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闇に響く声  作者: まきの・えり


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       5

 マイケル・ランバートには、敏腕のマネージャー、リチャード・フォンティンがつきました。一般には、あまり知られていませんが、リチャードは、トミーの腹心の部下でした。

 ビクスン帝国は、レコードや映画産業だけでなく、政治や経済の分野にまで、目には見えない触手を伸ばしつつあったのです。各方面に、優秀なスタッフを送り込んでいました。

 トミーの影の力は、実際以上に大きく喧伝され、一層、彼の力を増す遠因となっていました。

 大統領とのつながり、マフィアとの黒い噂。

 トミーは、いずれに対しても、否定も肯定もしませんでした。その方が利口なことを、本能的に知っていたのです。

 トーマス・ビクスンは、決して捕まることのない犯罪者でもありました。

 彼の隠された趣味の結果として、彼の過去には、孤独な少年達のしかばねが、累々と横たわっていました。いずれも身寄りのない、世間からは見放された少年達でした。

 ある少年は一日で飽きられ、ある子は二年生き延びました。特に才能のある少年達は、トミーのために働くようになりました。

 トミーに生存を許されるということは、大変な出世を意味していました。

 彼らが、ビクスン帝国の土台です。

 皆、一様に口が固く、トミーに忠実でした。

 彼らは、別名『ビクスン・マフィア』と呼ばれ、外部の人間には想像もできない、異常な結束力で結びついていました。

 多分、私も利用価値を失うやいなや、少年達のなきがらの仲間に加わる予定でした。私は、明らかに、知り過ぎた人間でした。

 トミーには、確かに、他の人には無い魅力がありました。誰も、彼の力には、抵抗できなかったのです。

『カリスマ』と呼ぶ人もいました。

 全身から磁力のようなものが放射されている。

 少なくとも、マイケル・ランバートが現れるまで、彼のような人間は、他には存在しませんでした。

 マイケル・ランバートには、宣伝は不要でした。

 トミーを異常に興奮させるほど、マイケルは美貌で、商品としても一級品でした。

 トミーは、田舎出の少年を、一冊の本といってもいいほどの契約書によって、完全に縛ってしまいました。

 マイケルの収入の大半が、自動的にビクスン・プロの収益になり、マイケルのスケジュールの一切、他の会社との契約の全ては、ビクスン・プロに、つまりは、トーマス・ビクスンに決定権がありました。

 数え上げればきりのないほど、マイケルは知らない間に、トミーに縛られていたのです。

 十八歳の美貌の歌い手、マイケル・ランバート。

 人々は、特にティーンエイジャー達は、自分達の待ち望んでいたヒーローが、ついに現れたことを肌で感じていました。

 レコード発売後、一ヵ月も経たないうちに、マイケルは、異常ともいえる人気を獲得していました。トミーにとっては、予想外の成功でした。

 マイケルの予想外の成功は、ある意味で彼を救いました。一時的にせよ、トミーの毒牙を逃れることができたのですから。

 ビジネスは、トミーの第二の天性でした。金の卵を産むガチョウを殺すほど愚かな男ではなかったのです。

 トミーは、マネージャーを通じて、次々と企画を立てました。

 ラジオやテレビへの出演。映画界への進出。そして、全米ツアー。

『マイケル・ランバート 孤独からの旅立ち』という本も出版され、わずかの間に、ベストセラーを記録しました。

 不幸で孤独な半生が、お涙ちょうだいのセンチメンタルな文体で書かれていました。

 よくある話でした。

 貧困家庭。両親との死別。冷たい親戚。放浪生活。そして、劇的な『歌』との出会い。


 その頃、マイケルは、プロダクションの敷地内にある家に住んでいました。

 敷地は、トミーの祖父の代からのもので、とても広大でした。

 今のプロダクションの建物があるところですが、その頃は、今の数倍の広さがありました。

 私達の住居も敷地内にあったのです。トミーは、敷地の周囲に高い高い塀を張りめぐらせ、常にガードマンに巡回させていました。数ヵ所あった通用門の前には、いつも大勢のファン達が集まっていましたが、中にいる限りは、別世界の出来事でした。

