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鬼姫伝説 ~僕の彼女は最強です~  作者: すずたけ
僕と彼女の一週間
16/21

四日目 水曜日 その2



 パトカーは家の真ん前にエンジンをきって駐車していた。外から見た感じだと、運転席に制服姿のお巡りさんが一人、後部座席に背広姿の男が二人乗っていた。

 特に悪いことをしたという覚えはないけれど、パトカーの側に近寄るとどことなく身構えてしまう。

 近所で何かあったのかな。

 それにしても僕の家の真ん前に停めなくても。邪魔だな。などと思いながら、パトカーの様子を横眼で見つつ脇を通り抜けた。

 自転車をガレージに停めてカギをかけていると、後ろからドアを開けて閉める音が聞こえてきた。

 まさか僕には関係ないよなと思っていると、肩を叩かれた。

 嫌な予感を感じながら振り向くと背広姿の男が二人、目の前に立っていた。

「加藤優太君だね?」

 疑問符はついていたけれど、明らかに僕だと確信している口ぶりだった。

「はあ、そうですけど……」

 いったい何事だろうと身構えながらとりあえず頷いて答えた。

「私は桃井。こっちは柿崎と言って、警察の者です」

 と言って桃井と名乗った男はポケットから警察手帳を取り出して開いて見せてくれた。

 手帳には顔写真や他にも色々と書いてあったけれど、詳しく見る間もなく、警察手帳はしまわれてしまった。

 この二人はきっと刑事さんなのだろう。

 テレビではしょっちゅう登場するけれど、本物を見るのは初めてだ。

 桃井刑事は年配の男性で、ちょっとだけ中年太りな感じでお腹周りがいい感じにふっくらとしている。髪の毛は薄いまではいかないけれど、どことなくさみしくなりかけているようすだった。灰色の背広を着て、やわらかな笑みが浮かんでいた。

 柿崎刑事は若手の体育会系で説明すれば一発でわかってもらえそうな雰囲気だった。短く刈り込んだ髪型で、桃井刑事と比べると明らかに体つきがすっきりしていた。

 それにしても刑事が訪ねてくるような心当たりは……ない。と言いきれないのがちょっと悲しいかも。普通の高校生である僕が警察のご厄介になる理由は、姫乃関係しか思いつかなかった。

