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・社会の変化と個人の「普通」の変化② そもそも「みんな違ってみんないい」とか言ってなかった?




 話を戻しますと、ネットが生まれた時から身近にあり、スマホもタブレットもパソコンも当たり前。テレビ番組よりYouTubeや各種動画配信サービスの利用が当たり前の世代と、私のように人生の途中から「ネット」を知り使い始めた世代、親世代のようにそもそもネットなどがなく直接の肉体による接触や用意された情報を断片的に入手していた世代(テレビは親の所有物という意識が強かった世代や環境など)とは、情報の受け取り方やそもそもの考え方が異なります。


「最近の子は」なんて言いますが、そもそも根幹が違うので同じテーブルに並べて比較してもあまり意味はありません。「差」や「違い」はわかるでしょうが、そもそも人種が違うと考えた方が早いのです。


 直接的な対話や接触によるコミュニケーションがメインだった世代は、個人差はありますが、声のトーンやちょっとしたしぐさや表情、空気感や目線の動きだけで相手が何を考えているのか、捉える能力が高かったといいます。


逆にこの世代では「文字だけ」のコミュニケーションは味気がない、感情が伝わりにくいと考えている人が多く、その結果「顔文字」や「絵文字」などが生まれ、感情を示すという記号を取り入れるようになりました。


現在の若い世代に「察する能力」や「感情を慮る能力」がないかというと、そんなことはなく。例えば「スタンプ」として短いサインで感情を相手に示したり「既読」という表示がされることによって、「見ているよ」「無視してないよ(既読スルーはあるけれど)」という言語を介さない意思表示に繋がっていきました。


最近では文字より「言葉が早い」ということで、録音した音声をメッセージとして送るショートボイスメッセージが都市部で流行っているそうですヨ。


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