エルフに先立たれた人間
アイツがついに、くたばった。
病気だった。
奴はいつもいつも人間は儚い、とか抜かしてたのに、どっちがだよ?
木製のチェストの上に鎮座するヒューマの遺影。親族の上級魔導師だかなんだかに撮らせた写真の中で、あの女は不敵に笑っていた。その口元は、左右不対称にひん曲がっていて、実にいつも通りのアイツだった。
初めて出会った洞窟。あの頃から、同じだ。今でも、よく思い出せる。
あたしの頭の中で、洞窟の風景と、どこかで断続的に響いていた水音が蘇っていた。
「ふぅ~。今日の依頼は、中々骨が折れたな……」
あたしは愛用の剣についた血をパッパと払ってから、鞘に収めた。そして倒した魔物共から採取した素材や魔核が入った袋を持ち上げる。
この空気の淀んだ薄暗くって寒い洞窟と、今まさにオサラバしようとした矢先の事だった。
ヒュン。
「!」
袋が、今の音と共に消え失せる。魔力反応……魔法を使われた!
風の流れに沿って視線を動かすと、そこにはセミロングの銀髪の女がいた。女は、あたしの袋を背負って、すたすたと歩き出す。
「……おい! お前!!」
女は振り返ろうともしない。あたしは怒りのまま女に追いつき、肩をひっつかんで振り向かせる。
「こんの泥棒! 返せ、あたしの戦利品!!」
その時、初めて気がついた。
絹糸のような銀の髪、宝石のような碧眼。そして……長くてとがった両の耳。
はっ、としたあたしは、慌てて本来の怒りを取り戻す。
「……お前、エルフか!!」
「人間ごときが、何の用だ?」
まるで幻影でも見たのか? というくらい繊細なその容姿からは想像もつかないくらい硬質でツンとした声が洞窟に静かに響き渡る。
少しあっけにとられた。けど、そんなことで怯むあたしではない!
「何の用だと? お前こそ、"人間ごとき"の荷物に、何の用なんだよ?」
エルフの女は忌々しそうにチッ、と舌打ちすると、平然と言い放った。
「人間のような愚かな存在に、こういう上級素材は過ぎたる物だからな。相応しい私がいただいてあげたんだ」
バゴンッ。
あたしは、ノータイムで奴の顔面を殴り飛ばしていた。
「ぐがぁっ!?」
全力でぶん殴られたソイツの顔面は大きく歪んだ。そしてそのまま後方に全身吹っ飛んで、地面をゴロゴロと転がる。
女は、殴られた左頬を抑えながら、涙目で睨む。
「この美しすぎる私の顔面を殴る、だと?!」
「泥棒には、相応しい対応だ!!」
あくまで毅然とした態度で言い返す。
「ほう……?」
そのエルフの目が、キラン、と光った気がした。
「面白いじゃないか、気に入った」
「は?」
「こんな活きのいい人間は初めてだ、パーティを組もう」
……何だって?こいつは、何を言ってるんだ??
言わんとすることがやっと分かったその瞬間、頭に血が昇る。
「なんで、泥棒なんかと!!」
「それ」
ぴっ、と奴が指差す地面には、あたしがさっき倒したワイバーンの亡骸が転がっていた。
素材として使える部分は刈り尽くしたあとの、残骸だけど。
「その魔物、無茶な立ち回りで倒していただろう。そんな綱渡りだと、すぐに死ぬぞ」
「チッ……」
思わず、舌打ちする。
盗人のくせして、随分良く見てやがる。
奴は言った。
「私は、凄いぞ? 魔法なんか、なんと同族の中でもトップクラスだったんだからな。エルフの中で、だぞ?」
左手を腰に、右手を胸元に当ててふんぞりかえる女。
えっへん! とか言いだしても驚かない。
あたしは、聞いた。
「……弓は?」
「そんなものは、この私の視界には入ってないな」
「……ドベだったんだな……」
考える。
こういう、癖の強い奴を利用するくらいのあたしでいたい。それに、コイツ結構抜けてる所、ありそうだし。よし、決めた。
「いいぞ。パーティ組んでやっても」
「本当か? じゃあ、自己紹介だな……私はヒューマ。よろしくな、人間」
「人間って呼ぶな。あたしは、エルフィーだ!」
ヒューマと名乗ったエルフ女を、あたしは見上げた。
悔しいことに、チビなあたしと違って随分タッパがある。
そしてあたしは、不承不承ながらもヒューマの握手に応じた。
その手はエルフのイメージに反して温かくて、大きいのに握ったら折れそうなほど繊細だった。
アイツは見た目の印象に反して、部屋はかなり散らかしていた。
ドアを開けた途端、
「……うへぇ」
片付ける気力が一気に奪われたが、やらないわけにはいかない。
とりあえず、奴の荷物袋をひっくり返す。
ボトボトと落ちてきた冒険者関連の持ち物。その中で最初に目に留まったのは、解体用のナイフだった。
小ぶりでオモチャみたいなナイフを取り上げて、握る。するとあの女の間抜けな百面相が鮮やかに浮かんでくる。
いきなり強盗に遭った翌日。
銀髪エルフと冒険者ギルドでパーティ登録を済ませ、即依頼を受けた。
簡単な依頼で連携を確認するためだ。あたし達は西の森で、ブラックウルフの群れを狩っていた。
「分かってるだろうな? 毛皮も肉も牙も売れるんだから手加減だぞ!」
あたしは剣で囲んできた奴らを次々に斬り伏せながら、叫ぶ。
「分かっている!」
随分、大所帯な群れだった。何匹かがすり抜けて後方に駆けていく。ブラックウルフは正直小物の魔物だ。いざとなればあたしが何とかするが、いくら後衛でも数匹程度、すぐ倒せないようでは困る。
エルフ女に四匹の黒い狼が迫る。奴は呪文を……唱えなかった。
「ウィンドアロー!」
風の矢が四本、まるで追尾機能でもついているかのように四匹それぞれを貫く。
無詠唱。中級魔法までならありえる詠唱省略の技術。だが使えるのは、相当な練度の魔道士に限られる……はずだ。
