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プロダクションの再建は、至難のわざでした。あらゆる報道機関が、『ビクスンスキャンダル』の虜になっていました。
マイケルとトミーの謎の死。私の重症。それだけでなく、政界や経済界の大物達も、密かに、私との接触を求めていました。彼らは、トミーに握られている自分達の秘密が心配だったのです。有名な歌手や俳優からの照会もありました。私は、それらの人脈を有効に使わせてもらいました。
泥沼のような戦争が続いており、もっと大きなスキャンダルの発生が、マスコミを刺激し始めていました。そのお陰で、ビクスンスキャンダルも下火になり、任意の好意と引き換えに、トミーの犯罪も、要人達の秘密も、私は闇から闇へと葬り去りました。
会社の今の繁栄は、そうして築かれたものなのです。いつしか、ビクスンスキャンダルは、社会のタブーのようなものになっていました。私は、いつでも覚悟ができていました。いつ消されても、不思議ではなかったのです。でも、どういう訳か、今日まで生き延びることができました。
多くの歌手や俳優を育ててきました。多くの有能なタレントが、ビクスンプロから巣立っていきました。
二十年以上、できたら、マイケルのような歌手を育てたいと思って来ました。でも、一度として、彼のような歌い手に巡り会うことはできませんでした。
彼の歌は、今でも力を持っている。今でも心を揺り動かす。彼の残した想いは、今でも、時間と空間を超えて、私達の心に直接響くのです。
彼は、永遠に消えることのない想いとなって、歌の中に生き続けているのです。
いつ、神は、私を彼のところに召されるのでしょうか。きっと、そう遠くない日のような気がします。
マイケルと会うことが、今から楽しみです。マイケルが私に近づいてきている。こうして話していても、すぐそばに、彼の気配を感じます。彼は、ずっと私を待っている。長い間、ずっと。
「ひどいわ、エミリーおばさん」
ミセス・ビクスンと私は、驚いてコンスタンスの方を見た。彼女は泣いていた。
「母はどうなるの? それじゃあ、あんまり母が可哀想じゃないの。母は、どこに行けばいいの? なぜ、母の話を避けるの?」
「ごめんなさい、コニー。あなたには、つらい話だと思ったのよ」
トゥエインは、最後まで黙秘を続け、裁判は難航しました。
私は、トミーに撃たれたことを訴え続けました。精神鑑定が行われ、トゥエインがひどい錯乱状態にあったことが立証されました。三角関係の清算、と見なされたのです。
トミーの撃った弾丸は、なぜか、検出されませんでした。トゥエインは、結局、証拠不十分で、無罪になりました。
トゥエインは、サナトリウムで長い療養生活を送りました。もう、誰の顔も見わけがつかなかったのです。
「私の名前は、エミリー・ビクスン。マイケル・ランバートは、私の恋人よ」というのが、トゥエインの口癖でした。彼女には、コニーが誰かさえわかりませんでした。
「ママ、もうすぐ、マイケルが来るわ」
コニーが、五歳の誕生日を迎える前の夜でした。トゥエインは、私をいつも『ママ』と呼んでいました。彼女は、スプーンで顔を撫でていました。化粧をしているつもりだったのです。
「また、明日来るわ、エミリー」
私も、彼女を『エミリー』と呼んでいました。そう呼ばないと、彼女は泣き叫ぶのでした。
そして、それが最後でした。夜中に病院から、トゥエインが死んだ、という知らせを受け取りました。どこから手に入れたのか、彼女はナイフで喉をついたのです。
淋しいお葬式でした。私が、トゥエインのお棺に、最初に土をかぶせました。何もわからずに、コニーは、自分の誕生日ではしゃいでいました。
「コニー、あなたのママが眠っているのよ。おとなしくしなさい」
「私のママは、エミリーおばさん」
私は、コニーを抱きしめて泣きました。コニーには、もう私しか、私には、もうコニーしかいなかったのです。
「私は、何も覚えていないわ」とコニーが言った。
「もう五歳だったのに、何も。母の顔も、母がいたことさえ」
「ごめんなさい、コニー。あなたには、何も話せなかった。あなたに、悲しい思いをさせたくなかったから」
「会いたかったわ、母に。死ぬ前に、一度でも」
「会わせたくなかったのよ。会っていたら、あなたはもっと苦しんでいた」
「すべて、私のためというわけね。母のためでもあったのね。そして、おばさんは死んでマイケルのところに行く。母は、どこに行けと言うの? 一体、どこへ?」
「そうね、コニー。お母さんは、今、マイケルと一緒よ。神様が私を今まで生かしてくださったのは、そのためだったのね。あなたに言われるまでわからなかった。コニー、安心して。私は一人で、神様のもとに行く。決して、マイケルとお母さんの邪魔はしないわ。疲れたわ、コニー。もう、あなたの顔も見えない」
「すみません、ミセス・ビクスン。思った以上に長居してしまいました」と私は言った。
「つらいことばかり思い出させて、申し訳ありませんでした」
「ミスター・ハンスベリー、コニーをよろしく」
われ知らず、顔に血が上るのを感じた。
「そ、そんな、僕はただ……」
「隠さなくてもいいわ」とコニーが言った。
「私と結婚したいって、正直に打ち明けたら? 私は、オーケーよ。最初から、そんな予感がしていたの」
「若いということは、素晴らしいことね。一つのまなざしで人生が変わる。幸せにね、コニー」
