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鬼姫伝説 ~僕の彼女は最強です~  作者: すずたけ
僕と彼女の一週間
19/21

六日目 金曜日

分割しない方がいいと思ったのでちょっと長めです。



     六日目 金曜日



 朝一番で拉致されてしまった。

 家を出てカギを閉めようとしたところで僕の記憶は途切れている。

 気がついた時には床に転がされていた。

 しかもうまく動けない。

 ぼんやりとした頭のまま起き上がろうとしたのだけれど、無意識に手をつこうとしてバランスを崩して転がってしまった。

手が動かせなかった。正確には手をつこうとしたのだけれど、後ろ手で手錠がかけられていたので自由に動かすことができなかった。

「なんだこりゃ?」

 声がうまく出てこない。自分の声じゃないと思えるくらいかすれていて、喉の奥に絡みつくような感じだった。

 うめき声が聞こえてきた。でもそれは僕自身が発していた。

 身体もだるい。

 身体全体がしびれているような感覚で、頭もうまく働いていないようだ。

 視界もぼやけていて焦点もうまく合わなくて気持ちが悪い。

 それにここがどこだか見当もつかなかったし、自分の置かれている状況がまったくもって理解ができなかった。

 本当にどうなっているんだこれは?

 意識をはっきりさせようと頭を振ってみたけれど、じんわりとした痛みが広がっただけだった。

「あーわけわかんない」

 首だけ動かして周りの様子を見てみると、どうやらここは使われていない空き教室らしかった。といっても学校の教室と比べるとだいぶ狭く感じるし、小奇麗な作りだった。移動できるホワイトボードがあって、部屋の端には折りたためる机やイスが重ねて置いてあった。

 長いこと使われていないのか、全体的に埃っぽかった。

 寝転がされているタイル張りの床にもうっすらと埃が積もっている。

 ブラインドが下ろされている窓からは日の光が差し込んでいて、床に縞模様を作っていた。昼間なのは間違いないようだけれど、今日が今日のままなのかは定かじゃなかった。

 意識を失ってどのくらいここに転がされていたのかまったく見当がつかなかった。

 この部屋には僕以外は誰もいないようだ。

 右のわき腹あたりに鈍痛のような痛みがあって、疲れが抜けきっていない時のように身体が重たくて気だるい倦怠感がある。

 その上後ろ手で手錠でつながれている。直接縛られているわけじゃないから鎖の分、多少でも動かせるのが救いだった。

 身体の柔らかい人なら前の方に手を回してこれたりするのだろうけど、僕には頭の方からも足の方からも腕を抜くことはできなかった。

「まったく」

 思わずぼやきながら身体を動かす。ようやく声も普通に出るようになってきた。

 横向きに寝転がされていたので、下になっていた左肩が痛い。

 後ろ手に拘束されていると、思っていた以上に動きが制限されてしまっていた。

 とりあえず足は縛られていなかったのでうつ伏せになってみた。

 埃っぽい床だけど、意外と冷たくて気持ち良かったりした。

 おかげで少し頭がすっきりしてきた。

 片足ずつ膝立ちになって、四つん這いのような格好になる。手が使えないから顔で体を支える形になった。首に体重がかかって痛いけど、我慢してなんとか身体を起こそうとした。

 起き上がれそうで起き上がれない。

 何度かチャレンジしたけれど、膝と首が痛くなって疲れただけだった。

 黒い制服も埃で白っぽくなってしまった。

 今度は仰向けに寝転がってみる。お尻の下に両手をいれて、足で何度か反動をつけて一気に起き上がる。

 うまくいった。

「……ふう」

 胡坐をかいて大きく一つ息を吐き出す。ここからがまた一仕事だ。

 手が使えないだけでこんなにも苦労するのだと実感した。

 改めて部屋を見回すと、薄い仕切りと壁とドアがある。どうやらここは塾か何かの建物のようだ。

 電気はついていない。

 こうして少し落ち着いて冷静に状況を確認してみると、どうやら僕は拉致されて誘拐されて監禁されてしまっているわけだ。

「やっぱり姫関係なんだろうな」

 だけど今回の相手は姫乃関係でも鬼姫に敵対している連中なんだろう。じゃなきゃいくらなんでもこんな乱暴に扱われるわけがない。

 姫乃と友達になるということは覚悟がいることはわかっていた。僕が狙われるかもしれない立場にいるということも教えてもらった。そしてそのことが、僕自身が姫乃の弱点になってしまう可能性についても話を聞いていた。