あの女は腰に手を当て、ふんぞり返って言った。
「どうだ? 完璧だっただろう」
「…………どうだかな」
実際、奴の言う通りだった。だけど、口に出すのは憚られた。こんなコソ泥を認めるなんて事は……あたしの中の選択肢には、存在しない。倒れたブラックウルフは四匹とも、正確に魔核のある心臓部を貫いていて、余計な損傷一つ無い。最高額で買い取りされるだろう。
倒した数は、あたしが仕留めた奴ら含めて三十匹はくだらない。
あたしは、荷物袋から解体用のナイフを取り出すと、早速解体作業に取りかかる。
「数が多い。お前も手伝え! 早く終わらせるぞ」
それだけ言って、目の前のウルフの亡骸と格闘しはじめた。だが……途中で気付く。
背後で何の物音もしない。
あたしは、振り向いた。そこには、棒立ちしている銀髪女が居た。
「おい、手伝えって言ってるだろ!」
「できない」
「は?」
「できない、と言っている。解体なんて、したこともないしな」
「……冗談はやめろよ。お前、一応冒険者登録済だろ?」
すると奴は、やけに堂々とした態度で言い切った。
「私は、エルフだ。しかもかなり凄い魔法使いなんだ。解体なんて事、やるわけがないだろう!」
あたしは、無言で奴にずんずんと近づいた。そしてその右腕をひっつかんで、ズルズルとブラックウルフの前まで引きずる。
「お、おい! 何をする!」
掴み挙げた女の右手に、解体用ナイフをしっかりと握らせて、あたしは言う。
「やれ」
「私はエルフで……」
「いいから、やれ。分かんないなら教えるからやれ!」
あたしより上にあるその肩を掴んで、無理矢理解体途中の亡骸と向き合わせる。その時の奴の顔と言ったら、二日酔いの飲んだくれが吐き戻す直前みたいに真っ青。
「お前、まさか……怖いとか、言わないよな?」
「まっ……まさか! 私は誇り高きエルフにして高位の魔法使いなんだぞ! ……うっ」
その口元は大きく歪んでいて、顔は青のまま。
あたしは一つ、合点した。
「……自分で解体できないから横取りなんてマネしてたのか?」
「してない、未遂だ! お前が最初のターゲットだった」
「やろうとしてた事に変わりはないだろ! 質問にも答えてないぞ」
「解体が怖いからじゃないぞ! 上級魔法は、詠唱に時間がかかるから一人だとまともに使えないからだ!」
「つまり、詠唱時間の問題と、解体が怖いっていうのが理由だな?」
「そそそんな事はないぞ!」
「解体するのがパーティ続行の条件だ。いいか? 既に血抜きはしてある。次に、毛皮だ。脚の根元からだ。売り物だから、綺麗にな!」
女は手を震えさせたまま、ナイフをウルフの脚の付け根に入れて、切り出す。
獣の生臭い臭いが、鼻を突く。
こんなおぼつかない手つきでやれるのか?疑問に思ったその時だった。
奴が、急に目を閉じる。
すると、ナイフが青白く光り出した。その光は強くなって、今度はウルフの亡骸をも包み込み始める。
「!」
ナイフが、スッ、と急に滑らかに動き出す。突然ナイフの性能が上がり、さらにはウルフが柔らかくなったようにしか見えない。
「……何をやった?」
「ちょっとナイフに魔力を流しただけだ。余った魔力はこのウルフの方へ行ったようだな」
コイツの言ってる事は、常識外だった。
"ちょっと"魔力を流しただけでナイフの切れ味は上がらない。それに、"魔力が余って他に作用する"なんてのも、聞いたことも見たことも一度も無かった。
そこからのエルフ女は、あたしの指示のもと、黙々と作業をこなした。
青くなったり白くなったりとコロコロ変わって、顔は全く静かじゃ無かったが。
あたしは荷物袋に残されたままの、解体ナイフをまじまじと見た。
あの時、あたしから奴へ渡ったお下がりのナイフ。
あたしが使ってた時に見られたような使い古し感のない、魔力によって保護、強化されたナイフ。
奴は、何だかんだ言って解体を覚えた。このナイフを、ちゃんと自分のものにした。やる度に、百面相する癖は直ることは無かったけどな。
次にエンカウントしたのは、同じ荷物袋から飛び出してきたものだった。
「冒険者ライセンスカード……返却しないとな」
ライセンスカードには、今までのランク遷移がありありと残されている。
パーティを組んでから。
あの女とは、何度も何度も冒険へ行った。
上級ゴーレム。人間五、六人分はあろうかという大きさの人工魔物。
その石のガーディアンは、宝物を奪いに来たあたし達に、当然のように襲いかかってきた。
今回の敵に、剣はほとんど通用しない。仕留めるには、魔法だ。
固い石の地面は、靴音が目立つ。こっちの居場所を簡単に知らせてしまう。
逃げも、隠れもできない。と、なったら。
「あたしが、引きつける!」
「は!?」
駆け出す。ダンジョンに靴音が響き渡った。上級ゴーレムはすぐにあたしを感知する。
「こっちだ、デカブツめ!」
太くて重い石の腕が、こっちめがけて飛んでくる。その破壊力は、固い石の地面を破壊する。当たったらジエンドだ。なら、当たらなければいい。
「愚かな真似はやめろ、馬鹿人間!!」
「馬鹿はどっちだ、大声出すな! 何のために引きつけてると思ってんだ!」
アイツに向きかけたゴーレムの注意を、再びあたしに向けさせる。そのために、ゴーレムの足元に近づく。ちょっかいをかけてやるために。
「おいっ……!」
エルフ女が制止の言葉をかけるのを、華麗に無視。巨大な石の足を、剣でつついてやる。すると、その足が動いた。それは、虫でも払うような軽い動作だった。
ドゴォ!!
