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マイケル・ランバートには、敏腕のマネージャー、リチャード・フォンティンがつきました。一般には、あまり知られていませんが、リチャードは、トミーの腹心の部下でした。
ビクスン帝国は、レコードや映画産業だけでなく、政治や経済の分野にまで、目には見えない触手を伸ばしつつあったのです。各方面に、優秀なスタッフを送り込んでいました。
トミーの影の力は、実際以上に大きく喧伝され、一層、彼の力を増す遠因となっていました。
大統領とのつながり、マフィアとの黒い噂。
トミーは、いずれに対しても、否定も肯定もしませんでした。その方が利口なことを、本能的に知っていたのです。
トーマス・ビクスンは、決して捕まることのない犯罪者でもありました。
彼の隠された趣味の結果として、彼の過去には、孤独な少年達のしかばねが、累々と横たわっていました。いずれも身寄りのない、世間からは見放された少年達でした。
ある少年は一日で飽きられ、ある子は二年生き延びました。特に才能のある少年達は、トミーのために働くようになりました。
トミーに生存を許されるということは、大変な出世を意味していました。
彼らが、ビクスン帝国の土台です。
皆、一様に口が固く、トミーに忠実でした。
彼らは、別名『ビクスン・マフィア』と呼ばれ、外部の人間には想像もできない、異常な結束力で結びついていました。
多分、私も利用価値を失うやいなや、少年達のなきがらの仲間に加わる予定でした。私は、明らかに、知り過ぎた人間でした。
トミーには、確かに、他の人には無い魅力がありました。誰も、彼の力には、抵抗できなかったのです。
『カリスマ』と呼ぶ人もいました。
全身から磁力のようなものが放射されている。
少なくとも、マイケル・ランバートが現れるまで、彼のような人間は、他には存在しませんでした。
マイケル・ランバートには、宣伝は不要でした。
トミーを異常に興奮させるほど、マイケルは美貌で、商品としても一級品でした。
トミーは、田舎出の少年を、一冊の本といってもいいほどの契約書によって、完全に縛ってしまいました。
マイケルの収入の大半が、自動的にビクスン・プロの収益になり、マイケルのスケジュールの一切、他の会社との契約の全ては、ビクスン・プロに、つまりは、トーマス・ビクスンに決定権がありました。
数え上げればきりのないほど、マイケルは知らない間に、トミーに縛られていたのです。
十八歳の美貌の歌い手、マイケル・ランバート。
人々は、特にティーンエイジャー達は、自分達の待ち望んでいたヒーローが、ついに現れたことを肌で感じていました。
レコード発売後、一ヵ月も経たないうちに、マイケルは、異常ともいえる人気を獲得していました。トミーにとっては、予想外の成功でした。
マイケルの予想外の成功は、ある意味で彼を救いました。一時的にせよ、トミーの毒牙を逃れることができたのですから。
ビジネスは、トミーの第二の天性でした。金の卵を産むガチョウを殺すほど愚かな男ではなかったのです。
トミーは、マネージャーを通じて、次々と企画を立てました。
ラジオやテレビへの出演。映画界への進出。そして、全米ツアー。
『マイケル・ランバート 孤独からの旅立ち』という本も出版され、わずかの間に、ベストセラーを記録しました。
不幸で孤独な半生が、お涙ちょうだいのセンチメンタルな文体で書かれていました。
よくある話でした。
貧困家庭。両親との死別。冷たい親戚。放浪生活。そして、劇的な『歌』との出会い。
その頃、マイケルは、プロダクションの敷地内にある家に住んでいました。
敷地は、トミーの祖父の代からのもので、とても広大でした。
今のプロダクションの建物があるところですが、その頃は、今の数倍の広さがありました。
私達の住居も敷地内にあったのです。トミーは、敷地の周囲に高い高い塀を張りめぐらせ、常にガードマンに巡回させていました。数ヵ所あった通用門の前には、いつも大勢のファン達が集まっていましたが、中にいる限りは、別世界の出来事でした。
その日は、マイケルの休みの日で、私は彼と二人きりでした。
昼下がり、広い敷地内には、人影がとだえていました。私は、マイケルの本を読み終えたところでした。
「ふー、大変な話ね。どこまで本当なの?」私は、マイケルに尋ねました。