 狙われる危険性について実はあまりピンと来ていなかった。でも忍に忠告されたばかりだから気をつけるつもりだったし、油断しているつもりもなかった。

 でもまさかこんなに早いとは思いもしなかった。

 さっそく掴まってどうするんだよ。

 なんとか逃げ出さなければならない。

 できれば姫乃に知られる前に自力で脱出したいところだ。

 学校に姿を見せない僕のことを姫乃はきっと不審に思うはずだ。でも僕が一日以上気を失っていたわけじゃないのなら、もしかしたら体調が悪いだけだと思ってくれるかもしれない。

 ここを抜け出して財布の中にある名刺を使って洋子さんに連絡さえ取れれば、姫乃に気が疲れないように処理してくれるはずだ。

 立ち上がってドアへと向かう。

 異様に身体が重く感じる。まるで自分の身体じゃないみたいだ。足もふらつくけれど、どうにかドアまではたどり着くことができた。

 ラッキーなことに、カギはかかっていないようだった。

 後ろを向いてドアノブを掴んで回そうとした時だ。

「なんだぁ?」

 という驚きの声と共にドアが勢いよく開かれた。

 ドアは内側に開くタイプだった。つまり僕は背中を思いっきり押された形になる。

 たたらを踏んで転ぶのはこらえた。

 何が起こったのか確認しようと振り向く前に、もう一度背中に衝撃がきた。

「うわっととぉおお」

 今度はこらえきれずに転んでしまった。ちゃんとした受け身はとれなかったけれど、転がるように転んだからダメージは軽減できたと思う。

「大人しくしてくれなきゃ困るんだよね」

 男の声が聞こえたと思ったら、右の腿に激痛が走った。

「……ッ!」

 もう一度痛みが来る。足を抱えて転がりたいところだけれど、残念なことに手は自由に動かすことができない。

 男がつま先で蹴りをいれる。

 動きが不自由なせいで裂けることも逃げることもできなかった。

 できるだけ身体を丸めて痛みを耐える。

 痛すぎて声も出ない。

 骨を折ったり打撃で相手を倒そうという蹴り方じゃない。ただ単に相手に痛みと苦痛を与えるための蹴り方だった。

 ふくらはぎを踏みつけられる。

「こんなに早く気がついちまうなんて、スタンガンも案外たいした事ねえなあ」

 と言ってまた一蹴りする。

 なるほど僕はスタンガンの一撃をくらって気を失っていたようだ。

「やっぱ最大出力ってのでやりゃよかったんだよ。死んじまったってこっちは関係ねえんだからよ」

 物騒なことを簡単に言ってくれる。けれど今の僕にはそれに言い返すだけの気力はなかった。ひたすら痛みに耐えるだけだ。

「まあ生きている方がこっちも都合がいいんだけどな」

 男は足の裏で僕の肩を押す。

 抵抗する力もなく僕は仰向けに転がった。

 涙で視界がぼやけていた。瞬きをすると涙が目の端から流れてしまった。

 泣いていると思われたくないけれど、涙を拭うこともできない。

 男の姿が見えた。見覚えのない男だった。

 にやけた表情を浮かべて僕を見下ろしている。

 一言で説明するとすれば、ちゃらい男だった。よくテレビとかに出てくるガラと頭の悪いホストのような男だ。長めの茶色い髪の毛を後ろに流すようにセットして、耳にはいくつものピアスが並んでいた。光沢のあるスーツに黒いワイシャツで派手なネクタイを締めている。年齢は意外と若そうだ。指にごつい指輪をいくつもはめていた。