「少し話を聞かせてもらいたいのだけれど、構わないかね?」

 これってもしかして職務質問というやつか。

 人生で初めてだ。などと喜ぶようなことじゃない。

 桃井刑事は優しげな口調で話していた。けれども小市民でごくごく普通の高校生にすぎない僕にお巡りさんの質問というのは一種の強制力を持っていた。

 例えばカツマ君だったりしたら、ふざけるな冗談じゃねえ、ってな感じで突っぱねることもできるかもしれないけれど、僕には無理だ。

「えっと、なんですか?」

 何を訊かれるのかドキドキしながら僕は返事をした。

 桃井刑事は話しやすそうな雰囲気を持っているけれど、その後ろにいる柿崎刑事は怖い顔をして立っていて、僕を落ち着かない気持ちにさせた。

桃井刑事が飴ならば柿崎刑事は鞭って感じだ。

「うん、たいしたことではないのだけれどね。ここではなんだから、署の方に一緒に来てもらいたいのだよ。大丈夫かな?」

 ますます悪い予感がする。

「警察署に……ですか?」

「そう」

「これからですか?」

 だんだんと薄暗くなってくる時刻だった。それに警察署に連れて行かれるのもやっぱり抵抗がある。困惑していると桃井刑事はにこにこ笑いながら僕の肩に手を置いて、

「なぁに、たいして時間はとらせないよ。もし遅くなっても帰りはちゃんと送らせるから」

 と言った。

 やっぱり僕には拒否権はないらしかった。

 鞄だけを玄関に放り込んで、僕は制服姿のままパトカーに案内された。

 桃井刑事に促されてパトカーの後部座席に乗り込んだ。すぐ後ろから桃井刑事が続き、反対側のドアからは柿崎刑事が乗り込んできた。

 昨日は強面の男たちと一緒だった。そして今日は刑事さんに左右を挟まれてパトカーの後部座席に三人並んで座ってドライブする羽目になってしまった。

 はじめて乗ったパトカーは乗り心地は悪くはなかったけれど、居心地的には最悪だった。

 今の僕の気分をどう表現したら一番しっくりくるかわからないけど、一言で説明するならば「とほほ」な感じだった。

 これではまるで連行されているようだ。

 あれ? まるでじゃなくて、もしかして僕って連行されているのか。

 車内では桃井刑事も柿崎刑事も運転手のお巡りさんもずっと黙ったままだった。もちろん僕も「なぜ警察署に連れて行かれるのか?」とか聞きたいことは山ほどあったけれど、質問してもいいような雰囲気でもなく、黙ってできる限り身を小さくして大人しくしていた。

 パトカーにカーオーディオはついているのかは知らないけれど、僕が乗っている間はラジオが流れることもなく、全員が終始無言だったので静かすぎるくらいに静かだった。

 だから警察署までの一〇分くらいの道のりが、僕の体感時間では一時間以上かかったような気がした。

 警察署に着くと、前を歩く桃井刑事と後ろの柿崎刑事に挟まれるようにしてスチール机とイスだけしかない小部屋に案内された。

「すぐに担当の者が来るからね。少し待っててもらえるかな」

 そう言い残して、桃井刑事と柿崎刑事は小部屋から出て行った。

 結局、柿崎刑事は一言もしゃべることはなかった。

 部屋に入る時に見たのだけれど、この小部屋の入口の上には取り調べ室と書いてあった。

 あまり座り心地のよくない丸椅子に座って、キョロキョロと部屋を見回した。

 なにもない部屋だった。

 壁の高い位置に曇りガラスの小窓があって、しっかりと鉄格子がはまっていた。僕が座るイスと引き出しのない灰色のスチール机がある。向かい側にはちょっとだけ坐り心地がよさそうな背もたれつきの事務椅子があった。

 あとは入口のすぐ脇に小さな机とイスが置いてあるだけだった。

 部屋を囲む壁も変哲のないただの壁に見えた。けれどもこの壁のどこかにマジックミラーが隠されているかもしれない。

 と思ってじっくりと観察してみたけれど、僕にはまったくわからなかった。

 こういう部屋に一人ぽっちでいるとだんだんと不安な気持ちになってくる。自分は何も悪いことはしていないのに、何か犯罪を犯したような錯覚に陥ってくるから不思議だ。

 とりあえず「冤罪だ!」と叫んでおこうか。そんなくだらない考えが浮かんできた。最初は軽い冗談のつもりだったのだけれど、本気で叫んじゃおうかなと思い始めたころ、ドアがノックされた。

 入ってきたのは、制服をきっちりと着こなした婦人警官だった。

「やあ待たせて済まなかったね。すぐに来るつもりだったのだけれど、部屋を出る直前にちょっと捉まってしまってね。これでも精一杯早く話を切り上げてきたのだが、君には退屈な時間を過ごさせてしまったね。悪かったね」

