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2 邂逅
まさに一度のまた滝で火花が散るかのごとく。
一瞬世界は真っ白に白濁し、戻ってきたわが愛しき世界は今生のものとは思えぬ美貌の男の顔を大きくうつした。
よよよ?
目の前に男はいた。
わたしが隠れていた椅子の背を覗き込んできた男に、わたしは抱き上げられていた。
あ?
一瞬、気絶していたようだ。
男が立ち上がったのでわたしは脇に手を入れられ、こう、ぶらーんと宙に浮いたままなす術無く男を見返した。足がぶらぶら宙を泳ぐ。
わたしはまじまじと全体的に黒い男を観察する。
目は切れ目で見下ろしてくる瞳は黒。
見下ろす目は潤んで熱っぽく見える。風邪か?と思ったくらいその症状に似ている。
髪の毛も瞳と同じく漆黒の色。写真でこそ外国の髪の色を知っているが実際にこんな色を見たのははじめてだ。
顔の造形がおそろしいまでに整っているから無表情でいられると冷たい印象をうける。
彼は王子様のような王様に負けないくらいの美形だった。
そして身に纏った、まるで軍人の様な重圧的な雰囲気とは裏腹に、よく見れば年齢はまだ二十代そこそこに見える。
ふむ・・・・・・人間だなあ。これ。
とりあえずいいかげんおろしてはくれないものか。
わたしはまるで猫のようにぶらさげられ、一心に眺められている。
え?なに?わたしは喰ってもうまくないよ。
「ああ、その子ルーシオのだったんだね」
王様がころころと笑い、王座のわたしたちがいるほうへ近づいてくる。
ルーシオ、と呼ばれた男はわたしをみつめたまま何も話さない。
・・・こ、こわいんですけど。
ん?なになに?なんで見るの?
人間に捕われた猫の気持ちって、こんなもんなんだろうか。
かくん、と首を傾げると、そのあまりの勢い故か、男は慌てたようすでわたしを床におろす。あれしきで首がもげるとでも思ったのだろうか。
しかし逃がさないようにとでもいいたげに大きな手が肩に置かれた。
見上げると、男の顔は遥か上のほうにあり、顎しか見えない。
わたしはそんなに低い身長でもないのに。
でっかい人間(仮)がいたものだ。
そう思っていると男はわたしと視線をあわせるために片膝をついてかがみこんだ。
「俺の言葉がわかるか」
間近にきくと、低く、体に響いてくる様な声だった。言葉を終える時の息の吐きかたが好ましい。
「わかるよ」
わたしは、鋭い目に顔を覗き込まれながら頷いた。元来このような目つきなのだろう。その目のなかに敵意はないように感じる。
「そうか。よかった」
「あなたは影のあやかしね」
まずい、と思う間もなく、考える間もなく、口から先に言葉がでた。
真っ黒に見えたあの手は、今は白いけれど。わたしには妙に確信があった。
「ああ、そうだ」
男も心得ているのかいささか緊張した様で是と吐いた。後ろで王だけが「なにを言ってるの」と首をかしげている。
「こんなことになってしまってほんとうにすまないと思っている。まさかこんなことになろうとはおもわなかったのだ。・・・・・・俺の謝罪を受けてくれないか。説明もできればきいてほしい」
そういってきれいとはいえないわたしの靴の先にキスしようとするものだから、わたしはふたつの意味で仰天し狼狽し、内心やめてくれええと叫びながら思わず「はい!!」とこたえていた。
こういう靴にキスとか手にキスとかいう異文化の挨拶(?・・・なにを意味するのかはいまいちわからないけれど)は、つつましやかで奥ゆかしい、わたしを育てた社会ではこっぱずかしいことに分類される。いや、こういうきれいな人たちがやってるのを見るのはいいんだよ?いいんだけど、それが自分の身におよぶとなると地面が崩壊するくらいの衝撃は受ける。
勿論、ローファーがキスされるまえに、わたしはじりじりと後退し、靴と彼との接吻はまぬがれた。
返事をきき、ほっとしたように顔をあげ目元を和ませた男は、纏っていた黒のローブから手を差し出し、わたしの左手をすくいとってたちあがる。
見上げるのは二回目だがやっぱり大きい。
ローブで正確にはよくわからないが、彼の胸の位置にまでわたしの背があるかないかのようだ。
おお、首痛い。
もう見上げるのやめよう。
うう・・・謝罪。謝罪ねえ・・・。
彼が影のあやかしというのなら、捕まったらリアル食べられる死の鬼ごっこになぞらえて言えば、
わたしはもう鬼に捕まったってことになる。
・・・喰われる?
いや、でも彼は人間だ。
時に、人間はあやかしなんかよりも質が悪いが。
・・・いやいや。未知であるからこそ怖いのだ。彼は影のあやかしであることを認めたのだ!