 その日は、マイケルの休みの日で、私は彼と二人きりでした。

 昼下がり、広い敷地内には、人影がとだえていました。私は、マイケルの本を読み終えたところでした。

「ふー、大変な話ね。どこまで本当なの?」私は、マイケルに尋ねました。

「さあ」と彼は関心のない様子で答えました。

「僕は、まだ読んでいないから」

「あきれたわ。自分のことでしょう?」

「別に構わないんです。僕の過去なんて、どうでもいいものだから」

「そんなにのんきなことを言っていると……」

 ことばが続きませんでした。まだ、トミーのことを知らせる時期ではなかったのです。

「何? ミセス・ビクスン」

 マイケルは、首を片方にかしげて、私の話の続きを待っていました。疑うことを知らない顔でした。

「何でもないわ。ちょっとあなたに忠告しようと思ったの。でも、もういいのよ」

 私達は、また、黙って座っていました。こちらから話しかけない限り、彼は、いつまでも黙っていられる人間でした。沈黙が全く負担にならないように見えました。何時間でも平気で黙っているのです。

 私が本を読んでいる間も、そうして黙って座っていたのです。

 彼といると、心がすっかり落ち着くのを感じました。時間や空間が、急に意味を失うように思えたのです。彼の放つ自由な雰囲気は、私を安全に包んでいるようでした。

「本当は、どんな子供だったの、マイケル?」

「普通の子供ですよ、マダム。ごく普通の目立たない少年。今と同じです」

「永遠の少年ね」

 私は、わけもなくクスクスと笑い出しました。

「あなたが来てから、トミーが張り切って大変よ。あちこち走り回っているわ」

「仲がいいんですね、ミスターと」

 彼が幸せそうに微笑んだので、私も幸せな気持ちになりました。

「そう? そう見える? 長い結婚生活だから、自分でもわからないわ」

「とても魅力のある人ですよ、ミスター・ビクスンは」

 私は驚いて、彼の顔を見ました。しかし、彼の表情からは、何の感情も読み取ることができませんでした。

「ええ、彼は魅力があるわ。普通の人じゃないんですもの」

「特別な人? そうなんですか?」

 マイケルは、まぶしそうに私の顔を見ました。

 平和なひと時でした。

 不思議な優しさと幸福の兆しに満ち満ちている。空気までが、甘く切ない香りを放っているようでした。

『きっと、私も、彼と同じ表情をしているんだわ』と私は思いました。


「ここにいたのか」

 私は、自分が飛び上がるのを感じました。いつものように、トミーが後ろに立っていたのです。

 彼は、足音を立てません。私の肩に両手を置き、私を立ち上がらせると、自分の胸に抱きました。彼の手はいつも熱を、氷のような冷たい熱を帯びていました。

「マイケル、ツアーの前にレコーディングをすまそう。ファンは、君の次の歌を首を長くして待っている。デモンストレーションテープを集めておいた。好きな歌を選んでおいてくれ」

「はい、ミスター・ビクスン」

 マイケルは、素直な生徒のように答えていました。

「そうだ」とトミーは思いついたように言いました。

「マダムに一緒に選んでもらうといい。彼女のセンスは、なかなかのものだ。私が、長い年月をかけて仕込んだんだよ、マイケル。彼女は、私の言いなりだ。心の底から私を愛し、私に忠実だ」

 トミーは、ゾッとするような声で笑いました。

「ええ、ミスター・ビクスン」

 何も知らないマイケルは、風にそよぐ葦のように見えました。

 トミーは、じっとマイケルを見ていました。自分の獲物を検分する目でした。目を細め、口もとに笑みを浮かべ、あらゆる角度からマイケルを測っているのです。彼の与えてくれるだろう快楽の質と量を、冷静に計測しているのでした。

「行っていいよ、マイケル。君もだ、エミリー。マイケルのために、せいぜい、いい曲を選んでやってくれ」

「わかったわ、トミー」

「今日は、一段ときれいだよ、ハニー」

 トミーはそう言うと、私に熱烈にキスしました。マイケルの存在が、トミーを異常に興奮させているのです。

 マイケルだけが、何も知らずに、困ったように微笑んでいました。

「スタジオで選ぶといい」とトミーが言いました。

「あそこなら、今、誰もいない。防音設備は完璧だ。どんな大きな声を出しても、大丈夫だよ」

 マイケルは、もう走り出していました。

「待って、マイケル」私も走りました。

 マイケルは途中で立ち止まり、笑いながら、私に片手を差し出しました。

 トミーの視線を意識しながら、私はマイケルに自分の手をあずけました。

 マイケルは、全速力で走り始めました。彼に引っ張られながら、私は少女時代に戻ったような幸福な笑い声をあげていました。心が浮き立つのがわかりました。気違いじみた喜びの発作でした。