 あの手で殴られたら痛そうだ。

 ピカピカに磨かれた革靴は先がとがっていた。

 なるほどあの靴で蹴られていたのか。通りで痛いはずだ。

 怒りが込みあげてきて僕は男を睨みつけた。

「あぁん? なにその目つき。むかつくんですけど」

「グフッ!」

 僕の態度がよっぽど気に入らなかったらしい。

 脇腹に男の革靴が突き刺さった。

 激烈な痛み、呼吸が止まる。息を吸い込むことも吐き出すこともできない。ただただつらくて鈍い痛みが内臓を伝わって腹部全体に広がっていく。

 いい場所に一撃が入ってしまったようだ。悶えることしかできなかった。

 再び涙があふれてくる。

 苦しむ僕を男は笑いながら見ていた。

「おい! 早くビデオカメラ持ってこいよ!」

 何を思ったのか男は部屋の外に向かって呼びかけた。

 すると僕とあまり年が変わらなそうな少年がビデオカメラを片手に部屋に入ってきた。いかにも不良といった雰囲気の少年で、ニット帽と黒の革ジャンというスタイルだった。

 男も不良の少年も迫力という点では、龍虎さんやシンさん、カツマ君たちと比べると数段劣る。格が違うのが見ていてわかる。まともにやりあったら絶対に相手にならない奴らだ。

 もちろん姫乃の相手になるような連中ではない。

 そんな奴らに拉致されて痛めつけられている自分が情けなかった。これでは姫乃をはじめとしていろんな人に迷惑をかけるばっかりだ。

 不良少年もビデオカメラで僕を撮りながらニヤニヤと笑っている。

「さてと」

 男は僕の顔を逆さに覗き込むようにしゃがみ込んだ。そして髪の毛を乱暴に掴まれたかと思ったら無理矢理顔を持ち上げられた。

 くそう、禿げたらどうするんだ。

「は~い、鬼姫の彼氏ゲットしました!」

 まるで記念写真を撮るような軽さだった。実際に記念写真なのかもしれない。わざわざ顔を並べるように近づけてきて、ビデオカメラに一緒に写っている。

 ピースサインでもしそうな勢いだ。

「……僕は彼氏じゃないぞ」

 首を折り曲げるきつい体勢のせいでうまく声が出ない。苦しげな声になってしまったけれどなんとかそれだけは言った。

「はあ? 嘘言ってんなよ」

 まったく信じてない口調だ。やっぱり忍のいう通りらしい。

「こっちは調べがついてるわけよ。お前が鬼姫の男だって情報はしっかりつかんでるわけ。だから嘘ついたって無駄なわけよ。わかる? さてさて自分の男を痛めつけられて、鬼姫さんはどう思うかな? 怒り狂うか? それともよわっちい男に愛想を尽かすか?」

