子猫のとぶ日
机と本棚の距離は少し離れていたけど、離れすぎてはいなくて、近すぎでも遠すぎでもありませんでした。
机のはしっこにもし立ったとしたら、思わず跳んでみたくなるようなそんな距離。
その机から見上げると本棚の上は少し高いけれど、高すぎではなくて、低すぎでもありませんでした。
背伸びをして、首を伸ばしても本棚の上を見ることはできませんが、手を伸ばして跳んだなら、もしかしたら手が届くかもしれない、そんな距離。
行ける? 行けない?
机のはしっこで上をジッと見つめて、腰をムズムズ。キチンと揃えた両手をふみふみ動かし、いい位置にそろえたなら、発進準備完了。
3、2、1、0! 発進!
子猫は勢いよく離陸しました。
いっぱいに伸ばされた両手と一生懸命伸ばされた小さな体は本棚の上を目指して大ジャンプ。
でも、全然高さが足りません。子猫は本棚の壁に当たって弾き返されました。
「……!」
墜落した子猫は背中から落ちると慌てて走っていきました。
よかった。ケガはしていないみたい。
子猫はとても元気のいいやんちゃ盛り。走り回ったり、転げまわったり、お昼寝したりが大好きです。
そんな子猫が夢中なっているのは高い本棚に跳び乗ること。
パパさんの机の端から、本棚の一番上に跳び乗りたくて何度もチャレンジしているのです。
でも、今まで一度だって成功したことはありません。
だって、子猫はまだ小さいし、そんなに高く跳ぶことなんてできないのですから。
一生懸命跳んでも、今みたいに全然高さがたりないのです。
パパさんは机の下で丸くなって息をととのえながら、新たな作戦を練っている子猫を見ながら思いました。
あんな風に落ちて、いつかケガでもしたらどうしよう?
痛くないのかな?
恐くないのかな?
失敗してまた失敗してガッカリしていないのかな?
少し休むと子猫はまた机の上から跳んで、また落ちました。
その日がダメだと、次の日も、その次の日も跳びました。
そして、毎日落ちるのです。
せーの、ピョン。
せーの、ピョン。
毎日毎日飛んでは落ちて、落ちても落ちても跳びました。
パパさんは子猫がケガでもしたらどうしようと、毎日気が気ではありません。いくら子猫の体が柔らかくても、あんなに「跳んでは落ちて」を繰り返したら……。
子猫がそんなに本棚の上に行きたいなら、いっそ自分の手で本棚の上に上げてあげようか。と、パパさんは子猫が床に落ちるたびに思うのでした。
何度も跳んで、失敗して、やがて疲れてしまうと子猫はパパさんの膝の上で丸くなってはスヤスヤ眠るのです。
丸くなる子猫はさらに小さく見えました。軽くてもっしっかりとした重さのある子猫の「すぅすぅ」お腹を上下させながら眠る子猫を見ていると、あんなに高いところまで跳んでいけそうにないのです。
もう少し大きくなったら。
もう少し体がしっかりしたら。
もう少し大人になったら。
きっと、本棚の上にも行けるでしょう。今は無理だとしても。
パパさんは考えます。
子猫があの机に近づけないようにすべきだろうか? ケガをしないように跳ぶのをやめさせるべきか。
パパさんはしっぽをパタパタと動かす子猫を撫でました。
夢の中でも、跳んでいるのかもしれません。夢の中で、跳んだ先、本棚の 上には何があるのでしょう?
子猫にとって必要なもの?
子猫にとって大事なもの?
子猫が見るべきもの? が、そこにあるのでしょうか?
「……」
次の日。
子猫はまた机の端に立ちました。
気合いを入れて、本棚の上をしっかりと見つめ……
3、2、1、0! 発進!
机から飛び立った子猫は体をいっぱいに伸ばし、手を広げました。アッという間に本棚の端が近づいてきます。
もう少し、あと少し!
踏み切った場所もよかったし、踏み切るタイミングもよかったのです。指が、爪の先が本棚の上に触れました。
体を上げるだけ! 足をバタバタ、しっぽをパタパタ!
一生懸命、体をヨジヨジ。
ですが、子猫の手は本棚から離れてしまいました。ふわりと子猫は空中に投げ出されました。
子猫はヒヤッ! としました。
今までの中で一番高く跳んだのです。今までで一番高いところから子猫は落ちなければなりません。
子猫は思わず目をギュッと閉じました。いつものように壁にぶつかって落ちるのではないです、体も変な格好で落ちなければなりません。
「……!」
ぽふっ。
「……?」
子猫は首を傾げました。
だって子猫が落ちた場所には昨日までなかったクッションが置かれていたのですから。
そこはいつも子猫が失敗しては落ちる場所。
子猫はクッションとパパさんを見て、一声鳴きました。
「大丈夫?」
「大丈夫! 全然痛くないよ!」
喜んだ子猫はそれから毎日、机のはしから「跳んでは落ちて」を繰り返しました。パパさんは毎日その様子を見守り続けたのです。
やがて子猫が跳べば、その手が毎回本棚にかかるようになりました。うまく足も使えるようになりました。
体を器用にクネクネ動かし、登ることも子猫は自分で覚えたのです。
そしてある日、子猫はそこに辿り着いたのでした。
「どう? そこには何かあった?」
「えっとね……ううん、何もなかったよ」
子猫はパパさんの問いかけに満足気に言いました。
たしかにそこには何もありませんでした。何もありませんでしたが、自分の力でこんなに高い所に来られることを子猫は知りました。
目に見える特別なものは何もありませんでしたが、特別な気持ちになったのです。
「諦めなかったから、ちゃんとそこにいくことができたね。おめでとう」
「うん!」
笑顔でうなづく子猫は、もっと高くて、もっと広い、色んなところに行ける、そう思いながら上機嫌にしっぽを揺らしたのでした。