 歌を選ぶのも、楽しい作業でした。

「マダム、これはどう?」

 デモテープを聞きながら、マイケルは色々な声で歌いました。

 おどけてみたり、わざと他の歌手の歌い方をまねたり、コミカルな歌を深刻な調子で歌ってみたりするのです。彼に、そんな一面があることを、私は初めて知りました。

 広いスタジオの中で、二人きり。

 私達は、誰はばかることなく、笑い転げていました。長い間、心の底から笑ったことがなかったことに、気がつきました。

 マイケルと私の歌の好みは、奇妙に一致していました。

「わざとなのね、マイケル。私の好きになりそうな曲を選んだのね」

「マダムこそ。どうして、僕の好きな曲がわかるんです」

 私達は、顔を見合わせて笑いました。

 シングルとアルバム用の曲をすべて選び終えると、幸福な時間の終わったことがわかりました。

「どうしたんですか、マダム」

「え? どうもしないわ」

「何だか悲しそうに見える」

 私は、怒ったように横を向きました。マイケルにまともに見つめられると、泣き出してしまいそうでした。

「さあ、ボスも大喜びよ。これで、レコーディングができるわ」

「マダム」

 マイケルが私の手を取りました。思いもかけない強い力で、私を胸に抱きました。

「だめよ、マイケル」

「じっとして、マダム。じっとして」

 彼の心臓の鼓動が、衣服を通して伝わってくるようでした。彼は、しばらくの間、そのままじっと、私を抱いていました。そして、ゆっくりと、私から離れました。

「ごめんなさい、マダム。僕は、どうかしているんです」とマイケルが言いました。

「あなたが、あんまり悲しそうに見えたから」

「馬鹿ね」と私は言いました。まだ、心臓がドキドキしていました。

「 行きましょう。トミーが待っているわ」


 私達は、来る時と違って、ゆっくり歩いて帰りました。もうどこにも、笑いも喜びも残ってはいませんでした。

 トミーは、さっきと同じ場所にいて、私達が近づいてくるのを、じっと眺めていました。

「随分時間がかかったようだね。曲を選ぶのは、大変だっただろう」

 トミーは、猫のような瞳で、私とマイケルを見比べていました。

 私は、平静を装いました。長年の習慣で、感情を隠すことは得意でした。

「どうだった、マイケル? エミリーは、いいセンスをしているだろう」

「ええ、ミスター・ビクスン」

「君の好みをピタリと当てただろう」

「はい、ミスター・ビクスン」

 マイケルの声は震えていました。トミーは、目を細めて、彼の様子を眺めていました。

「彼女のセンスは抜群だよ。キスもベッドも最高だ」

「馬鹿なことを言っていないで、マイケルと私の選んだ曲に目を通してはいかが? それに、もう食事の時間だわ。つい夢中で選んでいたから、すっかりおなかがすいたわ」

 トミーは、不快そうに、私を見ました。自分の楽しみを中断されたことに、腹を立てていたのです。

「マイケル、あなたの食事は、後で運ばせるわ。疲れたでしょう? ゆっくりお休みなさい」

 マイケルが姿を消すと、トミーは、凄い目で私をにらんでいました。

「随分な仕打ちだね、ハニー」

「あら、何のこと?」

 トミーは、私の腰を両手で抱くと、私の目をのぞきこみました。

「時々、お前が嫌いになるよ、ダーリン」

「そう? 私はあなたが好きだわ」

「逆らうな、私に。もとの貧民窟に送り返すことだって、誰も知らない場所に埋めることだってできるんだ」

「わかってるわ、トミー。誰よりも、よく」

「素直ないい子だ。君のためなら、どんなものでも手に入れてやる。この世にあるものなら、どんなものだって。どんな女も手に入れることのできない幸せのすべてを」

「嬉しいわ。世界で一番幸せな女っていうわけね」

「その通りだ。さあ、私の目を見て答えるんだ。マイケルは、お前に何をした? さあ、教えてくれ」

「全能のトーマス・ビクスンでも、知らないことはあるのね」

 トミーは、私の片手をつかむと、表情を変えずに、それをねじりました。

 私も表情を変えませんでした。肉体的な苦痛は、もう私を苦しめません。

「マイケルは、何をした」

「何も」

「嘘を言うな。マイケルは震えていた」

「きっと、あなたに畏敬の念を抱いているのね」

 トミーは手に力をこめ、私の腕の折れる寸前で、力を緩めました。

「彼は、本当に、何もしなかったわ」

「全く、たいした女だよ、お前は」彼は、私の髪をつかんで言いました。

「美しいだけでなく、忍耐力も備えている。マイケルは、もう、お前に夢中だ。自分でも気付かずに、美しいマダムを愛し始めている。食事は抜きだ。どうしても、お前の口から聞き出してやる」