「さあ」と彼は関心のない様子で答えました。
「僕は、まだ読んでいないから」
「あきれたわ。自分のことでしょう?」
「別に構わないんです。僕の過去なんて、どうでもいいものだから」
「そんなにのんきなことを言っていると……」
ことばが続きませんでした。まだ、トミーのことを知らせる時期ではなかったのです。
「何? ミセス・ビクスン」
マイケルは、首を片方にかしげて、私の話の続きを待っていました。疑うことを知らない顔でした。
「何でもないわ。ちょっとあなたに忠告しようと思ったの。でも、もういいのよ」
私達は、また、黙って座っていました。こちらから話しかけない限り、彼は、いつまでも黙っていられる人間でした。沈黙が全く負担にならないように見えました。何時間でも平気で黙っているのです。
私が本を読んでいる間も、そうして黙って座っていたのです。
彼といると、心がすっかり落ち着くのを感じました。時間や空間が、急に意味を失うように思えたのです。彼の放つ自由な雰囲気は、私を安全に包んでいるようでした。
「本当は、どんな子供だったの、マイケル?」
「普通の子供ですよ、マダム。ごく普通の目立たない少年。今と同じです」
「永遠の少年ね」
私は、わけもなくクスクスと笑い出しました。
「あなたが来てから、トミーが張り切って大変よ。あちこち走り回っているわ」
「仲がいいんですね、ミスターと」
彼が幸せそうに微笑んだので、私も幸せな気持ちになりました。
「そう? そう見える? 長い結婚生活だから、自分でもわからないわ」
「とても魅力のある人ですよ、ミスター・ビクスンは」
私は驚いて、彼の顔を見ました。しかし、彼の表情からは、何の感情も読み取ることができませんでした。
「ええ、彼は魅力があるわ。普通の人じゃないんですもの」
「特別な人? そうなんですか?」
マイケルは、まぶしそうに私の顔を見ました。
平和なひと時でした。
不思議な優しさと幸福の兆しに満ち満ちている。空気までが、甘く切ない香りを放っているようでした。
『きっと、私も、彼と同じ表情をしているんだわ』と私は思いました。
「ここにいたのか」
私は、自分が飛び上がるのを感じました。いつものように、トミーが後ろに立っていたのです。
彼は、足音を立てません。私の肩に両手を置き、私を立ち上がらせると、自分の胸に抱きました。彼の手はいつも熱を、氷のような冷たい熱を帯びていました。
「マイケル、ツアーの前にレコーディングをすまそう。ファンは、君の次の歌を首を長くして待っている。デモンストレーションテープを集めておいた。好きな歌を選んでおいてくれ」
「はい、ミスター・ビクスン」
マイケルは、素直な生徒のように答えていました。
「そうだ」とトミーは思いついたように言いました。
「マダムに一緒に選んでもらうといい。彼女のセンスは、なかなかのものだ。私が、長い年月をかけて仕込んだんだよ、マイケル。彼女は、私の言いなりだ。心の底から私を愛し、私に忠実だ」
トミーは、ゾッとするような声で笑いました。
「ええ、ミスター・ビクスン」
何も知らないマイケルは、風にそよぐ葦のように見えました。
トミーは、じっとマイケルを見ていました。自分の獲物を検分する目でした。目を細め、口もとに笑みを浮かべ、あらゆる角度からマイケルを測っているのです。彼の与えてくれるだろう快楽の質と量を、冷静に計測しているのでした。
「行っていいよ、マイケル。君もだ、エミリー。マイケルのために、せいぜい、いい曲を選んでやってくれ」
「わかったわ、トミー」
「今日は、一段ときれいだよ、ハニー」
トミーはそう言うと、私に熱烈にキスしました。マイケルの存在が、トミーを異常に興奮させているのです。
マイケルだけが、何も知らずに、困ったように微笑んでいました。
「スタジオで選ぶといい」とトミーが言いました。
「あそこなら、今、誰もいない。防音設備は完璧だ。どんな大きな声を出しても、大丈夫だよ」
マイケルは、もう走り出していました。
「待って、マイケル」私も走りました。
マイケルは途中で立ち止まり、笑いながら、私に片手を差し出しました。
トミーの視線を意識しながら、私はマイケルに自分の手をあずけました。
マイケルは、全速力で走り始めました。彼に引っ張られながら、私は少女時代に戻ったような幸福な笑い声をあげていました。心が浮き立つのがわかりました。気違いじみた喜びの発作でした。
