王都から沼地の教会に追放された泥沼聖女ですが、吸血鬼と出遭い平穏を手に入れたかもしれません。言っておきますが、王都の墓守と称した魔物退治は、もう引き受けないですからね?
「色々と頑張ってたみたいだけど、すまない。君との婚約は破棄させてもらう」
教会の中で告げられたその言葉は、静かに響いた。
辺りに広がっていた静けさを一瞬にして壊し、全ての人の耳に届いてしまう。
全員が一斉にその声の主に目を向けた。
――この国の第三王子ミハエラ・トレヴァーだ。
金髪の髪を短く切り揃え、白を基調とした衣装を身に着け、腰には剣を携えている。そんな青年が、申し訳なさそうに表情を曇らせたまま、私の方を向いていた。
「だから、君とは結婚出来ない」
それを告げられた私、イーディス・クレイは理解出来ずに、何が起こったのか思い返した。
昨夜現れた墓地のスケルトンの浄化作業が終わり、荒れた墓地を冒険者の方々と直して戻って来た矢先の出来事で、まだ汚れた衣服すら着替えらえていない。
どう考えても、何故こうなったのかが分からなかった。
昨日までは、普通に笑顔で私と接していた。
それが……どうして。
そんな私と王子には沢山の視線が向けられていた。
それもその筈だ。
王都に仕える聖女と、王国の王子の会話なのだから。
――それも破談らしい雰囲気を感じとれるとなれば、尚更興味を惹いていた。
「どうして、ですか? 私ちゃんと聖女として……」
周りの視線に圧し潰されそうになりながらも、必死に声を絞り出す。
イーディスは、第三王子と結婚する事が決まる前から聖女として活躍していた。その活動は、教会に訪れる怪我人の治療だけでなく、孤児院の子供たちと一緒に畑を耕したり、墓地や下水道などに自ら足を運んでは浄化を施している。
「何か至らぬ点が、あったのでしょうか」
「帝国の第四王女が、女神から加護を受けたみたいなんだ……」
それだけ言えば察してくれと、言いたげにミハエル王子が俯いた。
つまり彼が言いたいのは、別の国で、地位の高い女性が女神から加護を受け、聖女になったから、僕はその人と結婚したいんだ。それが政治なんだ、分かってくれるよね? と言いたげだった。
「それに君は、その……」
「教えて下さい! 何がそんなに……」
「君が、世間からどう言われてるか、知っているか?」
そんなの『聖女』以外に何が……私がそう思っていると、ミハエラ王子が口を開いた。
「汚い聖女。そう言われてるみたいじゃないか。そんな人と結婚するのはちょっと……」
「何ですかそれ、誰も墓地に行かないから、私が行ってるだけで、他の所だって誰もやらないで困ってる人が居るからっ――」
感謝してくれる人達が居るのは知っている。
だけど、それ以上に要らぬ噂話が好きな人が多過ぎるんだ。
「すまない」
そう謝るイーディス王子に向かって、私は静かに声をかける。
「私はこのまま、此処で聖女をしていれば良いんですよね?」
元々、田舎の出身だった私は、加護を受けた事で王都の教会に連れられて来ていた。だから身寄りもなければ、親族も遠い場所に住んでいて、連絡すら取れていない。
すっかり、この街の住人みたいなものだ。
「すまない。君には、違う所へ、行ってもらいたい。相手方がこちらに来て、一つの教会に聖女が二人も居るとなると、体裁が悪いんだ……。それに、君もやりづらいだろ?」
やんわりと言ってくる態度に、私はムカッとした。
この人は、新しい女が来るから、元々住んでいた私に出て行け――そう言っているんだ。
「酷い」
王子相手とはいえ、自然と言葉が出てしまう。
王子が私に目をつけなければ、そもそもこんな事にはなっていない。
平和に今日も、この教会で働いていただろう。
仮に、帝国からの聖女が来ても、上手くやっていたと思う。
それなのに、婚約を受け入れてしまった結果がこれだ。
目も当てられない。
「本当にすまない。君には、十分な額を渡す。それを持って、南にある商業都市の外れに位置する教会で、聖女として務めてくれないだろうか」