 やけにフレンドリーに早口で話すと、目の前の椅子に腰かけた。

「君が加藤優太君かぁ」

 やけに楽しそうな雰囲気で、両手を机について身を乗り出してきた。

「うん? うん? うん?」

 身体を左右上下に動かしていろんな角度から僕のことを観察しては頷いている。

 きれいな人だった。

 特に顔を動かすと流れるように動く黒髪はシャンプーのCMでも通用しそうだ。

 若そうに見えるけど、嬉しそうに笑う目じりの辺りに細かいシワが見えるから、もしかしたら結構年はいっているのかもしれなかった。

「うん、いいね。あの人は見た目はぱっとしないなんて言っていたけれど、私はかわいいと思うな。うん、合格」

「………」

 突然の展開についていけなくて、僕は唖然と目の前の婦人警官を眺めていた。

 僕のことはお構いなしで、一人で納得して頷いている。

「ああ、ごめんごめん。驚かせてしまったね」

 とりあえず満足したようで婦人警官はイスに座り直して、両手を机の上で組むと真面目な表情を浮かべた。

「ところで君はカツ丼は好きかね?」

「………」 

質問の意味がわからなかった。

 いやいや、言っている事の意味はわかったけれど、なんでそんな質問をされるのかがわからなかった。

「あれ? もしかしてカツ丼は嫌いなのかな? 好き嫌いはないと聞いていたのだが」

「あっと、えー、好きですけど」

 と答えると、婦人警官はうれしそうに「そうだろう、そうだろう」と頷いている。

「やはり取り調べ室といえばカツ丼はつきものだものな。そう思わないかい?」

「はあ」

 同意を求められても困るというか。この状況は何だ。

 戸惑いっぱなしで僕はどんな表情を浮かべたらいいのかも迷っていた。

 婦人警官のペースにまるっきりついていけない。ただ、一人で取調室にいた時の不安感はいつの間にかなくなっていた。

 それでも状況の意味がわからないのは変わっていないのだけど。

「ああ、そうか!」

 いきなり婦人警官は何かを思いついた表情を浮かべると、組んでいた手をほどいて手のひらを合わせて指の先で顎のあたりを触った。

「さっきから何を困った顔をしているのかと思ったら、そう言えばまだ私は自己紹介もしていなかったね」

 と言ってにっこりと笑った。

「君の話はよく聞いていたから会ったことはなくても、すっかり知り合いの気分になっていたよ」

「……そうなんですか?」

「そうなのだよ。君の話は昔からよく聞いている」

「昔から?」

 さすがに驚いた。なんだか驚きっぱなしだ。でもあまりうれしい話ではなかった。

 最近は学校中で注目の的になってしまっている。それについてはしかたがないとあきらめもついてきたところだ。

 だけど警察の人にも僕のことを知られているとは思わなかった。

 それに昔からというのがいつからなのかも気になるところだ。

 誰がこの婦人警官に僕のことを話したのだろう。

 いまでこそ姫乃と友達になったことで、今までに縁のなかった世界の知り合いが増えてきたところだけれど、警察関係に注目されるようなことは今までしたことはない。

「ああまた話がそれてしまったね。私の自己紹介をしなくてはね。私は栗原洋子。警察署長をやっている」

 また驚かされた。

「署長さん?」

「あれ? 信じられないかね?」

 僕は思わず頷きそうになってしまった。慌てて誤魔化す。

「あ、いえ、そんなわけじゃないんですけど、なんていうか……」

「なんていうか?」

「えっと、警察署長って、そのおっさんのイメージがあったから」

 鼻の頭をかきながらぼそりと答えると、婦人警官、じゃなくて警察署長の栗原洋子さんは大爆笑だった。

「なるほどなるほど。確かにそうだ」

 目の端に浮かんだ涙を指でぬぐいながら署長さんはまだ笑っている。

 笑いながら胸の内ポケットから小さな手帳のようなものを取りだした。

「こればかりは信じてもらうしかないのだが、これを一枚、君に渡しておこう」

 小さな手帳のようなものを開くと、中から一枚の名刺を取り出して、机の上を滑らせて僕の目の前に置いた。

 名刺には栗原洋子という名前の他にいくつかの役職が書いてあった。

 一つは、警察署長という肩書で、もう一つは警視という階級だった。

 名詞と署長さんの顔を交互に見比べる。目の前で楽しそうに笑っている女性と名刺の肩書がいまいちぴんとこなかった。