「がっ!!」
「エルフィーッ!!」
避けきれなかった。予備動作が殆ど無かったから、反応が遅れてしまった。
上級ゴーレムの軽い蹴り。それは人間のあたしにとっては、かなり強烈な一撃だった。
骨が大きく軋む。ボールみたいに何度もバウンドしては、その度に内臓が揺さぶられるようだ。視界はぐるぐると、何回転したか知れない。
遠目に見える、あの女の顔は……大きく歪んでいた。
それは、驚きか。悔しさか。悲しみか……吹っ飛ばされながらこんな事を考えてるなんて、だいぶヤキが回っているな。
それでも奴は、せわしなく口を動かし続けていた。高速詠唱、とかいうやつだ。
「エルヴン・スターライト!」
ゴーレムの注意が完全にあたしに向いている間に、銀髪女は上級魔法を浴びせかけた。
あたしは地面に叩きつけられた。痛みが全身に広がる。とても動けない。けど、ゴーレムが倒れる所だけは、見届けたい。離れていきそうになる意識をしっかりひっつかむ。
「!」
ゴーレムが倒れていく。それと同時に、アイツがこっちに駆けてくるのが見えた。
この女……馬鹿だろ。敵を完全に倒したと確認する前に……隙を見せるなんて。
「セレスティアル・ヒール!」
白と緑の混じった光が、銀色のエルフの手から放たれ、あたしの全身を包んでいく。
痛みが引いていって、なんとか上体を起こしたその瞬間。
バチンッ!!
「がっ……!?」
クソエルフが、あたしの頬を思いっきりひっ叩いたのだった。
「何、すんだ! この……」
「勝手な真似をするな!!」
今までに見たことのないくらい、真剣な碧の双眼に、あたしは一瞬、あっけに取られる。けど、反論までは捨てたりしない。
「勝手じゃない! 作戦だろ!」
「あんな身投げみたいな作戦があるか!!」
コイツこんな大声が出せたんだな、っていうくらいの大音量が至近距離でガンガンと鳴り響く。そう……至近距離で。
気がつくと、鼻先が触れ合うくらいの所に、あの女は居た。
奴も、同じ事に気付いたようで。
瞬間、バッ! と距離を取ってそっぽを向く。その長くて尖った耳は、先端まで赤くなっていた。
「…………これだから、人間は愚かなんだ!!」
このエルフの言動と態度には、どうにも矛盾がある。
気がつくとこの口は、ストレートに疑問をぶつけていた。
「じゃあ、そんな人間の事が好きなお前も、愚かなのか?」
「!!」
ヒューマの目はこれでもかと言うほど大きく見開かれ、そして口はぱくぱくとせわしなく動いた。明らかな狼狽だった。
言葉を発せずに固まった女を見ながら、言う。
「あたしも、愚かだからな」
それを聞いたアイツは、最初目を点にしていた、が。
段々口角が上がっていくのが分かった。
「何、ニヤついてるんだ? 元泥棒エルフめ!」
「うるさい、黙れっ!」
「愚かな人間にそんなデレデレして良いのか? エルフ様!」
「してない!!」
「そうだよな~美しくて魔法が得意なヒューマ様が人間なんかにねぇ?あ、あと弓も得意だったっけ?」
「弓なんて下級武器、私は知らん! ……おい、エルフィー」
「なんだ、ヒューマ」
エルフ女は、こっちを向いて顔を上げた。そして銀色を光らせながら、その二つの碧であたしを見据えて言った。
「私は、もの凄く優秀で、美しい」
「はいはい」
「だが…………生きてきた中で今一番、愚かだ。けど、もっと愚かなのはお前の方だぞ? 私は、エルフだ。何千年も生きるんだぞ」
奴の声音と表情は、今までに無いぐらい、真面目で真剣だった。
確かに、言ってることは事実だった。でも……あたしは奴の目の中に、揺れるような色を見つけた。
「お前の、ヒューマっていう名前」
「何だ、急に」
「あたしたちの種族の古語で"人間"っていう意味らしいぞ? ガキの頃、近所のばあさんが言ってた」
「なっ……何だと! そんな事言ったらお前こそ"エルフ"の名が入ってるだろう!」
「あたしも、美しくて優秀で長生きなのかもな??」
「生意気な!!」
多分、この日からだ。
あたし達は、ただの冒険者仲間ではなくなった。
まだまだ、片付けは終わりそうもない。
くたばった今ですら、奴のだらしなさはこうして迷惑をかけつづける。
「次は……えーと、じゃあこのチェストをやるか」
一番上の引き出しを開けた。そこには、銀で装飾された小箱が入っていた。
「この仕舞い方、珍しいな……」
くそエルフは、見た目とは逆で、相当なズボラだ。
わざわざ、引き出しと小箱の二重収納なんかするか?あの女が。
疑問に思いながら小箱を開ける。
「!」
中に入っていたものは……結婚指輪だった。
指輪には、小さいながらも赤い石がついている。
その指輪がスイッチを押したみたいに、あたしの脳内では、過去が再上演され始める。
「エルフィー。今、幸せか?」
「は?」
それはいつも通りの夜のはずだった。冒険帰り、ヒューマと呑んでいた時の事だ。
小さな違和感はあった。いつも行く大衆酒場じゃあ、ない。少しランクの高い静かなバーにしようって言われたのがその始まりだ。
「あたしは十分、幸せだぞ。何だかんだ、冒険者として長いことやれてるしな」
「……じゃあ」
目の前の女は、おもむろに。
荷物から、何か小さなものを取り出して。