 トミーは私を軽く抱きかかえると、寝室に向かいました。

 私は、彼の肩に頭をのせました。自分がトミーを待っていたことがわかりました。彼を憎みながらも、私は、彼から離れることができないのでした。

「本当に可愛い女だ、お前は」とトミーは言います。

 私の心は、深い満足感に満たされるのです。百万の男に求愛されるよりも、トミーのその一言に、私は酔いしれてしまうのでした。

「さあ、ダーリン、君のすべてを見せるんだ」

 トミーの命令通り、私は従順に衣服を取り始めました。トミーは冷静に私を観察し、私の動作に批評を加えます。

「もっと、ゆっくり。時間を惜しむな。朝までは長い道のりだ。顔を上げるな、品が無い。もっと大胆に。後ろを向け。もっと優雅に。それじゃあ、まるでアヒルだ。頭を真っすぐに。無駄な筋肉を使うな。脚をもっと鍛えておけ」

 私は、精神的に追い詰められていきます。彼のことばは的確で、私は自分がまだ不完全であることに、愕然とします。

 ことばの矢に射抜かれ、耐え切れずに涙を浮かべても、彼は批評をやめないのです。

 私の肉体を眺め、もてあそび、苦痛を与え続けます。苦痛には案れているはずの私が、泣き叫んでも、彼は、私を許そうとはしない。

「お願い、トミー。愛してるわ。もう、イヤ。もう、やめて」

「マイケルがお前に何をしたか言ってみろ。抱いたのか、キスしたのか、愛を告白したのか」

「何も。ああ、やめて。彼は何も。ああ、何も」

「どこまで強情を張れるかな。お前は、私の楽しみを長引かせてくれる。これなら、話す気になれるかな」

 一瞬、目の前が真っ暗になりました。あまりのことに、それが苦痛なのか、可愛楽なのかわからないほどでした。

 私は思わず、叫んでいました。

「私を慰めてくれただけ……」

「どうやって?」

 息ができなくなりました。

「ただ、抱きしめてくれただけ……」

 トミーは満足そうな笑みを浮かべて、私を見下ろしていました。

「とうとう白状したな。お前でも気を失うことがあるんだね、ハニー。マイケルには、もっと女の扱い方を教えてやろう。愛する女を抱くこともできない。マイケルは、お前を愛さなければならない。彼は、大いに愛し、大いに苦しむ必要がある。彼の歌は、もっともっと伸びていく。彼の美しさも、極限にまで高められねばならない。中途半端なものは不要だ。しかし、何という美しい少年だ。今までに見たこともない。私と君とで、彼を完璧に磨くんだ」

「お願い、トミー。マイケルは、あなたを尊敬しているわ。今のままで、そっとしておいてあげて。彼は、あなたのビジネスの一部よ」

「これは、面白い」とトミーは言いました。

「君のことを石でできた女かと誤解していたよ。私以外の男に、初めて興味を示したね」

「そんなんじゃないの、トミー。あの子の歌が好きなの。天使みたいに歌うわ。あの歌を失いたくないの。あの子の歌は、誰のものでもないんですもの」

「その通りだよ、エミリー。意見が一致して嬉しいよ。あの少年は、誰のものでもない。このトーマス・ビクスンのものだ。彼は、私からは逃げることができない」

「彼は利益を生むわ。現に生んでいる。あなたに名声ももたらすわ」

「そんなものは、履いて捨てるほど持っている。彼だけが、私をゾクゾクさせる。見ているだけで、聞いているだけで。今までに一度もなかったことだ。楽しみだね、ハニー。この楽しみが永遠に続いてくれればいい、と心から思うよ。これは本当だ。どうすれば、この楽しみを長引かせることができるだろう。一番効果的に。一番ドラマティックに。おお、神よ、私に知恵と力を与えたまえ。君にも、重要な役割が待っている。愛してるよ、エミリー、心の底から。君がいなければ、ストーリーは不完全だ。君は、私の重要なコマなんだよ」

 トミーは、再び、私を自由にしました。彼の異常なまでの興奮は、私の苦痛と快楽を一層強めました。

「君が、いつか、マイケルに抱かれるかと思うと、とても平静ではいられないよ、ハニー。マイケルのために。そして、愛する君のために」

「お願い、トミー。もう許して。ああ……」


気がつくと、暗い部屋に一人取り残されていました。何も考えられないくらい、疲れ切っていました。寝巻に着替えると、すぐ眠りにおちていきました。



 

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