 けれども嘘をついているようにも見えない。第一、警察署の中でこんな嘘をつくような婦人警官がいるわけもなかった。

 ため息が出る。

 昨日はやくざの親分で、今日は警察署長ときた。僕の交友関係も随分とバラエティに富んできたものだ。

「ため息などついてどうかしたかね?」

「いやぁ、えらい人だったんだなぁと思って」

「うん、偉かったのだよ」

 あっさりと肯定して、頬杖をつく。まったく嫌みのない感じだった。

「これでも世にいうキャリア組というやつだったのだよ。昔は女性初の警視総監だとか言われていたこともあったのだよ。すごいでしょ」

「すごいですね」

 素直に感心していると、署長さんはうれしそうにほほ笑んだ。これって自慢話なのかもしれないけれど、全然偉ぶっているところもないし、自然な様子だ。

「でもそんなすごい署長さんがなんで僕のことを知っているんですか?」

 署長さんのペースに巻き込まれてしまっていたけれど、腑に落ちないことがたくさんあった。

 なぜ連れてこられたのかもそうだし、なんで僕のことを知っているのかも疑問だ。それにどうしてこんなにフレンドリーなのかも気になるところである。

「君の質問はもっともだけど、私から一つお願いがあるのだけどいいかな?」

「なんですか?」

 思わずちょっと身構えてしまう。そんな僕の様子を気にする風もなく署長さんは、

「私のことは署長さんではなく、洋子さんと呼んでくれたまえ」

 と、ウインクしながら茶目っ気たっぷりに言ったのだった。

「いやあの署長さん?」

「違うだろ。洋子さんだ」

 冗談ではないらしかった。

「……」

「…………」

 いたずらの結果を待つ子供のように目をキラキラさせた瞳を署長さんは向けてくる。純粋に期待に満ちた視線にさらされて、僕は負けを認めた。

 なんだって警察署長を名前で呼ばなきゃならないんだと思いながらも、呼ばないと話が進みそうになかった。

「えっと……洋子さん?」

「なにかな?」

 署長さん、じゃなくて洋子さんは両手で頬杖をついたまま返事をする。

「お願いを聞いたんですから、僕の質問には答えてくれるんですよね?」

「もちろん。それにお願いを聞いてくれなかったとしても私は君の質問に答えるつもりだったぞ」

「……」

 僕は疑いの目で洋子さんを見た。絶対に僕が洋子さんと呼ぶまで話を進める気がなかったのは明白だ。

 もしかして僕はからかわれているだけ?

「その前にその名刺はちゃんと仕舞っておくことを勧めるな。その名刺も持っていると何かの役に立つだろう。それに困った時は、名刺に書いてある私の携帯にいつでも連絡してきてくれて構わないぞ」

 確かに警察署長の知り合いがいれば、何かあった時に助けになるかもしれない。でもなんだって洋子さんは僕に好意的なのかは分からなかった。

 とりあえず財布を取り出して名刺は中にしまっておく。

「それにしても随分と時間がかかるな」

 洋子さんは腕時計を見て呟いた。

「何かあるんですか?」

「うん。カツ丼を持ってきてくれるように頼んでおいたのだが……そろそろ届けられてもいい頃だと思ってな」

「……さっきのカツ丼が好きとか嫌いとかってそういう意味だったんですか?」

 取調室にはカツ丼がつきものとかいっていたけれど、本当に注文していたとはびっくりだ。

 洋子さんはどこまで本気で僕と話しているのか疑問だ。

「君のご両親は長期の海外出張中なのだそうだな。時間も夕食時なのだし、ここでカツ丼を食べたとしても問題はないだろう? それに取調室でカツ丼を食べる機会というものはなかなか得がたい経験だぞ」

 できれば一生しないで済んだ方がいい経験だ。

「もちろん私のおごりだから安心してくれたまえ」

「はあ、どうも」

 ぺこりと頭だけでおじぎをする。

「君は知っていたかね。刑事ドラマなどで取り調べ中に容疑者がカツ丼などの食事をする場面があるが、実際は本人が自分で料金を支払うのだぞ」

「そうらしいですね」

 あきらめの心境で相槌を打つ。昔はただで食べさせたもらえるものだと思っていたけれど、この話は最近だと結構有名な豆知識だ。

「って、なんでうちの親が海外出張中だってこと知ってるんですか?」

 危うく聞き逃すところだった。たしかにうちの親は一年の半分くらいは仕事の関係で家を開けることが多い。僕が中学生のころまでは父親だけで出張に行っていたけれど、高校生になったのを機に母親も一緒についていくようになったのだ。

