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世間からは孤立していましたが、今思い返すと、夢のような日々でした。
マイケルと二人だけの世界。
トミーの部下達に囲まれ、新聞やラジオ、テレビで罵られ続けていましたが、二人の世界には、あまり関係のないことでした。マイケルの復帰が、いよいよ絶望的だとわかると、マスコミは新しいニュースを追いかけ始めていました。心配なのは、マイケルの身体のことでした。退院以来、体調を崩していたのです。
最初は、たまに熱が出るくらいでした。ついで、食欲がなくなり、マイケルは目のかすみを訴えました。
「エミリー、あなたの顔が、よく見えない」
急激な変化はありませんでしたが、日に日にマイケルが衰弱していくのがわかりました。電話は通じず、窓も危険防止のためと、外側から打ちつけられ、ドアには鍵がかけられました。
「お願い、お医者さんを呼んできて」
食事を運んでくる不愛想なメイドに頼みました。
「連絡しておきます」
「ミスター・ビクスンに頼んで、お願いよ」
「わかりました」
何度も、メイドと同じ問答を繰り返しました。
私は、マイケルの喉の薬を一緒に飲みました。何か入っているのでは、と疑ったからです。食事を取り換えてみました。お茶もコーヒーも、口に入るものは何でも。しかし、私には、何の症状も現れませんでした。
「エミリー」
マイケルが呼んでいました。悲しい笛のような声で。
「何? マイケル」
いつの間にか、マイケルと私の境界が、おぼろになっていました。同じ部屋で眠り、同じ部屋で目覚め、同じ部屋で一日を過ごすのでした。
マイケルと私は、同じことを思い、同じ夢を見ました。笛のような声で話しているのは、私だったのかもしれません。
メイドが一日に四回姿を見せます。時計のように正確です。朝の食事、昼食、お茶と夜の食事。
九時と十二時と三時と六時。あとは、二人きりの時間でした。
「もう、あなたを愛することもできない」
「いいのよ、一緒にいられるだけで。私が、今どれだけ幸せか、あなたにはわからないわ」
「幸せなの、エミリー?」
「ええ、こんな幸せは、今までになかったわ」
「エミリー、どこか遠いところに行こう」
「どこ?」
「遠いところ」
「いいわよ、あなたの行きたいところなら、どこでも」
「ヨーロッパへ、二人きりで」
「すてき。幸福だったわ、あの時も。今と同じね」
「きっと、幸せ過ぎたんだ。あんな幸せは、人間には許されない」
「そうよ、許されない幸せ。ふふふ。今と同じね」
私達は抱き合って眠りました。まるで、二人で一人だというように。
「ショートカットのエミリー」
マイケルが、私の髪をなでます。
「おかしい? どっちが好き?」
「どっちも好きだよ。長い髪も短い髪も似合う、僕の恋人」
しかし、四週目になると、マイケルは、私の髪をなでることもできなくなりました。
「僕は、死ぬのかな、もうすぐ」
「ええ、多分。死ぬ時は、私も一緒よ、マイケル」
「愛しているよ、エミリー。多分、初めて会った時から」
「きっと、私もよ、マイケル。あなたは、私を見て歌ったわ。『淋しい夜には』を。私の一番好きな歌だった。でも、私は、嫌いだと言ってしまった」
「淋しい夜には、慰めてあげる……僕がそばにいて、愛してあげる……淋しい夜には、夜明けまで、僕がそばにいてあげる……」
「歌っているのね、マイケル」
マイケルは、歌っていました。笛のような、風のような声で。もはや、それは、歌というよりは、音そのもの、空気の振動そのもの。マイケルの心、マイケルの想いそのものとなって、マイケルは歌っていました。
私は、べっどに頭だけを乗せて、マイケルの歌に聴き惚れていました。マイケルは、自分の存在を消し、永遠に届く想いとなりました。
彼の想い。私の想い。私達の想い。生きている者達への想い。愛する者への消えることのない想い。
永遠への想いが、部屋中に広がっていきました。
マイケルが、私の手を求めていました。私は、彼の手を握りました。彼の指には、もう力がありませんでした。
来る頃だと思っていました。死んでいこうとするマイケルを見に来るのです。私の身体も衰弱しつつありました。
トミーの密やかな足音が、近づいていたのです。
鍵を回す音が聞こえました。ドアが静かに開きました。
「マイケル」
トミーでした。着飾ったトゥエインも一緒です。
「マイケルなの?」
