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とある作家の日常1

 ずるずると引きずられるように、感覚が浮上する。再び暗い微睡みの中に堕ちていこうとしても、それは無理な相談だとばかりに五感のそれぞれが感じ取ったものを脳に叩き込んで、それを伝達していまう。閉ざされている瞼の裏ではちかちかと赤とも白ともつかない光が暴れ、ぴちゅぴちゅと小鳥がお喋りをしている声が意識を引き上げ、口内は寝起き特有の雑菌まみれのからからした嫌な感じで満たされている。空いた窓からはおしゃべりな小鳥の声だけでなく、お隣からなのかなにか甘い匂いが鼻腔をくすぐって空腹中枢を刺激しているし、寝るときに必須のふかふかの抱き枕がわりの人形が肌に触れる感触はなく、ベッドから強制退場させられてしまった事実を示している。

 そこまでしっかりと認識した時点で眠気はすっかり晴れていた。近くに目覚まし時計はないので、携帯を探す。枕元、ない。布団の中、ない。床の上――ない、が黒いコードが見える。ずるずるとコードの繋がる先を引っ張っていけば、ベッドの下から充電中のランプが消えた携帯が顔を出した。厳密に言えばスマートフォンと呼ばれるタイプのものではあるが、携帯する電話には変わりないのだから携帯という概念で定義して問題ないだろう。手の中の端末を操作して示された日時は、最後に見たものからおよそ丸一日と少しばかり経っていた。


「………まだ朝、珍しい」


 朝、と表現するには少々遅い時間ではあったものの、気にした様子もなくぐぐっとひとつ伸びをして、女はようやく布団の中から立ち上がった。

 女は作家という職を持っているものの、小説で得られる年収はせいぜい200万といったさして売れてもいない作家だった。一定の収入を確保しているだけましではあるが、もし今住んでいるマンションを従兄から譲り受けていなければ、都会の部類に入るこの街でまともに暮らせていたかも怪しい。なおその従兄は恋人と同棲中であり、要はキャッシュで買ったものの使わなくなった部屋を貰ったわけである。度々賃貸料がわりに教授職についている彼の論文のデータ整理やら文献検討やらむしろ代わりに書かされたりやらしているのでイーブンな関係だと思いたい。その労働に対してもバイト代を貰っているがイーブンだと思いたい――と考え、作家はふと毎年毎年贈られてくるお年玉の存在を思い出して顔を顰めた。日頃お世話になっているのは否定しないものの、人のことを一体いくつだと思っているのか。もう27だというのに、しっかり郵便で届けられるそれを突き返そうと思ってはや幾年。直接貰っているのならともかく、長年実家に帰っておらず、基本家の中から出ない作家が使わずに貯め込んだお年玉を教授に突き返す機会などそうそうないままだった。データ転送がパソコン等の機器でできるようになってしまった情報化文明による弊害である。

 作家にとってのはとこにあたる、教授の父方の従姉弟の方にあげればいいものを、と送られてきたお年玉をもらうたびに思うものだ。確か姉の方が25で弟の方が18、なぜ27の自分にお年玉が送られてくるのにそっちの二人には送ってないのだろうか。しかし親類の中で自分以外教授にそんなことを言う者はいないのだから、世の中不思議なものである。

と、理不尽と呼べば他者から怒られそうな理不尽についてをしばし思考していると、不気味なメロディが手に持った端末から奏でられ始めた。びくりと肩を震わせ、名前表示を見る、が――そこには名前なんて表示されていない。とあるホラー映画で定番になったこのメロディは、そもそも知らない人からの着信のときにしか鳴らないのだから、当然のことではあるのだけれど。

 どうしよう。どうしよう。

 彼女は迷っていた。

 知らない人からの電話に出るのは怖い。でももし編集さんが電話番号を変えていて、緊急連絡だったとかそういうことがあっても怖い。

 どうしよう、どうしよう、どうしよう――

 どうするべきかを判断できずに、指がうろうろと画面の近くを彷徨う。出た方がいい、出なきゃいけない、でも出たくない、出るのは怖――


『もしもし、神崎先生ですか?』

「ひっ」


 突如聞こえた、知らない男の声に、作家の口から思わず引き攣った声が漏れた。応答のボタンを押したつもりは全くないのに、画面に示されているのは"通話中"の文字だった。


『ひどいなあ、そんなに怖がらなくても。ご連絡が遅れましたが、これから新しく貴方の編集を務めることになりました、黒川と言います』

「え、うそ、聞いてない、です、」

『あれ、おかしいな?まあ心配なら後で確認してくださっても構いませんので、それで――』


「――はい、これからよろしくお願いしますね。黒川さん」

『こちらこそ、お世話になりますね。それでは』


ツー、ツー、ツー。


 声が消えて、ふと作家は我に帰った。手元にはペンと手帳があって、今後の締切や打ち合わせの日程がメモ書きされている。知らない人と話したせいで、緊張しすぎてしまったのかな、と作家は考えた。ちゃんとこうしてメモが残っているのに、会話の内容はさっぱり覚えていない。

 ダメだなあ、と自己嫌悪に沈みそうになった思考は、きゅーんと子犬が鳴くかのような音で引き戻された。そういえば、まだ朝食を食べていない。


「……作りますか」


 冷蔵庫に残っているレタスやトマトを使って野菜たっぷりのサンドイッチに、あとはオムレツでも焼いて添えればいいだろうか。飲み物は紅茶かコーヒー、いや、頭が回っていないようだから、いっそ甘いココアを作ってもいいかもしれない。たしかお菓子を作った残りが棚に残っていたはずで。

 食パンを焼きながら野菜をカットし、卵を溶く。さて、オムレツを先に焼くかココアを先に作るか。…先に焼いてしまおう。ひとまず牛乳でも飲んで、食後にゆっくり作って飲めばいい。徐々に焼き色がついてきたオムレツの様子を箸でつついて観察しながら、半熟にするかしっかり焼いてしまうかを真剣に考える。ああ、いい匂いがしてきた。とりあえず今日は半熟っぽくしてみよう。

 ガスコンロのスイッチに手を伸ばしたところで肩の所にいきなり重いものがのっかる感覚を覚えた。後ろから抱きこまれるというか、肩によりかかられるというか、そういう状態になって、ようやく思い出す。


「……アン、我の分がないぞ」


 視線を向けると、見ているだけでも眩しいような、整った中性的な顔立ちの男性がひとり。顔立ちと同じように髪もまたきらきらと輝いているような金色で、宝石のように赤い瞳がじとりとこちらをねめつけている。

 そうだった。この家の押入れには、たまに探偵が住みついているのだった。

 かちり、と無意識に押したガスコンロのスイッチは、どうやら間に合わなかったようで、フライパンの中ではきつね色のオムレツにしっかり火が通っていた。


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