七日目 土曜日の午後 その2
なんだか場違いかも。
というのがカフェに入った僕の感想だった。
ちょっと遅めのお昼という時間帯だったけれど、店内はほぼ満席のようだ。店内を見回すとお客さんはカップルが半分、女の子同士が半分といった感じで圧倒的に女子率が高かった。
僕も姫のも始めて来たお店なのだけど、間違いなく女性が好きそうだな、というのが僕の第一印象の感想だった。
白を基調とした店内は明るく清潔な雰囲気を醸し出しているし、ビルの角という立地条件もあって壁の半分近くが大きな窓ガラスになっていた。窓と照明で明るく照らされている店内は、ファンシーすぎはしないけれど乙女チックなところもあって、それなのに落ち着いた雰囲気もあるし、大きな窓のおかげで開放感もあるといういかにも人気が出そうな雰囲気だった。
くわしく観察する余裕はないけれど、何組かいるカップルの男の方は僕と同じように場違いに感じて居心地が悪くなっている人もいるかもしれない。
「カップルですか?」
ピンク色のメイド服っぽい制服を着たウェートレスのお姉さんが素敵な笑顔で問いかけてきた。思わず噴き出しそうになる。
うわ、真正面からストレートに聞かれると思い切り恥ずかしいぞ。
というか罰ゲームのようだ。
こういう場合って「何名様ですか?」とか「二名様でよろしいですか?」みたいに聞いてくるのが普通なんじゃないか。
顔が熱くなってくるのがわかる。
「えっと、まあ、そんな感じです」
照れくさくてたまらなかったけれど、なんとかウェートレスのお姉さんに答えた。今の僕には姫乃の様子をうかがう余裕はない。でも姫乃もきっと顔を真っ赤にしているだろう。
「はい、それではお席の方にご案内いたしますね」
戸惑う僕のことなんかお構いなしで、ウェートレスのお姉さんはメニューを胸に抱えると素敵過ぎる営業スマイルをにこやかに浮かべながらお店の奥へと歩いていく。
僕も置いていかれないようにウェートレスのお姉さんの後をついていこうと一歩踏み出した時、右手がギュッと握りしめられた。
違った。
僕はずっと姫乃の手を握っていたのだった。
振り向くとやっぱり姫乃は顔を真っ赤に染めていて、うつむいていた。
恥ずかしさ大爆発だ。
自分に気合を入れなおして、なるべく姫乃の様子を気にしないようにしながら手をひいてウェートレスのお姉さんの後を追った。
特に重さを感じることもなく姫乃は手をひかれるままについてくる。
店内は入り口を入ってすぐにレジとたくさんの種類のケーキが並べられたショーケースがあった。それに続くようにしてカウンター席がある。
胸くらいの仕切り板がいくつかあって、四人がけと二人がけのテーブルがバランスよく配置されていた。
僕たちが案内されたのは、一番奥の窓際の二人席だった。外のよく見えるし店内の様子もわかる場所だ。
運が良かったみたいだ。
カウンター席にはいくつか空きがあったけれど、テーブル席だと他に空席は見当たらない。
「本日はカップルデーになっております。デザートはすべて半額になっておりますので、ぜひご利用くださいませ」
席に着くと、ウェートレスのお姉さんはにこにこと笑いながら、僕たちにランチメニューとは別にラミネート加工されたケーキをはじめとするデザートの写真がたくさん載っているメニューを渡してくれた。
それから水のグラスをテーブルに置くと「ご注文がお決まりのころにまた伺いますね」と言ってお辞儀をするとテーブルから離れて行った。ちょうど別のテーブルでも呼ばれたようで軽やかに返事をして向かっていく。
なんとなく僕は息を吐き出した。
知らないうちに姫乃の緊張が移ってしまっていたようだ。それともお店の雰囲気にのまれてしまっていたのかもしれない。席に着いただけなのになんだかとても疲れた。
とりあえず水を一口飲んで気分を落ち着かせて、僕はメニューを広げた。
正面の姫乃を見ると、彼女は両手を膝の上に置いてうつむいた状態だった。
「何食べる?」
声をかけると姫乃は驚いたように顔をあげた。そんな姫乃にも見えやすいように広げたメニューをテーブルの中央に置く。
「ゆ、優太さんはもう決まったのですか?」
