第25話 俺が出会った人間の中で
動くたびに、全身から汗が噴き出てくるのを感じる。だが、それはお互い様だ。フランシーヌを睨みつけているフィリップの顔にも、汗が大量に浮かんでいた。
運動量を比較すれば、フランシーヌが圧倒的に上だろう。だが、クロードとの特訓のかげで体力は前よりも格段に増えた。
だから、なんとかまだいける。
「いつまで逃げてばかりいるつもりだ?」
「なんだ? 疲れたのかい?」
あえて、この瞬間に煽るような言葉を返す。予想通り目を吊り上げたフィリップを見て、余裕そうに見える笑みを浮かべた。
正直、フランシーヌも限界は近い。こうして微笑みを浮かべられるのは、もはや意地である。
だが、私は意地を貫き通すためにここに立っているんだ。
軽く息を吸って、フィリップを見つめる。赤くなった顔と止まらない汗が、彼の余裕のなさを物語っていた。
『相手の余裕がなくなるまで待て。体力が尽きそうになれば、あいつは必ず仕掛けてくる。その瞬間、最大の隙が生じるはずだ』
クロードの言葉を思い出す。
あと少し、あと少しだ。
鉛のように重たい足で軽やかに飛び、鋭い突きを放ってすぐに引く。地面に足の裏をつけるたびに、鈍い痛みが全身に広がる。
しかしそんなことは、絶対に顔には出さない。
「くそっ……!」
焦ったように、フィリップが足を踏み出した。
今度は逃げない。そして、フィリップが大きく剣を振り上げる。
―――今だ!
全身の力を振り絞り、飛び跳ねるようにフィリップの背後へ回る。慌てて彼が振り向いた瞬間、狙うのはただ一ヶ所。彼が持つ剣の刀身だ。
ぶつけるのではなく、渾身の力を込めて刀身を突く。
甲高い金属音が響いて、彼の剣が宙を舞った。
「やめっ!」
審判を務める学園長が叫んだのと、フィリップが拳を振り上げたのは同時だった。
令嬢達が悲鳴を上げる。目が合った瞬間、フィリップは唇の端を吊り上げて笑った。
なにを考えているんだ、こいつは……!?
大勢の前でフランシーヌを殴れば、フィリップは間違いなく処罰されるだろう。この場には学園長だっているのだから。
正気か!?
慌てて逃げようとしても、上手く動けない。恐怖のせいではなく、疲れきった身体が限界を迎えたからだった。
ぎゅ、と思わず目を閉じる。しかし、フィリップの拳がフランシーヌに届くことはなかった。
代わりにフランシーヌの耳に届いたのは、殴り飛ばされたフィリップが派手に地面に転がる音だった。
目を開けると、目の前にクロードがいた。確認しなくても分かる。たった今、クロードがフィリップをぶん殴ったのだ。
殴り飛ばされたフィリップは意識を失っているらしい。観客の一人が、慌てて医者を呼びにいった。
「……クロード」
「勝負は完全に終わっていた。勝ったのはお前だ、フランシーヌ」
だろう? と煽るようにクロードが周囲へ視線を向ける。人前で喋るのは、得意ではないはずなのに。
最初に拍手をしたのはリリアーヌだった。そしてだんだん、その拍手が全体に広がっていく。
「お兄様ー! 信じていましたわ!」
「今日も世界一格好良かったですわー!」
「おめでとうございますわ、お兄様!」
令嬢達だけではない。いつの間にか、まばらではあるものの、拍手をする令息達も現れ始めた。
「よくやった、フランシーヌ」
微笑むと、クロードはフランシーヌに目線を合わせるために屈んだ。
「動けないだろう。寮の前まで運ぶぞ」
「……クロード」
彼が、心の底からフランシーヌのことを心配してくれているのは分かる。それにクロードの言う通り、フランシーヌの身体は限界だ。
正直なところ、こうして立っているだけでも辛い。
……だが。
「大丈夫だ、クロード。自分で歩ける」
優雅な笑みを浮かべて言うと、クロードは目を見開いた。
そして、ぽん、とフランシーヌの肩に手を置く。
「……格好いいな、フランシーヌは」
「だろう?」
「ああ。俺が出会った人間の中で、一番な」




