魔法試験と首席の生徒
しばらく休憩していると、学園から支給された個人端末に次の試験案内が届いた。一年生全体で四百人ほどいるので、試験は複数の実習室を使って一日がかりで行われる。
レオと別れたシオンは、次の試験会場である屋外の競技場に向かう。
サッカーコートほどの広さの競技場には、すでに試験の準備が整っていた。
端にはある台座の上に試験用の魔法デバイスが設置されており、その足元には様々な形の巨大な分銅が置かれている。また、五十メートル離れた対岸には、分銅の形に合うような穴開きの台が設置されている。
内容は至ってシンプル。魔法で分銅を対岸の台にはめ込むという、念動力試験である。
人工魔法は大きく三つの属性に分けられる。
物理的な現象を操作する、物理属性。
概念的な事柄を変質する、概念属性。
霊子的な事象に干渉する、霊子属性。
すべての魔法現象はこの三つを組み合わせて行うもので、念動力は三つの属性のどれを使っても再現できる、基礎中の基礎でもある。
だからこそ、実力差も出やすい。
案の定と言うべきか、技術科の生徒たちが惜しい所で集中力を切らして失敗しているところを、上位クラスの生徒達に笑われている。そんな光景が何度も繰り返されていた。
シオンが自分の番を待っていると、横から気の抜けた声がかけられる。
「嫌味なもんだよねぇ。こういう試験のやり方って」
はわぁ、とあくびを混じらせながら、草上ノキアという女子生徒が話しかけてきた。
「学科の方向性が全く違うのに、合同で試験をさせるっていうのが本当にいやらしい。これは我々底辺のやっかみなんだろうけどね。ただ、入学しょっぱなからこうも格付けをされると、技術科の先輩方のうだつが上がらないのも納得といった所だね。ふわぁ」
「……寝坊してきたくせにまだ眠そうだな、草上」
「そりゃあ、起き抜けにテストだなんて言われた、さらに眠くもなるさ」
投げやりに言いながら、彼女は寝ぼけ眼で試験中のクラスメイトたちを見ている。
制服のリボンは曲がっており、きれいな黒髪は寝ぐせが跳ねている。非常に整った顔立ちをしているのだが、常に眠そうに細められている目のせいでその魅力も台無しだ。いつも通りといえばいつも通りだが、これで良家のお嬢様と言うのだからたちが悪い。
億劫そうに手櫛で髪を整えている彼女に、多少の毒を込めてシオンは言う。
「お前なら何の問題も無いだろ。苦手ってわけじゃあるまいし」
「問題ない? 問題だらけだよ」
ありえないと首を振りながら彼女は答える。
「私は静かな生活が好みなんだ。春の暖かな日差しを受けながら、うつらうつらとしながら座学を受けるような平穏な生活がね。心穏やかに日常を過ごしたいだけなのに、何故邪魔をされなきゃならないのか。こんな見世物みたいな試験、受けるだけで不眠症になりそうだ」
「不眠症になったら睡眠薬でも飲んでろよ、万年眠り姫」
「それはグッドアイデアだ。起こされても起きないくらい、ぐっすり眠れそうだ」
どこまで本気なのか、うんうんと愉快そうに頷くノキアのことを呆れた目で見る。
そんな馬鹿な会話をしていると、彼女の番がやってきた。
「やれやれ。じゃ、行ってくるよ」
緊張感の欠片もない様子で、またあくびを一つこぼしながら、彼女は試験場に向かう。
念動力の試験は、評価項目は四つある。
『重さ』『速さ』『正確さ』『持続性』『連続性』。
如何に重い物体を、如何に早く、如何に正確に、持続させつつ、連続で念動できるか。
その過程で計測されるものは、『魔力出力』と『魔力制御』の二項目。
技術科の生徒の試験ということで、実技クラスの生徒達がニヤニヤと笑っているのが見える。もうすでに試験が終わっている者達だろう。彼らの試験の様子は見ていないが、みな及第点以上の成績は残しているらしい。余裕たっぷりの笑みは、安全圏から底辺をあざ笑ういやらしさが見え見えだった。
しかし、そんな彼らの表情も、ノキアの試験を見て驚愕に変わることになる。