 自分の所為だと泣くんじゃないかな。なんとなくだけどそう思った。

「どっちにしろあの鬼姫の奴に、この俺が、あの鬼姫にだぜ。ひと泡吹かせてやろうってんだから愉快でたまんないよな!」

 馬鹿みたいに笑いながら男は掴んでいた髪を乱暴に離した。

 急に支えがなくなって頭が床に激突する。

 痛かった。痛かったけどそれ以上にムカついていた。

 何か言い返してやろうと口を開きかけた時だった。

 不良少年が間抜けに口を開けて唖然としている事に気がついた。構えていたビデオカメラが中途半端な高さで漂っている。

「おい、ちゃんと撮れよ。鬼姫に送ってやるんだからよ」

「……金田さん……こいつ、鬼姫の男なんですか?」

 不良少年の顔にニヤニヤ笑いはもう浮かんでいなかった。声には怯えが混じっていた。

「言ってなかったっけ?」

「聞いてないっスよ!」

 悲鳴だった。

 今の今まで不良少年は僕が誰なのかわかっていなかったようだ。今も正確には把握しているとは言えないけれど。

 鬼姫の男という表現は間違っているのだけど、訂正しても無駄かな。

 それにしても拉致して監禁している相手のことも知らないのに、それを面白がってビデオカメラで撮影している神経がわからないぞ。

「ガキを拉致って痛めつけるだけっていってたじゃないですか?」

 ついさっきまで男と一緒になって僕のことを馬鹿にしてたように眺めていた不良少年が、今では怯えた表情を浮かべていた。

「だからその通りじゃねえか」

 金田と呼ばれた男は平然としている。

「でも相手が鬼姫だったら引き受けなかったッスよ」

「うっせぇな。てめえも薬を好きなだけやるっつたら喜んでたじゃねえか」

「そうですけど、でも……」

 不良少年は今にも泣きそうな顔になっていた。

 さすが鬼姫の名は伊達じゃない。

「いいかよく聞けよ。いくら鬼姫ったってこの場所はそう簡単にわかるわけがねえ。俺はこれからこいつを痛めつける。てめぇはそれをビデオに撮る。ここまではいいか?」

 金田は不良少年の首に腕を回して諭すように語りかけた。

「てめえはビデオを撮るだけだ顔は映らない。こいつを殺しちまえば、誰もてめぇがここにいたなんてわからねえって。俺がこいつを痛めつけているところを撮影するだけで、てめぇもてめぇの仲間も好きなだけ薬が手に入るんだぜ。どうするよ?」