私は、信じられない思いで、コンスタンス・ランバートを見ていた。彼女とは、会ったばかりだった。それなのに、強い力で惹きつけられていた。コニーの言ったように、いつプロポーズしたらいいのかと、思案していたところだった。
「さよなら、エミリーおばさん」
「最後にキスしてちょうだい、私のコニー」
コニーは、ミセス・ビクスンを抱擁し、愛情をこめて、キスをした。
「さようなら、大切なおばさん」
「さようなら、コニー。あなたを愛しているわ」
私は、ミセス・ビクスンを見た。彼女の声の調子には、私の心を動かす何かがあった。それが何かは、わからなかったけれど。
「行きましょう、トミー」
コニーが言った。『トーマス』でも、『トム』でもなく、『トミー』と。
「ありがとうございました、ミセス・ビクスン」
「こちらこそ、トミー」
また、『トミー』だ。
私達は通りを歩いていた。長い長い夢を見ていたような気分だった。
「ひどい女だわ」
突然、コニーが言った。
「私の父も母も苦しめた」
彼女が、誰のことを言っているのか、わからなかった。
「私と結婚したいんでしょう、トミー」
「そりゃあ、君さえ良かったら」
「煮え切らないのね、トミー。そういうのって、一番きらい」
「愛していると言えば、許してもらえるのかな?」
彼女は私に唇を差し出し、私は彼女に、キスをした。
「愛してるよ、コニー」
「私もよ、トミー」
一瞬、目の前を、マイケルとエミリーが通り過ぎたような気がした。幸せそうに、手を取り合って。
「二人はきっと、幸せになるんだろうね」
「二人って、誰?」
「もちろん、ミセス・ビクスンとマイケルさ」
「甘いわね、トミー。それでは、父の代わりはできないわ」
「当り前じゃないか。僕は、歌なんか歌えないさ」
コニーは、謎めいた微笑を浮かべた。
「今ごろ、ステュワートがエミリーに会っている頃ね」
「ステュワートって、ステュワート・カート?」
「ええ。父の忠実な部下だったの。ここまで来るには、随分悩んだわ。正直なところ、おばさんを愛していたから」
私は、驚いて、コニーを見た。今までに見たことのない女性のように見えた。
「私は、あなたに賭けたのよ、ステュワートの言った通りに。父の後を継ぐ人物として。明日の新聞には、ビクスンプロの後継者の談話が載るわ。『あまり突然なことで、何を言っていいのかわかりません』」
「何を言っているの、コニー?」
「もうすんだ頃ね。エミリーおばさんは、父のところに旅立った。あなたは、有力な証人よ。おばさんの最期のことばの」
「『最後にキスしてちょうだい、私のコニー。あなたを愛しているわ』」
「頭がいいのね、トミー。私とビクスン帝国を守りましょう。父の築いた国を」
「君はもう、ミセス・ビクスンに似ていないね、コニー。マイケルにも似ていない。君は、僕の知っている誰とも似ていない。しかし、僕の知っている話に出てくる悪魔に、そっくりだ」
コニーは、ぞっとするような笑い声をたてた。
「ずっとおかしいと思っていたの。マイケルは、私の好奇心の対象でしかなかった。えみりーおばさんもそうよ。私は、ずっと自分をおさえて暮らして来たの。何かが変だった。誰にも親しみを感じなかった。
そんな時、ステュワートが現れたの。彼は、トーマス・ビクスンと、今はないその帝国の話を聞かせてくれた。心が浮き立つのを感じたわ。私に親しいものが、そこにはあった。偽善や虚偽とは無縁の世界が。
一緒に作ってくれるでしょう、トミー。私達の新しい帝国を」
私は、軽いめまいを感じていた。悪魔とその帝国。私が、想像の世界で作り出そうとしていた世界。それを実際に作り出そうというのだ。
「君は、間違っているよ、コニー。ミセス・ビクスンは、心から君を愛している。虚偽や偽善で、人は愛せない」
「やめてよ、トミー。私の決断をうながしたのは、あなたよ。あなたとあなたの名前」
「トーマス・ハンスベリー?」
「父と同じ名前。私に最も近い人。ミスター・トーマス・ビクスン。彼のシチューは、今できあがったのよ。エミリー・ビクスンの失意の自殺によって。彼女は、すべてを失った。
トーマス・ビクスンは、不滅だわ。再び、あなたの肉体を借りて、生まれ変わったのよ。わかるでしょう? 自分が、何者なのか」
「わかるよ、コニー」私は、無意識のうちに答えていた。
「自分が何者であるか、やっとわかったよ。ステュワートと君が、私に欠けているものを教えてくれた。それは、力だ。今、私の肉体と精神に、生まれつつある力だ。想像力の産物ではない、本物の力。ステュワートは、本当に正しかった」
私とコニーは、顔を見合わせて笑っていた。私達は、共犯者同士だった。
世界は、今、それまでとは全く違う姿で、私の前に広がっていた。果てしない時間と空間の接点として、誰も到達したことのない未来の一部として、私と生涯の伴侶の前に、はっきりとした道を用意して広がっているのだった。世界は私の一部であり、私の手の中にすべてがあるのだ。
「さよなら、エミリーおばさん。父が、あなたの来るのを首を長くして待っている。さよなら、優しかったおばさん」
コンスタンスが、幾分感傷的につぶやいていた。
『初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。このことばは、初めに神とともにあった。すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。このことばに命があった。そして、この命は人の光であった。光は、闇におおわれていく。そして、光はこれに勝たなかった』
私は、新約聖書の一節を、暗唱しなおしていた。
了