「ふぁ。……さて」
ノキアが行ったのは、非常に単純なことだった。
ただ、一番重たい物体を、一番速く、指定の台座にはめ込んだだけ。
彼女は試験台に立つと、用意されたデバイス――魔法式を実行するための端末に手を触れた。必要とした集中は僅かな時間。それだけで、百キロの物体が二十メートル先の指定地点に飛来し、寸分たがわず台座に空いた穴へとはめ込まれた。
時間にしてわずか三秒ほど。この試験が始まって以来、最速終了だった。彼女はその結果を横目で見やった後、用済みと言わんばかりに長い髪を揺らして踵を返した。
「ふわぁ。疲れた」
「おつかれさん。注目されてるぞ」
「そう? 興味はないけどね」
彼女は言いながらシオンの隣に座ると、また一つあくびをしてベンチの背もたれに体を預ける。黙っていると、このまま本当に眠りそうな雰囲気である。
持続性と連続性は全く無いが、正確性は間違いなく一番であり、重量と速度に関しても十分過ぎる成績。特に『魔力制御』の観点において、おそらく高得点だろう。
技術科でありながら、この実力。
それもそのはず、彼女は入試の成績関係なく技術科を志望して入学してきている生徒なのだ。入試では筆記では得点数の高いものだけを狙って解いて後は空欄。実技では今のように、速さを重視したやり方で、非常に偏った成績を残しているらしい。
もし本気で彼女が試験に臨んだら、どのような結果が出るのか。
本来だったらこの試験も、用意された分銅をすべて移動させて持続力や連続性を見せる必要がある。それを、面倒だからという理由で、一瞬で終わらせたのだった。
「何が底辺だよ。まったく」
呆れながらそうつぶやいたのだが、それを聞いたノキアは、目をつむったまま答える。
「なに、神童に比べたら大したこと無いさ」
「…………」
「それより、君の番だよ。早く行った方がいいんじゃないかい?」
言われて試験場に目をやると、準備が整っており、シオンを呼ぶ教師の姿が見える。ノキアの直後と考えると気が重いが、ため息を付いて立ち上がった。
試験場には、中央のテーブルに、手のひら大の魔法デバイスが置かれている。その先には、五キロから百キロまでの重さの分銅が複数個置かれている。その物体を、どれでもいいので五十メートルの間にある指定の台座まで移動させてはめ込めば良い
デバイスを手に取り、記録されている魔法式を読み取る。記述されている術式は、非常に単純なもので、可もなく不可もなくといったものだ。
魔法式とは、魔法を行使するための呪文を現代版にアレンジしたプログラムである。
魔法式を構成するプログラムは『要素部』と『変換部』の二つに別れている。最小の魔法である要素を変換して現実を改変する。一つの変換を一工程とし、それを複数組み合わせることでより大きな改変を起こす。
具体例としては、『火』というマテリアルを、『誘起』させるようコンバートすることで、魔力で作った火種を燃え上がらせる、と言った感じだ。
本来、魔法とは形而上に存在する情報界を書き換えて現実に反映するという手順を取る。その際、現実の情報と改変後の現実のあり方を計算していく必要があるのだが、それを簡略化させるのが魔法デバイスと魔法式の存在である。
デバイスにはメモリスロットがあり、予め要素部と変換方式を組み込んでおくことができる。これにより、事前に組まれた魔法式を読み込むだけで魔法を使うことができる。
「……マテリアルは四つ。コンバータは五つか」
要素部のメモリスロットには『物理・大気』『物理・熱』『概念・浮遊』『霊子』の四つ。
変換部のメモリスロットには『操作』『反転』『転換』『掌握』『創造』の五つ。
魔法式としては、風を操って飛ばしたり、電磁力などで浮遊させる、魔力を使って持ち上げる、純粋に強力な力をぶつける、と言った魔法式が事前に組まれている。
「――ふぅ。『取り込み(インクルード)』『実行』」