トゥエインの高慢な表情は、マイケルを見て凍りつきました。
「彼は、いったいどうしたの? マイケルに何をしたの、エミリー!」
「随分弱っているようだね、マイケル」
トミーは、満足そうに、私達を見ていました。
「トゥエインもコンスタンスも、何不自由なく幸せに暮らしているよ、安心してくれ」
「ありがとう、ミスター・ビクスン」
マイケルが、笛のような声で言いました。
「しゃべらないでくれ、マイケル。私は、醜いものは嫌いなんだ。私の美意識が受けつけない。おお、ゾッとするような音だ。神経が麻痺してしまいそうだ。もう、歌えないんだってね、マイケル。残念なことだ。私は、君の歌が、本当に好きだった」
トミーはポケットから、例のカメラを取り出しました。
「死に行くマイケル。君の追悼テレビショーは、盛大にやるつもりだ。この写真も、君をしのぶよすがとなる。今、死んでいこうとしている恋人達。エミリー、その醜い傷跡をカメラに向けるな。
素晴らしい芸術写真になるよ。この世のものとは思えないほど美しい」
私は、再び、マイケルの方を向きました。マイケルも私を見ていました。私達は、微笑み合いました。
トミーとトゥエインが、ずっと遠くにいるように感じていました。
マイケルは、再び、歌い始めました。私も、前と同じ姿勢で、彼の歌を聴いていました。
美しさとは、何でしょう。マイケルは、美しい容姿と美しい声に恵まれていました。私もそうでした。
マイケルは、今、その声を失い、衰弱しきっています。私も、醜い傷を顔につけ、醜怪な姿をしています。でも、今ほど、お互いを美しく感じた時はありません。
マイケルの歌は、美醜を超えて、私の胸に響いています。一番大切なものは、きっと、とても単純なことだというように。それは、想い、優しさ、そして、愛といったとても単純なものなのでしょう。
「やめさせろ、エミリー。そんな醜い音を、私に聞かせないでくれ」
「嘘でしょう、エミリー? マイケルが、死んでしまうなんて」
「シッ」
私は、彼らの方を見ずに言いました。
ここは、どこでもない世界。マイケルと私だけの世界。愛と優しさと幸せだけが住んでいる国でした。
「やめさせろ、エミリー。命令だ。ああ、耐えられない。やめてくれ、マイケル」
トミーが苦しんでいました。無力なトミーが。彼には、もう何の力もありませんでした。彼が奪うことのできるものは、もう、何もないのですから。
「殺してやる、二人とも。そのまま殺してやる、今すぐに」
マイケルが、私のもう一方の手を探しているのがわかりました。私は、両手で、彼の手を握りました。
マイケルは、微笑んでいました。私も微笑みました。マイケルの唇が、かすかに動いていましたが、もう、声は聞こえませんでした。
私は、彼の方に身体を動かし、彼の唇に、自分の唇を重ねました。マイケルの指に、かすかな力が入るのがわかりました。マイケルは、ゆっくりと目を閉じました。もう、歌ってはいませんでした。
私は、彼の上に、身を投げかけました。多くの人に愛された不世出の天才歌手、マイケル・ランバートは、死んでいました。彼を抱いたまま、私は、目を閉じました。自分の人生も、彼と共に、幕を閉じたと感じていました。
「死んだのか?」
トミーが近づいてきました。私は、答えませんでした。マイケルと一緒に、私の魂も死んだのです。
トミーは、乱暴に、マイケルから私を引き離しました。彼は、じっと、マイケルを見つめていました。
「死んだのか……」
トミーは、壁の方に私を引きずっていくと、手にしていた拳銃を、私のこめかみにあてました。
「さあ、エミリー、マイケルと同じところに行かせてやろう」
私は目を閉じていました。トミーは、長い間、私のこめかみに銃を押しあてたままでした。私も、じっと、その時が来るのを待っていました。
「相変わらずだな、エミリー。お前には、脅しが通用しない。マイケルが死んで、もう怖いものはない、というわけか。思い出させてやろうか、エミリー。お前には、まだ怖いものが残っていることを。わかるか? コンスタンスも、ここに来ているんだ。お前の目の前で、コニーをパパのところに行かせてやろう。同じ苦しみを味わいながら」
私はトミーに抱きつきました。不意をつかれて、トミーは倒れました。
「トゥエイン、コニーを早く!」
トゥエインは、ぼんやり立っていました。
「知らないわ、どこにいるのか」
「おお、トゥエイン、捜すのよ、捜すのよ!」
トミーが、笑っていました。
