第2話 人生の目標
「お前、3カ月前に俺と恋仲になった女がいたのを覚えているか!?」
「ああ、覚えている。名前は確か……マリア、と言ったか? 花屋の娘だろう」
聖ブリリア学園は王都のはずれに位置しており、少し馬車で移動すれば賑やかな街に行ける。
特に外出制限はないため、一部の男子生徒は頻繁に街へ出かけているらしい。
そこでフィリップが恋仲になったのが、花屋で働くマリアという若い娘だ。
貴族の令嬢にはない健康的な美貌が美しい彼女を連れ、フィリップは得意げな顔でフランシーヌの前に現れた。
婚約者の前に恋人を連れてくるなど、最低最悪の所業である。
「あの子は元気か?」
「……知らん」
てっきり正式に彼女と婚約する、等と言い出すのかと思ったのだが、違ったらしい。
「彼女にお前が言った台詞を忘れたわけじゃないだろう!?」
覚えていない、と言えばさらに面倒なことになりそうだ。
フランシーヌは目を閉じて、3カ月前に想いを馳せた。
確かあれは、レベッカとカフェに行った帰りだったな。
偶然……いや、今思えば意図的だったのだろう。店を出てすぐ、マリアを連れたフィリップに出くわしたのだ。
互いに気づかないふりをすればいいものを、フィリップがわざわざ声をかけてきたのである。
「……思い出した。婚約者がいながら女に手を出すような男には気をつけろ、だったか?」
「違う。『君のように可愛い子には傷ついてほしくない。一途な恋心は、誠実な相手に捧げるべきだよ』だ」
一言一句覚えていた執着心が恐ろしい。
嘘だと思わないのは、いかにもフランシーヌが言いそうな台詞だったからだ。
しょうがないだろう。だって、あの子が可哀想だったんだから。
フィリップは婚約者持ちの貴族で、あの子が遊ばれているのは分かりきっていた。私としては、可愛い女の子が傷つくのは見過ごせない。
「俺はあの後すぐ、彼女に振られた」
「……そうか」
「そして彼女はいつの間にか『フランシーヌお兄様親衛隊』に入ってたんだよ!」
ああもう! と怒鳴ると、フィリップは頭をかきむしって地面を蹴りつけた。
「分かったか!? うんざりなんだ、お前みたいな奴といるのは!」
「私も、君との婚約破棄に合意すると言ったはずだが?」
婚約破棄を言い出したのはフィリップで、フランシーヌはそれに頷いただけだ。だというのにこの男は、いつまでフランシーヌの時間を奪うつもりなのだろうか。
「俺は! お前のそういう態度も気に入らないんだよ!」
舌打ちと共に、フィリップが距離を縮めてきた。当然のように後ろへ下がっても、それ以上にフィリップが近づいてくる。
そして大きく拳を振り上げ、フィリップが下卑た笑みを浮かべた。
「もう我慢できない。俺は昔からお前のその顔が嫌いなんだよ」
殴られる、と思った瞬間、フランシーヌはつい叫んでいた。
「やめろ! この世に私の顔ほど価値がある物はそう存在しないぞ!?」
うっかり口にしてしまった本音に、フィリップがまた舌打ちをする。
校舎の壁を背景に追い詰められてしまっては、フランシーヌは逃げることができない。
いくらフランシーヌがフィリップより背が高く手足が長くとも、フランシーヌは女なのだ。
貴族の令嬢である彼女は、素手で男と戦う方法なんて教わったことすらない。
こいつ、本気なのか?
婚約破棄したとはいえ、貴族の令嬢を殴るだなんて、周りに知られたらタダじゃ済まないぞ……!?
そこまで考えて、フランシーヌは気づいた。
この男は、今日の出来事をフランシーヌが周囲に漏らさないだろう、と確信しているに違いない。
元婚約者に殴られて怪我をしたなんてダサいことを、私が他人に言うはずがないからな……!
仲は険悪だが、それなりに付き合いは長い。
フランシーヌのそんな考えを見抜くことなんて、フィリップには容易だったのだろう。
まずい。どうすればいい?
殴られるなんてごめんだ。だが、この状況からどう脱すれば―――。
叫んで助けを呼びたいが、みっともない姿を晒すわけにはいかない。無意識のうちにフランシーヌが唇を噛んだ、その瞬間。
「女子に手を出すのは、男として最悪だろう」
聞き慣れない低い声が、フランシーヌの耳に届いた。
そして。
腕を掴まれたフィリップが、空中で見事に一回転し、地面に背中を叩きつけられた。
「大丈夫か?」
一瞬、なにが起こったのか分からなかった。それほどまでに自然な動作で、いきなり現れたこの男はフィリップを地面に叩きつけたのだ。
右手だけで、まるで紙屑を投げるような軽やかな動きで。
フランシーヌが驚きのあまりなにも言えなくなっている間に、覚えてろよ! と負け犬の教科書みたいな台詞を吐いて、フィリップが逃げてしまった。
腹が立つが、今はあの男を追う気にはなれない。あんな男より重要なことが、今、目の前にあるのだから。
「……君は?」
「同級生のクロード・フォン・リファールだ。さすがに有名人だからな、お前のことは知っている」
日に焼けた肌に藍色の髪、血のように赤い瞳。
男らしい体格を有するこの男のことは、確かに見たことがない。しかし確かに、同じ学年であることを示すブローチを制服の胸元につけている。
「さっきの技はどうやったんだ?」
「技?」
「ほら、一瞬でフィリップを投げただろう!?」
ああ、とクロードはあっさり頷いた。そして、信じられない言葉を口にする。
「お前が言った通り、ただ投げただけだ」
嘘だろう!? と言えなかったのは、クロードの落ち着いた態度以上に、彼の鍛え上げられた肉体が目に入ったからである。
間違いなく、この男は強い。そしてそれは、フランシーヌの持っていない格好良さだった。
「クロード」
「……なんだ?」
「私を弟子にしてくれ!!」
フランシーヌ・フォン・シュヴラン。
人生の目標は『とにかく格好良く生きること』
そんな彼女が弟子入りを希望したのは、本人としては当然の流れであった。