 僕の質問に洋子さんはにやりと口の端をあげて、わざとらしく「チッチッチ」といいながら人差し指を顔の前で振って見せた。

「だから君のことは昔から知っているといったはずだぞ」

「……」

 相手は警察署長だし、考えてみれば国家権力なわけだし、調べようと思えばこんなことは簡単にわかることでもある。でもなんで僕のことなんか……。結局は堂々巡りになってしまう。

 なんだか面白くない気分だ。

「さてどうして君のことを私が知っているかという話だったかな」

 ようやく本題に戻ることができた。

 僕は勢い良く頷いた。自然と姿勢も改まってしまう。

「よしカツ丼が届く前に、君の質問に答えてしまおうか。と思ったが、君に確認しておきたいことがあったのを忘れていた。先にこっちの片づけさせてもらっても構わないかね?」

「構わないかねって……僕の質問に答えてくれるんじゃなかったんですか?」

「まあ待ちたまえ」

 文句を言う僕の目の前に洋子さんはさっと手を広げてみせた。

「でも……」

「君の言いたいことはわかる。しかし重要なことなのだ。それに君の聞きたいことにも関連したことだ。そう目くじらを立てないでほしい」

「……わかりました。それでなにが訊きたいんですか?」

 仕方なく、納得はできないけれど洋子さんの要件から片づけてしまうことにした。なんだかうまいこと言われて丸めこまれている気がする。 

 それにさすがは警察署長というべきか、強く文句を言えないような雰囲気もあった。

「では訊くが、三日前の日曜日のことだが、君は乱闘事件を起こしているね?」

「えっ!」

 完全に予想外の質問だった。まさかここで姫乃とはじめて話すきっかけとなった出来事が話題に上るとは思ってもみなかった。

 これはまずい。

 どこまで知られているか分からないけれど、あの事を正直にしゃべることなんかできるわけがなかった。

 背筋に嫌な汗が流れおちた。

 誤魔化すか知らないふりをしなければいけないのだけど、なんにも思いつかない。

 焦って気持ちばかりが空回りしてしまう。

「そう慌てないでほしい。別に事件の取り調べをしているわけではないのだからね。ただその時に、君は一人の女の子を助けているね?」

 この質問もしらをきるしかない。間違っても認めることはできなかった。認めちゃえばその前の質問にも自動的に答えたことになってしまう。

 それに正確には僕は姫乃を助けていない。姫乃をはじめみんな勘違いをしていた。お礼をされるようなことは何一つしていなかった。

 あの時、僕が下手にちょっかいをかけなくても姫乃は不良たちに後れを取るようなことはなかったはずだ。

「私のことを信用してほしいな。君が乱闘事件の現場にいて、女の子に感謝されたということを私は知っているのだよ」

 知っている。と洋子さんは言った。やけに自信のある口ぶりで、確信を持っているようだった。取り調べではないと洋子さんはいうけれど、これってやっぱり立派な取り調べじゃないか。

 僕はそっぽを向いてだんまりを決め込んだ。

 洋子さんがいっている女の子というのは間違いなく姫乃のことだ。つまりここで僕が認めてしまったら、姫乃を巻き込んでしまうことになる。

「やれやれ」

 洋子さんはため息をついた。

 ため息をつきたいのは僕の方だ。これじゃあまるで犯罪者だ。泣きたい気分になってきた。

「では月曜日のことだ。君は女の子に手作りのお弁当を作ってもらったね」

「な―――!?」

 思わず洋子さんの顔をまじまじと見てしまった。

 乱闘事件を持ち出された時よりもびっくりしたし、それ以上に予想の斜め上をいく質問だった。

「唐揚げはおいしかったかい?」

「……………………………」

 いくらなんでもなんで姫乃にお弁当を作ってもらったことを知っているんだ。それどころかお弁当のおかずの内容まで知っているなんて信じられない。信じられないけれど、洋子さんが確実な情報を手に入れているのは間違いなかった。