「ううん、まだだよ。けっこうランチメニューも種類があるね」
と言ってメニューを覗き込む。
「そうですね」
僕は結構簡単に注文する品を決めることができたけど、姫乃はだいぶ迷っているようで熱心にメニューを眺めている。
その間に僕はラミネート加工されたデザートのメニューを確認していた。
「せっかく半額なんだからデザートも頼もうよ」
僕の提案に姫乃はびっくりするくらい激しくうなずいてくれた。
結局、僕が頼んだのは目玉焼きが乗っかっているハンバーグのセットで、姫乃はたっぷりキノコのあっさりパスタとサラダのセットだった。
それとデザートに、僕はチーズケーキと紅茶。姫乃は写真で見ただけでもこれでもかというくらいにフルーツやポッキーやチョコとか生クリームとかアイスとか、とにかくいろんなものが盛りだくさんに詰め込まれているらしいスペシャルパフェだった。
注文が終わってようやく一息つけた。姫乃もどこかホッとしたような表情を浮かべていた。
けれども今度は逆になんだか手持ちぶさたな感じだ。
それに最初に場違いだなと感じたこともあって、どうにも落ち着かない。
姫乃も姫乃でもじもじとした様子だった。
こんな様子をクラスメートや姫乃に敵対している相手が見たらどう思うだろう。きっと目を疑うに決まっている。
僕としてもどうにも調子が狂ってしまう。
はじめて話すようになったことのことを思い出す。その時だってここまで過剰に意識して反応されていなかったと思うぞ。
これが友達から先に進んでつき合うということなのかな。
となると僕も困ってしまう。どう接したらいいのか分からない。
今までに女の子と遊びに行ったことぐらいあるけれど、今日みたいに改まってデートとなると勝手が違うものだ。
「けっこう混んでいるね?」
意味もなく店内を見回してしまう。いつの間にかカウンター席も埋まっていて、入り口近くの長椅子には順番待ちのカップルが据わっていた。
これはラッキーだったかも。
「そ、そうですね」
僕の言葉につられるようにして姫乃はキョロキョロト辺りを見回している。
「僕は知らなかったんだけど、姫は前から知っていたの?」
でもまあ、知っていたとしてもこんなに女の子に人気があるようなお店には男同士で来るわけにもいかないだろうし、縁はなかったと思うけどね。
「わたしも知ったのはつい最近のことで……。たぶんこの間のタウン誌に載っていたので、そのせいではないかと……」
「ああ、なるほど」
話題沸騰というわけだ。まったくくわしくはないけれど、ここはいわゆるおしゃれで流行りのお店というやつなのだろう。
窓の外を見ると土曜日の午後ということもあってか、仕事中というよりは買い物中といった感じの人が多いように思う。
僕たちと同じように土曜日も授業がある学校があるみたいで、制服姿も結構いる。その中には学ランとセーラー服という、今では珍しくなりつつある僕たちの学校の制服を着た生徒の姿もあった。
ああ、そうか。
そういえばこの通りはうちの学校から駅に向かう途中だった。
これはまたあらぬ噂がたつのだろうな。絶対に姫乃には聞こえないようにだけど。
学校には好き好んで自分から姫乃と関わり合いを持ちたいと思う人間はいないのだから。
でもそんなのは関係ない。だからどうしただ。僕は姫乃と付き合っていこうと決めたからここにいる。それでいいじゃないか。
とはいっても裏でいろいろ言われるのは気分がいいものではないけれどね。
それにしても電車通学の生徒も多いから当然かもしれないけれど、けっこううちの学校の制服姿がよく通る。特に知った顔があったわけじゃないけれど、誰もこっちを見ようとしないのは気づいていないのか、それとも気づかないふりをしているのか。
まあ、どっちでもいいけど。
ところで僕がこのカフェを知らなかったのにはわけがある。一つは正直カフェなんかには興味がなかったということもある。でも一番の理由は僕は自転車通学で、駅とは反対側の方向が通学路ということだ。
それに僕が行く友達と一緒に行くお店といえば、ファーストフード店かラーメン屋。少しグレードを上げてファミレスというのが定番なのだ。