教会と王国は縦には繋がっていないが、横には繋がっている。
王子が教会内でこんな話をするのだから、私の移動については教会内でも許可が下りているのだろう。
歯向かうだけ無意味だった。
「……分かりました」
行く宛もない私は、黙ってその辞令を受け入れた。
受け入れるしかなかったのだ。
静かに返事を返した口は震え出し、奥歯を噛みしめて抑えつける。
じゃないと、涙が込み上げて来てしまいそうだった。
「失礼します……さよなら」
教会に一秒でも居たくないと思ったのは、これが初めてだった。
逃げる様に駆け足で、その場から離れ扉を開けて外に飛び出す。
後ろで扉の閉まる音がして振り返った。
とてつもなく大きな教会。
これが最後の見納めかと思うと、再び胸の奥から感情が込み上げて来る。
「……私、ただ頑張ってた。だけなのにな……」
呟く言葉は祈りではない。
誰に届くでもなく、静かに消えていく。
王子や他の人が出て来て顔も合わせたくなかった私は、歩き出し街に向かった。
辞令があるなら、きっと家に届けられている。
そう思うと、家にも戻りたくない気持ちになってしまう。
「上手く、やっていけるかな……」
生まれた故郷に帰るでもなく、辞令によって良く分からない商業都市に飛ばされる。
そこで此処と同じ生活が出来るかと言えば、不可能だ。
こんな事になってしまったが、此処は王都で、一番大きな教会だ。
国内に此処よりも優れた場所はないだろう。
「何でこんな事に……」
こうしては私は――長年住んだ王都から出るのだった。
***
王都から遠く離れた商業都市。
そこは大きな船が港に停泊し、馬車での出入りも多い賑やかな街だった。
王都よりも活気がある。
そう思った私は、少し楽しい気持ちで教会を探していた。
「すみません。教会は、何処にありますか?」
花屋の前に立っていた女性に話しかけると、何故か首を傾げられる。
「教会ですか?」
「はい。私、王都から来た……聖女なんですが、教会を探してて」
「ねぇ、あんた。教会だって、何処にあるか、知ってるかい?」
女性が店の奥に向かって大声で話しかけていると、一人の男性が姿を見せる。
若いと思っていた女性のパートナーなのか、髭を蓄えたハンサムな人だった。
「教会? ……あぁ、確か街外れの、塀の外にある森に覆われた沼地にあった気がするな。でも、あんな所殆ど、誰も行かねぇぜ? 何だってあんな場所に」
そう言った男性が私を見て、暗い表情を見せる。
「すまねぇ、聖女さんだったか」
「いえ、お気になさらないで下さい」
事実上、左遷の様なものだ。
聖女と言っても服装は様々だけど、ベールを付けている人は居ない。
私だって、きちっとした場所以外では外している事が多いぐらいだ。
荷物になるから、今は被っているけど――良い目印になる。
「教会が何処にあるか、詳しい場所は分かりますか?」
「それなら、東門を出て。真っすぐけ獣道を進んで、川を越えた先にある筈だよ。でも、あの辺りは変な魔物も出るって言うし、行くなら誰か冒険者を連れて行った方が良い」
「教えて頂き、ありがとうございます。冒険者の方は、考えてみます」
一言お礼を言って立ち去り、私は東門に向かった。
まだ昼過ぎだ。
今からなら、まだ辿り着けると思う。
――そして東門にて、私は門の警備をする人に止められていた。
「君……本当に、一人で行くの?」
「仕事ですので」
ここぞとばかりに聖女である事をアピールする。
だから、その複雑な顔は止めて下さい。
「分かった。十分に、気を付けてね」
「はい、ありがとうございます」
やっと通された私は、一人で東にある森の中に入って行く。
じめじめとした空気が身体に纏わりつき、直ぐに汗が出てくる。
「本当に、あるんだよね……」
今更ながら、こんな所に教会があるのかと不安になっていた。
だって、在っても誰が訪れるのか分かったもんじゃない。
「まさか、ゾンビとか、スケルトンの礼拝する場所とか言わないよね。そこで、仕事しろってこと? 今回ばかりは魔物の浄化はせずに、一緒に維持して周辺の管理が仕事って事なのかな……」