歌を選ぶのも、楽しい作業でした。
「マダム、これはどう?」
デモテープを聞きながら、マイケルは色々な声で歌いました。
おどけてみたり、わざと他の歌手の歌い方をまねたり、コミカルな歌を深刻な調子で歌ってみたりするのです。彼に、そんな一面があることを、私は初めて知りました。
広いスタジオの中で、二人きり。
私達は、誰はばかることなく、笑い転げていました。長い間、心の底から笑ったことがなかったことに、気がつきました。
マイケルと私の歌の好みは、奇妙に一致していました。
「わざとなのね、マイケル。私の好きになりそうな曲を選んだのね」
「マダムこそ。どうして、僕の好きな曲がわかるんです」
私達は、顔を見合わせて笑いました。
シングルとアルバム用の曲をすべて選び終えると、幸福な時間の終わったことがわかりました。
「どうしたんですか、マダム」
「え? どうもしないわ」
「何だか悲しそうに見える」
私は、怒ったように横を向きました。マイケルにまともに見つめられると、泣き出してしまいそうでした。
「さあ、ボスも大喜びよ。これで、レコーディングができるわ」
「マダム」
マイケルが私の手を取りました。思いもかけない強い力で、私を胸に抱きました。
「だめよ、マイケル」
「じっとして、マダム。じっとして」
彼の心臓の鼓動が、衣服を通して伝わってくるようでした。彼は、しばらくの間、そのままじっと、私を抱いていました。そして、ゆっくりと、私から離れました。
「ごめんなさい、マダム。僕は、どうかしているんです」とマイケルが言いました。
「あなたが、あんまり悲しそうに見えたから」
「馬鹿ね」と私は言いました。まだ、心臓がドキドキしていました。
「 行きましょう。トミーが待っているわ」
私達は、来る時と違って、ゆっくり歩いて帰りました。もうどこにも、笑いも喜びも残ってはいませんでした。
トミーは、さっきと同じ場所にいて、私達が近づいてくるのを、じっと眺めていました。
「随分時間がかかったようだね。曲を選ぶのは、大変だっただろう」
トミーは、猫のような瞳で、私とマイケルを見比べていました。
私は、平静を装いました。長年の習慣で、感情を隠すことは得意でした。
「どうだった、マイケル? エミリーは、いいセンスをしているだろう」
「ええ、ミスター・ビクスン」
「君の好みをピタリと当てただろう」
「はい、ミスター・ビクスン」
マイケルの声は震えていました。トミーは、目を細めて、彼の様子を眺めていました。
「彼女のセンスは抜群だよ。キスもベッドも最高だ」
「馬鹿なことを言っていないで、マイケルと私の選んだ曲に目を通してはいかが? それに、もう食事の時間だわ。つい夢中で選んでいたから、すっかりおなかがすいたわ」
トミーは、不快そうに、私を見ました。自分の楽しみを中断されたことに、腹を立てていたのです。
「マイケル、あなたの食事は、後で運ばせるわ。疲れたでしょう? ゆっくりお休みなさい」
マイケルが姿を消すと、トミーは、凄い目で私をにらんでいました。
「随分な仕打ちだね、ハニー」
「あら、何のこと?」
トミーは、私の腰を両手で抱くと、私の目をのぞきこみました。
「時々、お前が嫌いになるよ、ダーリン」
「そう? 私はあなたが好きだわ」
「逆らうな、私に。もとの貧民窟に送り返すことだって、誰も知らない場所に埋めることだってできるんだ」
「わかってるわ、トミー。誰よりも、よく」
「素直ないい子だ。君のためなら、どんなものでも手に入れてやる。この世にあるものなら、どんなものだって。どんな女も手に入れることのできない幸せのすべてを」
「嬉しいわ。世界で一番幸せな女っていうわけね」
「その通りだ。さあ、私の目を見て答えるんだ。マイケルは、お前に何をした? さあ、教えてくれ」
「全能のトーマス・ビクスンでも、知らないことはあるのね」
トミーは、私の片手をつかむと、表情を変えずに、それをねじりました。
私も表情を変えませんでした。肉体的な苦痛は、もう私を苦しめません。
「マイケルは、何をした」
「何も」
「嘘を言うな。マイケルは震えていた」
「きっと、あなたに畏敬の念を抱いているのね」
トミーは手に力をこめ、私の腕の折れる寸前で、力を緩めました。
「彼は、本当に、何もしなかったわ」
「全く、たいした女だよ、お前は」彼は、私の髪をつかんで言いました。