 すっかり怯えていた不良少年だったのだけど、くるりという誘惑には逆らえなかったようだ。

 金田の説得に頷いて再びビデオカメラを構えなおす。

「じゃ、じゃあこんなやつとっととシメちゃって、早いとこ逃げましょうよ」

 とんでもないことになった。最初から非常事態だったけれど、これはマジで緊急事態だ。

「しょうがねえなぁ。ゆっくり痛めつけてやるつもりだったんだけどよ。つまんねえけど、サクッとヤッちまうか」

 物騒すぎるセリフを吐いて金田はポケットからナイフを取り出した。

 僕は金田から少しでも離れようと床を転がった。けれどもすぐに壁に行きついてしまう。

「くそっ! 冗談じゃないぞ」

 とにかく時間を稼いで少しでも状況をよくしたかった。せめて立ち上がることができれば逃げ出すチャンスも生まれるかもしれないのだ。

 腕を力いっぱい引っ張るけれど手錠の鎖はびくともしない。これが縄だったらもしかしたら解くこともできたかもしれないけれど、さすがに鉄製の手錠には歯が立たなかった。

 金田は僕をいたぶるようにナイフをチラつかせながらゆっくりと近づいてくる。

 壁に背中を預けるようにしてなんとか座ることができた。そこから立ち上がろうとしたのだけど、足を蹴られすぎたせいで力が入らなくてバランスを崩してしまった。

 金田が近づいてくる。不良少年もビデオカメラを回して近づいてきた。

 その時だった。

 誰かが走って近づいてくる音が聞こえた。

 ドアが勢いよく開け放たれた。

 入ってきたのは新たな不良少年だった。

 荒い息使いで部屋を見回す。目が完全に血走っていて、顔は青ざめていた。

「た、大変だ! 鬼姫が殴りこんできた!」

 それだけ怒鳴ると奇声を上げながら走り去っていった。

 喚き散らす声が突然ぴたりと聞こえなくなった。

 金田も不良少年もびっくりしたようにドアの方を眺めていた。

 僕から注意が離れている今がチャンスだった。壁に身体を押しつけるようにして、痛む足がなんだと気合を入れて立ち上がる。

「や、やっぱり鬼姫なんかに手を出しちゃいけなかったんだぁ」

 不良少年はビデオカメラを投げ捨ててドアに向かって駆け出した。

「おいバカ! 待ちやがれ!」

 金田の制止を無視して不良少年はこの部屋から逃げるために必死に走る。ところがドアの直前で硬直したように立ち止った。

「ま―――――――!」

 何か言おうとしたようだったけど、言葉にすることができないままその場で崩れ落ちた。

 現われたのは姫乃だった。

 僕の見たことのない、鬼姫の表情をした姫乃がいた。そして姫乃は制服姿で白木の柄の日本刀を引っ提げていた。不良少年もその日本刀で問答無用で打ちすえたようだった。最初はびっくりしたけれど峰打ちのようでホッと一安心だ。

 と、人のことを心配している場合ではなかった。

 姫乃は僕の姿を見つけると一瞬泣き笑いのような表情を浮かべた。

 けれどもすぐに金田に向き直り、無表情だけど怒りに満ちた瞳で睨みつけた。

 動いたのは二人同時だった。だけど倒れている不良少年の所為でほんのちょっとだけ姫乃の動きが鈍ってしまった。

 僕もなんとか回り込んで姫乃に近寄ろうとした。なのにこんな時に、僕の足は突然力が抜けてしまい、足をもつれさせてしまった。

「逃がすかよ」

 金田の手が僕の襟首をつかむ。そのまま腕が首にまわされて完全に捕まってしまった。

「それ以上、近寄るんじゃねえ」

 僕の首にナイフを突き付けて金田は姫乃に向かって叫んだ。

 あとたった一、二歩の差だった。手を伸ばせば届く距離だ。

 金田は左腕で首回りを締めるようにして、右手に持ったナイフを首元に押し付けてくる。そのまま後ろ向きに下がりながら姫乃からの距離を取った。

「まずはその物騒な刀を捨てやがれ!」

 壁を背にして金田は姫乃に要求した。

「早くしねえか。てめえの彼氏がどうなっても知らねえぞ」

 ありきたりな脅し文句だ。それでも効果があった。姫乃は金田を睨みつけたまま黙って日本刀を床に投げ出した。

「優太さんにちょっとでも傷をつけてみろ。生まれたことをきっと後悔させてやるからな!」

 はじめて聞く姫乃の乱暴な言葉遣いだった。普段よりも低い声で怖いくらいにドスが利いていた。姫乃の身体中から怒りのオーラがあふれ出してきそうで、押さえつけられた虎のような雰囲気だった。じっとしていられないのか手を開いたり閉じたりしている。 

「他に武器があるんならそれも捨ててもらおうか。じゃないとこいつの目をえぐっちまうぞ」

 そう言って金田はナイフの切っ先を左目のギリギリまで近づけてきた。尖端恐怖症ではないけれど、さすがにこれは恐ろしい。ナイフの切っ先が細かく震えている。下手にちょっとでも動いたら刺さってしまいそうだ。

「わかった。今から拳銃を取り出す。だからそのナイフを離してほしい」

「うるせぇ、俺に指図するんじゃねえよ。さっさとしやがれ」

 金田が怒鳴るたびにナイフの先が不安定に動く。無意識なのだろうけど首にまわされている腕にも力がこもって苦しかった。それでも姫乃が自分のいうことを聞くことがわかったせいかナイフは眼球近くから移動されて再び首元に押し付けられた。

