八重コトヨは語る
――天知ノリトの力は、もとは儂の神格じゃったんじゃよ。
「あなたの……つまり事代主神の神格、ですか」
事代主――正式には、八重事代主神。
八神殿の第八殿を司る言霊の神。
そして、国譲りの神。
神代の日ノ本における国津神の一柱であり、日本神話に記される芦原中津国平定において、国津神の代表であった大国主の代わりに、日本の土地を天津神へと明け渡すきっかけを作った神である。
事代とは『言知る』の意味であり、託宣を司る神とも言われている。同音の関係で、『一言主』という神とも同一視され、同時に言霊を司る神にもなった。
正真正銘、神話に語られる神の一柱が、目の前にいる女性なのである。
「未だに信じられないのですけれど、神と呼ばれる存在が、どうしてこんなところに?」
「まあ、そのあたりは話せば長くなるんじゃがのう」
言葉の割には楽しげな表情で、彼女はシオンに尋ねる。
「そうじゃな、この国の神という概念の話をするならば、元をたどれば天知家や神咒宗家そのものの話になるんじゃが――そなたは神咒宗家の成り立ちについて知識はあるかの?」
「古代からカニングフォークを伝えている家系、という程度ですね」
「現代における定説じゃな。誤りとまでは言わんが、正確性を欠く。そなたなら、魔法現象における『過去』と『歴史』の積み重ねは虚像になりうるという話は知っておろう?」
「情報改変のジレンマ――ですね」
それは――現代魔法を学ぶ上で、避けては通れないジレンマである。
魔法現象とは、情報界を書き換えて現実を改変することにある。それは突き詰めていけば、どんな事象も改変された後の可能性がある、という話だ。
故に絶対的な真実などというものは存在せず、自己の唯一性すらも何らかの事象改変の影響を受けていると考えるべきである――というのが、現代において魔法を学んでいく過程で必ず意識する概念である。
「我々が認識しておる現実は、すでに多くの魔法行使によって改変されており、過去の事実というのが定まらん。それが改変されたものなのか、それとも改変される前からそうなのか、もはや分からんというものじゃな」
現代の魔法士が行える現実の改変は些細なものだが、カニングフォークを使った広範囲の改変は、理論上は事象のみでなく概念や法則すらも変えられる。一人では不可能でも、何人もの人間が多くの時間を掛けた『改変』は、容易く現実を捻じ曲げるのだ。
その最たるものが宗教や神話であり、長い年月を掛けて人々は無から無限の現実を作り上げた。
その中で、神咒宗家のように魔法を司る家系は、自身の起源を保持しつつ、保有する自然魔法の影響を広げる努力を繰り広げたという。
いわば、現代における現実とは、そうした多くの思惑が入り乱れて改変された結果と言えるだろう。
「先の霊子戦争も、事象改変によって異界人という概念が生み出されたから起きたとされていますよね。戦時中は、大規模なカニングフォークによって多くの概念が書き換えられたと聞いています。霊子災害の形が変わったのもその時だとか」
「ふん。あれは起こるべくして起きた戦争じゃがのぅ。多岐にわたる多様性の受容と自己同一性の保持を両立させるには、人類社会は未熟すぎたんじゃ。それを無理に成立させようとした歪みが異界人などという概念を生み出したわけじゃが――と、話がそれたの」
霊子戦争についてはいささか不愉快そうな口調だったコトヨは、咳払いをして話を戻す。
「改変が幾重にも重なった現代において、単一の起源を掘り下げるのは、沼の中に溶けた原材料を探り当てるような所業じゃが、だからこそ様々な仮説を立てることが出来る。その中の一つとして、こうした仮説はどうじゃ?」
ニヤリと笑いながら、コトヨは言う。
「古代において神秘を扱う者が神と呼ばれた。それが神咒宗家の始まりである。という話じゃ」
「エウヘメリズムですね。力ある存在が統治することで神格化された。人間が神になる、まさに大規模な情報改変です」