「昨日も大変だったようだね。拉致に監禁か。まったく無茶をするのだから困ったものだよ。ひどいことはされなかっただろうね?」

「………………………………………………………………………………………………………」

 声が出ない。違う。言葉が浮かばない。なんて言ったらいいのかわからなくて、僕は口をパクパクさせて洋子さんの顔を穴が開くくらいに凝視した。

「な………な……な…なんで知ってるんですかぁ!」

 ようやく出てきた言葉は絶叫になってしまった。

「なんで? どうして? なんでぇ?」

 とにかく混乱していた。わけがわからない。

 日曜日の乱闘事件は誰かが通報した可能性があるから、知っていても説明はつく。姫乃にお礼をされたのももしかしたら目撃者がいたのかもしれないということで、洋子さんが知っていることもあるかもしれない。

 お弁当だって、学校中で噂になっているくらいだからどこからか情報を収集したと無理矢理だけど納得したことにする。

 でもお弁当のおかずに唐揚げが入っていたことは僕と姫乃しか知らないはずだ。いやいや、姫乃の家の人は知っていたかもしれない。

 でも……。でもだ。

 昨日の出来事まで筒抜けだなんて一体全体どうなっているんだ。

 いくらなんでも情報収集能力がすごすぎる。

 洋子さんは満足げな表情を浮かべてパニックになっている僕を眺めていた。その顔を見て冷や水を浴びせられた気分になった。

「あ……」

 僕は何を口走った。洋子さんの言葉に惑わされて、びっくりして平静を保てなかった。僕の言動は洋子さんの言葉を認めてしまったのと同じだった。

 驚きすぎて僕は無意識のうちに中腰になっていた。

 洋子さんにしてやられた感じだ。

「ふっふっふ、驚いただろう? 私には特別な情報源があるのでね。君のことは何でも知っているのだよ」

 洋子さんは実に楽しげな様子だった。

 負けを認めるしかないようだ。洋子さんの情報は正確だし、僕には対抗できる手段は何のなかった。

 なんだか一気に力が抜けてしまって、僕はイスに腰を落とした。このまま机に突っ伏してしまいたい気分だ。

 たぶん今の僕はものすごく情けない表情を浮かべていると思う。

「その特別な情報源っていうのはなんなんですか?」

 素直に教えてくれるとも思えないけれど質問してみた。

「まあまあ焦ることはない。君の疑問には後ですべて答えてあげるから。私は君に確認したいことが後一つだけあるのだよ」

「なんですか?」

 あきらめの心境だった。こうなったらもう素直に答えるしかないようだ。

 抵抗する気力もすっかり無くなってしまっていた。

「君はこのところ鬼塚姫乃という少女と仲が良いそうだね?」

 ごめんね姫乃。心の中で謝ってから僕は素直にうなずいた。

「お昼休みには彼女の作ったお弁当を仲良く食べて、一緒に下校している。しかも君はわざわざ遠回りをして彼女の家まで送っているね?」

 お弁当のおかずまで知っているくらいだ。これくらいのことは当然知っているだろう。それにしても本当によく調べている。

「私の夫の持論なのだがね。男と女の間の友情は成立しないのだそうだ。私は男女の友情もありだとは思っているのだがね。君はどう思う?」

「男と女の間でも友情ってあるんじゃないですか。僕も仲のいい女の子いたりしますから」

 質問の意図はよくわからないけれど、正直に答えておいた。

「それは鬼塚姫乃、以外ということかね?」

「そりゃ僕だって女の子の友達くらいいますよ」

仲のいい女の子といっても中学の時の同級生だったり、学校の友達のことだったりする。もっともしょっちゅうあったり遊んだりするわけじゃなくて、中学の同級生なんて年賀状やメールくらいのつき合いになっていたりした。