わたしは今!その未知に対面し知る機会を得ているのだ!
そう思うとわくわくするじゃない!
わたしは自分を鼓舞し気合いを入れる。
もう、一回は死を覚悟した身!
これはもう、廃れはしたけど、一陰陽師の末裔として知識欲を埋めねばならん!
黙ってみていた王様が口をひらいた。
・・・あ。この人のこと忘れてた。
「ねえルーシオ。そもそもこの娘はなんなんだい?どうして王座の後ろにいたわけ?かわいいからまあいいかと思って放っておいたんだけど」
「まあいいか・・・?」
ちろりと流し目になる切れ長の目はきりりと厳しい。
その視線に王子様のような王様はたじろいた。
「うっ、あのね・・・」
「ふん、あなたのお得意のパペットにでもしようとしたのでしょう」
「えへへ?」
小首をかしげる様は男性とわかっていてもかわいらしい。しかし傍らの青年からはブリザードが吹き荒れている。
「あなたの趣味の悪い近衛たちのなかにでも入れるおつもりでしたか」
会話についていけなくて、わたしはふたりの視線が外れたのをいいことに、男のローブのなかをじっと観察していた。
微かな隙間から見えるだけだったが、見るところ下に着ている服も黒だ・・・。
この人上からしたまでどころか内側も外側も真っ黒だ。
唯一首から下げている何かの石がはめられたペンダントが胸元で揺れている。ふと手を見ると、彼の長い指の爪先までもが黒くペイントされていた。
・・・・・・黒魔術でもすんの?
彼の格好におおいに不安を感じるが、ここは影の世界なのだ。これが普通なのかもしれない。
王様が、派手すぎる変人なのかもしれない・・・。
ちろりと王様を覗き見ると、パッと目が合い微笑まれた。
うっ。
わたしは変人と疑った罪悪感からすごすごと黒衣の男の影に隠れた。
まあ、でも、影のあやかしについて説明してくれるというのなら是非ききたい。
彼がわたしをひきこんだあやかしだと認めたのだ。
かえりかたも教えてくれるかもしれない。
それに今すぐとって喰われるわけではなさそうだ。
それなりに文化も発展しているし、この人たちは珍獣的なあやかしではなかったし。食料としてひっぱりこまれたわけではないみたい。それは救いだな。
王とブリザードな黒い男は尚も会話を続けていた。
「だってその子かわいいじゃない。僕の美少女近衛兵ちゃんたちに加えても見劣りしないよ」
「彼女に手をだしたらいくらあなたでも闇討ちですよ」
あれ・・・?あのキラキラしたひと王様じゃなかったっけぇ?
この黒い人、王様にも遠慮がないなあ・・・。
「・・・・・・事故ですよ。俺が起こしてしまった事故・・・・・・。それに彼女を巻き込んでしまいました」
男はため息をつきながらそう言った。
「君がかい?」
「・・・・・・ええ」
「珍しいこともあったもんだね〜」
ん?ん?珍しいのか・・・。
ということは、この人はそれなりに優秀?なのかな・・・。
一応王様に認められてるってことだもんね?
「で、この娘を僕の椅子の後ろに転移させちゃったわけ?」
「いえ・・・話せば長くなることながら」
「ならいいや」
いいんかい。
わたしはこころのなかでツッコミをいれる。
あんた王様なんでしょ!?
「あ、そうだ。じゃあさあ、じゃあさあ!」
王様が嬉しそうに手をあわせた。
「ふたりで、そうだね・・・明日王宮においで。アメリアも呼んでお茶会を開こう。そこでじっくり事情をきいてあげるよ。これ、決定だからね。またあとから連絡をよこすから」
そう言うと王様は空中に花をとばして機嫌良く前方の扉からでていった。
わたしはしばし、彼が去っていった扉を呆気にとられてみていたが、黒衣の男がこっちをじっと見ているのに気付き、彼を見返した。
「ここに長居はできないから俺の屋敷へ転移する。転移はその・・・転移魔法だ。わかるか?」
わからない。
わたしはふるふると頭を横に振る。
「魔法?」
「ああ。今から俺が、ここから少し離れたところに移動する魔法をつかう。怖がらなくてもいい。手をはなさなければ危険はないから」
魔法。魔法かあ・・・。
懐かしい響きだ。
「わかった。どうぞ」
わたしは重ねられた男の手をぎゅっとにぎり、目を伏せる。
男は少女のききわけのよさに驚きながらも彼女をひきよせ魔法を施行する。
二人はゆっくりと光りに包まれながら、その場をあとにした。
王室のもふもふカーペットは、そこには最初から誰もいなかったとでも言うように、ゆっくり彼らの足跡を消した。
ごっちゃごちゃになってしまった