第14話:カラオケスナック硅素谷 ママ
――さぁ、いよいよ“最後の一曲”ね。
「ナオヤ!最後、決めてくれ!」
昭和臭オヤジたちが、酒で真っ赤な顔を揺らしながら叫ぶ。
支社長なんて、泣き笑いしながら「頼む、ナオヤ!お前しかいない!」ってまたもや懇願よ。……ほんと、この人は今夜ずっと情けないお願いばっかりね。
でも分かるわ。
ここまで全部直也が場を持たせてきたんだもの。
最後まで任せるしかない――そう、みんな腹を括ってるのよ。
画面に浮かんだタイトルを見て、私は息を呑んだ。
――「逢いたくていま」MISIA。
(……あの曲を、ここで?)
男性楽曲を完璧に歌えるのは、もう分かってる。
でもこれは違う。高音域が多く、声量も求められる。
場末のスナックで歌いこなせるような代物じゃない。
下手をすれば、最後に大コケして全部台無し。
……正直、私は一瞬不安になった。
イントロが流れ――直也は目を閉じ、静かにマイクを持ち上げた。
「初めて〜出会った日のこと〜覚〜えて〜ますか〜♪」
――出だしから、澄んだ声。
Aメロの高音域にもしなやかに乗せて、まるでMISIA本人のような透明感。
「過ぎ行く〜日の思い出を〜忘れずにいて〜♪」
……嘘でしょ。完璧じゃない。
Bメロに入る。
声が伸びる。会場全体を包む。
「空を見上げた〜今はそこで〜私を〜見守って〜いるの?〜教えて〜♪」
そして――サビ。
「い〜ま〜逢〜いたい〜あなたに〜伝えたいことが〜たくさんある〜♪」
「ねぇ〜逢いたい〜逢いたい〜♪」
響き渡った瞬間、全身に鳥肌が立った。
店の安いスピーカーを通してるはずなのに、まるでホールコンサートの音響みたい。
声量が違う。艶も違う。
これは、もう“素人のカラオケ”なんかじゃない。
ふと見たら――。
亜紀と玲奈、二人とも泣いてる。
心いっぱいに何かを思い出してるのかしら。
もう嗚咽が止まらない状態よ。
理由なんて分からない。けど、あの子たちの涙は止まらないみたい。
他のお客様たちも、口をつぐんで聞き入っている。
昭和臭オヤジたちなんて、おしぼりで涙を拭きながら「ナオヤ……ナオヤ……」ってつぶやいてる。
笑わせるでもなく、盛り上げるでもなく――ただただ泣かせてるのよ、この男は。
……気付いたら。
私の目からも涙が流れていた。
(……嘘。私が、泣くなんて)
30年この仕事をしてきて、客に泣かされるなんて一度もなかった。
でも今夜――私は直也に、心ごと持っていかれた。
ラストのフレーズ。
「あなたを想っている ずっと〜♪」
声が消えた瞬間、店内は一拍の静寂に包まれた。
そして――。
「ナオヤーーッ!!!」
轟く大歓声と、割れんばかりの拍手。
まるでここがサンノゼの場末のスナックじゃなくて、武道館の大ホールに変わったみたいだった。
(……完璧だわ。
歌って、笑わせて、盛り上げて、泣かせて。
すべてを決めきった男。
こんなエンターテイナー……生涯で初めて見たわ)
――私のスナック史上、最高の夜が終わろうとしていた。