 それに高校の友達は、ここ数日の感じからするとどう思われているかわからなかった。

「なるほど確かにそうだ。いて当然か。では君が鬼塚姫乃に対しても感じているのは純粋に友情だけ、ということでよいのかな?」

「よいのかなといわれても……」

 僕は首を傾げて考えた。ようやく打ち解けてきて姫乃と一緒にいて騒がれるのにも慣れてきたところだ。今までそんな深いところまでは意識したことがなかった。

「手作りお弁当を一緒に食べて、仲良く下校しているのに、ただの友情かい?」

 追い打ちをかけるように洋子さんが語りかけてくる。

 なんだか昨日も同じような会話をしたようなしないような。

「何が言いたいんですか?」

 警戒するように訊く僕に対して、洋子さんはあっさりとした口調で言った。

「君たちつき合っちゃえばいいのに」

 はい、とんでもないことを言いましたよ。普通にお気楽な様子で洋子さんは実に簡単に爆弾発言をした。

「……なんでそんな話になるんですか?」

 昨日はつき合っていると疑われ、今日はつき合えと勧められる。

「いやいやいやいや。ちょっと待ってくださいよ。なんで突然そんな話になるんですか?」

「突然も何も、今週の君たちの様子はまるで恋人同士のようではないか」

「………それに料理もうまいし、性格だってちょっと短気なところが玉に傷だが、普段はとってもいい子だ。器量だって十分以上に良いと思う。そんな女の子に昔から想われているのだ。君も男ならその気持ちの答えてあげるべきではないか」

「………」

 突っ込みどころ満載なことを洋子さんは言った。でも料理はうまいし、姫乃が美人で世間の噂と違っていい子だっていうのは同意してもいい。

「なんですその想われてるって?」

「なんだ? 気づいていなかったのか? 君は案外鈍いのだな」

 ひどい言われようだ。それよりも確認しておかないといけないことがあった。

「随分とひめ……鬼塚さんについて詳しいんですね?」

 いくら警察署長だからといっても限度があると思う。

「そりゃあね。毎日会っているし当然だろう」

「……毎日?」

「君のことだって昔から姫乃から聞いていたから知っていたのだよ。これで君の質問にも答えたことになったかな」

「……姫から?」

 また混乱してきた。洋子さんと話していると本当にペースを乱されてしまう。

「そう言えば君は、姫乃のことを姫と呼んでいるのだったね」

 頭が痛くなってきた。意味がわからない。ついつい姫乃のことをいつも通り姫と呼んでしまったことにも気がつかなかった。

 それにしても洋子さんは姫乃のことを親しげに話す。額を押さえて僕は質問した。

「ちょっと待ってくださいよ。なんで洋子さんは姫と毎日会っていて、なんで姫は僕のことを洋子さんに話すんですか?」

「それはほら、姫乃は私の娘なんだし当然じゃないか」

「……………は?」

 信じられないことを洋子さんが言った気がする。でもきっとそれは僕の聞き間違いに違いない。姫乃はやくざの娘さんで洋子さんは警察署長さんだ。ありえない。

「えっと、誰がなんですって?」

「姫乃は私の娘だ。仕事では旧姓の栗原を名乗っているが、戸籍上では私は間違いなく鬼塚洋子なのだよ」

 洋子さんの言葉が僕の頭に届くまで、僕の頭が言葉の意味を理解するまで、かなりの時間がかかった。そしてそれは核爆弾並みの破壊力を持っていた。

「は―――――――――――――ぁ?」

 呆然と僕は洋子さんを見つめた。洋子さんはいたずらが成功した子供のような楽しそうなうれしそうな笑顔を浮かべてウインクしながら親指を立ててみせた。

「驚いた?」

 僕の思考は止まってしまっていた。いくらなんでもあんまりにあんまりで無茶苦茶すぎるし、わけがわからないし意味不明だ。

 だけどこれで納得できるわけこともたくさんあって……。

「でも………えぇぇ――――――?」

 眩暈がする。


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