行くまで何があるか分からない教会に足を進め、段々と陽が沈み始めた。
軽く一時間以上は歩いている。
それなのに辿り着かない。
途中、人工的に作られた橋を渡ったから道はあってると思う。
けれど着く気配が全くせず、不安になっていく。
突然、上空に向かって、何かが真横で動いた。
「ふぁあぃ――」
驚いて変な声を上げてしまった私は、空で飛んでいるカラスを目にして息を吐く。
「何だ、カラスか」
ゾンビとかスケルトンが出て来るのは良い。
ただし、真正面からゆっくりと出て来るに限る。
どんな理由であっても、突然は卑怯だ。
正々堂々と正面から来なさいって話よ。
「もぉ」
そんな事を思っていると、視界が拓ける木々の向こう側で建造を見つける。
大きな外壁の壁は、石で作られ三角に尖った屋根には大きな鐘が取付られていた。
「在った……」
無いと半分諦めていた分、見つかっただけで凄く嬉しかった。
けれど、その教会に向かう道は、正面の扉から伸びた木で作られた橋だけだ。辺りには沼地が広がり、その上には丸い葉が寄り添う形でいくつも浮かび、色鮮やかな赤い花が咲いている。
「外見的には、雨風の心配はしなくても大丈夫かな」
汚れてはいるものの、ガラスに穴が開いている訳でもなく、扉も綺麗に建て付けられていた。
橋の上を歩く度に波紋が水面を揺らし、水の中で何かが動いている。
「失礼……しまーす」
恐る恐る扉をノックしてから、ゆっくりと開け始めた。
中から返事はなく、物音一つ聞こえてこない。
「やっぱり、誰も居ませんよねぇ~」
引継ぎの話も何も聞かされていない私は、最初っから誰かが居るとは思っていなかった。
本当に私は、厄介払いされたのだと。
改めて思う。
静かだ。
まるで世界が終わった後の様に、物音一つしない。
教会の壁に設けられたステンドグラスから優しい光りが差し込み、舞った埃に当たっている。
私が奥に向かって歩いていると、突然背後で扉が勢いよく閉まった。
驚いて振り向いた私の目には、何も映っていない。
なのに、何かが近くに居る。
それだけが、確かだった。
こうなったら、広範囲に浄化魔法をかけて――。
「聖なる光よ、悪しき邪悪を――」
私が魔法を発動させようとしたタイミングで、元気な声で言葉を被せられた。
「――ようこそ参られた、我が城へ!」
「ふぇ――?」
突然の事で、何が何だか分からないまま、言葉を再度思い浮かべる。
此処は教会だ。
なのに、我が城? きっと頭をぶつけた人に違いない。
「どこに居るのか知りませんけど、治してあげますから!」
依然姿が見えない人に向かって声を投げかける。
「待て! 待つんだ! 待ってくれ!」
そう何度も止めようとする声と共に、その人は私の前に現れた。
――白銀の短い髪に、綺麗なルビー色の瞳。突き出た八重歯に、少し尖った耳にはピアスがついているのに怖いとは感じず、爽やかでどこか優しい感じがする。
着こなしたスーツの上から、魔術師の様なローブを羽織ったその人物は、両手を前に突き出して必死に私を止めようとしていた。
「えっと……もしかしなくても、吸血鬼ですか?」
「そう! 俺、吸血鬼」
「分かりました。今、眠らせて上げます。安らかなる時を――」
「違う、違う! 永眠なんて求めてないから! 落ち着いて!」
至って私は冷静だ。
どちらかと言うと、「貴方の方が落ち着いて下さい」目の前の吸血鬼の方が焦っている。
「そもそも、此処は教会ですよ?」
「でも、ずっと使ってないじゃないか、人間は」
「私は、聖女です。吸血鬼は、一応敵という事になるので、浄化しないといけません」
「でも、俺は人を傷つけてない。ってか聖女なの!? やばッピンチじゃん」
「はい、貴方の敵です」
「でも本当に、誰も傷つけてないよ? 一人も殺してないと、神に誓おう」
吸血鬼が神に誓うとは、これ如何に。
「なるほど、困りましたね」
確かに、この吸血鬼を排除する理由がなくなってしまった。
「ようこそ、我が城へ!」
「貴方、それしかレパートリーがないんですか?」
