EP3-12話 黄泉の因子
カール・セプトの鏡回廊。
その霊子災害の最初の記録は、およそ百年前になる。
霊子戦争どころか、情報化社会の黎明期にまで起源を遡るこのレイスは、元は一人の少女の怨念を元にした災害であった。
魔法の存在が表舞台で技術活用され始めたのは、それこそ三十年前に終結した戦争をきっかけとしたものであるが、無論それ以前から魔法は存在していた。
事象の改変という魔法行使は時代の節目ごとに行われ、その都度、その世代の人間たちの手で魔法の形は変わっていった。神咒宗家という魔法の大家を始めとして、情報界を認識しうる人間たちは、人目を避けて様々な形で技術を習得し、伝承し続けてきた。
鏡の災害の元となった少女もまた、そんな魔法使いの一人だった。
家系的に魔法使いだったわけではない。彼女はその才能があっただけの、一般家庭に生まれたごく普通の女の子だった。
生まれて、そして――死んだ。
虐待だった。
こういった話によくありがちな、普通の家庭に生まれた特異存在が、忌み嫌われて虐待を受けた――わけではない。
彼女の両親は、娘の才能になど気付かず、ただ当たり前のように扱った結果が、育児放棄という形で現れただけの話だった。
物心ついた時には不仲だった両親。それは近所において有名だったらしく、普段から喧嘩が絶えなかったという。その中で一人娘がどういう扱いを受けたかは想像に難くない。直接的な暴力がなかったにしても、ネグレクトは少女の死を確実に引き起こした。
それだけなら、良かった。
問題は、その少女に魔法の才能があったことだった。
彼女には、鏡だけが見えていた。
ボロボロの服を着て学校に行き、誰にも相談できずに、話しかけられれば怯えて立ち去り、家に帰っても食べ物はなく、両親のどちらかが帰ってきたら息を殺すように静かにし、そうして孤独に生き続けた彼女にとっては、己の姿を映す鏡だけがよりどころだった。
鏡の中には、綺麗な洋服を着て、髪型を整え、可愛らしいぬいぐるみを持ち、笑顔を浮かべている、幸せそうな少女が居た。
それだけではない。鏡の中には、たくさんのものがあった。
優しいお父さんとお母さん。仲の良いお友達。大好きな学校の先生。挨拶をしてくれる近所のおじさんおばさん。ちょっと気になる年上の男の子。
そして――明るい食卓。
薄暗い部屋で布団をかぶって、ただひたすらに彼女は鏡の世界を求めた。鏡の世界に理想を見て、その理想を自己に投影することで、かろうじて精神を保ち続けたのだ。
衰弱死する直前まで、自分が映る鏡の先に幸福な幻想を見続けながら、彼女は、幸せの只中で息絶えた。
そして――その死亡という現実は、鏡の中に閉じ込められた。
それが、最初の魔法。
情報界にアクセスし、現実を改変した最初の奇跡。
鏡の中に閉じ込められたその存在は、苦悶の中で死に続けた。現実では安らかに死んだ少女は、その苦しみを鏡に押し付けた結果、鏡の中で死を延々と続けることになった。
おなかがへった。
空腹は慢性的だった。生きている間は、たまに冷蔵庫に補給される食べ物を食べてなんとか生きていた。でも、鏡の中にいる今はそれすらもできない。ただ苦しく、あえぐようにもがくだけだった。
少女の死体は、なんと一週間後に発見された。
母親だった存在に発見されたその少女の死体は、ゴミのように処理された。
片付けの際に、小さな手鏡が見つかった。母親はそれに何の興味も示さずに、ゴミとして捨てようと、手を伸ばした。
そして。
そして、そして、そして。
鏡は―――――見た。
彼女は―――――映した。
その人間を、
おいしそうな、食料を、見つけた。
「いただきます」
その後の展開はトントン拍子だった。
母親だったものを取り込んだ少女は、次に父親だったものを取り込んだ。続けて、その家を捜索しに来た人々を、次から次に食べた。
食べた人の知識を吸収し、見識を広めた。
そうして少女はその家を媒介にして、次第に霊子災害へと変化していった。
劇的な変化があったのは、魔法使いを食べてからだった。
流石に何人もの人間が犠牲になったため、人を喰う家としてオカルトスポットのように有名になった。その道の専門家がやってくるのも当然と言える。
最初に来たのは、外来の有名な僧侶だった。かなり徳の高い僧侶で、数々の恩恵を身にまとってやってきたのだが――来るのがひと足遅かった。
鏡の怪異はすでに家全体を掌握し、家屋は異界と化していたのだから。
間が悪いことに、その土地には強力な怪異が存在しており、その怪異を少女は取り込んでしまっていた。そうして手のつけようのなくなった鏡の霊子災害は、僧侶を取り込むことで魔法の知識を得て、より凶悪に進化した。
鏡の怪異は自身の方向性を定めた。
