エルヴィス・プレスリーに捧ぐ 1
『初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。このことばは初めは神とともにあった。すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。このことばに命があった。そしてこの命は人の光であった。光は、闇の中に輝いている。そして、闇は、これに勝たなかった』
私は、新約聖書の一節を暗唱していた。
最初に『ことば』ありき。
そして、ことばは、私とともにあった。
私が、ことばであった。
少なくとも、私だけは、そう信じていた。
「ハロー」
「ハロー」
寝ぼけながら、受話器を取った。前日の徹夜がこたえていた。
ことばが洪水のように押し寄せてくる。
そういう時にこそ、書かなければならなかった。
やっと、寝入ったところなのだ。
「すぐ行く」と電話の向こうの声は言った。
「何だって?」
もう、電話は切れていた。
相手が誰か、考える暇も無かった。私は、半分眠っていたのだ。
気分は最悪だった。
数時間後、私は、ニューヨークのアパートの一室で、訪ねて来た友人のステュワート・カートと向かい合っていた。
仕事にあぶれていたので、どんな仕事でも欲しかったのは事実だ。
「簡単な仕事だ」と彼は言った。
「君に、マイケル・ランバートの記事を書いて欲しいんだ」
「マイケル、何だって?」
聞いたことのない名前だった。
ステュワートは、無造作に、何枚かの写真をテーブルの上に並べ始めた。
私は慌てて、灰皿やコーヒーカップを片づけた。
ヒュー、私は口笛を吹いた。
「おそろしくハンサムじゃないか。昔の映画スターか何かかい?」
写真は、かなり色あせたものだった。
「そうか。君は知らないんだね」と彼は言った。
「君の生まれた頃の話かな? 歌手だよ。もう二十年以上前に死んだ」
「生まれる前の話だろう。それに、お門違いだよ。僕は、視覚的な人間なんだ。音楽には興味が無いね。BGMに過ぎない」
「君がどんな人間だって、別に構わないさ。ただ、僕は自分の好きなようにやりたいだけなんだ」
私は彼を知っていた。
私には力が無く、彼には力があった。
「OK、できるだけの協力はするよ。結果は知らないけどね」
「そう、それでこそ、未来の大作家、トーマス・ハンスベリーだ」
「やめてくれよ。僕が今の世の中じゃ、認められることがないのは、君が一番よく知ってるだろう。僕の役割を話してくれ」
「マイケル・ランバートの記事を集め、彼を知っている人間を探し出すこと。まず、そこから出発だ」
「わかったよ」と私は、何もわからないままに答えた。
「しかし、腑に落ちないね。何で、今頃、そんな昔の歌手を掘り返すんだい?死者は…」
と私は、何を言おうかと迷いながら言った。
「死者は、安らかに眠らせてやるもんだろう」
ステュワートは、唇の端を歪めた。冷静に見えたが、目だけは、異様な熱気を帯びていた。
「きっかけは、これさ」
彼は、もう一枚、その美貌の青年の写真を取り出した。
色あせた写真で、マイケルと一人の女性が写っている。
マイケルは、ベッドに横たわり、女性は、ベッドに頭だけをのせて、眠っているように見える。
「見ろよ、この二人の表情を。恍惚としている。これは、なぜなんだ。一体、誰が写したんだ?