 姫乃はゆっくりと両手を広げるようにしてから、人差し指と親指で挟むようにして腰の後ろから拳銃を取り出した。はじめて実物を見たけれど、絶対に本物だろう。

「へへへ、いい物を持ってんじゃねえか。そいつを床に置いてこっちに滑らせな」

 姫乃は言われたとおりに拳銃を床に置くとこちらに向かって滑らせた。金田は滑ってきた拳銃を足で踏んで受け止めた。

「他にはないだろうな?」

「もうない。わたしは丸腰だ」

 それを証明するように姫乃は両手を広げてみせた。

「信用ならねえな。女はどこに何を隠してっかわからねえからな」

「どうしろというのだ?」

 嫌な予感がした。そして予感は当たってしまった。

「脱げ。素っ裸になって何も持っていねえってことを証明しろ!」

「わかった」

 無表情なまま姫乃はそっけなく答えた。そして何の躊躇もなく制服のスカーフに手をかける。

「姫! ダメだよ。そんなことしちゃダメだ!」

 今まで黙って成り行きを見守っていたけれどもう我慢ならない。冗談じゃない。

 首元にナイフが押しつけられている事も忘れて僕はもがいていた。金田を壁に押し付けようと体重を後ろにかけ、首にまわされた腕をほどこうと身体をひねった。

「てめえ動くんじゃねえよ。今すぐぶっ殺すぞ!」

「優太さんダメです! 動かないで!」

 金田の怒鳴り声と姫乃の悲鳴が部屋に響く。

 僕と金田はもみ合いになった。だけどすぐに僕は金田に抑え込まれてしまった。壁に押し付けていたはずがうまく体勢入れ変えられてしまっていた。僕の首を左手で掴んで締めあげながら顎の下にナイフの先を突き付ける。

 狂気の浮かんだ目が僕を睨みつけていた。

「本当に殺っちまってもいいんだぞ。この状況だ、俺だって無事に逃げられるとは思っちゃいねえんだ。だがよ、鬼姫に苦痛を与えることができるんだったら俺は何だってするぞ。ほら鬼姫さんよ、手が止まってんぞ。それとも彼氏を先にぶっ殺しちまおうか?」

 姫乃は僕の顔を見つめると微かに微笑んで見せた。

「優太さん、大丈夫です。きっと助けますから。だからじっとしていてください。わたしは平気ですから」

 そう言って姫乃はスカーフをほどくとゆっくりと胸元から抜き取った。そしてスカーフから手を離す。スカーフはふんわりと浮かびながら床へと落ちていった。

 姫乃は続いてセーラー服の首元のホックをはずしていく。白い首と鎖骨があらわになる。

「いいねえ、彼氏愛されてんじゃん」

 にやけながら金田は顔を近づけてくる。馬鹿にした口調だった。

「うるせえ」

「ああん? 何か言ったか?」

「うるせぇっていったんだ。あんたは絶対許さない」

 精一杯僕は金田を睨みつけた。金田が憎かった。それ以上に何もできない自分が、姫乃を窮地に追い込んでいる自分が許せなかった。

「言ってくれるじゃねえか。許さないってんならどうするんだ? ええ?」

「優太さん、大丈夫ですから」

 姫乃が心配そうにこちらをうかがっていた。

 わかっている。今の僕には何もできない。だけどきっとチャンスがあるはずだ。

 だから今は耐えるしかないとわかっている。

 悔しいし内臓がねじれるくらいに煮えくりかえっているけれど、がまんだ。

「てめえはとっとと脱ぎやがれ!」

 救世主はシンさんだった。

 姫乃が再びセーラー服に手をかけた時、シンさんが落ち着いた様子で部屋に入ってきた。

 シンさんは一目で現在の状況を理解したようだ。

 スッと目を細めると、あっけにとられるくらい平然と姫乃に歩み寄った。

「や、やろう、動くんじゃねえ」

 金田が気づいて怒鳴り声をあげた時には、すでに姫乃の脇に控えるように立っていた。

「お嬢、ここ以外はすべて片付きやした」

「そうですか。ご苦労様でした。それでは優太さんを助け出して、このような場所から一刻も早く立ち去ることにしましょう」

 シンさんの登場で頭に血が上っていた僕も冷静になることができた。シンさんは僕にも好意的だったけど、こういう場面ではまず第一に姫乃の安全を図ってくれるはずだ。状況は僕たちに圧倒的に有利になりかけていた。

