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とある作家の日常2

 あわてて作り上げた二人分の朝食は、どうやら探偵のお気に召したようだった(彼のオムレツはちゃんとふわふわとろとろにできたのがよかったのだろうか)。綺麗にお皿を空っぽにすると、彼はまた押入れに戻り、がさごそやって見なりを整えると「夕飯はカレーがいい。りんごと蜂蜜たっぷりだぞ、いいな」と言って仕事に行くため、部屋から出て行った。

 今日は食べるのか、と思いながら、探偵を見送る。太陽が真上に上がりかけた今の時間帯の外は眩しくて、きらきら光る金色と、白い肌が外に溶けてしまいそうに錯覚した。自身がいる室内が、対比でさらに薄暗く見える。


「いってらっしゃい、先輩」


 かけた声は、小さかった。

 あんなにも眩しくて、光に溢れた世界なのに。私はこの薄暗い部屋から出るのが怖くて。綺麗なものもたくさんあるはずなのに、そんなものより平穏が欲しくて。

 光に溶けるかのようだった探偵とは、まるで別世界の住人のようで。


(いえ、あの人みたいになったらある意味おしまいなんだろうけど)


 本人は否定するかもしれないけれど、天才肌とはああいう人を言うのだろう、と作家は思う。何もかもが凡人よりもすぐれていて、なんでもできる、すごい人。ただし、性格でお釣りがくる。

 滅茶苦茶で、はた迷惑だけれど、それでも認められていて、ちゃんと自分の居場所を持っているだろう人。

 なんであの人はうちに来るんだろう。なんであの人はまだ私と関わりがあるんだろう。そう自問したことは数知れず、しかしはっきりと答えが出せたことなんてなかった。

 当たり前だ。作家は別に、探偵のことを詳しく知っているわけではない。彼にどんな家族がいるのかも、大学を卒業してから再会するまで何をしてたかも、なんにも、何にも知らない。尋ねたことすらないのだから。


(だって、   から)


 沈みそうになった思考を、ふるふると頭を振って払う。悶々と考えたところでなにか答えに辿り着くことはないし、何が解決するわけでもない。最後にすることはどうせ決まっているのだ。ただ、自分に言い聞かせる。「          」と。

 二度も精神的に打ちのめされて、また従兄に迷惑をかけるわけにはいかない。だから作家はただひたすら自己保身に努める。ただひたすら、自分のいる世界を守り続ける。そうやって生きるのだと、そうやってしか生きれないのだと、結論に至ったのだから。


 天気がいい、のだから、洗濯物でも干そう。買い物に行くのもいいかもしれない。そのくらいなら、作家だってひとりでできるのだ。

 そう、ひとりで――と考えて、ふと気づく。――最後に一人で外出したのって、いつだっけ?、と。


 一番最近の外出は、探偵にダッツを買ってもらうついでにスーパーに寄ってきて、その前は、探偵にデパ地下スイーツを奢ってもらうついでに必要物品を仕入れてきて、その前は公園に来た屋台のクレープを買いに探偵と言ってそのまま商店街に寄ってきて、その前は――


 さあっと、作家の頭から血の気が引いた。


(もしや、私――――ここ半年、先輩の同伴なしに一切外出してないんじゃ)


 いやだって、メールで頼んだらついでに買い物してきてくれるんだもの、とか。そんな言い訳も一瞬頭をよぎったが、そういう問題ではない。とにかく探偵なしに半年も外出していないという今の状況が異常なのだ。

ずっと、ちゃんと言い聞かせてきたのに。ちゃんと決めていたのに。なんなのだろう、この様は。じわじわと、頬に熱が上がってくる。

恥ずかしい。とてつもなく恥ずかしい。身の程知らずにも程がある。まるで依存のような、そんな行動を、よりにもよってあの先輩に対して取っていたなんて!