力を安定するために取り込んだ土地の怪異の概念――七つの亡霊をまとめ上げた怪異を元に、自身の因子を固定した。
七つの鏡。
円状に連なる回廊。
『円環する七重の鏡回廊』の誕生であった。
それは実に百年近くの間猛威を振るい、やがてS級霊子災害と認定される。
解呪されるのは、二人の神童の誕生を待たなければいけない。
※ ※ ※
放課後、叢雲ツルギとの約束の試合の日。
試合の立ち上がりは意外にも遠距離での魔法戦となった。
拳銃を模したデバイスを持っているツルギは、弾丸を射出するように魔力弾を放つと共に、多彩な魔法を繰り出してきた。
火炎で幕を引いて視界を塞いだかと思えば、上空から石の雨を降らせ、防御したところを真空の刃で叩き切ろうとする。
戦闘狂のイメージが強かったので近接戦を好むかと思えば、その姿は基本に忠実なロングレンジの魔法士の姿だった。
自身の魔法だけでなく、しっかりとファントムをサポートするための組み立てをしている所を見るに、戦闘では冷静になるタイプらしい。
◯叢雲劔(ニ年実技A科)
魔力性質・流形
魔力総量B 魔力出力C 魔力制御B 魔力耐性D 精神強度B 身体能力B 魔力感応C
◯叢雲ユエ
原始『■■』
因子『影』『■』『人像』『■』『壁』『裁断』 因子六つ。ミドルランク
ステータス:筋力値C 耐久値B 敏捷値B 精神力D 魔法力A 顕在性D 神秘性C
叢雲ツルギのファントム、名を叢雲ユエ。
因子六つのミドルランク。
影を自在に操る能力を主体とし、遠近ともに多彩な立ち回りを見せるファントム。十歳前後の少女の姿をしており、黒い喪服のような着物をまとっている。その姿は日本人形のようで、時折にやりと不気味に笑うところがある。
影を自在に操るユエは、黒い影を刃物のように尖らせ、何度も突き立てようとしてくる。
「ミラ、光を照射! 右四十度、左七十度!」
「うん! 眩しい集まれ!」
シオンの指示に、ミラは鏡を動かしながら光を反射させて影を打ち消す。
鏡で光を集めて光線を作り出すスキルだが、今日のそれは威力が段違いだった。
敵の影どころか、地面ごと吹き飛ばすほどの強力な熱量が集まっているからだ。
「おい、ミラ。そこまでしなくていい!」
「う、わかってる。わかってるんだけどぉ……」
ミラは狼狽えながら鏡を動かすが、その些細な動作だけでフィールドの一部が吹き飛ぶほどの熱量が照射された。彼女自身もその威力に戸惑っているようだった。
「な、なんで……なんでなのぉ」
予想外の威力に、ミラは慌てて鏡を一旦消す。制御不能のアクティブスキルは、起動させるだけで魔力を大きく消費する。その判断自体は間違いではない。
だが、慌てて消したのがまずかった。
「狙いやすくなったぜ、鏡のファントム」
デバイスを構えたツルギが、にやりと笑いながら魔法を起動する。
「『銀の弾丸などなく』――」
彼我の距離は二十メートル。
狙うにしても遠い距離――が、その距離は一瞬で詰められる。
「なっ!?」
如何な魔法を使ったのか。
ミラの目の前に突如として現れたツルギは、彼女の額に拳銃型デバイスの銃口を突きつける。そして、すぐに魔法式が起動させる。
「終わりだ――『されど――自在の弾丸は悪魔の思うままに』」
デバイスを中心に風が収束し、一筋の弾丸となって眉間を貫く。
頭蓋に衝撃を受けながら、ミラは後方に吹き飛んだ。
「ミラ!」
「あなたの、相手は、あたし」
その声は、シオンの足元から聞こえた。
身を捩った時にはすでに遅かった。足元の影から躍り出た叢雲ユエは、手に握った影の短刀をシオンの背中へと深々と突き立てた。
短刀は胸元まで貫通し、激痛とともに大量の魔力が溢れ出した。
「こ、んの」
シオンは左手に持っているデバイスに魔力を通し、起動途中だった魔法を完成させる。
「『変換挿入』――『因子崩し』!」
胸元から生えている短刀へと、シオンはデバイスを叩き込む。
因子崩し――これにより、影の因子を一時的に使用不能にさせることに成功した。
「き、きゅぅ……」
因子を傷つけられたユエは、苦しそうに声を漏らす。『影』の因子が破壊されたからか、彼女の全身が影から出現する。
そこで怯むかと思いきや、彼女はシオンにしがみついてきた。
「は、はなさ、ない……今、だよ、お兄ちゃん!」
「よくやった、ユエ!」
すぐにツルギが動き出す。
先ほどミラを攻撃するために使った瞬間移動。一足のうちに距離を詰める魔法を使って、ツルギは同じようにシオンの額へと銃口を突きつけてきた。
あと一呼吸もあれば、ツルギは魔法を発動させ、シオンの頭を打ち抜くだろう。
終わった――そう、思った時だった。
「ぐぅあああああああああああああああああああああああああっっ!!!!」
獣のような咆哮が上がった。