 そのことに気づいていないのは金田くらいだ。

「なにのんきにおしゃべりしてんだよ。てめえら自分の立場ってのがわかってんのか? そこのお前、とっとと武器を捨てやがれ!」

「お断りしやす」

 予想通りシンさんはあっさりと金田の要求を突っぱねた。

「んだと? こいつがどうなってもいいてのか?」

「もちろん無事に返していたたけりゃそれが一番ですが、どうしてもという場合は、加藤さんには申し訳ありやせんが、あたしとしてはお嬢の身を守るのが最優先なんで」

 金田もようやく僕の人質としての価値が低下している事に気がついたようだ。

 焦った様子で僕の身体を壁から離すと、また喉元にナイフを突き付けながら盾にするように後ろに回り込んだ。

 これだってシンさんが拳銃を持っていれば最悪僕ごと撃ってしまえば一件落着だ。

 金田はナイフを左手に持ち替えて、右手を床に伸ばした。床には姫乃が捨てた拳銃がある。

 立ったままでは当然だけど床には手は届かない。金田は斜めに身を倒す不自然な格好をしてそれでも僕のことは離さずに拳銃を拾おうと必死に手を伸ばしている。

 待ちに待ったチャンスだった。

 金田の右手が拳銃に届いた瞬間、僕から注意がそれたのがわかった。僕は右足を大きく上げて全体重をかけて金田の左足を踵で踏みぬいた。

 金田が絶叫する。

 僕を掴んでいた腕の力も緩んだ。その隙を逃さないで強引に金田から身体を引き離した。もしナイフが刺さってしまったとしてもそれは覚悟の上だった。

 姫乃とシンさんが同時に動いて金田に向かっていく。

 あっという間に金田は叩きのめされた。

 金田から離れた僕はバランスを崩してそのまま床に転がってしまった。手は使えないし足も然りと力が入らなくて踏ん張りがきかなかった。だから肩からもろに突っ込んでしまった。

 でもナイフは運よく刺さらなかったし一件落着だ。

 身体中痛いところはいっぱいあったけど、しばらくはこのまま寝転がっていたかった。

「殺せばいいじゃねえか。どうした。さあ殺せよ!」

 金田が騒いでいた。姫乃とシンさんに叩きのめされて気を失っていないとはたいしたものだ。

「殺しませんよ。言ったはずですよ、生まれてきたことを後悔させたやると」

 氷の様に冷たい口調だった。騒いでいた金田も黙ってしまった。

「それに人を殺すとお金がかかるんですよ。知らないのですか?」

「お、俺をどうするつもりだ?」

「寒いのと暑いの、どちらがいいですか? あ、海の底というのもありましたね。世界には労働力を必要としている場所はたくさんありますから。あなたが生きている間はわたしたちのもとに紹介料が払い込まれますから、できるだけ長生きしてくださいね」

「ふ、ふざけるな! 俺はそんな場所にはいかねえぞ」

「いい加減、静かにしてもらえませんかね。臭くってたまりませんわ」

 そう言ってシンさんは金田の顎のあたりに一撃をくらわした。それだけで金田は白目をむいて失神してしまった。

「終わったっスか?」 

 タイミングを計っていたかのようにカツマ君が顔を出した。そして意識のない不良少年や金田を運び出していく。

 そんな様子を僕は寝転がったままぼんやりと眺めていた。

 不思議なことに姫乃は金田と話した後は僕に背中を向けてぽつんと立っていた。

「若様、ご無事で何よりでした」

 突然耳元で声がして飛び上がるくらい驚いた。

「今回の件、風間忍一生の不覚です。あの金田という男、昨晩鬼塚家が潰した麻薬組織の下っ端の下っ端だったため、完全にリストから外してしまっていました。まさかこのような暴挙に出るとは……。完全にあたしのミスです。どのような罰も受ける所存です」