いきなりあたしの左手をひっつかんだかと思うと、薬指にそれをはめ込む。
「もっと幸せになってみるのはどうだ?」
それは、青い石の付いた指輪だった。
左手の薬指に指輪。
それが、どんな意味を持つのかくらい、あたしにも分かる。
分かった瞬間、あたしの目は点になっていた事だろう。けど、すぐに正気を取り戻した。
「……いきなり指輪を嵌めて逃げ道を塞ぐ。それも、酒の力を借りて。これが、エルフ様のやり方か?」
「ちがっ……!! それはだなっ……!!」
ヒューマは、目に見えて焦り出す。絹糸のような銀髪も、あちこちが逆立っていた。髪の先まで狼狽しているみたいだ。
「……嫌だったのか?」
「どう見える?」
「…………分からない」
怒られた小動物みたいな態度。思わずもっとからかいたくなった。けど……今までのどんな冒険でも見たことのないコイツの不安そうな顔を見てたら。
「……この指輪は、貰っとくぞ」
「!」
その瞬間の奴の顔と言ったら。
精霊祭の翌日、靴下にプレゼントが入ってるのを見つけた、小さなガキのようだった。
今日は、快晴。
真っ白なチャペルは、潔癖すぎる精霊教を分かりやすく象徴している。
けど……この日に限っては、あたしたち二人もその潔癖教の一員みたいなものだった。
漂白されたみたいに真っ白なドレスを着たあたし達二人の女は、司祭の前で向き合っていた。
「永遠に愛し合うことを精霊神に誓いますか?」
「誓います」
二人して真面目ぶった顔と神妙な声音でそう答える。
あたしは今にも大笑いしてしまいそうになるのを、必死に堪えた。
けど……目の前のエルフの口元が真一文字に引き結ばれているのを見ていると、どうにもおかしくって仕方ない。
「では、誓いのキスを……」
ヒューマと一瞬、目が合う。けど、奴はすぐに目を閉じて顔を近づけてきた。なのであたしもそれに倣うことにする。
触れた唇の感触は、柔らかくて熱かった。この感覚は多分……三日、いや、一日で忘れるな。そうに決まってる。
ゴーン、ゴーン、ゴーン……。
鐘が鳴る。
「おめでとうございます。お二人の誓いは精霊神に届きました」
その司祭の言葉を聞いて、あたし達は思わず笑い合う。
教会で式を挙げるために受けた、精霊神への信仰を試すテスト。二人して、嘘をつきまくってパスした。
どっちも、神なんか信じちゃいないのに、調子のいいもんだ。
左薬指に嵌まった青い石の指輪と、小箱に入った赤い石の指輪。
それを、見比べるかのように眺める。
青い石を見ていると、奴の目を思い出す。赤い石も、多分、あたしの目の色から来ているんだろう。
二つの指輪に順に触れる。ひんやりとした固い感触が、何でだかあの女の高い体温を思い起こさせた。
あの女は人には指輪をつけていろ、と強請った癖して、自分はこうやってしまい込んでいた。アイツはいつもそうだ。何でも大事に、取っておいて……結局、溜め込んだまま居なくなった。
チェストの中も、見ないとならない。
あのクソエルフの事だ。重要なモノも、どうでもいいようなモノとごちゃまぜだろう、どうせ。
引き出しを開ける。案の定だった。
「土地と家の権利書……こんなとこにあったのか!」
羊皮紙に踊る、あたしと銀髪エルフの名前。
この権利書を初めて手にした日の事が、今起きてるみたいな鮮度で蘇る。
商業ギルドの建物は何度見ても、冒険者ギルドのよりもよっぽど立派で綺麗だった。
あたしは銀髪エルフを連れて、その中の不動産部門とかいう窓口に並ぶ。
他の窓口にくらべて、さほど並んでないから、すぐ受付に辿り着くだろう。
「言っておくがエルフィー。庭には森を作るんだぞ」
「馬鹿か、そんな広い土地なんか買ったらすっからかんだ。それに、維持には手間や金がかかるだろ!」
「じゃあ、林でいい」
「それも、無理だ!」
「だったらせめて、木を五本、植えてくれ」
「……考えといてやるよ」
「次お待ちの方、どうぞ」
あたし達は、受付嬢が出してきた販売中の家や土地の一覧をめくる。そして、同時に声を挙げた。
「この小さくて頑丈そうな家で」
「この広くて優美な家で頼む」
その瞬間。奴とあたしの間に、火花が散った。
「正気か? あたし達は冒険者だ。家に居る時間は少ないんだ、小さくて頑丈な家が手間いらずだろうが!」
「何を言っている! 私はともかく、人間のお前には、一生モノの買い物だぞ、多少贅沢しないでどうする!」
あたしは、奴の脇腹を小突きながら言ってやった。
「人をダシにするな! 大体、お前はいつも贅沢しすぎなんだよ! この前の依頼でもいつもの携行食料で十分だったのに、『いや、今日は気合い入れたいからな。今回だけだ』って高級なほう買っただろうが! 予算を考えろ!」
今度は、クソエルフのほうがあたしの脇腹を小突いてきた。
「いつものやつは、正直、不味くて堪えられない!」
「そんなんでこの先やっていけると思ってんのか! ああ?」
「あの~……」
「はい?」
「何だ?」
受付嬢が何か歯に挟まったみたいな、非常に言いづらいのだ、という態度で声を挙げた。
「あなたたち、婚姻関係にあると聞いてますけれど……本当ですか? まさか、闇組織のアジトとかにするつもりじゃ……」
「んなわけ……!」
ごすっ!