慎重に物体の座標を指定しながら魔法式から必要な情報を魔力とともに出力する。
そこまでですでに十秒近い時間を使っている。読み出しは早いのだが、出力に時間がかかっている。集中を切らさないようにしながら、かろうじて十キロの物体が浮き上がった。のろのろと時間をかけてなんとか五十メートルの距離を移動させる。
途中、魔力を出力し続けることが難しく、最後は自由落下しそうになっていたため、慌てて命令を書き加える。落下していく分銅はかろうじてゴール地点の台座の穴にはまり込んだ。
制限時間はオーバーしたが、制御自体はギリギリクリア。
疲労感がどっと襲ってくる。
そそくさと戻ったシオンに対して、待っていたノキアがニヤニヤとしながら話しかける。
「君、途中で概念属性の補助をしただろう? あれは同じ形同士をあわせる魔法かい?」
「別に、禁止されていないからな」
「そうだけどね。けど、さすがに教師は気づいているみたいだよ? 自由記述の試験なら加点だろうけど、用意された魔法式を使っての制御能力試験じゃ減点だろうね」
ケラケラと楽しそうに笑う。ノキアは面倒くさがりの女だが、シオンにちょっかいを出す時だけ積極的になる節がある。
ノキアの無駄口に付き合いながら、シオンはあとの試験を眺めていた。
※ ※ ※
最後の試験会場である大ホールに移動すると、すでに霊子庭園が展開されていた。
「さってと、最後は何かな」
ノキアは気楽に言いながらホールの扉を開ける。
結局、その後の試験はずっとノキアと一緒だった。どの試験も最速に近い速度で終わらせるノキアと、簡単な式にも手間取るシオンの流れも、何度も続くと慣れたものだ。
そして迎えた最後の試験は、総合力を試されるものだった。
ホールの中には現実を縮尺してミニチュア化された霊子庭園が展開されている。そこに手をかざすと、補助が働いて自動的に霊子体が作成され始めた。霊子庭園の中に入り込むと、そこは装飾もない真っ白な広い空間だった。
手元には、試験課題である手のひらサイズの立方体が支給されていた。
試験内容は、支給された立方体を制限時間内に解体して中のパスコードを回収すること。この立方体パズルは、物理属性、概念属性、霊子属性のすべてを組み合わせて封印された魔法製作物で、生半可な解き方では解錠できない仕組みだった。立方体はそれなりの強度がある上に、正攻法以外で解体に失敗すると、小規模の爆発が起きて霊子体が壊れて再挑戦となる。
「あ、ノキアちゃん。それに……久能くんも」
先に試験を受けていた姫宮ハルノが、二人の姿を見て小さく手を振った。
「やっほ、ハルちゃん。どう、調子は」
「あはは。実は、もう四回も死んじゃった」
三つ編みを揺らしながらハルノはしゅんと肩を落とす。
彼女の手には解錠途中の立方体が握られていた。普段はおっとりとした雰囲気のある子なのだが、今は傍から見ても分かるくらい憔悴している様子だった。
「私は時間限界まで挑戦するつもりだけど、もう諦めちゃった人も多いみたい」
だだっ広い真っ白な空間では、多くの生徒が立方体に向かい合って悪戦苦闘しており、時折爆発音が響いては霊子体が崩壊していくという景色が繰り広げられている。
すぐに復帰する生徒もいれば、そのままリタイアしたのか戻ってこない者もいる。試験時間は最後の授業終了までなので、あと一時間程しかない。
「その……久能くんは、こういうの得意だよね。もしかして、簡単に解けたり?」
「……どうだろうな。ただのパズルなら、時間を掛ければ良いだけだが」
おずおずと尋ねるハルノに、シオンは眉間にシワを寄せて神妙に言う。
確かに、時間をかけて考察や解読を行えるタイプの試験なら、今のシオンでも十分に対応可能だろう。だが、そんなに単純な仕様なら、ここまで多くの生徒が苦戦しないだろう。
案の定、立方体パズルの解錠には、繊細な魔力操作が必要な場面があった。