『彼らの最後の日』
どうだい、思わせぶりなタイトルじゃないか」
「きっと、その日に寿命がきたんだろう」と私は、あくびを噛み殺しながら言った。
ステュワートは、疑り深い目で、私を見た。
「よくわかったよ、君の大作なるものが。想像力の欠如したものだ」
正直、私は、ムッとした。
「君が文学を知っているとは、意外だったよ。作家の想像力の世界は、現実とは遊離したものなんだ。悪いけど、ほかをあたってくれ」
「時間の無駄というわけか」と彼は言った。
「これは、君に欠けているものを発見する、いいチャンスだと思ったんだが」
私の自尊心は、ズタズタだった。
「僕のことはほっておいてくれ。僕には、今、遠大な構想があるんだ」
しかし、ことばとは裏腹に、私は、抵抗する気力を失っていた。
ステュワートは、いつものように、子供をあやすような目で、私を見ていた。
「知ってるよ、君が手伝ってくれることは。残念だが、僕は忙しい人間だ。詰まらないビジネスでね。ある意味で、君を羨ましいと思っている。実際、君にしかできない仕事なんだ、トーマス・ハンスベリーにしか」
「OK」と私は答えていた。
彼には、何度も仕事をもらっている。
売れない小説にかける時間は、ほとんど彼のお陰で稼ぎ出したものだった。
「君の勝ちだ。君が欠けていると言うなら、多分、僕には、欠けたところがあるんだろう」
「君は」とステュワートは言った。
「社会を知らない。だから、君の文章には、説得力が無いんだ」
ステュワートのことばは、私の胸に突き刺さったままだった。
「君は、社会を知らない。君の想像力は、その程度のものか」
私は、永遠に未完で終わるだろう大作のことを思った。
悪魔とその帝国のことを。
そして、それを、空中に放り出した。
図書館に通い、新聞をくまなく調べた。
二十年以上昔の話だ。いくつかの記事を発見した。
「期待の新星、マイケル・ランバート」
「マイケル、ミス・トゥエイン・ライトと結婚」
「マイケルに赤ちゃん誕生」
「毒婦エミリー、マイケルの声を奪う」
「マイケル・ランバート、自宅にて衰弱死」
「マイケルの葬儀、各国から参列者、多数」
「トゥエイン・ランバートに無罪判決」
新聞記事によって、私はかなりの知識を得た。
マイケル・ランバートが、一時期、人々の称賛を集めた歌手だったということ。
凄まじい熱狂の記録があった。
一本の映画に主演し、多くのヒット曲を残していた。
トゥエイン・ライトという共演女優と結婚し、女の子が生まれた。
エミリー・ビクスンという毒婦と関係があった。
声を失い、自宅で死亡。「衰弱死」と記録されている。
マイケルの妻トゥエインは、エミリーとその夫トーマス・ビクスンを射撃した罪で起訴され、無罪となっている。
エミリー・ビクスン。
私でも、名前だけは知っている。
有名なビクスン・プロダクションの女社長だ。夫の遺志を継いで、会社を発展させた女性だ。
有能だ、と言われていた。
「毒婦エミリー」
何度も記事に現れた記述だ。
「毒婦」というものには、お目にかかったことが無い。興味がわいた。
ステュワートが置いて行った、マイケルのレコードを聞いた。聞き覚えのある歌も混じっている。
嫌いな歌ではない。
心に直接響いてくる、存在感のある歌だ。
これは、私にとって、かなり奇妙な体験だった。
私は、音楽を知らない。家族や親せきにも音楽家はいない。没音楽的環境だ。
それにもかかわらず、私は歌を聞いて、心を動かされていた。
マイケル・ランバートの歌は、私の視覚に訴えかけてくる。私の存在を揺るがせ、私を何かに駆り立てる。
活字以外のものに、そのように心を動かされたことは、今までに一度としてなかった。私は未知の歌手に囚われ始めていた。
彼は、何者なのか。なぜ、彼の歌は、私の心を動かすのか。なぜ、彼の歌には、私の作品にはないエネルギーがこめられているのか。なぜだろうか。なぜ?
私は、未来の大作家たる自分以外の存在に、生まれて初めて興味を抱いた。
マイケル・ランバートと「毒婦」エミリー。
「マイケルのこと? さあ。ファンだったけど、昔のことよ。メアリー・オズボーンなら詳しいはずよ。マイケルとステディだったって、騒いでいたから」
マイケルの高校時代のクラスメイトの一人が、メアリー・オズボーンを紹介してくれた。
「ええ、昔のことね」と髪に白いものの混じっているメアリーが言った。
「あれは、嘘よ。彼が有名になったんで、嘘をついたの。少し好きだったのは本当よ。ハンサムだったんだもの。でも、彼は、女の子には興味が無かったみたい。いつも、ぼんやりと窓の外を見ていたわ。それは、現実離れした雰囲気で、近寄るのが怖いぐらい。何だかわからないけど、どこにもないものを見ていたような気がするわ。彼が、あのマイケル・ランバートだなんて、今でも信じられないわ。いつの間にか、遠くに行ってしまっていた。昔の話なのよ」