世界中に伝わる神話や伝承と言ったものは、先に語った情報改変のジレンマが理由で、現実と虚構の線引が曖昧な状態で存在している。
その中でも、神という概念については様々な分野で研究がされている。
後世の人間が作った幻想が形を持ったものだという意見もあれば、元々神と呼ばれる存在がいたからこそ今があるのだといった神学的な考え方。あるいは、あらゆる事象を神に置き換えたアニミズム的視点など、その考察は多岐にわたる。
そうした諸説ある中で最も現実的なのが、過去に偉業を達成した人間が、その社会において神として奉られたというものだ。
偉業が信仰によって神格を持つ。
そうした考え方をエウヘメリズムと呼ぶ。
「実際、体系化されていないカニングフォークは、知識のないものが見たら奇跡そのものじゃからのう。そう言った者達が人民を統治し、やがて国家を形成し、神話を作った。つまり、神と呼ばれるものは、実在する個人であると同時に、人の営みの中で生み出された物語の登場人物であるわけじゃ」
「つまりあなたは、そうして作られた神話の登場人物、ということでいいんですよね?」
「そういうことじゃ」
鷹揚に頷いてから、コトヨは「もっとも」と付け加える。
「そうは言っても、儂の人格はだいぶ虚構寄りじゃ。儂は他の神に比べると複数の逸話が重なっておるから、元となる人物からは大分かけ離れておる。なにせ、性別すらも曖昧じゃからのう。神話上では男神と伝えられてはいるが、一言主の影響で女神の性質も持っておるし」
そう。事代主神と同一視される一言主神には、女性の逸話もあるのだ。
一言主は時代を経るに連れてその神格を劣化させ、最終的には悪鬼にまで身を落として呪術者に使役される、というエピソードがある。その一言主を使役した呪術者こそが役小角であり、伝説に寄っては、一言主は女の姿で永遠に封印をされているという話だ。
「まあ、儂の話はこの辺りでよいじゃろう。問題は天知ノリトの話じゃ。――要するに、神咒宗家とは神と呼ばれた存在の血を引く家系というのが、一つの真相での。多くの事象改変の中で、神咒宗家の四八家はそれぞれ自身の血筋の唯一性を証明しようと躍起になっておるが――その中でも、天知家は特に天孫降臨の際に降りた天津神の血筋とされておる」
「それはつまり、皇族の……」
「さすがに今の皇室とはまったく別物じゃろうがな。じゃが、元祖の血が続いているというのは確からしいと言えるじゃろう。そして、今代においてはその血が一番濃く現れた。神と呼ばれた存在の血族が、本当にその力を身に宿したというわけじゃ」
それが、天知ノリト。
神の血を引く、現人神。
「奴は生まれながらの化け物でのぅ。天知家の呪法の甲斐もあってか、生まれた瞬間に【言霊】の神格を儂から半分近く奪って生まれおった。神格を半分失った儂は、現世に強制的に顕現させられた上に、生身の人間として天知家に縛られることになったというわけじゃ」
「それでは、あなたが今は人間というのは間違いないんですね」
「神格をなくしておるからの。如何に権能を持とうと、生身の存在として現代に縛られるのは避けられん。といっても、半分奪われた程度じゃ、まだ儂は神としての力を残しておった」
懐かしむように目を細めたコトヨは、軽快に笑い声を上げる。
「だから、すぐに呪詛を送って神格を奪い返そうと思ったのじゃがの。なんとノリトの坊主、赤ん坊の時分に、言霊で呪詛返しをしおったんじゃ。化け物にもほどがある。おかげで更に半分奪われて、結局七割方はアヤツに奪われたことになる」
笑い話のように語っているが、内容はえげつない。
というか、そこまでの化け物と渡り合っていたのかと思うと、背筋が寒くなる思いだった。
「ま、そんなわけでな。時間をかければ残った神格でも十分に取り返すことはできたんじゃが、あまりにもあの坊主が危うかったので、様子見も兼ねて顕現を続けているというわけじゃ。興味深くもあったしの。ま、擬似的なバディ契約のようなものじゃよ」
「つまり、今のあなたは自分の意志でとどまっているわけですか」