あたしが強く反論しかけると、銀髪女が脇腹を今までで一番強く小突いて睨んできた。さすがに、これに関しては奴の方が正しい。あたしは、言い直した。
「違います。本当に結婚しています。目の前で喧嘩してすみませんでした」
そう言ったら、受付嬢は心底納得したという風に深く頷いていた。その理解のされ方は、なんとなくあたしの方が納得いかない。
家は、結局間をとりまくった。
広くも狭くも無く、頑丈さも優美さもまあまあ、と言った所だ。
庭には細い木を五本、植えた。
あの女は、細いことに文句を垂れていたが。
チェストの片付けがあらかた終わって、次に目に留まったのは、机だった。
「こりゃあまた、酷いモンだな」
机が机としての役割を果たせる状態では、全く無い。
これじゃあ、カンペキ打ち捨てられたゴミ山だ。
だからこそ、端のほうにすっ、とそびえ立つものが異質に思える。
「こんな所に、花なんか飾ってあったのか」
花瓶に刺さる、一輪の赤いバラ。
このバラから、魔力を感じた。間違いない。
保存魔法が使われている。
あのエルフは、良く花にこの魔法をかけていたものだった。
最近正直、うんざりしている事があった。
勿論、あの銀髪女に関する事だ。
「人間は、儚い」
「また、それかよ」
奴はあたしの長い金髪を弄びながら、いかにも神妙ぶった声音でぼそりと言う。
こいつ前は"人間は愚かだ"ばっかりだったのに、いつの間にか"人間は儚い"の方が口癖になっている。ムッとしたあたしは反論した。
「ネズミより早く死ぬ亀だって居る。それと同じで人間だって、色々だぞ」
「そうかもしれないな。魔物だってそうだ。私達のような冒険者に狩られて、死んでいく。狩られなければ、人間よりは長生きする種類だって、居るのにな」
目の前の女は、そんな事を言いながら花屋で買ってきた花に触れた。ブルースターとかいう、青くて小さな花だ。
最近増えた、奴の新しい癖。変化した口癖と、もう一つは、花を飾ることだった。
けどコイツは、そのまま生けたりはしない。
保存魔法を、かけるのだ。
そして……決まって、こう言う。
「花は、儚い。人間と、良く似ている……けど、花ならこうして魔法をかけられる。人間や動物にはかけられないからな」
奴の言動に、無性に腹が立つ。自分はエルフだから。それを根拠に、天上から見下ろしているかのようだ。
「ハイハイ、エルフであらせられるヒューマ様は賢くて、魔法の天才で、長生きですよ!! ついでに、弓も上手いしな!!」
「まだ、言うか!! そんな武器は知らんと何度も言ってるだろう、しつこいぞ!!」
あいつは最後に、この赤いバラを保存魔法で閉じ込めた。
自分自身は、どこか遠くに、飛び出していった。
机の上をとにかくどかして、拭いて、花瓶のバラ以外を更地にした。
そのどかした大量のモノの中に、見覚えのあるものがあった。
「あの馬鹿、これ数回しか使ってないやつだろ」
それは真っ赤な色をした、揃いの皿とマグカップだ。あたしも、同じモノを持っている。そっちは、青だけどな。
あの女は正直、買い物依存なところがあった。
冒険者として一仕事片付けた帰り。銀髪エルフと市場を歩いていた。あたしは、コイツと市場をあまり通りたくなかった。理由はシンプルだ。
案の定、奴は足を止めて言った。
「この生地、カーテンに仕立てたら良い感じだと思わないか? あ、でもこれもいいな。あと、これも」
言いながら奴は切り売りの布のロールを三つも抱えだす。その色は赤、青、黄色とバラバラで、テイストも違う。コイツは、部屋をいったいどうしたいんだ? あたしは疑問に思いながらも、とりあえず購入を阻止すべく口を開く。
「カーテンこの前全部変えたばっかだろ、このアホ!」
「じゃあ、服に」
「……お前、自分が服を何着持ってるか、数えたことあるか?」
「む……」
目の前の女エルフは、不味い中でも特に不味い携行食料を食べているのだ、というような表情で生地のロールを三つとも戻す。
コイツの浪費癖には、つくづく頭が痛くなる。これ以上、この辺には居たくない。よし、早めに去るか。
「おい、いい加減、帰るぞ!」
「なあ、エルフィー。この食器セット、すごく良いぞ」
一歩遅かった。
すでに背を向けて歩き出そうとしていたあたしは、面倒くさい気分で振り向いた。
「食器も足りてるだろうが!」
それは、マグカップと皿のセットだった。シンプルだが、真ん中やや上に、剣と魔法の杖の模様が繊細な浮き彫りでかたどってある。
色展開は、赤と青と黄色。あたしが青で、この女が赤だろうな。そこまで考えて、あたしはしまった、と思った。
目の前に迫った銀髪エルフの顔は、ニターっとしていた。そして、今度はドヤ顔になる。
「いいだろう? お前も気に入るだろうと思ったんだ、コレは買いだろう!」
「……これだけ、だぞ!」
その時のクソエルフの、それ見たことか、してやったり!というような表情と態度と声音。
それがその日寝るまで続いたので、さすがに黙らせてやろうか、と何度思ったことか。
アイツはこの赤いマグと皿を、最初の数日は楽しそうに使っていた。
けど、結局「これが割れたり欠けたりしたら耐えられん!」などと言いだして、観賞用になった。
片付けの休憩用に持ち込んだあたしの青いマグと皿。マグにはお茶が、皿にはパンが一切れ、乗っている。
奴の赤いものは、毎日のように使っているあたしの青いほうと比べると、新品のように綺麗だった。
あたしはついに、この部屋の中ボスと睨み合う。
「さすがにここは、不要品ばっかりだな」
床だ。作業のために、とりあえず端の方に寄せてできた大山を見て、げんなりした。
「まあでも、ほとんど捨てればいいだけだしな……お、コレは使えるな」
山の中腹から取り出したのは、麻紐の束だった。何かをまとめておくのに、良い。
しかし、あの女にはまとめる、なんて概念なぞ無さそうなものだ。この紐は、何であるのか?