(表面の第一層は基礎的な回路計算で、手順通りに電流を流せば良い。続く第二層は概念の置き換えをして本質を解読する暗号。ここまでは良いけれど、問題は第三層――適切な魔力操作で複数の壁を壊していく、霊子属性の繊細な技術が求められる)
立方体の第三層に待っていた難問は、魔力制御に難のあるシオンにとって致命的な壁だった。少しでも制御を誤って無関係な部位を破壊するとたちまち起爆する仕組みは、容赦なく受験者の霊子体を破壊していく。
都合二度、シオンは同じ場所で爆発させて再挑戦を強いられた。
多くの生徒が苦労している中、すぐに正攻法での攻略を諦めたのがノキアだった。
「ああもう、面倒くさい!」
彼女は苛立たしそうに叫ぶと、周囲の人間に離れるように言った。
何が始まるのかと周囲の生徒たちが物珍しそうに遠巻きに眺めている。
注目を集めているのを気にせず、ノキアはまず立方体を魔法で凍結させた。
「『停滞・凍結』『複層・認識』『固定・融合』――そんで、『破砕』!」
彼女は即興で複数の魔法式を組み上げると、立方体パズルの構造を無視して一つの物体として定義し直した。そして、衝撃魔法を叩きつけて強引に叩き割ったのだった。
正規の方法とは違うやり方で壊された立方体は、当然ながら爆発を起こす。しかし、ノキアは事前に展開した氷を拡張させ、爆発ごと氷の概念で固定するという荒業に出た。結果、爆炎と爆風が空間上に凍りついているという、現実にはあり得ざる光景がその場に現れる。ノキアはその爆風の中を覗き見ながら、「ふんふん」と頷いている。
「隠されているコードは十桁かな。半分くらいしか読み取れないけど、ま、いいや」
試験の趣旨を考えるとまるで良くはないのだが、ノキアはそれを回答として提出した。
これに対して試験管は後に「そもそも強引に壊すの自体が難しいもんなんだけどね」と呆れたようにコメントを残した。
そうしているうちに他の試験を終わらせてきたレオも合流してきた。
「よ。調子はどうだ」
「草上が反則技を使った以外は、みんな苦戦してる。レオは今からか?」
「んにゃ、午前中に一回挑戦はしたけど、まるで駄目だったから他の試験を優先した。で、少し時間が余ったから最後にやってみようって思ったんだけど……ま、案の定か」
大ホールは死屍累々と言った惨状で、挑戦を諦めて霊子庭園に入らなくなった生徒たちがそこかしこに座り込んでいる様子が広がっていた。ほとんどの試験が終わっていることもあり、人が集まるにつれて全体的に雑談ムードが広がっていった。
結局、時間内に立方体パズルを解けた生徒は全体の一割にも満たなかったそうだ。
「そういや、俺が最初に受けた時、最速でクリアしたやつが一人いたんだよ」
「それ私も聞いたよ。A組の人だよね。他の試験でもトップの成績だって話題になってた」
「そうそう。あんだけすごいの見せられたら、嫉妬よりすげぇって思うよな」
レオとハルノが話しているのは、実技A科の明星という生徒だった。
その名前を聞いて、うたた寝をしていたノキアが「ん」と反応を見せる。
「明星家って言ったら、魔法の大家の家系だね。でも、あそこって確か……」
「どうかしたのか、草上」
「……いや。なんでもない」
何かを言いかけて言い淀んだノキアは、話題を変えるように言った。
「そういや、すごいファントムを連れてる一年がいるって話が先輩方の間で話題になってたけど、それも確か明星くんのことだったと思うよ。ご実家から連れてきたのかも知れないけど、バディ契約を結ぶだけの実力はあるんだろうね」
「へぇ。じゃあ、正真正銘のウィザードってわけか。そりゃすげぇわけだ」
レオやハルノが感嘆を漏らす。彼らにとっては、まだ一年の時点で学園中から注目を集める生徒は雲の上の存在だった。
ウィザード。
それは、霊子生体ファントムと契約し、一人前と認められた魔法士の称号である。
明星タイガ。それが、現在の一年生のなかで、数少ないウィザードと呼ばれている魔法士の一人であり、現時点で首席の生徒の名前だった。