「美しいだけでなく、忍耐力も備えている。マイケルは、もう、お前に夢中だ。自分でも気付かずに、美しいマダムを愛し始めている。食事は抜きだ。どうしても、お前の口から聞き出してやる」
トミーは私を軽く抱きかかえると、寝室に向かいました。
私は、彼の肩に頭をのせました。自分がトミーを待っていたことがわかりました。彼を憎みながらも、私は、彼から離れることができないのでした。
「本当に可愛い女だ、お前は」とトミーは言います。
私の心は、深い満足感に満たされるのです。百万の男に求愛されるよりも、トミーのその一言に、私は酔いしれてしまうのでした。
「さあ、ダーリン、君のすべてを見せるんだ」
トミーの命令通り、私は従順に衣服を取り始めました。トミーは冷静に私を観察し、私の動作に批評を加えます。
「もっと、ゆっくり。時間を惜しむな。朝までは長い道のりだ。顔を上げるな、品が無い。もっと大胆に。後ろを向け。もっと優雅に。それじゃあ、まるでアヒルだ。頭を真っすぐに。無駄な筋肉を使うな。脚をもっと鍛えておけ」
私は、精神的に追い詰められていきます。彼のことばは的確で、私は自分がまだ不完全であることに、愕然とします。
ことばの矢に射抜かれ、耐え切れずに涙を浮かべても、彼は批評をやめないのです。
私の肉体を眺め、もてあそび、苦痛を与え続けます。苦痛には案れているはずの私が、泣き叫んでも、彼は、私を許そうとはしない。
「お願い、トミー。愛してるわ。もう、イヤ。もう、やめて」
「マイケルがお前に何をしたか言ってみろ。抱いたのか、キスしたのか、愛を告白したのか」
「何も。ああ、やめて。彼は何も。ああ、何も」
「どこまで強情を張れるかな。お前は、私の楽しみを長引かせてくれる。これなら、話す気になれるかな」
一瞬、目の前が真っ暗になりました。あまりのことに、それが苦痛なのか、可愛楽なのかわからないほどでした。
私は思わず、叫んでいました。
「私を慰めてくれただけ……」
「どうやって?」
息ができなくなりました。
「ただ、抱きしめてくれただけ……」
トミーは満足そうな笑みを浮かべて、私を見下ろしていました。
「とうとう白状したな。お前でも気を失うことがあるんだね、ハニー。マイケルには、もっと女の扱い方を教えてやろう。愛する女を抱くこともできない。マイケルは、お前を愛さなければならない。彼は、大いに愛し、大いに苦しむ必要がある。彼の歌は、もっともっと伸びていく。彼の美しさも、極限にまで高められねばならない。中途半端なものは不要だ。しかし、何という美しい少年だ。今までに見たこともない。私と君とで、彼を完璧に磨くんだ」
「お願い、トミー。マイケルは、あなたを尊敬しているわ。今のままで、そっとしておいてあげて。彼は、あなたのビジネスの一部よ」
「これは、面白い」とトミーは言いました。
「君のことを石でできた女かと誤解していたよ。私以外の男に、初めて興味を示したね」
「そんなんじゃないの、トミー。あの子の歌が好きなの。天使みたいに歌うわ。あの歌を失いたくないの。あの子の歌は、誰のものでもないんですもの」
「その通りだよ、エミリー。意見が一致して嬉しいよ。あの少年は、誰のものでもない。このトーマス・ビクスンのものだ。彼は、私からは逃げることができない」
「彼は利益を生むわ。現に生んでいる。あなたに名声ももたらすわ」
「そんなものは、履いて捨てるほど持っている。彼だけが、私をゾクゾクさせる。見ているだけで、聞いているだけで。今までに一度もなかったことだ。楽しみだね、ハニー。この楽しみが永遠に続いてくれればいい、と心から思うよ。これは本当だ。どうすれば、この楽しみを長引かせることができるだろう。一番効果的に。一番ドラマティックに。おお、神よ、私に知恵と力を与えたまえ。君にも、重要な役割が待っている。愛してるよ、エミリー、心の底から。君がいなければ、ストーリーは不完全だ。君は、私の重要なコマなんだよ」
トミーは、再び、私を自由にしました。彼の異常なまでの興奮は、私の苦痛と快楽を一層強めました。
「君が、いつか、マイケルに抱かれるかと思うと、とても平静ではいられないよ、ハニー。マイケルのために。そして、愛する君のために」
「お願い、トミー。もう許して。ああ……」
気がつくと、暗い部屋に一人取り残されていました。何も考えられないくらい、疲れ切っていました。寝巻に着替えると、すぐ眠りにおちていきました。




