わたしを一番にしてください!
その通達があったのは、中間試験が終わって次の日のことだった。
テクノ学園のクラスごとの教室は、広い円形の階段型教室となっている。一番下に設置された教壇には、若い女性教師が技術化の生徒を見渡している。
1年技術科の担任教諭、円居鶫教諭である。
彼女はいまいち真意の見えないにこやかな笑顔でそう言った。
「えー、すでに気づいている生徒さんもいらっしゃるかもしれませんが、昨日から登録ファントムの学内研修が始まっています。それと同時にこれから一ヶ月の間、ファントムたちの学内見学期間となりますので、自由に交流を取ってください」
霊子生体ファントム。それは、逸話や伝承が形となって知性を持った神霊であり、膨大な情報を内包した生命としての上位存在である。
様々な理由で発生したファントムは、魔法学府やその関連施設に所属することになる。
がやがやと騒ぐ生徒たちの中で、率先してレオが質問を投げかける。
「せんせー。それってつまり、バディ契約の交渉をしていいってことですか?」
「そうなりますね。皆さんとファントム側、双方が希望した場合に限りますが」
聞く所によると、毎年この時期に行われるイベントのようだ。
バディ契約とは文字通り、ファントムと契約して今後の魔法活動における助けになってもらう契約のことだ。古い魔法文化における使い魔の契約に似ているが、あくまで平等の立場でしかなければ成立しない契約なので、バディ契約と呼ばれている。
バディ契約を果たして実力を持った魔法士を、前述のとおりウィザードと呼んでいる。もちろん、未だ学生の身である彼らは、一人前のウィザードとは程遠いが、それでも一定以上の実力がなければ、ファントム側も相方だとは認めない。
魔法士側のメリットとしては、単純に情報界へのアクセスが容易になる。魔法現象は現実に反映される前にかならず形而上の情報界で改変が起こるため、生身の人間では反応に遅れを取る。それに対して霊子生命体であるファントムは、直接情報界にアクセス出来るため、その助けを得ることで魔法士も魔法のトラブルに対応しやすくなるのだ。
対するファントム側のメリットは、現実世界への影響力を広げられることにある。霊子生命体である彼らは、現実世界で活動する上で必ず魔力を消費する。そのため、彼らが単独で自由に行動できるのは、魔力が豊富な霊地に限ることになる。それが、魔法士とバディ契約を結べば、魔力供給を受けて広範囲の行動が可能になる。
そういった互いのメリットがあって、バディ契約は結ばれる。
多くは、一年間修業して実力を得た二年生が対象になるのだが、一年のうちから見込があるものを見つけたら、すぐに契約を申し込むファントムもいるらしい。
「なるほど。だから昨日、実技試験があったわけか」
現時点でのわかりやすい成績を示すこと。
それによってファントムたちは、生徒とコンタクトを取ろうとしてくるだろう。
つまりは。
「技術科の一年なんかを相手にするファントムは、居ないってこったろ」
クラスメイトの一人が投げやりにそう言ったことで、クラスはしんと静まり返った。
所詮は、今の自分達に関係がある行事ではない。
ノキアのような一部の例外を除いて、技術科の生徒たちは基本的に魔法実技の実力が芳しくない。一年後はともかく、現時点でファントムと釣り合うだけの実力などあるはずない。
「それはわかりませんよ」
全員がしらけてしまった中、円居教諭が、笑顔を崩さずにあっけらかんと言った。
「ファントム側も、全員がハイランクであるわけではありません。ローランクと呼ばれる、因子が弱いファントムも多く居ます。皆さんが未熟であるのは確かですが、未熟だからこそ、一緒に成長していけると思うファントムもいるかもしれません」
言うことはもっともなのだが、先程から笑顔のまま少しも表情が変わらないため、生徒たちは半信半疑にしか聞くことができなかった。
ホームルームが終わり、ざわざわと喧騒に満ちる。百名以上が一同に介する大教室は賑やかなことこの上ない。
隣に座っていたレオが、後ろの席に座っているノキアの方へと振り返りながら言った。
「草上なら、契約の誘いも引く手数多なんじゃねぇか?」
「ん、あ?」
不機嫌そうに顔を上げたノキアは、これまた不機嫌そうに声をあげる。というか、顔を上げたということはもしかすると、ホームルーム中も寝ていたのではないだろうか。
案の定と言うべきか、彼女の答えはわかりきったものだった。
「興味ないね」
「なんだよ。つれないな。契約出来たら、お前も少しは楽できるんじゃないのか? だって、使い魔だぜ使い魔。いろいろ代わりにやってもらえるだろ」
「何を言ってるんだい」
半目で睨むようにしながら、ノキアは腕枕に顎を乗せて、だらしない格好をする。
「まずレオくんの勘違いを正すと、バディ契約ってのはあくまで対等な関係だよ。便宜上使い魔ってくくりではあるけど、そんな奴隷みたいな扱いが前提の契約なんかじゃない」
「んー、そうなのか? でも、ゲームの選手なんかじゃ、主従関係みたいなバディはよく見るだろ。ああいうのとどう違うんだ?」
「それはどちらかと言うと、雇用主と従業員みたいなものでね。労働力の対価として賃金を提供するのが労働契約だろう? 場合によっては主従関係にもなるだろうけど、それは互いの関係性次第さ。――それより、だ」
ノキアはそのまま、口を尖らせながら不服そうに言う。