 気配も姿もないのに声だけが聞こえてきた。

「まあいいさ。無事だったんだから」

「しかしそれでは……」

「じゃあさ、この手錠外せる? いい加減手も痛いしさ」

「……承知いたしました」

 なにをどうやったのかわからないけれど、あっさりと僕は自由を手に入れることができた。

「ではまた後刻」

 忍は手錠を外すと完全にどこかに行ってしまった。本当に忍者っているんだ。

 両手を使って身体を起こし立ち上がろうとして失敗した。

 情けないことに腰が抜けてしまっていた。

「姫、ちょっといいかな?」

 声をかけると姫乃は肩を震わせて、恐る恐るといった様子で振り向いた。

 姫乃は泣いていた。

 目を赤く充血させて声を出さずに泣いていた。

「姫、ごめんね。いっぱい心配かけちゃったし、迷惑もかけちゃったね」

 姫乃は頭を振る。長い黒髪が姫乃の動きに合わせて左右に揺れる。

「それと昨日は変な態度とっちゃってごめんね。実はさ、ある人から姫とつき合っちゃえばなんて言われちゃって、それで照れちゃったというか変に意識しちゃったっていうか。とにかく嫌な気分にさせちゃったよね。許してくれるかな?」

 姫乃は頷いてくれた。

「わ、わたしは、優太さんに、その、嫌われちゃったのかと、思ったので、違うとわかってうれしいです。で、でも、わたしはやっぱり………優太さんと……仲良くするわけにはいかないみたいです」

 姫乃は泣いていた。

 泣き笑いの表情を浮かべて、決意をしたようすで泣いていた。

「わたしは、優太さんに友達だと言ってもらえて、とてもうれしくて、優太さんのことは大好きだったから、とてもうれしくて……迷惑をかけちゃうと思ったけれど、どうしても我慢できなくて……わたしは友達を作っちゃいけないのに……優太さんに友達だと言ってもらえたのがすごい幸せで……」

 姫乃は泣いている。

 両目からたくさんの涙を流して泣いていた。

「お弁当をおいしいといってもらえたのがうれしくて……一緒にお弁当を食べている時間が幸せで……一緒の学校から帰るのが楽しくて……席が隣同士になれて学校に行くのがものすごく楽しみになりました。でも、やっぱりもう一緒にいるのは無理みたいです」

「それは僕とはもう友達ではいられないってこと?」

「はい、大好きな優太さんと過ごせた一週間は忘れません。本当に幸せでした。どうもありがとうございました」

 姫乃は泣いていた。

 僕のために身を引く決意をして泣いていた。

 僕に負担をかけないために泣いていた。

「わかった。友達でいるのはやめよう」

 さすがにショックを受けた様子で姫乃の顔が強張る。

 離れた場所にいたシンさんも驚いたような表情を浮かべている。

 なんだかすっきりした。

 晴れ晴れとした気分で僕は姫乃に笑顔を向けた。

 そして腰が抜けて座ったままなのが情けないけれど、右手を差し出した。

「僕も姫乃のことが好きだよ。だからつき合ってください」

 はじめて姫乃のことを呼び捨てにした。でもこれが僕の決意だった。

「えっ?」

 姫乃は驚きで固まっていた。

 涙は止まっていた。

「姫からの告白の返事なんだけど、僕じゃダメかな?」

「そんな、ダメじゃないです。で、でもいっぱい迷惑をかけちゃうと思いますよ」

「うん、そうだね」

「今日みたいなこともあるかもしれませんよ」

「うん、そうだね。でもその時はまた助けに来てくれるんでしょ?」

「は、はい必ず、必ずお助けします」

「だったら問題ないじゃん。僕も捕まったりしないよう気をつけるし。あと何か問題あるかな?」

「あ、あの本当にわたしでいいんですか?」

「うん、そうだよ。姫じゃないと嫌だな」

「わ、わたしも優太さんじゃないと嫌です」

 姫乃が飛びついてきた。

 こうして僕たちはつき合うことになった。



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