馬鹿だろうか、いいえ、きっと馬鹿なのだ。まだ従兄の教授に対して依存しているならまだわかる。けれど、よりにもよって、あの探偵に!!そんなことしたところで、どういう未来が待ってるかくらい、予想できているのに。

このままではいけない、そんな衝動に突き動かされるまま、財布の入った鞄を手にとって部屋を、「平穏な世界」である家を飛び出す。私は、弱いけれど。あの人に比べれば、とてつもなく弱くて、才能もなくて、美人でもない、ごくごく平凡な能力しかなくて、精神的にも弱いけれど、でも。

あの人にすがって生きるなんていやだ。私だってひとりでやれる、生きていける。そりゃあ稼ぎは少ないし、他人は怖いし、それどころか限られた人達とくらいしか安心して話せないし、家を出るのは好きではないけれど、だけど、それはひとりで生きられないこととイコールではないはずだ。

 走る。室内とは異なり、調整されていない鋭い空気が喉を突き刺す。走る。結露した白い吐息が、一瞬だけ視界を曇らせる。走る。ドクドクと心臓が脈打って、全身に血液を送ろうとする音が聞こえる。

 走って。走って。走って。目的地もなにも決めていないくせに、思春期でもないくせに、ただひたすらに、がむしゃらに、それこそ気がすむまで、体が限界を訴えるまで走って。

 ふと気が付けば、作家はひとり公園に立っていた。あえて言うならば大きな時計台と、狂い咲きした桜の木が一本、公園で彼女を待ち受けていた。「はは、」作家の口から笑い声が漏れる。「なぁんだ」ずるりと、下肢から力が抜けて、作家はその場にへたり込んだ。


「なんだ、―――できるんだ、できるんじゃない、私、ひとりでも、別に」


 ああ、私は何故こうした状況に甘んじていたのだろう。探偵が勝手にしているだけで、為す術もないから?それは、ただの言い訳ではないのだろうか。本当に、私は彼を拒否できないと、そう言うのか?


 ーーー優越感にでも、浸ってるんじゃないの。ほんとはそんな自分がすごいと陶酔してるんじゃないの。あんなすごい「彼」に(恋愛的な意味ではないだろうが)(流石にそこまで自分を過大評価はできない)好かれてるなんて、って。

 そんなことはない、ってずっと、ずっと、言い聞かせてきたけど。でもだったら、私は彼をはっきりと拒絶するべきなんじゃないだろうか。

 だって、このよくわからない関係で得をするのは作家だけだった。金銭面も、自尊心も満たされるのは作家だけ。


(このままずるずる続けちゃえばいいじゃない。あっちだって好きでやってるだけなんだから。私がそうしろと言ったわけでも、強制したわけでもないんだから。ねえ、わたしのどこがわるいっていうの?)


 囁く声が聞こえる。天使と悪魔が脳内で言い合いしてるような気分だ。頭が痛い。でも、でも、このままで、いいんだろうか。このままいけばだって、


(お わ り が )


 ずきり、と頭が痛んだような気がした。一方で、妙にすっきりとクリアになったような気もする。そう、作家は感じた。


「かえ、ろう」


 作家はぽつりと呟くと、のろのろと立ち上がって、帰路を辿り始めた。帰って、言おう。今まで思ったこと、考えたこと、すべてをまとめた五文字を彼に告げよう。それが、いい。

 だいじょうぶ。探偵が、彼がいなくても世界はきっと変わらない。まだ私は大丈夫。まだ、彼がいなくなっても、いきていける。だから、今のうちに「さようなら」を告げよう。


 鍵をあけて入った玄関の中には、いつものように光り輝く男の存在があった。「せんぱい、」と声を掛ける。振り向いたら、全てが終わる五文字を紡ぐために。


 探偵の振り向く動作は妙にゆっくりと感じられた。作家の存在を赤い瞳のなかに映すと、その目がゆぅるりと細められる。

 なきそうなかおだ、となぜかふと作家は思った。涙なんて出ていないし、どちらかといえば笑顔と表現される表情だろうに、なぜだろうか。作家が思わず言葉を失っている間に、一歩、また一歩と探偵は作家へと近づいて、言った。


「ああ、こんなところにいたのか、アン。駄目じゃないか、外になんて出たら」


がちゃり、と錠がかけられる音がした。


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