「…………ああ」
合点が、いった。
多分……あの時だった。
銀髪エルフの本棚は、ほとんどカラだ。
本人曰く、「魔法書は一回読んだら全部覚えて、カンペキに実践できてしまうんだ。だから、取っておく意味がない」だそうだ。
全くもって、いけすかない女だ。
そんな奴の本棚が、急速に埋まった事は、二回あった。
その一回目が……ちょうど三年前だった。
最近、あの女は読書や勉強にふける事が増えた。
冒険に出ている時以外は、大体自室に籠もっている。
「向上心は大事だからな」
奴はそう言うが、どうも妙だ。
本棚が、全部埋まっている。
あのクソエルフは、基本何でも溜め込むが、魔法書だけは一読して、読み捨てる。なのに今回は、本まで溜め込んでいる。
またしても籠城中の奴の部屋。そこに、あたしは向かった。
「おい、読書もいいけど、引きこもりは駄目だ。ますます頭でっかちのクソエルフになるぞ!」
言いながら、あたしはドアの前まで行く。半開きのドアから、奴の背中が見えた。
読書はしていなかった。銀髪女は、麻紐で本を縛っていた。
そうしてまとめられた本の山が、いくつもいくつも床に点在している。ちょうど本を全てまとめおわったらしい。エルフ女は、縛った本を次々と運び出し始めた。
「これ全部、捨てるのか?」
「ああ……読むだけ無駄だったからな」
「そうだよな、天才のヒューマ様にはな!!」
「…………そうだな」
それだけ言ったきり、奴はすぐに運搬作業に戻った。
その反応の悪さに、さすがのあたしも違和感を覚えた。
紐で縛り上げられた大量の本。いくつかの山の一番上の表紙を見たのを、覚えている。
魔力理論探究、魔法医学概論、魔法薬学の応用などと書いてあった事を。
なんであの違和感を、もっと追求しなかったのか? 追求していたら、何か変わりでもしたのか?
その答えは、今でも分かりはしなかった。
そしてあたしは最後の敵と相対する。
「本棚……見事に、冒険物語ばっかりだな」
一回、本が大量に捨てられた後。
あの女の本棚は、再び埋め尽くされていった。
本のジャンルは、すっかり様変わりしたが。
横に積まれていたり、隙間に詰め込まれていたり、逆さになっていたり、巻の並びがめちゃくちゃになっているぎゅうぎゅうの本棚。
そこには、あのエルフの匂いが強く残っていた。
「何だ、また読んでるのか? 随分ご熱心な事だな」
「ああ……人間の書いたものだが、意外と悪くないぞ」
最近のこのエルフのマイブームは、冒険物語を読む事のようだ。
普段はエラそうでうるさい女だが、読書している間は静かそのもの。その姿が妙にサマになっているのが、ハッキリ言って癪だった。
机の上に高く積まれた大量の本。コイツはこの量を、一日で読み切る事もあるらしい。
ちょっと気になったあたしは、パラパラ見てみようかと、気まぐれを起こす。一番上の本に手を伸ばした、その時だった。
「ゴホッ、ゴホッ!!」
「何だ、風邪か? 珍しいな、今日は嵐でも来るのか?」
奴がいきなり、口を押さえて大きく咳き込む。
今までに、無いことだった。この女は、エルフだ。しかもエルフの中でも特に頑丈な、健康優良児だしな。
「……いつまで口押さえてるんだ?」
こいつ、明らかにおかしい。口元を手で覆ったまま、石化したかのように動かない。
「おい、何なんだ……」
「ガハッ、ゴフッ!!」
「!!」
長くて細い、真っ白な指の間からこぼれ落ちたモノ。その、思いもしなかった色と鮮やかさに……あたしの心臓は不協和音のような、気味の悪い音を立てた。
真っ赤な血を口から垂れ流す目の前のエルフ女。奴は……どこか、ばつの悪そうな顔だ。驚いている様子は、微塵も無い。
「いつからだ」
「…………半年前からだな」
「医者には、かかったのか?何て?」
「自己魔力暴走症だと言われた……相当、稀有な病らしい。自分の魔力が、暴走して自分自身を攻撃する。名前通りだ」
「治療法は? 薬は飲んでるのか?」
「薬は、痛みを和らげるものと、進行を少し遅らせるものだ。治療法は……無い」
「何だと………………」
そこまで聞いたら、学のないあたしにだって分かる。コイツに残された時間は……。
「あと半年だそうだ」
「……は、」
「私は魔法の天才だ。当然、魔力も相当高い。だから……進行も早い」
「何で、黙ってた……?」
「言えるわけ、ないだろう」
「何で黙ってた!!!」
握った拳が、震えているのが分かった。震わせるつもりなんかミジンコほども無いのに、止められもしない。自分の手一つコントロールできない。あたしは、奥歯をおかしくなるんじゃないかというくらい、思いっ切り噛み締めた。
「私は、エルフだ……人間に、情けない姿など、見せられるわけがないだろう!!」
「何が、情けないだよ……? しょうもないプライドにまみれやがって!!」
「言おうが、言わなかろうが、結果は変わらない!! だったら、私は!!」
これ以上、くだらない言葉なんて、聞きたくも無い。
胸の奥底から、黒いもやみたいなものがどんどん湧いては、昇っていく。喉の奥が燃えるように熱くなって。