「自分に怖いものがあることを、思い出したようだね、エミリー。心配するな、トゥエイン。私が、可愛いコニーを傷つけたりするものか」
「信じちゃだめよ、トゥエイン。あなたが、コニーを守るのよ」
「ひどい女だ、トゥエイン。君のマイケルを殺しただけでは飽きたらず、今度は、コニーを狙っている。かわいそうなマイケル。最後まで、こんな女を信じて死んでいった。声だけでなく、最後には、恋人の命まで奪ってしまった。
マイケルのかたきだ、トゥエイン。この女のいる限り、君とコニーの安全はない。君とコニーは、決して幸せにはなれない。
この女は、人間じゃない。鬼だ、悪魔だ、けだものだ。マイケルの次には、君やコニーを狙うだろう。
聖女のような顔に、天使のような微笑みを浮かべ、唇に愛を唱えながら、平然と、君とコニーに毒を盛るだろう。ナイフを突き立て、拳銃を発射するだろう」
トミーは、呆然としているトゥエインの横に立ちました。トゥエインの手に、自分の銃を握らせました。そして、用心深く、自分ももう一丁の銃を取り出しました。トゥエインが自分を裏切る場合も、計算に入れているのです。
「さあ、撃つんだ、トゥエイン。マイケルとコニーの敵を。優しい微笑みは、内心の邪悪さを隠すかくれみのだ。人間だと思うな。人間の皮をかぶったけだものだ。トゥエイン、撃て!」
トゥエインは、銃を握った両手を、前に突き出しました。銃口は、私を狙っています。トゥエインの腕が上に跳ね上がり、私の右の肩が壁に打ちつけられました。サイレンサーです。
「おお、エミリー!」
トゥエインが叫びました。トミーがトゥエインを抱きました。
「偉いぞ、トゥエイン。一度に殺すことはない。苦しみを長引かすんだ。見ていろ、今度は左の肩だ」
トミーの狙いは正確でした。弾丸は、トゥエインの撃った弾とちょうど左右対称に、私の左の肩を貫通しました。
「どうだい、トゥエイン。いい腕だろう。さあ、トゥエイン、今度は、君の番だ。気にする必要はない。エミリーは、喜んでいる。昔から、苦痛が大好きなんだ。次は、耳を狙え、右だ。私は、左を撃つ。同時にだ」
「いやよ、トミー、もういや!」
「撃つんだ、トゥエイン、撃て!」
トゥエインの撃った弾丸は、私の右の耳をかすめて、壁にめりこみました。トミーは、トゥエインの顔を殴りました。
「よく狙えと言っただろう。射撃は教えたはずだ。人間だと思うな。あれは、ただの的だ。しかも、動かない的だ。よく狙えば、外れることはない。今度は外さないように、よく狙うんだ、トゥエイン」
「わかった、トゥエイン? これが、トミーなのよ……」
私は言いました。時折、意識が遠くなっていました。
「もういい。見ていろ、私がやる。とどめをさしてやる。憎い女だ。殺しても、飽きたらない。気を失う前に、至近距離で、顔を撃ち抜いてやる。あの生意気な顔を、粉々にしてやる」
トミーは、ゆっくりと私に近づいてきました。かつて、私が愛した男。私の夢と希望を打ち砕いた男。愛するマイケルを、死に追いやった男。悪魔のような私の夫。
トミーは、目に見えないバリアーに触れたかのように、一瞬歩みを止め、トゥエインの方を振り向きました。トゥエインは、青白い顔をして、その場に立ちすくんでいました。彼女の手から、硝煙の立ち昇る拳銃が床に落ちました。
何ごともなかったかのように、トミーは、再び、私に近づいてきました。私に銃口を向けると、私の胸を打ち抜きました。
「トゥエイン、コニーを!」
薄れゆく意識の中で、トミーが前のめりに倒れて行くのが見えました。
気がついた時には、病院のベッドの上でした。
「危ないところでした、マダム」と医師が言いました。
「あと半インチずれていたら、今頃は、棺桶の中におさまっていたはずです。残念ながら、マイケル・ランバートとミスター・ビクスンは、亡くなっていました」
「トゥエインは? コニーは?」
「トゥエイン・ランバートは、黙秘を続けているそうです。赤ちゃんは、ナースが面倒をみています」
「無事……だったのね」
アンが、コニーを抱いて、病室に入ってきました。
「コニー、コニー」
彼女を抱きしめようとしましたが、腕が動きませんでした。右の腕は、今でも不自由です。コニーがいなかったら、今の私はなかったでしょう。彼女だけが、私の支えでした。
トミーの死によって、ビクスン帝国は、瓦解しました。彼一人の力で成り立っていた会社だったのです。彼の部下達は、どこかに姿を消してしまいました。彼の悪事の証拠とともに。




