三日目 火曜日 その4
「お疲れッス」
気軽い感じであいさつするとカツマ君は自転車を降りてスタンドを立てた。
「どうして僕の自転車を?」
「そりゃ、あのままほっぽっとくわけにもいかないじゃないですか。かといって勝手に置いておくわけにもいかねえし、オヤジたちとの話がケリがつくまでその辺ながしてたんすよ」
と話すカツマ君の格好は前にあった時のようなスーツ姿ではなくて、その筋の人たちが好んで着る派手な感じのジャージ姿だった。
「はあ、そりゃどうも。わざわざありがとう」
とにかく自転車を取りに行く手間が省けて助かった。
「たいした事ないっすよ。それよりもオヤジに気にいられたそうじゃないっすか。さすがっすね」
相変わらずカツマ君は敬語で話しかけてくる。
「そうそう兄貴からの伝言なんすけど、迷惑をかけたお詫びは後日必ずさせてもらいやすってことですぜ」
「お詫びって……。あの、全然気にしてないんで気にしないでくださいって伝えといてもらってもいいかな。大袈裟にしないでくれってさ」
頼むというか懇願した。これ以上頭を下げられるような羽目にはなりたくない。
「一応伝えるだけは伝えときますけど」
「とにかくよろしく!」
あまり気が乗らない感じのカツマ君にしっかりと念を押す。
「それにしても若とお嬢の関係がこじれなくて良かったっすよ」
話題を変えるようにカツマ君が言った。とその前に、
「その若っていうのは、もしかして僕のこと?」
「そうっすよ」
そうだろうなとは思っていたけれど、あっさりと肯定されてしまった。これってなんだ? 出世か? って違うだろう。
でも確実に鬼姫一派に組み込まれてしまっている気がする。
若って呼ぶのやめてといってもきっとやめてくれないのだろうな。
「でもマジな話、今日のことで若とお嬢が仲悪くなったりした日には、ホントヤバいことになってたと思うんすよ」
「どういうこと?」
やけにカツマ君の表情が真面目なので尋ねてみた。
「若は知っといた方がいいと思うんで話すんすけど、っていっても俺も訊いた話なんすけどね。お嬢の周りから友達っていう存在がいなくなったのって、オヤジに原因があるらしいんすよ」
「……」
無言でカツマ君の顔を見返した。カツマ君の口ぶりからすると、それはやくざの親分だからとか単純な理由ではなさそうだ。黙って先をうながす。
「お嬢がちっちゃかった頃って、オヤジは今よりもお嬢のことを溺愛していたらしいんすよ。で、幼稚園の時のことらしいんすけど、お嬢が泣かされたことがあってですね」
「泣かされた?」
これはびっくりだ。あの鬼姫を泣かすなんて。でも考えてみれば幼い子供のころだし、幼稚園の頃なら僕だってしょっちゅうピーピー鳴いていたような気がする。
そういえば、小中高と一緒だけど幼稚園だけは違ってたことに思い当たる。
「今なら逆に泣かしちまうんすけどね」
冗談ぽくカツマ君が言う。けれどそれが冗談じゃなくて実際にできることを僕は知っている。
「でっすね。うちは家業が家業ッスから、お嬢とはあまり仲良くするなっていう親が多かったらしいんすよ」
憤慨するようにカツマ君は言うけれど、気持ちも状況もわからないではない。というか今は学校では親に言われなくても姫乃と仲良くしようと進んで近づいてくるやつはいないのだから。
「まあガキ同士すからね。親なんて関係なしに幼稚園の頃はお嬢と仲良く遊んでたのもいたんすよ。それを馬鹿なガキ連中がからかうってんですか。簡単にいっちまえばいじめっすよね。お嬢に直接ってんじゃなくて、お嬢の友達に」
「……なるほど」
「今もそうっすけど、お嬢は正義感が強いんでそのいじめっ子ってのをシメたんすよ。そうしたら」
といってカツマ君は両手を広げて肩をすくめてみせた。
想像はつく。
「親は騒ぐし、総スカンだし。一発でお嬢が悪者ってわけっすよ」
「それでもしかして龍虎さん幼稚園に殴りこんじゃったとか?」
怖いくらいに想像がつきすぎる。恐る恐る訊ねてみたら、カツマ君は首を横に振ってくれた。
いくらなんでもそこまではしないかと胸をなでおろしていると、もっと恐ろしいことをカツマ君は平然と言った。
「一軒一軒家庭訪問ッスよ」
「……殴りこんじゃったの?」
「殴り込みじゃないっすよ。若い衆連れていじめっ子の家から保母さんの家まで一軒、一軒、家庭訪問すよ」
「そういうのを世間では殴り込みっていうんだよ」
こっそりと呟いた。
最悪だ。本当に最悪だ。過去のこととはいえ僕は頭を抱えたくなってきた。家庭訪問なんて平和的な響きがあるけれど、これは間違いなく事件だ。
ここまで姫乃が学校で孤立してしまったのは間違いなく鬼塚龍虎さんにあると思う。
「だけど若、若い衆は家の周りにいただけって話っすよ」
どんな威圧外交だよ。
首を傾げているカツマ君を見て、僕はため息をついた。
日曜日にも感じたことだけど、僕とというか世間とどこか感覚がずれている。
あれ? ちょっと待ってよ。ということは姫乃の友達になった僕を彼氏だと間違えていきなり拉致した鬼塚龍虎さんて、もしかしてその頃と全然変わってないんじゃないか。
「まあとにかく、そんなことがあったせいで、お嬢に友達ができないのは自分のせいだってオヤジも後悔してるんすよ」
本当に後悔しているのかな。姫乃のことを心配しているというのはわかるけど。
「だからオヤジが若と会ったことで、お嬢との仲がうまくいかなくなったらって心配してたんすけど安心したッスよ」
「だったらその拉致する前に止めてくれたらよかったのに」
ついつい愚痴っぽくなってしまったけれどそれは仕方ないと思う。
「いやぁ、オヤジは一度言いだしたら止められないッスから。止められるとしたらお嬢だけなんすけど、さすがにお嬢には頼めないっすからね」
のんきに笑いながら頭をかいているカツマ君だけど、このことで本当に僕と姫乃の仲が悪くなっていたらどうするつもりだったんだろう。
「それにしても、若はすごいっすね」
「すごいってなにが?」
「だって、オヤジにむかって啖呵を切ったらしいじゃないっすか」
なんだろう。僕は鬼塚龍虎さんに対してそんなことをした覚えはないのだけれど。
「オヤジに友達をやめろといわれたとしても、若は友達をやめる気はないってはっきり宣言したって聞いたッすよ」
そんなこと言ったっけ?
思い返してみる。そういえば、
「それに仲良くするとかしないとかは、僕と姫乃さんの間のことですから。誰かに何かを言われたからって、友達をやめたりはしません」
なんていうことを言ったような気がする。
でもそれは別に啖呵を切ったわけではない。
「じゃ、俺、帰りますね。お嬢のことよろしくっす」
親指を立ててカツマ君は帰って行った。
カツマ君を見送って僕は改めてため息をついた。
肩がどっと重たくなったような気がする。
とにかく疲れた。
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