら、人類共通の脅威となるだろう。
「とにかく、すぐに報告しなければ」
剣を鞘に納めたジンは国の中心部に向けて歩き出す───元通りになった無精髭を手で撫でながら。