その耳をつんざくような奇声に、誰もが驚愕して振り向く。
そこには、頭を半分吹き飛ばされた七塚ミラが立っていた。
雄叫びを上げる彼女の周囲には、漆黒の闇が溢れ出して風が巻き起こっている。
泥沼のような黒い泥が大地を覆い、負の情報圧となって霊子庭園を侵食していく。
黒い風が辺り一帯に吹き荒れた。
それはユエが扱う影よりも濃い、質量を持った闇だった。
辺りを飲み込むように荒れ狂うその暗闇は、一瞬にしてフィールド中を飲み込んだ。
シオンも、ツルギも、ユエも、一緒くたにまとめて。
霊子体が消えるさなか、シオンは自身のデバイスの異変を確かに見た。
因子が一つのはずのミラに、もう一つ、『黄泉』という因子が浮かんでいたことを。
※ ※ ※
試合は、七塚ミラから溢れ出た謎の黒い霧により、全員が霊子体を砕かれて終わった。
意図せぬファントムの暴走であったが、事前ステータスを虚偽していたわけでもないので、そのまま結果が反映される。
「引き分け、か」
試合結果を見て、シオンとツルギは互いにため息を付いた。
勝敗はつかなかったが、試合内容はレーティングに反映される。とは言え、あと一瞬でもツルギの射撃が早ければ、シオンが負けていた可能性は高い。
「すみません。こんな結果で」
「仕方ねぇ。これも結果だ。仕留め損なった俺の落ち度だ」
謝るシオンに対して、意外と冷静に返すツルギだった。
「ちっ。一回やっちまった以上、レーティング戦の間はもう出来ねぇな。続きは来週からのリーグ戦か、ユースカップ本番か」
「……え?」
「勝ち上がれって言ってんだよ」
それは、期待なのだろうか。ぶっきらぼうにツルギは告げる。
「今、てめぇは十八位だろ? 今週中に十五位まで上がれば来週からのリーグ戦でやれる可能性がある。そん時までに、ファントムの方も調整しておけ」
それ以上の言葉は不要とばかりに、ツルギはあっさりと去っていった。
現在、叢雲ツルギの順位は二十八位。先週のアヤネとの試合に負けたことで元の四位から大きく順位を落としているが、彼の実力ならばすぐにでもトップテンに戻ることだろう。
今日は月曜日。レーティング戦は週末までで、そこで出た結果によって来週はリーグ戦が行われることになる。三つのブロックに分けられた総当たり戦で、各ブロックの上位二名がユースカップ本戦へと出場することができる。
シオンの現在の順位は十八位。
本当に、手が届く所に来ている。
「ミラ、大丈夫か?」
デバイスに向けて尋ねる。
先程の試合で思わぬ暴走を見せていたミラは、調子が悪そうにうなだれた顔を見せる。
「……おかしいの。なんだか、鏡が自分じゃないみたい。力が渦巻いて仕方ないの」
ミラの不調は今日の昼から――具体的に言えば、飛燕に指摘を受けてからである。元気をなくしたミラは現在、明らかな不調を見せている。
念のためミラのステータスを確認してみるが、相変わらず因子は『鏡』一つのままである。新しい因子が発現した痕跡もない。
この現象に対する答えは半ば出ているが、それを検証するためには設備が必要だ。
「幸い、ランダム予選の方は不戦勝だったんだ。今日はここまでにしよう」
レーティング戦期間中は強制的にランダム戦が組まれるのだが、レーティング予選期間も三週目となると、本戦出場を参加を諦める生徒も出てくるため不戦勝も増えてきた。
一戦一戦が重要なシオンにとっては、ありがたい勝ち星でもある。
「……でも、せっかく一戦浮いたんだから、その分戦ったほうがいいんじゃない?」
「またさっきみたいになっても仕方ないだろ。それより、ちゃんとお前の調子を整えて、明日以降に備えた方がいい」
ミラをデバイスで休めながら、シオンは帰路につこうとする。
その途中で、またしても賑わっている一角を発見した。
案の定というべきか。
遠目から見えるディスプレイには、アヤネが戦っている様子が映っている。
車椅子に乗ったまま、彼女は器用にフィールドを駆け回っている。おそらくはサブデバイス代わりに作られた特注の車椅子なのだろう。霊子庭園でもあれだけのパフォーマンスを発揮できるのは、かなり霊子モデリングがしっかりしている証拠である。
アヤネの試合をしばらく眺める。
遠距離からの魔法補助と、接近戦を行う飛燕のコンビネーション。一つ一つは強力ではないが、組み合わせた時のしぶとさは、対戦している相手が一番感じるものだろう。
それを見ながら、到底敵わないと思う自分がいる。
高揚する気持ちと、それを諦め半分に俯瞰する感情が入り交じる。
七塚ミラの不調を前にして、一層、心の奥底にある鬱屈した思いが湧き出してきた。
「実力の無さが恨めしい」
四年前も。
九年前も。
そして、今も。
その感情はあまりにも根強く、どす黒い泥のように自分の奥底にへばりついている。




