第17話:一ノ瀬直也
目の前で、五井アメリカ支社長が今日の接待先の二人と固い握手をしている。
そしてオレも握手を求められた。
「もうオレたちはナオヤのファンだから。これからもヨロシクな!」
「こちらこそ、今後ともよろしくお願いいたします」
深く頭を下げる。
「もう一ノ瀬くんのお陰だよ。五菱に行きかけてた契約が全部ウチに来たぞ。これは凄い事だよ一ノ瀬くん。――もう五井アメリカに常駐してもらいたいくらいだよ」
支社長は上機嫌だが、いや、その前にもう少し若手教育を考えた方がいい。
――そもそも、なぜオレがこんなに歌えるのか?
その理由を、誰も知らない。
天性の才能があるとでも思っているのだろうか。
そんな訳ないだろう。
確かに、普段のオレはカラオケなんて避けてきた。
同期会も一次会で抜けて、二次会にはほとんど行かない。
だから亜紀さんも玲奈も――誰一人、知らないはずだ。
でも、ルーツはずっと昔にあるんだ。
小学生のころ、母に勧められてピアノを習っていた。
最初は嫌々だったけれど、鍵盤の上で音を重ねているうちに――気付けば耳が勝手に音を覚えるようになっていた。
大人になってから知ったけど、いわゆる「絶対音感」ってやつだ。
ただ、そのときはまだ歌に繋がることはなかった。
本当に変わったのは、大学時代。
オレはインカレのボランティアサークルに所属していた。
活動の一環で、小児病棟に長く入院している子どもたちにイベントを企画したことがあった。
外に出られない子どもたちにとって、病院のホールが唯一の“ステージ”。
そのとき、一番喜んでもらえたのは――やっぱり歌だった。
小児病棟の子どもたちは学校に行っていない。
だからいわゆる教育用の唱歌はあまり知らない。
それよりもテレビで流れているヒット曲を、ただ上手に歌ってあげる。
それだけで、子どもたちが笑顔になる。
病気で声を出せない子が、かすかに口の形で一緒に歌ってくれる。
あの瞬間の感動は――今でも忘れられない。
※※※
だからオレは、本気で練習した。
大学四年生の秋。
すでに五井物産の内定は決まっていたし、資格試験もひと段落ついていた。
少しの時間を見つけては、声楽出身の講師のところに通い、基礎からボイトレを受けた。
カラオケがもともと上手な人というのはいるが、実はボイトレで体系的に声の出し方をマスターする事で、誰でもある程度は上手に歌う事は出来るようになるのだ。ただ、音感があるかどうかは実は大きく作用する。そういう点でもオレは有利だった。
そのときボイトレの練習曲として指定されていたのが――今夜ここで歌ったものだ。
「もう恋なんてしない」「悲しみは雪のように」「違う、そうじゃない」「Pieces of a dream」「逢いたくていま」
そして――「POP STAR」。
POP STARは、あのとき病院のホールで実際にオレが歌った曲でもある。
MVを見て振り付けも完全にマスターして本番に臨んだ。
子どもたちが両手を広げて一緒に踊ってくれたのを、今でも鮮明に覚えている。
だから、この曲は振り付けのままに歌うクセがついている。
それだけだ。
※※※
……まさか。
数年後に、こんなサンノゼの場末のスナックで、
また同じ曲を全力で歌うことになるなんて――あの頃のオレは想像もしなかっただろう。
でもオレは知っている。
歌には、時に人を救う力があるってことを。
だから今夜も――全力で歌ったんだ。
みんな喜んでくれたみたいだから、良かったよ。