七日目 土曜日の午後 その1
七日目 土曜日の午後
さてさて、一寸先は闇ということわざがある。
目の前のことであったとしても未来のことはまったく予測ができないという意味だ。
たとえ一秒先のことでも未来は不確定であり、行く道の一寸先には何が転がっているか分からない。だから考えすぎてもしょうがない。
とかなんとかいう教えだったと思う。
注意一秒、怪我一生。みたいに闇という言葉が使われているせいでか未来には不幸が待っているかもみたいにマイナスな感じで使われるイメージがある。けれども一寸先に起きる出来事が不幸ばっかりだというわけではもちろんないし、かといって幸せなことだと決まっているわけでもない。
自分というものをしっかりと持ってまっすぐ生きていれば問題なし。簡単に言ってしまえば世の中何が起こるかわからんぞ、ということだ。
本当にそう思う。
僕はまだ一七年とちょっとしか生きていないけれど、人生というものはほんの些細な勘違いやちょっとした言葉の行き違い、ふとした行動の結果としてあれよあれよと自分ではどうすることもできないうちに大きく変わってしまう。一度乗ったジェットコースターみたいに走り始めたら止まれないということを心の底から痛感していた。
この一週間というもの僕は地雷という地雷を踏みまくっている。もちろん地雷というのは言葉の例えだけれども、まわりから僕のことを冷静に観察している人がいたとしたら、まるで自分からネギをしょって出向く鴨のように地雷とわかって踏みに行くような、喜んで自ら進んで深みにハマっていく様子がわかったのではないかと思う。
というわけで、たった七日間で僕を取り巻く状況は激変してしまい、後には引けないというところまで追い詰められていた。
まあ、半分以上は自分のせいなので追い詰められているというのはちょっと違うかもしれないのだけれど、とにかくのっぴきならない状態だというのは間違いなかった。
わけがわからないと思うので簡単に説明すると、僕、加藤優太に彼女ができた。
ただ僕の彼女は世間さまからすると少しだけ、問題があった。
事情を知らない人からしたら、僕は幸せ者に見えるだろう。だけど僕の今の状態はまわりからは勇気ある行動とか不幸な結果などと思われていた。
それは彼女の家の家業のせいだったり、彼女自身の普段の行ないのせいだったりする。
実際僕も早まったかなというか流されすぎかもと不安な気持ちがないわけではなかった。
だからといって別に彼女のことが嫌いなわけではない。だいたい嫌いだったら彼女になるわけがないのだし。
たとえ彼女が鬼姫と呼ばれて恐れられていたとしても、物凄く強かったりしたとしても、本当は物静かで女の子らしい女の子だということがわかってしまった今となっては嫌いになれるはずもなかった。
ただ、僕の今の気持ちが本当の好きという感情なのかどうかはまだはっきりと判断はつかないといった感じだった。
はっきりと言えることは、いろいろあったけれど彼女のことは放っておけないし、かなり気に入っているということだ。
「優太さん?」
少し物思いにふけりすぎてしまったみたいだ。彼女がちょっとだけ不安そうに声をかけてきた。
「ここでいいのかな?」
緊張気味の彼女に笑顔を向けて訊ねると、真剣な面持ちでゆっくりと静かに頷いた。
必要以上に身体に力が入っているらしくて、肩の辺りが強張っているように見える。緊張のせいか、それとも気分が高まっているのかいつもは白いほっぺたと目の周りを赤く上気させていた。いくらか瞳が潤んでいるように見える気もする。
そんな彼女のことを素直にかわいいと思う。
普段ほとんど表情を動かすことがない彼女が、心を許した相手にだけ見せてくれる貴重な一面だ。それだけでもうれしくなってくる。
彼女の名前は「鬼塚姫乃」
僕と同じ一七歳だ。
高校二年生の彼女は今日、この瞬間、初めての経験をむかえようとしていた。
真剣すぎる眼差しはまるで睨みつけているようだった。緊張が僕にも移ってしまいそうだ。
「ここでいいです」
姫乃は僕の顔をまっすぐ見つめてもう一度頷いた。
「ここがいいです」
意気込むように言った。瞳がはっきりと潤んでいた。
なのにその後、急に自信がなくなったみたいにうつむくと、小さな声で続けた。
「あ、あの、その優太さんが嫌じゃなければですが……」
「嫌じゃないよ。それにここって姫が来たかったお店でしょ?」
「……はい」
安心したようにほっと息を吐くと、ちょっとだけ笑みを浮かべて姫乃は頷いて、また視線を前にむけた。そして怖いくらいに一心不乱にそこに書いてある文字を何度も何度も読み返している。
僕たちの前には一軒のカフェがあった。女性に好まれそうな雰囲気の店構えだ。
カフェの入口の前にはアンティークではないけれど、重量感のある木製の椅子が置いてあった。椅子の上には小さな黒板が立てかけてある。
その椅子の上の黒板を姫乃は凝視していた。
黒板にはピンクや黄色や赤色でデコレーションされていて。丸過ぎない丸文字でかわいらしくこう書いてあった。
「本日カップルデー! カップルでお越しのお客様にはデザート半額サービス!」
この「カップル」という文字に文字通り姫乃は思いっきり食いついているのだった。
「じゃあ入ろうか」
姫乃に声をかける。すると姫乃はなぜか驚いたように肩を震わせて、焦って追い詰められたような表情を向けてきた。
「は、はい、よろしくお願いします!」
そしてなぜかお願いされてしまった。
完璧に姫乃は舞い上がっているようだった。
「うん、ああ」
頬をかいて姫乃から視線をそらした。
すると通りを歩く二人組の女性が軽く笑っているのが見えちゃったし、突然頭を下げた姫乃に怪訝そうな表情をむけるおじさんに気がついてしまった。
なんかはずかしいかも。
でもしょうがない。だって今日はうれしはずかし初デートなのだから。
それに鬼塚姫乃という少女にとっては、人生で初めての異性と二人きりの、ああ、自分で言っていてものすごく恥ずかしい、とにかくだ。姫乃にとっては、異性同性ふくめて、生まれて初めてのお出かけであり、カフェでランチというのも初体験ということなのだ。
というわけで学校を出てから二人で歩いてここまで来る間も、今現在カップルという黒板の文字を見て頬を赤く染めている姫乃は、鬼姫という二つ名からは信じられないくらいうろたえていたし、舞い上がってもいるようだった。
そんな彼女を僕はかわいらしいと思うし、それどころかいとおしいと思っている自分もいたりする。それに気づいて、どんどん罠にハマっていくような気分になってしまう僕もいるのだった。
ま、いっか。
先のことを考えすぎてもしょうがない。
僕は緊張のあまり挙動不審になっている姫乃の手を掴んでカフェのドアを開けた。
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