「良く来たな人間。我が城に足を踏み入れたからには、生きて帰れると思うなよ!」
「人間に危害を加えるのであれば、やっぱり……」
「冗談、冗談だから!」
何だろうこの吸血鬼。
凄い調子が狂う。
本当に吸血鬼なのだろうか。
「ちょっと、回復魔法かけて良いですか? 吸血鬼かどうか、確かめたくて」
「止めて! あれ本当に痛いんだからね!」
何だろう、注射を痛がっている子供を見ている気分になった。
「分かりました、此処から天井までジャンプしたら、吸血鬼と――」
私が言い切るよりも先に、吸血鬼が膝すらも曲げずに高く飛び上がった。
まるで鳥が飛ぶ様に自然と。
到底人では到達できない高さに舞い上がり、身に着けたローブを靡かせながら落ちて来る。
「これで、信じてくれたかな」
信じる他なかった。
魔法を使った様子もない。
という事は、目の前に居る人物は、身体能力だけで飛び上がったのだ。
「信じます。本当に吸血鬼なんですね」
「最初っから、そう言ってるじゃん」
「だって普通、教会に吸血鬼が住み着いてるだなんて、思わないじゃないですか」
「それもそうか」
妙に納得した吸血鬼を見て、私は少し笑ってしまう。
何だろう、思ってたよりも王都の外は楽しいのかもしれない。
そんな気がした。
*
「ヴェクトは、いつからこの教会に居るの?」
ヴェクトと名乗った吸血鬼と、私は教会の手入れをしていた。
最初は、蜘蛛も眷属だの言っていたヴェクトだったが、その蜘蛛も綺麗な方が良いのか進んでゴミを纏めてくれている。
「もう何十年も前のことだ。人間は、直ぐに吸血鬼というだけで、殺そうとするからな」
「何かごめんね。私も、攻撃しようとしちゃったから……」
「構わん。人だって、目の前に熊が現れれば、敵意を隠しつつも、恐怖するだろ? それと同じだ。身体能力が違う生物同士とは言わば、片方だけが武器を持っている状態で同じ空間に居る様なものだ。恐れ、チャンスがあれば先に殺そうとするのは、生存本能としては正しい」
「うん。そうかもしれない」
今、私も背後からヴェクトに首を絞められれば、呆気なく死んでしまう。
けれどそれは相手が、屈強な人物であれば同じだ。
「結局は、その人の事を信頼できるか、どうかだと思うよ」
「だったら俺は、イーディスに信頼される吸血鬼になるよ。だからイーディス」
「何?」
片付けをしていた私がヴェクトの方に振り向いた。
「君が良ければ、ずっとここに、居てくれないだろうか」
余りにも突然だった。
この吸血鬼は何を言っているんだろう。
そう思ったが、私もこの吸血鬼に興味がわいた。
「……ここは教会よ。聖女が居るのは、当たり前でしょ」
言葉にして伝えてくれたこの人と、一緒に居たい。
例え相手が人でなくても構わない――そう思ってしまったのだ。
「ありがとう。イーディス」
「これからよろしくね。ヴェクト」
***
その日の朝は、商業都市だけでなく王都までもが騒がしかった。
街で配られる新聞。
一面を飾ったのは――王都の墓地で溢れかえるスケルトンの大群。
その対応に追われるのは、第三王子ミハエラと帝国から来たりし聖女。
そうでかでかと飾られた記事は、瞬く間に広がった。
――しかも、切り抜かれた写真が、墓地から蘇るスケルトンに足を掴まれ、転んでいるミハエラ王子と、スカートの裾を引っ張られ腕まで掴まれている聖女様だ。
誰もが、見入っただろう。
「何してるんだか」
そんな新聞を見ながら私は、泥沼に囲まれた教会で優雅に紅茶を飲んでいた。
隣には、吸血鬼が居るという不思議な状況だけど。
「そんなに面白いのか?」
新聞を眺めていた私にヴェクトが話し掛ける。
「面白いってか、市民に怪我がないと良いなって」
「やっぱり、物好きだな」
「良いでしょ、これでも私は――聖女なんだから」
これからも私は、誰かの為に聖女であり続ける。
それが例え――吸血鬼の願いであっても。
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――海月花夜より――