「バディってことは四六時中一緒にいるってことだよ。私の自由はどこに行く、自由は? 幽霊だからって、私生活に口を出されるのは我慢ならないな。これが小うるさいファントムだったりしたら、身の毛もよだつ。私は気ままに惰眠を貪れなければ嫌だぞ」
「あ、相変わらずだね、ノキアちゃん」
ご高説を垂れるノキアに、近づいてきたハルノも会話に加わってきた。
彼女はノキアに目線を合わせるようにしゃがむと、勢い込んで言った。
「えっとね。ノキアちゃんなら、きっといいファントムさんたちと出会えると思うよ」
「あー、もうっ! ハルは可愛いなぁ」
ガバッという擬音が聞こえてくるように、ノキアはハルノに抱きついた。うわっ、と驚いた様子のハルノに構わず、顔をこすりつけるようにじゃれつく。中学からの付き合いだからなのか、ノキアはハルノに対してだけは積極的にスキンシップを取る。
女子同士の過剰なスキンシップを前に、シオンとレオは肩をすくめ合う。羨ましい気持ちが微塵もないわけではないが、それを口にすると変態扱いされかねない。
女子二人を横に、男子二人は話題を移す。
「バディ契約の件だけどよ。なんでも六月までに契約したら、七月から始まるインハイ予選のバディ戦に参加できるらしいぜ」
魔法学校におけるインターハイは、ウィザードリィ・ゲームの大会と同義である。日本には魔法学府が六校あり、それぞれの代表が一同に介して技を競い合う。
その中には、バディ契約を果たしたペアが参加条件である試合もある。
「インターハイ、シングル戦は各学年での競技になるけど、バディ戦だけは全学年合同って話だろ。そもそも同学年でも実力差があるのに、上位学年と競い合うのは大変じゃないか?」
「だよなー。仮にバディになってくれるファントムが居たとしても、競技で活躍するには、一年生ってのはやっぱ厳しいよな」
上位学年でも、バディ契約をしていない生徒は多い。だからこそ、バディ契約が出来る程度の実力者たちを競わせるというのは、実力主義という観点において、いいシステムである。
最も、自分にはまったく関係ないと、シオンは端から決め込んでいた。
そもそも魔法学府に入学したのは、将来的な研究場所が欲しかったからだ勢い込んで表舞台に立つつもりは全くないし、それだけの実力があるとも思わない。
研究目的のためには最低限の実技の向上が必須だが、なにも一流になる必要はない。ノキアではないが、この学園生活を平穏に過ごせればそれでいいと、脳天気にもそんなことを考えていたのだった。
もっとも――その脳天気な願いは、直後に失われることになる。
「え、嘘。まじかよ」
クラスのどこからか、そんな言葉が漏れた。
途端に、教室中の視線が大教室の入口に集まった。先ほどまでの騒がしさはどこに行ったのか、シンと静まった教室で、全員の目が一点に集中したのだ。
そこには、一人の少女の姿があった。
ショートカットの少女だった。セーラー服を着ている彼女は、この学校内では異質に映る。色白の肌は透き通るように白く、熱を感じさせない。年の頃は中学生くらいのように見えるが、童顔の上に、明るい黒髪に可愛らしいリボンをつけていることから、より幼く見える。
彼女は、ファントムだった。
つい今しがたまでバディ契約について話していたばかりのところである。そんな時に、実際にファントムが教室に入ってきたのだから、みな驚いて硬直してしまう。
技術科の一年なんか相手にされるわけがないと思いながらも、「もしかしたら」という希望が無いわけでもないのだろう。そんな割り切れない思いが全員を硬直させてしまっていた。
「ん、えーと」
ファントムの少女は、首を傾げて教室を見渡す。その仕草は、まるで目当ての存在を探しているようだ。その様子を、誰もがかたずを飲んで見守っている。
やがて、少女は目当ての人物を見つけたのか、満面に笑顔を浮かべる。そして、トテトテと段差を駆け上がって、迷いなく教室の中央へ歩を進めてくる。
「見つけた」
言いながら、少女はシオンの目の前で立ち止まった。
周囲がざわつく。
隣ではレオが「ま、マジで」と呟き、そばでハルノが、「あ、あわわ」と動揺して言葉をなくしている。ノキアは皮肉げな笑みを浮かべてあくびをした。
そんな周囲のことなどまったく気にしていないのか、少女の視線は、じっとシオンだけを見つめている。真剣そのものの、誤魔化すことのできない真っ直ぐな瞳が向けられる。
(――この子、どこかで)
その食い入るような眼差しは、見覚えがあった。
この少女のファントムは、以前ウィザードリィ・ゲームの会場で、試合の映像を穴が空くほど見つめていた、あの少女だった。
少女の小さな口が開かれる。
「ねえ。あなた、久能シオンだよね?」
「……そう、だけど」
ぐっと、少女の手が強く握られる。どうやら、彼女も緊張しているようだった。強張った表情は、期待や不安といった感情を押し殺しているようだった。
懸命に、絞りだすように、彼女は震える声でお願いを口にする。
「ずっと、探してた。あなたしかいない。あなたにお願いがあるの」
お願い、と。
彼女は頭を下げて、大きな声で言った。
「お願いっ。わたしとバディになって欲しいの。そして――ウィザードリィ・ゲームで、わたしを一番にしてください!」
半ば事情を察していたクラスメイトたちも、この発言には度肝を抜かされた。
当事者であるシオンですら、言葉をなくしてぽかんと口を開くことしかできなかった。
これが、魔法士・久能シオンと、ファントム・七塚ミラの出会いだった。
切りの良いので、今日はここまで連続で更新しました。
明日以降、毎日数話ずつ更新していきます。
シオンとミラの物語をよろしくお願いします。