本物の神格が降臨している事例など、聞いたこともない奇跡である。せいぜいがファントムのように霊子生体という別の存在に置き換えられて力の一部を使える程度だ。神様そのものというのは、シオンも事例として聞くのは初めてだった。
神様の一柱なのだから当たり前だが、その権能は魔法などという低次元のものではない。
「あなたの魔法は、本当に次元が違うものだったんですね」
「ちなみに、儂らが扱うのは正確には魔法ではなく神法――『神咒』というものじゃ。儂らは魔力や霊力といったものを利用せん。そんな事せずとも、情報界につながっておるからの。手ずから情報に手を加え、権能を振るうのみじゃ」
「……ということは、つまり天知の言霊もその次元に足を踏み入れているわけですね」
「かか。まあアヤツの場合、発声くらいは必要じゃがの。儂はその点、声を使わずとも言葉を扱うくらいは出来る」
「……デタラメですね」
もはや違う世界観の相手で、よく勝てたものだとゾッとする。
コトヨはともかく、天知ノリトにしたところで、今はまだ生身の人間としての肉体に縛られているが、魔法というのはその限界を超えるためにあるようなものだ。いずれはコトヨのようになるかもしれないことを考えると、末恐ろしい相手である。
「さて、種明かしはこんなところで良いかの」
そう言って、コトヨは立ち上がると、くるりとシオンの方を向いた。
「なかなか楽しかったわよ、シオンくん。また機会があったらお相手願いたいものね」
「僕の方は勘弁してもらいたいですね。こんなの命がいくつあっても足りない」
「そんなこと言わないでよ。何より、あのノリトくんに土を付けられる魔法士なんて、本当に限られているんだから。すっごく貴重なのよ」
クスクスと笑う姿は、不肖の弟子が成長する様子が楽しくて仕方ないといった感じだ。
「あとは――そうね。最後に一つ、その右腕のことを少し話しておこうかしら」
ベッドの上のシオンを見下ろしながら、彼女は包帯巻きにされた右腕を指しながら言う。
「【その右腕は元通りになるよ】」
唐突に、彼女は言霊を使った。
シオンは右腕を意識しながら怪訝な顔をする。
腕が治ったから――ではない。
確かに治療中による痛みは少し引いたが、まだ不自由なままだからだ。
「ま、そういうことなんだけれど」
「いや、訳がわからないんですが……」
「だからね。君の右腕、マナによる汚染が強すぎて、元通りになるのは絶望的なの。この私の言霊を使ってもね」
驚くようなことをさらりと言われてしまった。
さすがに二の句が告げられないシオンは、顔をひきつらせて黙りこむ。
そんなシオンに向けて、コトヨは真面目な口調で続ける。
「カニングフォークの使いすぎも原因の一つだろうけど、問題は別にありそうなのよね。君の元々の右腕は多分、今は大きな力に取り込まれて別のものになっているみたい」
「別のもの、ですか」
「それが何かはわからないけれどね。けれど、元の右腕の影響があるからか、再生させようとしても、それは異物として認識されてしまう。それが、擬似生体の癒着がしづらい理由よ」
「それに加えて、カニングフォークによる汚染もある、ということですか」
「そう。だからあなたにできるのは二つに一つ。これ以上カニングフォークを使わずに、擬似生体の右腕で生きていくか――いっその事、義手か何かに切り替えてしまうか」
「………」
「ま、あとはあなたの自由よ」
微笑んで、彼女は背を向けた。
「それじゃ。期待しているわよ、神童くん。また会いましょう」
そう言って、言霊の神は背を向け去っていった。
その姿を見送りながら、シオンはそっと右腕に触れる。
未練などないつもりだったが――ほかならぬ奇跡の祝福すらも拒絶したことに、多少思うところがあるのは確かだった。
「まあ、そう都合のいい話はないよな」
ぼやきながら、シオンは中空へ視線を投げる。
そして、これからの行く末に、思いを馳せた。
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久能シオンステータス




