第1話(後半) 沈黙の中心
“澱”が、跡形もなく消えていた。
空気が軽い。
音が戻ってくる。
現実が、平坦な顔で自分を迎え直す。
橘天音は、魔力の余熱を抱えたまま、身動きもできずに立ち尽くしていた。
その中心にいたのは、少女だった。
白いワンピース。首元まで濡れているのに、寒さを感じている様子はない。
表情がない――というより、“感情”そのものがどこか遠くに置き去りにされている。
(誰……?)
見たことがあるような気がした。
でも、思い出せない。
もしかすると同じ学校かもしれない。
でも、それはどうでもよくなるほどの――異物感があった。
天音は、慎重に声をかける。
「あの……あなた……今、澱を……」
そのとき、少女がこちらを見た。
目が合った、という感覚はない。
ただ、こちらの存在を**“認識した”**というだけの目。
怖いほど静かで、怯えも攻撃性もない。
そこには、ただひとつの感情も流れていなかった。
「――“消した”の?」
天音の口から、思わず本質がこぼれた。
そう。
あの少女は、“澱”を倒したのではない。
“拒絶した”のでも、“斃した”のでもない。
**ただ「消した」**のだ。
それは、自分の力とはまるで違っていた。
自分の力《仮面》は、偽りで守るもの。
けれど、彼女のそれは――
世界に“無かったことにする”力だった。
(わたしの、“演技”ですら通じない)
(この子……どこまでを、消せるの……?)
怖さが、興味を凌駕しようとした。
でも、それでも。
(知りたい)
なぜここに来たのか。
なぜ自分が立っていたのか。
なぜ、ただ一言で“終わらせられる”ほどの魔法を持っているのか。
そしてなにより――
(この子は、どうして“あんなにも静か”なの?)
少女はもう、背を向けていた。
歩き出していた。
その足取りには、逃げる様子もなければ、誇らしげな気配もない。
ただ、“帰る場所なんてない”人間の足音だった。
「……待って」
声をかけようとした瞬間。
なぜだろう。喉が凍ったように、言葉にならなかった。
彼女に話しかけたら、自分の仮面ごと壊される気がした。
橘天音はその場に、ただ立ち尽くしていた。