あたしは気がつくと、奴の唇を、勢いよく塞いでいた。
「んっ……!」
それは当然のように、血の味がした。あたしの血とは、やっぱり違う味だ。けど……良く分かった。
エルフの血も、人間のものと明確な大差なんて無い。どっちも赤いし、鉄くさい。
あたしは息が続く限界まで唇を押しつけ続ける。どちらからともなく離れた時に、目が合った。
あたし達は弾かれたように、思いっきり抱き合っていた。
「自分の魔力に攻撃されて終わりとは、間抜けだ。私らしくも無い」
「……今まで散々、間抜けだっただろ」
「間抜けではない……少し、愚かだっただけだ」
抱きしめたエルフの全身は、温かい。
この銀髪エルフ、意外と体温が高いんだった。
言葉が、途切れる。そしてそのまま、消えていく。
奴のしゃくり上げるような声が、聞こえる。
と言うことはコイツの長い耳にも、あたしの喉から漏れた音が、聞こえているはずだった。
言葉は、消えたまま。抱き合って、顔も見えない。奴が、どんな顔をしていたか……あたしは、知らない。
知らないふり、気付かないふりをしながら、水分が枯れ果てるまで、何時間もそんな事をし続けた。
本棚に、横に積まれた冒険物語を一冊、手に取る。
奴の好んでいた、複数の花を使用した香油の匂い。それが鼻の奥を突いて、痛いほどだ。
あの時、見てみるつもりで手に取りかけて、結局中身を見る機会を失った本。
あの女は、何で冒険物語にあんなに熱中していたのか。
また、冒険に行って暴れ回りたかった。これが一番自然だろう。弱っていく自分から遠ざかっていくものを、読むことで補いたかったのかもしれない。
けど、こんなものは全てあたしの、推測に過ぎなかった。
奴がどういうつもりだったか……今となっては、もう分からない。
あたしは、まだ本棚と睨み合いを続けていた。
本棚は、全て埋まっていて、溢れ出しているくらいだったが。
「……やっぱりな」
最早、お約束だ。本以外のモノが紛れている。
ランク変更通知書。
そこには、A+→Dランクと書かれていた。
通知書を、一旦横のベッドの上によける。
そのまま片付けを続けようと思った。けど……頭の中の記憶が、勝手に暴れ出す。
「冒険に出る!? 駄目だ、ふざけるな!!」
「いや、私は行くぞ!」
家。奴の自室、ベッドのすぐ傍ら。
銀髪エルフに薬を飲ませた、直後。
信じられないことを言いだすバカエルフに、あたしは断固として拒否する構えをとる。
だが、奴の勢いはいつも以上だった。
「魔力は、使って発散した方がこの病には良いんだ! 体内の魔力が一時的にでも減れば、進行が遅くなる!」
「医者が言ったのか?」
「そうだ!」
腕を組む。しばし考える……が。
「なら、広い安全な所で魔法だけ使えばいいだけだろうが? わざわざ危険な……」
「……私は、あとどれだけ生きられるか分からない」
「!」
「思いっきりやりたいことをやりたいんだ。それに最近、調子が良い! 寝ている方が体に悪いだろう!」
白状すれば。
あたしには、どうするのが正解か……分からなかった。
けど。
「ちょっと、待ってろ!」
あたしは、走った。
「……何だ、これは!」
「何って、防具だが?」
細い木が五本そびえ立つ、家の庭。広くは無いが、部屋の中よりは良い。
全身、防御装備で固めた銀髪女を見て、あたしは思案し続けていた。
「中型盾は、やっぱり重いし機動力が落ちる。こっちの魔動型小盾二枚にするか」
「勝手に謎の物体をつけるな!」
ヒュッ!
エルフ女の右肩辺り目掛けて、思いっきり拳を打ち込む。
「何をするっ!!」
瞬間。
ガゴンッ!
五角形の小さな盾が、あたしの拳を見事に防いでいた。
「持ち主の魔力で浮いて動く盾だ。勝手に守る」
「そんなものが……」
「まあ今まで防具なんて、あんまり使わなかったしな」
言いながら、防具の調整や構成の改良をし続ける。
「これは」
「あ?」
「これは……安いものではないはずだ。お前……」
「分かってるだろ?」
あたしは、奴に向かって口角を上げてみせた。
「あたしも、愚かだからな」
西の森の手前、街から少し離れた所。
ぽつぽつと木がまばらに生えていて、多少邪魔だが、視界は十分開けている。
そんな場所で、あたしはちょこまかと走り回りながら叫んだ。
「いいか! あたしが隙を作るから、叩き込むんだぞ!」
「分かっている!」
目の前の魔物は、低い唸りをあげながら、歯を剥き出しにしていた。
もう既に、臨戦体勢はできているようだった。
シルバーボア。大型の猪型。中級に行きたい初心者が、まず狙う奴……つまり、一番弱い中級の魔物、という位置づけだ。
あたしは、猪を剣で軽くつつき回してやりながら、銀髪女の魔法が発動するのを待つ。
剣の手加減は、必須。間違って一撃で倒さないように、あたしは注意を払った。
「グルルゥ……!!」
そんなあたしの立ち回りに、猪は明らかに苛ついている。そう思った瞬間、
「……魔法ッ!?」
シルバーボアの眼前に、魔法陣が浮き上がる。普通、ボア系は魔法を使えない。こいつ……レア個体だ!!