さすがに駅近くということで、車の通行量も多いみたいだった。
すぐ近くに交差点があって、信号が赤になると必ず何台かの車が列を作って停車する。そして青に変わると順番に流れていく。
ぼんやりと外を眺めていると停車したバスの乗客と目があってしまった。なんとなく気まずい気分で視線を店内に戻した。
すると姫乃と目があった。
姫乃は慌てたように目をそらしてうつむいた。長いストレートの黒髪が彼女の顔を隠すけれど、明らかに顔が赤くなっているのがわかった。
思わず苦笑が浮かんでしまう。
意識しすぎだよ。
「あのさ、姫」
「は、はい!」
呼びかけると姫乃はびくりと身体を震わせて背筋をまっすぐに伸ばした。まるで叱られる前の子供みたいな反応だ。
「なんていうかさ、そんなに改まらないでよ。僕まで緊張してきちゃうよ。だからお互い変に意識しないようにしようというか、うまく言えないけど、もっと気楽に。そう、気楽に肩の力を抜いていこうよ。ね?」
「す、すいません。わたし、その、変でしたか?」
「変というか……挙動不審?」
「え、あ、え、すすす、すいません」
もちろん冗談だ。だけれど姫乃は、あたふたとした感じで両手を顔の前に出してみたり、テーブルの上のおしぼりを意味もなく絞ってみたりと、まさに挙動不審だ。
「ほら落ち着いて」
「……はい」
「深呼吸深呼吸」
「はあ、どうも緊張してしまって……」
深呼吸を繰り返すうちに少しは落ち着いてきたのか、姫乃は水を一口飲んだ。そのままコップを両手で包みこむようにしてテーブルに置くと、考え込むように浮かんでいる氷を見つめている。
「優太さんのおかげで、ようやく友達、という関係に慣れてきたところだったのですが、それが、あの、その、か……か、かかかか、かの、かの……ふう」
大きく息を吐き出して、姫乃はコップの水を一気に飲み干した。それから覚悟を決めたようにまっすぐ僕を見据えて言った。
「か、彼女という立場になったのは、初めてなので、どうしたらいいのかわからなくて、どうすればいいのかわからなくて、それで、やっぱり迷惑なんじゃないかとか、でもすごくうれしい気持ちとか、幸せな気分だなとか、自分で自分の気持ちをコントロールすることができないというか、はずかしいというか……まともに優太さんのことがみれないというか……なんだか困った感じです」
一気にそれだけ言うと、姫乃は再び水を飲もうとコップを口元に運んだ。けれどもコップの中身はすでに空だった。
僕は黙って自分の分のコップを姫乃の前に差し出した。
「あ、ありがとうございます」
姫乃は素直にコップを受け取って、口へと運ぶ。コップが唇に触れるか触れないかギリギリのところで姫乃の動きが固まった。
「どうかしたの?」
不審に思って訊ねてみると、姫乃はさらに顔を真っ赤に染めてうつむいて、コップを見つめている。
「あの、これは間接キスというやつでは……」
全然気にもしていなかったけれど、言われてみればそういうわけだ。
いやなんというか……いちいちかわいい反応だな。
自然に笑みがこぼれそうになる。
だからちょっと、ほんのちょっとだけいじめてみたくなってしまう。
「別にいいんじゃないの。だってほら、僕たち彼氏彼女の関係なんだし」
自爆した。キャラじゃないのはわかっていたけれど、想像以上に恥ずかしかった。
破壊力も抜群だ。
姫乃は石になっていた。
僕は追い打ちをかける。恥ずかしいけれど、とっても恥ずかしいけれど、知り合いに見られたらというか聞かれたりしたら死んでしまいそうだけど、僕は続けた。
「やっぱり僕の飲みかけじゃ嫌かな?」
「嫌じゃないです!」
間髪いれずに答えると、姫乃はコップに口をつけて水を飲んだ。
こういっちゃうと何だけど、おもしろい。恥ずかしい気持ちもあるけれど、それ以上に姫乃の反応がすごく楽しい。
そしてとてもかわいらしかった。
微笑ましいとでも言ったらいいのかな。
でも姫乃。
たぶん僕が口をつけたのは、コップの反対側だよ。
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