カァッ! と強い光を放って、猪の魔法が繰り出される。
ファイアアローシャワー。火の矢の雨だ。あたしは、シルバーボアに対処しながら、後方へ視線を向ける。
銀髪エルフの周りでは、ジャキン、ジャキン! と、魔動小盾が二枚、せわしなく動いていた。盾に叩き落とされた火の矢は、勢いを失って、地面で小さくなって消えていく。
あたしは再び目の前の猪に向き直り、剣で時間稼ぎをし始める。
後方から、アイツの詠唱が聞こえた。
「エルヴン・スターライト!!」
「グオォッ!?」
光属性の上級魔法。あの女の得意技が、シルバーボアに炸裂した。魔物は、ドサッ!と重い音を立てて、それきり動かなくなる。
「…………がはっ!」
「ヒューマッ!!」
奴が大きく咳き込んで、地面にうずくまる。あたしは、剣を放り出して駆け寄った。
右腕を回して支えた肩は、大きく上下している。
「血は吐いていない。大丈夫だ」
「やっぱり、冒険はやめ……」
「そんな事は認められないっ!!」
突然、耳元で鳴り響く轟音。耳が一瞬、痛くなる。けど、あたしは耳を押さえなかった。
銀髪エルフは、言葉を続けた。今度は、大分音量が落とされていた。
「……私は、出来るところまでは。ギリギリ限界まで、やるぞ。今回で実感した。体内の魔力は発散した方が、良い。今のは、単純に体力の問題だろう。ずっと部屋にいたからだ」
そう言った奴の青い目は。
怒気さえ感じさせるほどの、本気の目だった。
それからも、依頼をこなし続けた。
安全を取って、レベルを落としながら、だけどな。
いくつかこなした後、渡されたのが、このA+→Dランクの変更通知書だ。
あたし達はこのまま行けば、いつかSランクに辿り着けると、思っていた。
だが、こうなっては、無理はできない。冒険者にとって一番重要な能力、それは生きて帰る事だ。
最終的には、Fランクまで落ちた。それでも、あのエルフはギリギリ限界まで冒険をやめることは無かった。
ついに冒険に出れなくなってからも、極力近所の散歩をしたりした。
ヒューマは、何だかんだ余命宣告より、二年長く生きた。
粘りはしたが、結局ついに、くたばった。
部屋は、大分片付いた。
けど、ほとんどのものは、移動して整えただけだ。
意外なことに、明らかなゴミ以外、捨てるべきものは無かった。
後は、事後処理しなきゃいけないものくらいか。
整理された部屋。ゴチャゴチャ感はすっかり消え失せて、何だか急に静かになった気がした。最初から、特に音なんて聞こえてなかったはずだ。だから……単なる錯覚だ。
「アイツが居ないと、かなり静かで、いいな」
モノが無くなって広くなった床。そこにあたしは思い切り寝転がって、かつてない静寂を満喫する。
そして、奴の部屋を意味も無くボーっと、眺め回した。
荷物袋からのぞく解体用ナイフ。
事後処理品の箱につっこまれた奴の冒険者ライセンスカード。
とりあえず机の上に出しておいた指輪の入った小箱。
分けておいた重要品の中の一つの家と土地の権利書。
机の上に飾ったままの、魔法で保存された赤いバラ。
その隣に立てかけて飾ってある、赤の皿とマグカップ。
あたしが読む機会を失ったままの、冒険物語の本。
保存書類の山の一番上の、ランク変更通知書。
音は、聞こえない。最高に、静かだ。けど。
「……うるさいぞ、ヒューマ」
馬鹿みたいな独り言。
いよいよ、頭がおかしくなりそうだ。いや……もうおかしいのか?
「……あああっ!!」
これ以上居られなくなったあたしは、部屋から、家から飛び出した。
アイツが床に伏せる事が増えてから、あたしも冒険からは遠のいていた。
だから全力疾走なんてのは、かなり久しぶりの事だ。
足は、目的地を知らないまま、それでもせわしなく動き続ける。
左手側の遠くの方に、洞窟が見えた。いきなり、窃盗に遭った洞窟だ。犯人はいけ好かないエルフだった。
その手前には、行商人が居た。多分、解体用のナイフなんかも売っているだろう。
右手側、すぐ目の前。冒険者ギルドを通り過ぎる。どこぞの偉そうな女と、パーティ登録なんてしたっけな。
その奥には、教会がある。何もかも真っ白な、潔癖すぎる一日。そんな日も、あった。
さらに進めば、商業ギルドがあった。細い木が五本立ち並ぶ、家の庭を思い出す。
やがて、花屋が見えてくる。見覚えのある花ばかりだ。アイツのせいで、無駄に花に詳しくなっちまった。
それも通過すると、露店が並ぶ市場にさしかかる。その中には、食器類の店や、本が窮屈そうに並べられた本売りの店もあった。
その近くには、冒険者向けの防具店もある。正直、かなり世話になった店だ。
あたしは、全てを通り過ぎた。視界が、やけに悪い。何だか滲んでいる。
それに走りすぎて、さすがに疲れてきたぞ。
「ははははっ!!!」
段々、可笑しくなって、笑いながら走る。端から見たら、完全に危険なヤツだ。
それでも走って、走って、走り続けていたら……急に視界が開けて緑が現れる。
そしてサアッ……と風が頬を撫でていく。
「草原…………」
そこは、いつか来るはずだった場所だった。
つい数ヶ月前の冬の日。銀髪女が、急に思いついたように言ったのだ。
「春になったら、東の草原でピクニックでもしよう」
「弁当は?」
「ホーンラビットでも狩って焼けばいい。冒険用テントも持ってきてだな……」
「馬鹿。それじゃあ、キャンプだ!」
それは、ほとんど妄言に近かった。
ホーンラビット狩る元気すら、もう無かった癖に。
今は、春。
風は、幾分か生温くなっていた。
この世界には、まだまだあの女の知らなかった場所が、事が、ものがたくさんある。
あたしだって、いつくたばるか、分からない。
だったら。
あたしは、踵を返した。
あの女の墓は、あたし達の家の西。すぐ近くに立てられていた。
刻まれた奴の名前。あたしの人生を、引っかき回すだけ引っかき回してから消えていった、クソエルフ。
いつまでも、アイツの手の上っていうのも癪だ。
けど……気付く。
そんな怒りも結局全部、あの女のせいだ。
戻る途中、花屋で買ってきたものを供える。
巨大な花束。
九十九輪の、赤いバラ。
店にある赤いバラをかき集めたら、ちょうど九十九本だった。それだけだ。
あたしは魔法なんて使えないから、このバラの花束に保存魔法はかかっちゃいないけど。
空を、見上げる。そして、あたしはついに……観念した。
どこまで行っても、あたしの人生にはあのいけ好かない奴がつきまとう。どうやら、完全には逃がしてくれないようだ。
あたしは左の拳を握りしめた。左薬指に嵌まった青い石の指輪に、太陽の光が反射する。
そして、墓標に突きつけて、言った。
「待ってろよ、ヒューマ」
お前が羨んで、ハンカチ噛み締めるくらいの楽しい人生を散々送ってから。
また、殴りに行ってやるよ。




